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「小耳にはさんだいい話」へ


71号〜80号



71号 神様からのメッセージ
 先日、大野勝彦さんに再会しました。大野さんは平成元年、農業機械で両手を切断してしまいましたが、今では義手で素晴らしい絵や詩を書き、充実の日々を送っています。大野さんは両手を切断した時、神様からのメッセージを聞き、次のような詩にしました。

    神様からのメッセージ
それでも生きるんじゃ。 それだから生きるんじゃ。 何だ偉そうに「格好悪い。ああ人生はおしまいだ」なんて、一人前の口を叩くな。 あのな、お前が手を切って悲劇の主人公みたいな顔してベッドでうなっていた時なー家族みんな、誰も一言も声が出なかったんだぞ。ご飯な、食卓に並べるのは並べるけど、箸をつけるものはだぁれもいなかったんだぞ。これまで一度も、神様に手なんか合わせたことがない三人の子供らナ、毎晩じいさんと一緒に、正座して神棚に手を合わせたんだぞ(中略)腰の曲がった親の後ろ姿  よー見てみい。親孝行せにゃーとお前が本気で思ったらそれは両手を切ったお陰じゃないか…今度の事故な、あの老いた二人にはこたえとるわい。親父な、無口な親父な七キロもやせたんだぞ「ありがとう」の一言も言うてみい。涙流して喜ぶぞ、それが出来て初めて人ってもんだ。子供達に、お前これまで何してやった。作りっぱなし、自分の気持ちでドナリッパナシ、思うようにならんと、子育てに失敗した、子育てに失敗した…あたり前じゃ、お前は、子育ての前に自分づくりに失敗しているじゃなかか。あの三人は、いじらしいじゃないか、病室に入ってくる時ニコニコしとったろが。本当はな、病室の前で、涙を拭いて「お父さんの前では楽しか話ばっかりするとよ」と確認して三人で頭でうなずき合ってからドアを開けたんだぞ。(中略)
 もう一遍言うぞ。大切な人の喜ぶことをするのが人生ぞ
時間がなかぞ… 時間がなかぞ…
 目の前で大野さんご自身の詩の朗読を聞いてとても胸が熱くなりました。
72号 みんなちがってみんないい
 桐生市の三澤章子(のりこ)さんから素敵な話を聞きました。
三澤さんが養護学校に勤めていた時の教え子に重度の知的障害をもったSちゃんがいました。普段のSちゃんはほとんど表情もなく動作もゆったりとしていました。ある時Sちゃんが教室からサッと飛び出して行きました。その素早い動きに何かを感じた三澤さんは気づかれないように後をついてゆくと、Sちゃんは誰もいない体育館に行き、天井に向って「ふわぁー」と声を上げました。その声と明るい表情は自由を手にした天使のような感動的なものでした。三澤さんは障害をもっている人の感性に強く惹かれました。また、障害をもっている人との表現活動を同じ頃東京で学んでいた三澤さんは、二年前に養護学校を退職し、『ダンスダイナミクス』を学ぶために半年間ロンドンへ留学しヴォルフガング先生のもとで勉強しました。ダンスダイナミクスとは子供達や高齢者のちょっとした動作をダンスの素材に取り入れて体を動かす表現活動です。三澤さんの夢は障害のある人とない人が一緒に音楽やダンスなどの表現活動を行い、その中で一人一人が自分を開き、そして他の人とのふれあいを楽しめる場をつくること。その第一歩として八月十日・十一日に桐生市民文化会館にイギリスからヴォルフガング先生をお招きすることになりました。
 三澤さんからいろいろなお話を聞いていると幻の詩人・金子みすゞさんの「すずと小鳥と、それからわたしみんなちがってみんないい」という詩を思い出します。

