創刊の辞          

創刊の言葉

桐生文化史談会会長 八木 昌平

 近時、地方に於ける郷土史研究は、目ざましい発達で、その勢の盛んなことは、到底戦前の比ではない。これは、一つはわれわれの国民生活が安定を見せた結果でもあらうが、他にそれとは別な二つの原因がひそんでいると思う。即ち、その一つは、民主的日本歴史の一環である地方史をかきかえるため、他の一つは、憲法の改定による民主国家の建設を地方文化の基盤の上に築こうとする狙いであろう。随つて、現時の所謂郷土研究は、従来多分に行われた低回趣味の満喫感や、郷土愛涵養の種探しなどは、二のつぎで、飽くまでも民主国家建設という現実的立場から調査研究を進め、その成果を国民文化の向上にプラスさせようとする考え方が支配的となつている。現に、桐生地方においても、考古学的の地域調査が盛に行われ、既に研究報告の雑誌も発行され、又県下をはじめ日本各地に於て、郷土史の再検討が試みられているのも、皆この考え方に根ざしていると思われるのである。

 かように、郷土史観が一変し、調査研究方法に一時代を劃している今日となつては、われわれこの道にたずさわるものもまたこの線にそつて頭を切替え 出直しをつける必要があろう。そこで本会は多年懸案となつていた機関雑誌桐生史苑を刊行して、時代の要請に應えることゝしたのである。この目指すところは申すまでもなく、桐生地方の文化遺産を普く探し求めて、或は生のまゝ、或はメスをいいれた資料を展示し、文化再生産の資源を廣く社会に提供することである。なほ、これにかねて、桐生地方を廣義に解して、周辺の地区は勿論、県内各地を含ませこれによつて かつて豊国覚堂氏の主幹された上毛郷土史研究曾の「上毛及上毛人」又、故岩澤正作氏の会長であつた毛野研究会の「毛野」の廃刊以来、空白となつている本県郷土史総合雑誌の役までつとめたい意図も存する。

 かく考えながらも、たゞ本会は、今戦争中の打撃、これにつゞいた敗戦後の混迷からぬけでたばかりで、会の基礎は至つて薄弱のため、この刊行も年二回がせいぜいである。しかし将来会員が増加し、有志者の賛助を得て前途の見通しが確実となれば、二回は四回となり、四回は六回、月刊となることも左程困難のことではなかろう思う、いわんや、本県下に地方史総合稚誌のブランクの現時においてをやである。

 翻つて、本会の来歴をたどつて見ると、本会も昭和十年桐生市立図書館の新設を契機として、設定した当初は見学講演会、展覧会等、所定の行事が行われて頗る順調な足取であつたのであるが、やがて起つた戦争の激化後は、いばらの道ジャングル地帯に追込まれて、再起覚束ない悲境に陥つていたのである。処が、はからずも、こゝに時代の脚光を浴び、改めて文化財産の探求・保存、地方文化の昂揚の旗印をかゝげて、再度のスタートを切ることになつたのは、誠に御同慶の至りに堪えない。私は、この機会において、理解ある会員各位の協力によつて、所期の目的を達成することを切望して止まぬ次第である。こゝに所懐の一端を述べて創刊の辞とする。

桐生史苑創刊号 昭和25年12月