331号〜340号 |
340 後ろ姿に人格が現れる |
掃除を通して世の中の荒みをなくそうという地道な活動を続けている『日本を美しくする会』が設立三十周年の節目を迎え、会の歴史と精神を次の世代に正しく伝えるために『掃除道』というタイトルの記念誌が発刊されました。掃除道の提唱者であり、イエローハットの創業者でもある鍵山秀三郎さんとの出会いを通して正しい生き方を学んだ288名の投稿が掲載されていて、一人一人の体験談や熱い思いに共感しました。 総理大臣経験者の野田佳彦さんの「後ろ姿」という文章から鍵山さんのお人柄が伝わってきます。 雪の降るとても寒い日、船橋で開催された『掃除に学ぶ会』、鍵山秀三郎相談役の実践指導もあるということで、多くの人が参加した熱気溢れる会でした。マイカーで帰路につこうという時です。雪に気をつけながら慎重に校門の間際まで進んだ時、前方の車が突然止まりました。後部ドアが開き、初老の男性が数メートル走り、雪景色の中からひとつの空き缶を拾うと、直ちに車に戻りました。車に乗り込む一瞬、男性の顔を確認しました。鍵山相談役でした。停車から発車までわずか数秒、私は鳥肌の立つような感動を覚えました。『ひとつ拾えば一つだけきれいになる』は単なるスローガンではありませんでした。「掃除の会」を終え、会場から出ていくときも、ゴミを見つければ拾って去っていく。その自然体の実践現場を幸運にも目撃することができました。このエピソードはまさに、「後ろ姿に人格が現れる」という教訓でした。 鍵山さんは大間々駅やみどり市内の学校のトイレ掃除指導に十二回も無償で来て下さいました。その時、「仕事」には「私の仕事」と「あなたの仕事」のほかに「誰の仕事でもない仕事」というのがあります。その「誰の仕事でもない仕事は私の仕事である」という考えを持つことが大事ですよと教えてくださいました。 十一月二十五日に日本を美しくする会三十周年大会が開かれ、全国から四百三十人の掃除仲間が集りました。誰の仕事でもない仕事を私の仕事と考える人ばかりでした。 |
339 やさしさにいつでも逢える美術館 |
富弘美術館には「富弘美術館を囲む会」という支援団体があり、会員には季刊誌『富弘美術館』が届き、富弘作品の解説や美術館からのお知らせ、全国各地の支部の活動などが紹介されています。先日届いた秋号には、盲目のシンガーソングライター上田若渚(うえだわかな)さんの「心の花」と題する巻頭エッセイが載っていて感動しました。 「人の心には花があり、自分が使う言葉や周りから掛けられる言葉によって、咲いたり枯れたりするのだという話を聞いたことがあります。私は生まれた時から目が見えないのですが、たくさんの人から温かい言葉をもらい、心の瞳に映る風景を歌にすることで常に心は満開の花でいっぱいです」という書き出しのエッセイを読んでいると、若渚さんの素直で優しい人柄が伝わってきました。 今年5月、若渚さんは、富弘美術館を囲む会愛知県支部(葉っぱの会)のバスツアーで初めて憧れの富弘美術館にやってきました。 「これまでの美術館では、常に母に説明してもらいながら一緒に楽しんでいたのですが、ここでは、富弘さんの音声での朗読を聴きながら、学芸員の方に詩画のレイアウトや絵の雰囲気を細かく説明していただき、絵や風景が浮かび上がってきました。…館長さんやスタッフの皆様の真心に、この美術館の温かさを感じました。普段の何気ない生活の中で、ちょっと立ち止まることが素敵な言葉と出逢うチャンスなのではないでしょうか。私もすれ違いや口喧嘩で心の花を枯らしてしまった苦い経験はありますが、そのたびに反省し想像します。みんなが側にいる人の心の花を咲かせようと心がけたら、どんなに温かい世界になることかと!私はこの出逢いを宝物に、心の瞳で感じた風景や言葉を紡ぎながら、これからも歌い続けます。全ての人の心の花が咲きますようにと願いながら…」 エッセイを読み終えて、いつか富弘美術館で、やさしさにあふれた若渚さんの歌を聴いてみたいと思いました。 |
338 百聞は一見に如かず 百見は一行に如かず |