73号 兄弟風呂
 鹿児島で洋品店を経営する吉田勝也さんから「きずな」という題名の本を頂きました。それは南日本新聞社がきずなをテーマに原稿を募集し、入選作八十編を収めた本でした。その中に吉田さんの「兄弟風呂」という話が載っていました。
『五十歳代半ばも過ぎた兄弟が、姶良の家族湯に男同士で仲良く入ります。演歌「兄弟船」ならぬ「兄弟風呂」、十年以上続くこの行事を兄はこの上ない楽しみとしているのです。
 兄の病気は「脳性小児マヒ」。小さい頃からとても頑張り屋で中学校も四キロの通学路を徒歩登校で頑張りぬきました。卒業後は父の農業を手伝いながら喜界島で生活をしていました。父の死後、母と二人で暮らしていた兄に転機が訪れたのは昭和六十二年の冬でした。「栄治が倒れた!」母からの電話で私は急いで喜界島に飛びました。
 小さい頃から身体が不自由というだけでいじめられ、弁当箱にカエルを入れられたり、からかわれたり、何度も悔し泣きする兄を見てきました。「何でこんな体に産んだの」と母に八つ当たりする兄を見て、助けられない自分を情けなく思ったものです。喜界島に向かう飛行機の中では、そんな思い出を思い返し涙が止まりませんでした。あれから十四年、妻や二人の息子の温かい協力とたくさんの方々のお陰で兄は鹿児島の療護施設に入所できました。
そして、年数回の一時帰宅。私との楽しいうれしい「兄弟風呂」。兄の体を洗いながら「兄弟のきずな」を実感するひとときを楽しみにしているのです。兄弟っていいもんだなあ、とつくづく思う時間です。』

74号 感動の銅メダル
 大間々町三丁目の清寧館道場が創立三十周年を迎え、『修心開福』と題する記念誌を発刊しました。
 館長の須永善十郎さんは剣道の稽古を通して子供達に礼儀や正しい生き方を教え、幸せな人生を築いてほしいと願い続けてきました。記念誌を読むと、須永館長の熱い想いが子供達や父兄にしっかりと伝わっていることがわかります。
ある母親の手記にとても感動的な話がありました。『…東毛地区大会で清寧館が見事三位に入賞し、子供達は立派な銅メダルを頂きました。試合も終わりメダルを首にかけて大喜びで庭を駆け回る仲間達と反対に、木陰で泣きながら親を困らせている子供がいました。「清寧館が負ければよかった」…と、補員(控え選手)の一人が大声で泣いていたのです。そこへ仲間の子供がそっと寄っていって、自分の首から銅メダルを外し「ぼくは家に帰れば他のものがあるから、これ君にあげるよ」とその子の首にかけてやっているのです。私は「えっ本当にやってしまうの、もったいないよ…」と喉まで声が出ましたが補員の子は元気を取り戻し、仲間と一緒に喜々として会場を後にしました。 日もすっかり暮れたころ、先ほどの子が家にやってきました。「あんなことを言ったぼくが悪かったよ」と大事そうにポケットからメダルを取り出し、息子に手渡し帰っていったのです。この様子を見て私は目頭が熱くなりました。…』
「剣道は勝ち負けじゃーないんですよ」と穏やかに語る須永さん。その想いを見事に実践した子供達の話を聞いて清寧館道場の素晴らしさを改めて感じました。

75号 一杯の水
 先日、足利屋の先代の亡父・松崎福司の一周忌の法要を行いました。
法要を済ませ、お清めの席でご挨拶をお願いした亡父の幼馴染みの星野精助(星野物産会長)さんから心にしみるお話を聴かせていただきました。
 星野さんのお母様は三十数年前にお亡くなりになりました。そしてその亡くなった時のことをこんなふうに話して下さいました。『母親がもう食べるものも喉を通らなくなってしまった時、母は「(伊香保温泉の旅館)横手館の水が飲みたい」と言いました。その頃、私も仕事がとても忙しかったものですから横手館の水を飲ませてあげたいとは思ったのですが伊香保まで行く時間がつくれずやむなく母親の実家である桐原の深沢家の井戸の水を汲んできて母に飲ませてあげました。それでも母はその実家の水がうまいと言って飲んでくれました。それから間もなく母は息を引き取りました。…私はなぜあの時、母のために伊香保まで行って一杯の水を汲んできて飲ませてやれなかったかと三十数年経った今でも悔いています。そして、毎朝仏壇に向かって母に詫びています。誰でも人は亡き人のことを思うとき、あの時ああしてやればよかったとか、あんなことを言うんじゃなかった…と後悔するものです。でも、悔いを残すことはしかたのないことであり、そのことを忘れないで亡き人に手を合わせることが大事な事なのだと思います。…」 星野精助さんから『亡き人を案じる私たちが亡き人から案じられている』という色紙を頂き、改めて亡き父の顔を思い出しました。 

