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「小耳にはさんだいい話」へ


341号〜350号


 
 
 345号 OKバジ ネパール支援30年
 OKバジこと垣見一雅さんは今から30年前の1993年に単身でネパールの寒村・パルパ郡ドリマラ村に移住、村人たちが建ててくれた6畳一間の小屋を拠点に日本からの善意を暮らしに困っている村人たちに届けるパイプ役になりました。OKバジとは「願いを聞いてくれるおじいさん」という意味。東京で英語教師という安定した仕事を辞してネパールに移住した垣見さんに対し、最初に支援団体を立ち上げ、物心両面で応援したのが桐生の富澤繁司さんとその仲間達でした。今、OKバジを支援している団体・個人は国内だけでも200以上になっています。
 今年の3月、桐生のOKバジを支援する会(OKSS・富澤均会長)の一行がネパールを訪問し、OKバジの案内で30年間に作られた学校や医療施設などを見学し、生徒や村人達から熱烈な歓迎を受け、交流を深めてきました。
 2015年のネパール地震の際には、「NPO法人日本を美しくする会」から復興のための資金として350万円がOKバジに託されました。日本を美しくする会は、掃除を通して世の中の荒みをなくす活動を地道に続けている団体で、OKバジの活動を応援する支援者もいて以前から交流がありました。OKバジは預かった支援金をマダナアスリット校というベーシックスクールの6つの教室の復興に活用しました。その教室の壁には「NIPPON-O-UTSUKUSHIKU-
SURU-KAI」というプレートが掲げられていました。
 桐生のOKSSからOKバジに託された支援金は30年の間に6500万円を超えました。OKバジはこの善意を村人達と相談しながら無駄なく活用しています。そしてその活用した報告を、覚えたてのパソコンで毎月、写真付きのメールで送信してくれています。
 6月2日?午後2時から、桐生市市民文化会館国際会議室でOKバジ講演会を開催いたします。ぜひご来場ください。
 344号 大火災の顛末書
 今から百二十九年前の一八九五年、大間々の歴史に残る大火災が発生しました。その時の様子が岡直三郎商店の文書蔵に保存されていた「大火災の顛末書」に克明に記されています。
「四月二十六日午後三時、警報が耳をつらぬき、鐘の音がけたたましく鳴り響いた。二丁目の空家から出火した火災は、またたく間に町の東街、西街を経て三丁目を全焼し、四丁目にまで広がった。この頃には風が益々猛威をふるい、猖獗(しょうけつ・荒れ狂うさま)を極めていた。各隊の消防手は烈火の中を右に左に奔走したが周囲を烈火に取り囲まれ四方八面に逃走せざるを得ない有様であった。ことに水源が乏しかったため、隊の防御は全く機能しなくなり、遂に当店の板塀に飛び火し材木小屋へと延焼した。この危難の折、水源が渇乏する時に及び、当店蔵人は煮込七十二〜三石、二番醤油十二〜三石ほどを使用して消火にあたり、その効あってようやく火は鎮まった」
 この記録によれば、消火のために使った醤油は約八十五石、一升瓶に換算すると八千五百本分にも相当します。
 大間々町誌の記録では「この火災で焼失した家屋は二百七十三戸、土蔵二十三棟、町役場、警察署、銀行、小学校などを焼失させ、群馬県の火災史上に残るものとなった」と書かれています。
 岡商店は、天明七年に大間々で醸造業を始めた近江商人です。近江商人は「売り手よし、買い手よし、世間よし」の『三方良し』の精神を守り続け、この時の大火災でも「世間よし」のために商品の醤油を消火のために使い、町の半分を救いました。火災後には「当店より金五十円を罹災者救助義捐金として篤志出金し、焼け出された家には個別に見舞をした」と顛末書に記されています。
 岡商店には近所の人に使ってもらうための『三方良しの井戸』があります。水に困った大火災の時の教訓から掘られたのかもしれません。 
 343号 負けない 逃げない 諦めない
 熊本の大野勝彦さんとは二十五年来のお付合いになります。大間々のながめ余興場でも何度も講演をしていただき、群馬県内でも大野さんのファンが広がりました。二〇一六年四月に発生した熊本地震の際には「風の丘・阿蘇大野勝彦美術館」も甚大な被害を受けました。三か月後には大野さんを応援するために、ながめ余興場で復興支援イベントを開催し、たくさんの来場者から義援金もお預かりして大野さんに手渡しました。先日、七年ぶりに大野勝彦美術館を訪問しました。地震直後の美術館の状況を見た時は「再オープンは難しいのでは」と思っていましたが一年後に再オープンの案内をいただいた時は驚きました。その時の手紙が次の文章です。