ネパールの寒村で単身で支援活動を続けているOKバジこと垣見一雅さんは毎月ネットで「虹の架橋」を読み、ご丁寧な感想を寄せてくれます。そして、桐生に本部がある「OKバジを支援する会」(OKSS)を通して季節毎に活動報告が届きます。九月の報告書の冒頭には「今年は群馬での一大イベント(虹の架橋三百号記念OKバジ講演会)のお蔭で素晴らしい思い出をつくることができました。今手元にある数々の写真に懐かしい思い出が詰まっています」と書かれていました。そして、三つの支援報告が書かれていました。 @足の不自由なティルクマリさんへセーターを五十一枚注文し、工賃として三万六千五十六ルピー、約四万円を支払いました。これを貧しい子供たちに支援をします。 A足の不自由なミンダご夫妻に学校の制服を注文、三百七十枚分、十五万千四百五十六ルピーを支払いました。これも村に運び、子供たちに支援をします。 Bランプール市の眼科センターの門と塀の支援をし、ほぼ完成しました。支援金は三十万ルピーでした」と、写真付の報告をしていただきました。 垣見一雅著『からっぽがいい』の中に「百見は一行に如かず」という話があります。「支援する側は村人とは比較にならないほど恵まれた生活をしている。でも彼らの環境に、たとえ一日でも身を置き、同じものを食し、同じ場で過ごすことで、彼らは心を近づけてくれる。少しでも目線が近づけば、彼らの悩みも問題も理解しやすくなる。町のオフィスでのコンピューター管理だけでは心を通わせにくい。見たり聞いたりしただけでは支援はわからない。行なってみて初めてわかる。自分に照らしてみれば、自分の恵まれていることに感謝できる。そこから支援が始まる」と。 垣見さんから「真の支援とは何か」を教えていただきました。支援の輪を広げたいと思います。共鳴する人が増えています |
337 三井親和(みついしんな)の書 |
戦国時代末期に大間々の町を作った「大間々草分け六人衆」の高草木家の土蔵から三井親和が書いた「牛頭天王御祭禮」の書が発見されて話題になりましたが、このたび大間々町二丁目の旧家・長澤家にも親和の掛軸が二幅あることがわかり、早速伺って見せていただきました。 長澤家の言い伝えによると、三井親和が長澤家に泊まって書いたものだそうです。この書には「東都 親和」という署名と落款があり、高草木家の土蔵から発見された七mの「牛頭天王御祭禮」の書もその時に大間々で書いた可能性が高くなりました。 「江戸に旋風・三井親和の書」(小松雅雄著)によると、親和(一七〇〇〜一七八二)は信州諏訪に生まれ、東都(江戸)深川を愛し続けた人でした。彼は、書道家であり武道家、特に弓術家としての名声も高かったといいます。親和の書は江戸時代後期に一世を風靡し、大名から庶民までに熱狂的に支持され、彼の書は「親和染」や「親和織」として商品化されていました。『二た所の三井で幟出来上がり』(ふた所とは三井親和と三井越後屋呉服店のことで親和が書いた文字を現在の三越の越後屋が染めて販売した)という川柳もあり、江戸の山王祭や神田祭、富岡八幡宮や諏訪大社の祭禮にも親和の幟が掲げられていました。 儒学者の林述斎や佐藤一斎も幼い頃に親和に書を学んだことがあり、述斎は「師匠は慎み深く、些事も無駄にしないという心がけに感じ入った」と話し、佐藤一斎には「少にして学べば即ち壮にして為すことあり。壮にして学べば即ち老いて衰えず。老いて学べば即ち死して朽ちず」という名言が残されています。 二百数十年前の親和の書が大間々で大切に保存されていることは江戸時代の大間々が文化的、経済的に高いレベルだったことの証でもあります。 伝統の大間々祇園祭りで親和の幟が見られることを願っています。 |
336 夢は「YOU・ME」 |