76号 卒業記念トイレ磨き
 広島市で住宅リフォームの会社を経営している木原伸雄さんとは五年程前からのお付合いです。木原さんは永年、会社ぐるみで地域の清掃やJRの駅のトイレ磨きに取り組んでいます。今年の一月、地元の小学六年生の児童七人が「総合的な学習」の一環として木原さんの会社に勉強にやってきました。そして子供達は木原さん達が続けている「JR駅のトイレ磨き」に強い関心を示しました。そして、「六年間も使ってきた便器を、感謝の気持ちを込めてピカピカに磨いて卒業したい。ぼくたちに掃除を教えて下さい」と、目を輝かせて言ったそうです。そして、当初は七人で取り組む予定が、四十人になり、とうとう卒業生全員の八十人が「卒業記念トイレ磨き」を体験しました。
木原さんからいただいた感想文集には全員の感動的な感想が綴られていました。
「トイレ掃除はいやだなあと思っていたけど、やってみたら、おもしろかったです。トイレも磨いたけど、心も磨いたような気がします。」(尾田悠君)
 「きれいになったトイレをみて『あー、やってよかった』って思えました。すごく心に残りました」(波多野梨沙さん)
「やすりやスポンジなどいろいろな道具で掃除していると楽しくなってきました。今回の掃除は今までの中で一番楽しく出来ました。」(若宮慶也君) 
 見返りを求めないで、自分の身体と時間を使い、人に喜んでもらえることを実践している木原さん。嬉しそうに子供達とガッツポーズで記念写真に写っている作業服姿が印象的でした。

