51号〜60号 |
51号 感動を生むサービス | |
商業界という雑誌に毎月「経営逆手塾」という連載を執筆している商業アドバイザーの小柳剛照先生は、経営で大切なことは数字よりも心を磨くこと、と説いています。 先日、お手紙をいただき、その中で『-お役に立つかどうか分かりませんが-』と、とても「いい話」を教えて下さいました。ご紹介致します。 『・・・Hさんの子供は2歳で、重度のアレルギー体質。牛乳や卵を食べることができないので、家族で外食の際はその子のために弁当をつくり、店に持ち込みを許してもらわなければいけなかった。しかし飲食店の中には、理由のいかんを問わず持ち込みにいやな顔をする店も少なくない。入店を断られたこともたびたびある。 ある日、子供が外で食事がしたいというので、ファミリーレストランのDに足を運んでみた。Hさんは店員に事情を話し、食事をさせてもらえるか聞いたところ、すぐに店長が現れ席に案内してくれた。「お子様のお弁当をお預かりできますか」という店長の言葉に、中身をチェックされるのかと不安になりながらも弁当を手渡した。 しばらくして料理が運ばれてきたとき、Hさんは目を見張った。子供の弁当はお子様ランチの器にきれいに盛られて、おまけに御飯の上には旗が立っていたからだ。こんな素晴らしいサービスに初めて出会い、胸が熱くなったHさん家族に、店長は「よろしかったら、またご来店ください」と優しくほほえんだ。』 本当のサービスとは、利害や損得を越えたところから生れることを教えていただきました。そして、お店というのはモノを提供する場である以前にお客様との感動の共有の場であることを改めて感じました。 |
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52号 ありがとうは魔法のことば | |
先日、ながめ余興場で開催された吉川精一さんのトークショーでとても心に残るいいお話を伺いました。『八十六歳のおばあちゃま先生から「吉川さん、これ、私の宝石!」と、小さな小石を見せられました。それは前日、初めて自転車に乗れた幼稚園児が「先生、ありがとう。乗れるようになって嬉しい。これはそのお礼」と言って小さな手から渡された小石でした。おばあちゃま先生は「ああ、ありがとう。とっても嬉しい」といって受け取りました。…先生が皺くちゃな手で小さな少女の手から小石を受け取った瞬間に、紛れもなく小石は宝石に変わったのでした。 私たちは宝石のような出会いや宝石のような言葉との出会いを頂きながらウッカリそれを小石にしてはいないだろうか、本当の人生というのは一見、小石のように見える出会いや小石のように見える言葉との出会いを宝石に変えて行くことではないだろうか。そして、小石を宝石に変えてくれる魔法の粉のようなもの、それが「ありがとう」という言葉ではないでしょうか。皆さん、たくさんのありがとうと出会おうではありませんか。』 チャリティ・イベントのオープニングを飾った「わたらせ太鼓」のわたらせ養護園でも園児たちにありがとうの言葉を根気よく教えているそうです。ある園児が歯医者さんで前歯を二本抜いた時、大泣きして大人が三人も四人もで押さえてやっと治療しました。しかし、園児は終わったあとに血だらけの口のまま歯医者さんの前にきて『ありがとう』と頭をさげ、看護婦さんたちにも同様にありがとうとお礼を言ったそうです。ありがとうはやはり魔法の言葉ですね。 |
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53号 させていただく | |
先日、岩手県二戸市の友人と高崎の小学校の先生から、偶然にも同じ「いい話」を教えて頂きました。全国に7千店もの営業所を持つダスキンの千葉弘二社長さんのお話です。 『私は「させていただく」ことの大切さを母から教わりました。私の郷里は愛媛県の中萩ですが、当時は水道が引かれていませんでした。私の家は貧しく井戸がないため、50メートル近く離れた井戸まで、水を汲みに行っていました。桶を天秤棒でかつぎ、井戸と家の間を何回も何回も往復します。6人の子供を育てる母にとってそれは一番の重労働でした。特にお風呂を沸かす日は大変でした。 |
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54号 雪待鳥物語 | |
先日、高崎市の小学校の先生方から盛岡のおみやげに『雪待鳥』というお菓子を頂きました。そしてその後、一羽の白鳥と心優しい人との交流を紹介したビデオも送って頂きました。それは、こんなお話でした。 『毎年冬になると、数千キロ離れたシベリアからたくさんの白鳥がV字の編隊を組んで飛来してきます。 岩手県雫石川に飛来した白鳥の中に「ポー」という名の白鳥がいました。ある日、ポーは高圧線に触れてしまい翼の骨を折ってしまいました。春が間近になり、北の空に飛び立つ季節になっても痛めたポーの翼は良くなりませんでした。 やがて、飛べないポーに心を残しながら、仲間も家族も遠いシベリアヘと旅立って行きました。ポーはとうとう一羽になってしまいました。ポーは安全な中洲に身を寄せ、キツネや野良犬、そして夏の暑さに耐えて雪の季節を待ち続けました。 三太郎じいさんは、雫石川にやってくる白鳥たちに16年間も毎日かかさずエサを与え続け、「白鳥おじさん」と親しまれた人で、ポーをまるで我が子のように見守り続けました。ある年の春、ポーは雪解けの増水で下流の町まで流されてしまったこともありました。しかし、多くの人の協力で無事に三太郎じいさんの待つ盛岡に戻ってくることができました。三太郎じいさんや心優しい人達のお陰でポーは8年間も生き続けました。雪の降る季節をひたすら待ち続けたポーは、たくさんの人に生きる勇気と感動を与えてくれたのです。』 今、盛岡駅では毎日『雪待鳥』の歌がホームに流れているそうです。 |