 熊本地震から一年、立ちはだかる困難に心が折れそうになることも度々でした。でも、その度に皆様のあたたかい励ましをいただき元気が出ました。道路はなくなり、電気も水もない。崩壊した丘に向って誓ったのは「負けない 
逃げない 諦めない」の心を持ち続けることでした。危険な風の丘に自己責任で通い続けてくれたスタッフ、応援してくれた友人、ボランティアの人たちには人としての心のありようを学ばせていただきました。「危険なところには行かないで下さいと言われてきました」と笑いながら来て下さった方々、「私は一年分の有休を全部もらってきました」と何日も通ってくれた友人、「何かできることはありませんか」と家族で弁当持参で来てくれた人、「何かのお役に立ててください」と義援金を届けてくれた人たち。負けんぞ、強く生きるぞと歯をくいしばっていた私でしたが、何度隠れて涙を拭いたことでしょう。ひとつの出来事には何か意味があり、命を残された私たちは、旅立たれた人の分も本気で生きなければと思いました。

 熊本地震の時の大野さんからのメッセージを読み返して、改めて能登半島地震で被害に遭われた方たちのことを思い、今自分たちに何ができるか考えています。

 342号 小さな世界都市
 私の人生の師から「なぜ豊岡は世界に注目されるのか」という本をいただきました。著者の中貝宗治さんは兵庫県議会議員を十年務め、その後の二十年は兵庫県豊岡市長として、理想の街づくりを実現させた方です。 
 中貝さんが目指してきたのは「小さな世界都市」。人口規模は小さくても、世界の人々に尊敬され、注目されるまちを目指し、絶滅したコウノトリを野生復帰させたり、受け継いできた地域の財産を守り育て、小さな街に人が集まる演劇祭を開催し、ジェンダーギャップを解消し、若い女性が戻ってきたくなる魅力溢れるまちづくり実現させました。
 今から五十三年前、野生のコウノトリの最後の一羽が豊岡で息絶え、日本の空からコウノトリが消えました。絶滅前にコウノトリを守る運動が豊岡で起こり、人工飼育が続けられましたが、ヒナは孵ることはありませんでした。転機が訪れたのは一九八五年、ロシアから六羽のコウノトリの幼鳥が贈られました。飼育員の松島興治郎さんがたった一人で大切に育て、人口飼育の開始から二十四年目の一九八九年に待望のヒナが誕生したのでした。農薬や環境汚染等で絶滅した野生の動物を再び野に帰す取組は「コウノトリも住める環境」を創ることでもありました。コウノトリも住める環境への取り組みを重ね、二〇〇五年九月二四日、コウノトリの野生復帰の日、秋篠宮両殿下のテープカットで五羽のコウノトリが大空に飛び立ちました。コウノトリのカップルはオスとメスが平等に巣作りをし、子育てをします。その姿はジェンダーフリーのお手本にもなっています。 
 現在、日本国内で生息するコウノトリは三〇〇羽を超えました。羽を広げると二メートルにもなるコウノトリが空を飛ぶ姿は豊かな環境の象徴となり、豊岡は世界中から注目を浴びるようになりました。
 豊岡市には「永楽館」という芝居小屋があります。五年前、四国で全国芝居小屋会議が開かれた時、中貝宗治さんとお会いして話を聴き、街づくりは一歩一歩の積み重ねだと実感しました。
 大間々も小さな世界都市になれると思います。
 341号 三大幸せホルモン
人間の脳は、さまざまなホルモンや神経伝達物質を分泌する力を持っていて、その種類は百以上もあると言われています。その中の【幸せホルモン】とはその名の通り、心を楽しく元気にしてくれる大切なホルモンのことで、@心の安定をもたらすセロトニン A意欲がみなぎるドーパミン B優しい気持ちになるオキシトシンを三大幸せホルモンと呼んでいるそうです。この三つのホルモンは毎日のちょっとした習慣や心がけひとつで簡単に作り出せるそうです。
 セロトニンの分泌を促すには、笑うことや笑顔を絶やさないことが大切で、作り笑いでもセロトニンは分泌され、高齢者の認知能力の低下を低下を抑える働きまで証明されているそうです。起きたらすぐにカーテンを開けて室内に日光を取り入れ、一日三分、呼吸を整えて瞑想を行うなど規則正しい生活が効果的と言われています。
 ドーパミンは目標を達成した後に分泌されるホルモンで、それを促すには小さな目標でもたくさん設定してそれを達成することを繰り返すことでさらにやる気や幸福感を高めることができてきます。
 オキシトシンの分泌を促すには、親しい人やペットなどとのスキンシップや肌触りの良い服やタオルを使ったり人に優しくする行動でも分泌が促されます。アメリカの大学では、困っている人を助けた際にオキシトシンが大量に分泌するという研究結果も発表されました。そして、@社会的に活躍し成功している人、A何もしてない人、B地域でボランティア活動などをして、ちょっと仲間を助けている人の三グループを比べると、一番幸せを感じて元気だったのはBのささやかでもボランティアを続けている人達だったそうです。自分だけでなく、周りの人にまでハッピーな気分を届けてくれるオキシトシンは「三方良し」の幸せホルモンとも言えそうです。
 今年も虹の架橋の発行を定期的に続け、トイレ掃除や三方良しの会の活動をコツコツと続けながら「三大幸せホルモン」の効果を発揮して、元気で楽しい毎日を送っていきたいと願っています。