77号 母子手帳から愛を見つけた
 岩手県二戸市に住む小松宏さんから毎月、楽しい自作の新聞と「ニューモラル」という小冊子が送られてきます。どちらも感心する記事が紹介されています。その中に山本崇申さん(十三歳)の作文が載っていてとても感動しました。
「親のことがうっとうしく感じ、投げやりな態度で時間を過ごしていた自分がとても愚かに思えてきた。
 僕は何気無く引き出しの中に入っていた「母子手帳」を目にした。そこには母の小さな文字がぎっしりと詰まっていた。文字と言うよりも母の愛情が溢れんばかりに書き綴られていたと言うべきなのかもしれない。『産まれたばかりの貴方を見た時、まだへその緒でつながっていた。元気に泣く貴方は誰よりも可愛かった。どうか、自分の夢を叶えてください。どうぞ、しなやかにしたたかに生きてください。私を母親にしてくれてありがとう。いっぱい仲良くしようね。いっぱいけんかをしようね。いっぱい話をしようね。感激と感動に乾杯!』
 僕は心が優しくぐすっと揺れた。反抗ばっかりして、言いたいことばかり言って、自分のことばかり考えて…ごめん。家族って言葉にしなくても分かり合えることってたくさんある。同じ時間を過ごす事で安心できる事がある。家族の匂い、家族の声、家族の笑顔が心を優しく、強くしてくれることばっかりだったことを改めて感じている。これからも助け合い、認め合い、信じ合い、支え合って、家族のつながりを強く優しくしていきたいと思う。「これからもよろしく」と母子手帳にメモをはさんだ。』
78号 地震が教えてくれたもの
 先日、四国高松の友人・対馬健三さんからとても心に響くいいお話を聞かせていただきました。
 七年前、阪神淡路大震災の時、対馬さんは何か自分達にできることはないかと友達と相談しました。そして、神戸の人たちに温かい讃岐うどんを食べてもらおうと決め、たくさんのうどんと道具をトラックに積んで神戸へ出かけました。神戸では全国からボランティアの人達が集まっていました。中でも茶髪の若者達が一所懸命に汗を流す姿に感動したそうです。対馬さんたちはそこでひとり暮らしのおばあさんに出会いました。「さぞ、つらいでしょう」という慰めの言葉におばあさんは「地震はあかんけど、みんなと一緒にいられるのはええなぁ。もし、仮設住宅が当たったら、また元のひとり暮らしや」と小声でもらしたそうです。四国生まれのおばあさんは小さい頃、よく父親に連れられて金毘羅様へお参りにて行ったことを思い出し、「みんなが、はようようなるように代わりにお参りをして」と財布から大事そうに百円玉を差し出したそうです。四国へ戻った対馬さんの友人は早速、その百円玉を握りしめ金毘羅様へお参りに行きました。その話に感動した「金毘羅様」からはおばあさんのもとに「御守」が送られたそうです。
「大切なのは思いやりの心。チョッと声をかけるとか肩を揉んであげるとか、そんなことの方が本当は大事だという事がわかりました」と対馬さん。あれから七年「みんながようなるように」というおばあさんの願いを金毘羅様の「御守」が叶えてくれています。
79号 安心堂白雪姫
 今年も二月に千葉県で商業界ゼミナールが開かれ、全国から一〇〇〇人もの商業者が集まって「商いの心」を熱心に学びました。
 勉強会の二日目、大阪でお豆腐屋さんをしている橋本由起子さんの体験発表を聴いて感動しました。
 十八年前、ご主人の太七さんは金沢の芝寿司という大きな会社の工場長を退職し、大阪の親類の小さなお豆腐屋さんを譲り受けて独立することになりました。由起子さんはそれまでの生活から一転して、小さな豆腐屋のおかみさんとして長靴をはき、朝早くから仕事をすることに何の抵抗もなかったそうです。
昔、由起子さんが原因不明の病気で寝たきりになってしまった時、太七さんは由起子さんの下の世話までしながら「おかあさん、今日はいい顔をしてるよ」と毎日励まし続けました。早く病気を治して主人に恩返しがしたい、という由起子さんの願いが叶ったのは三年後のことだったそうです。
 人一倍やさしく研究熱心な太七さんが造る『お豆富』は『安心堂白雪姫』という素敵な店名と共に大阪で大評判になりました。毎朝四時、太七さんは身を清め、大豆と天然にがりを前に「今日もいいお豆腐が出来ますように」と手を合わせ、額に飾ってある詩を朗読するそうです。『一隅を照らすもので私はありたい。私の受け持つ一隅が、どんなに小さい惨めなはかないものであっても悪びれずひるまずいつもほのかに照らしていきたい』(田中良雄)
 由起子さんのお話を聴いていて、数年前に初めて橋本さんのお豆腐を食べた時の感動を思い出しました。

80号 掃除で見つけた宝物
 桐生市にある樹徳中学校は樹徳高校の姉妹校として、昨年新設されたばかりの中学校で「物事に感謝のできる人材の育成」を教育理念の柱に掲げています。
 三月十六日、その教育実践の一環として「心を磨くトイレ清掃」が行われました。野口秀樹校長先生は生徒たちに「トイレ掃除には何か宝物が隠されているような気がします。私も皆さんと一緒に探してみます」と挨拶して一斉にトイレ掃除が始まりました。
校内八ヶ所のトイレを先生と生徒全員が一時間かけて素手で磨きました。洗剤をお湯で溶き、スポンジや専用の用具を使って一所懸命に便器を磨く姿に感動しました。一時間がアッという間に過ぎ、最後に生徒達の体験発表がありました。
「最初はイヤだったけど、だんだん面白くなった」
「ピカピカになって気持ちが良かった」
「これからトイレを清潔に使うように心がけます」…
発表する一人一人の表情もとても輝いて見えました。
 これから毎年、新入生を迎える前に「在校生によるトイレ磨き」を伝統にするのだそうです。
「生きているってこんなに素晴らしいことなのだ、と実感できる青少年を育てたい」という野口先生の願い通り、生徒達は掃除を通して大切な宝物を見つけました。体験発表を聞いているうちに「本気」という詩を思い出しました。
『本気ですれば
たいていな事ができる
本気ですれば
なんでも面白い
本気でしていると
だれかが助けてくれる
人間を幸福にするために
本気で働いているものは
みんな幸福で
みんな偉い』(後藤静香)