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55号 譲る心を持った人 | |
「とてもいい本があったから…」と、友人がある本を貸してくれました。それは遺伝子研究の世界的権威の村上和雄教授著『人生の暗号』(サンマーク出版)という本でした。 その本によると『ヒトの体は成人で約六十兆個の細胞からできており、その細胞の一つ一つは三十億の遺伝子情報で構成されています。そしてその遺伝子の構造と原理は、全ての生物に共通しています。現在、地球上には二百万種以上の生物がいるといわれていますが、あらゆる生物が同じ起源を持っているのです。』と述べています。そして遺伝子の組合わせによって、私達が人間として生まれてくる可能性は一億円の宝くじを百万回続けて当てるよりも難しい確率なのだそうです。命の大切さを深く実感するお話ですね。『遺伝子研究によって解ったことは天才も凡才も遺伝子や潜在能力では一%も変らない、変るのは遺伝子のスイッチがONになっているかOFFになっているか…』であり、遺伝子を目覚めさせる最良の方法は、プラス思考で物事に取り組むこと、共感すること、感動することなどが大切なのだそうです。 最新のコンピュータで「どんな人間が最後に生き残るか」を推測したところ、大方の予想が「強い人」「競争に勝ち抜く人」だったのに対してコンピュータの回答は「譲る心を持った人」だったそうです。『人の心は他人のために献身的に努力している時、理想的な状態で遺伝子が働きます。自分の心を充実させたかったら、人の心を充実させてあげる、という生き方をすれば良いのです。…』と村上教授は書いていました。本来、神様は『譲る心を持った生物』として人間を造ったのかも知れませんね。 |
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56号 雨あがる | |
先日、『雨あがる』という映画を観ました。山本周五郎原作で、黒澤明監督が亡くなる前に脚本を書いたという話題作です。 |
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57号 メイク・ア・ウィッシュ | |
メイク・ア・ウィッシュ(願いごとをする)というボランティア団体があります。この団体は難病と闘う子供たちの夢や願いごとをかなえる為に設立された国際的な団体です。 健康な人には夢をかなえる力や時間がありますが、世の中には夢をかなえる力や時間が足りない子供たちもいます。そんな子供たちの夢をみんなで協力しあって実現することで、子供たちに生きる力や病気と闘う勇気を持ってもらうことがメイク・ア・ウィッシュの願いです。 |
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58号 萎えし手に | |
桐生市広沢町のNさんから『せゝらぎ』という同人誌をいただきました。そこにはNさんが綴った『傷みー弟ー』という文章が載せられていました。 |
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59号 稚児地蔵 | |
小さな御縁がきっかけで、京都の仏師・堀部幸男さん御夫妻がお越しになりました。 堀部さんは、十歳でお父さんを亡くし、中学卒業と同時に、自動車販売会社に勤めて一家を支えてきました。長年の夢だった彫刻の道に進んだのは二十六歳になってからでした。日本を代表する仏師・松久朋琳師のもとで修行を続け、夜は現代彫刻を学び、帰宅後はアルバイトで仏像を彫り、睡眠時間が四〜五時間の日が八年間も続きました。わき目も振らず仕事にのめり込んでいた堀部さんの心の眼を開いてくれたのは息子さんの大介君の存在だったそうです。大介君は三歳の時、自閉症と診断されました。成長と共に周囲からもいろいろな誤解をうけ、夜になると大介君の寝顔を見ながら「どうか朝が来ませんように」と御夫婦で祈ったそうです。六年前、大介君が持った彫刻刀が堀部さんの左腕に突き刺さり、手を開く時に使う神経を切断してしまいました。腕の傷より心に受けた傷の方が大きかった、と堀部さんは振り返ります。「夫として、父として、家族の苦しみを救ってあげられない無力感を感じた時、人は人を越えた存在に祈ることしかできない。自分が祈る側に立った時、初めて仏様に祈る人のことが思えたのかも知れません」…深くそう感じた時に無心で彫った堀部さんの観音像を見て、奥様は思わず手を合わせたそうです。そして、見に来て下さった方々も「仏様を見て涙を流したのはこれが初めてです」と口々におっしゃったそうです。 |
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60号 シドニーへの跳躍 | |
先日、ショッピングセンター「さくらも一る」のセンターコートで、宮城村・若葉養護学校の『わかば生き生きフェア』が開催されました。 |