虹の架橋でも何度か紹介したことのある講演家の腰塚勇人さんが四冊目の本『今こそ大切にしたい共育』を出版しました。この本は腰塚さんが十一年前から毎月発行している「腰ちゃん通心『幸縁』」という新聞を基に加筆、編集したもので、共感、感動する内容ばかりです。 腰塚さんは大学卒業後、教師になるという夢を叶え、熱血先生の日々を送っていましたが、二〇〇二年にスキーで転倒して首の骨を折り「一生寝たきりか車椅子の生活になるでしょう」と医師から宣告されました。その絶望を希望に変え、生きる力を与えてくれたのが家族、医療スタッフ、学校の先生や生徒達でした。 腰塚さんがケガから学んだのはは「一人で生きていない」「自分の命は自分だけのものではない」「助けてくれる人は必ずいる」ということでした。腰塚さんは二〇一〇年に「命の授業」の講演家としてのスタートを切りました。腰塚さんの講演に感動し、共感した人たちは次々に講演会を企画し、その回数は今年三月に二一六〇回を超えました。大間々でもながめ余興場や大間々中学校などで腰塚さんの講演会を開催、感動の輪が広がりました。 腰塚さんの「今こそ大切にしたい共育」の中に「夢はYOU・ME」という話が載っています。 「どんな人の夢にも困難はつきものです。でも、その困難をともに乗り越えようとしてくれる仲間がいます。仲間がいればこそ、そこには感動があります。私は仲間がいたからこそ頑張れました。夢は今を生きる力です。夢があるから強くなれます。夢を一緒に語り、叶えられる仲間の存在は有難いです。ドリー夢(む)メーカーとは、自分の可能性を信じ夢を実現しようとする人、誰かの夢を知り応援しようとする人のこと。夢はYOU・MEです」 この本のあとがきに、「腰ちゃん通心を出すキッカケをくださった四人の諸先輩方」の一人として「群馬県の松ア靖さん」と名前を載せていただき嬉しくなりました。 「腰ちゃん通心」と「虹の架橋」はこれからも共に学び合い、共に育って行きたいと思いました。 |
335 ハガキ一枚の力 |
「虹の架橋三百号感謝の集い」では、OKバジこと垣見一雅さんの講演会をしたいと思いました。多くの方々に垣見さんの誠実な人柄を知ってもらいたくて、ネパールから日本に帰国する日程に合わせて感謝の集いを六月四日と決めました。 ネパールで支援活動を続けている垣見さんを知ったのは二十年ほど前のことでした。「OKバジを支援する会」や「富弘美術館を囲む会」の設立に尽力された桐生の富澤繁司さんの紹介で垣見さんと出会い、すぐに大ファンになりました。初めて僅かばかりの支援金をネパールに送ったところ、「お預りしたお金で村の学校にロッカーを贈りました」という達筆なお礼状とMATUJAKI JAPANと大きく書かれたロッカーの周りで手を振る子供たちの写真が送られてきて大感激しました。 垣見さんが2019年に出版した『からっぽがいい』という本には「小さなことに感謝できる人はそのぶん人生を楽しめる」と書いてあり、それが垣見さんの生き方そのものであると思いました。 この本の中で垣見さんは「私はこの二十五年間、ドナー(支援者)に対して、たとえハガキ一枚でも出し、報告をすることの大切さを教えられた。千円の寄付に対して千円以上の喜びをドナーに返すことができれば寄付は続く。一枚のハガキの力を信じる。 毎年父の日にネクタイを買う代金の中から、千円寄附してくださる方がいる。その千円でネパールの山奥の子どもたち五十人に一冊二十円のノートを買ってプレゼントした。子どもたちがそのノートを高く上げた姿を写真に撮り、ドナーに送った。ドナーは自分の千円がこんな形で活かされたと、喜びの手紙を送ってくれた。それを受取った私も、さらに嬉しくなり、お礼のハガキを書いた。小さな喜びのキャッチボールである」 今年も父の日の前に九州のNさんから「OKバジさんに渡して下さい」と千円が届きました。 |
334 「やさしさ」と「笑顔」 |
六月四日に開催される「虹の架橋三百号感謝の集い」は、虹の架橋を創刊当初から応援してくれている八人の友人たちが実行委員会をつくり、計画から実行まで全て手配していただきました。実行委員代表の天川洋さんは、当日配布するプログラムの挨拶文にこう記しています。 『松崎靖さんのたゆまぬ努力と不屈の精神により発行を続けて三百号を迎えた虹の架橋の偉業を祝すため日頃より行動を共にしている友人有志が集まり、イベントを開催しようという話になりました。そこで松崎さんが虹の架橋で常に追い続けている「やさしさ」と「笑顔」を代表するものとして、紙面の中で数多く取り上げられているネパールで人道支援活動を続けるOKバジこと垣見一雅さんと、地元の詩画作家・星野富弘さんをテーマにした今回の企画となりました。このイベントを通して、虹の架橋の「やさしさ」と「笑顔」の世界を共に楽しんでいただければ幸いです。 実行委員代表 天川洋』 人間学を学ぶ『致知』という雑誌の最新号で、「人が生きていく上で欠かしてはならない大切なものが三つある」として、お釈迦様の言葉が紹介されています。 一は人生の師 二は人生の教え 三は人生を共に語り合える友 虹の架橋を発行し続けたお陰で、人生の師と仰ぐ方々と出会い、鍵山秀三郎さんからは「益はなくとも意味はある」という教え。星野富弘さんからは「私は傷を持っている でもその傷のところからあなたのやさしさがしみてくる」というやさしさ。OKバジさんからは「あるもので、今から、ここから、自分から」と、まずは一歩踏み出す大切さを教わりました。そして、人生を共に語り合える友がこんなにも大勢いることに感謝しています。 鍵山秀三郎さんから「十年偉大なり、二十年畏るべし、三十年歴史なる」という言葉も教えてもらいました。 虹の架橋は三十年まであと二年になります。 |
333 伝えたかった「ありがとう」 |
虹の架橋を十数年前から毎月読んでくれている大阪在住の詩人・里みちこさんから私の誕生日に心のこもったお手紙をいただきました。その中に『優便ポスト』という案内チラシが入っていました。 郵便ではなく、優便と書く「優便ポスト」は旧赤名村(現飯南町)出身の里みちこさんが提唱し、二〇一六年十一月二十三日(いいふみの日)に創設されました。「あの人に伝えたかったけれども伝えられなかった『ありがとう』や『ごめんなさい』、そんな心のうちをつづったお手紙や気持ちを『優便ポスト』が受け付け、お預かりした「優便」は開封することなく毎年一月、谷地区のとんど焼きにて一条の煙となり天高く空にお届けします」と書かれていました。地元の人たちが心を込めて作った木製の優便ポストには、里みちこさんの自筆の「ありがとう」と「ごめんなさい」の詩が添えられています。 「ありがとう」と「ごめんなさい」 目でいえる 口でいえる 手でいえる 合掌でいえる 体でいえる 心でいえる ふたつの言葉 ありがとうと ごめんなさい どちらかひとつを 選ぶとしたら それはやっぱり ありがとう 最期のことばは ありがとう ちょうど誕生日の日に届いた里みちこさんからの手紙で「優便ポスト」のことを知り、私を産んで三時間後に亡くなった母に初めて手紙を書きました。「おかあさんへ」と書き出して涙が止まらなくなりました。 手紙を書くことも、もらうことも好きな私ですが母に手紙を書いたのは初めてでした。そして、最後の言葉はやっぱり「ありがとう」でした。 心の忘れ物を受けとめてくれる優しいポストに大切な人への手紙を託してみませんか。 送り先は、〒690-3514 島根県飯石郡飯南町井戸谷393‐1 谷笑楽校内優便ポスト |
332 国際手話で「三方良し」を世界に発信 |
ウクライナからみどり市に避難してきているボズコ・ヴォロジミールさんはオンラインで国際手話教室を開いています。そこで国際手話を学んでいる人たちがみどり市を訪れ、ボズコさんが国際手話で観光ガイドを務めました。 |
331話 生きてるだけで意味がある |
熊本県阿蘇山の麓の広大な敷地に美術館を持つ大野勝彦さんは、不慮の事故で両手を失って以来、義手で絵や詩を書き、多くの人たちに感動と勇気を与え続けています。大野さんは「やまびこだより」という情報紙を発行していて、先日届いた第百六号には「生きてるだけで意味がある」という文章が載っていました。 「今、何か困っていることはありませんか? 1、何もありません 「老後のことを心配する必要はありません そうです今がもう老後なのです おいしいものがあったらいっぱい食べてください 孫がいたらお小遣いどんどんあげてください 自分も買いたいものがあったら遠慮なくどうぞ これまで頑張ってきた自分へのご褒美です そして 笑って一日過ごせたら感謝して眠ることです」 |