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261号〜270号


261号 一番の母の日
 熊本在住の大野勝彦さんは平成元年、農作業中に手を機械に挟まれてしまいました。「助けてくれー」という叫びを聞いたお母さんは機械の止め方を知らず、大野さんは両手を切断してしまいました。以来、お母さんは「勝彦が手をなくしたのは私のせい」と塞ぎ込んでしまいました。農業ができなくなり、詩や絵を書くようになった大野さんはお母さんに喜んでもらうこと、笑ってもらうことを「生き方のテーマ」として、阿蘇の麓に美術館を作りました。大野さんの詩画集「泣いて笑って」の中に「母ちゃんの講演会」というお話があります。
 昔は話好きで婦人会や民謡会でもよく挨拶をしていたが、今は母の話を聞いてくれる舞台はどこにもない。そこで連休明けの夜、「母ちゃん、今度の母の日に美術館で講演してね」と頼んだ。そのとき母は少しも慌てず、一言「わかった」。次の夜、そっと、部屋を覗くと、母ちゃん、猛特訓をしているのであった。当日、いっぱいのお客様を前に、私が前語り。「今日は特別企画、母ちゃんの話のはじまり始まり!拍手で迎えましょう。どうぞ」と母を呼び上げた。深々と頭を下げた母ちゃん。「トラクターから両手を引き抜いた息子、その血を見たとき、ああーこれは死なねば仕様がないと思いました。それが今、ニコニコと皆さんの前で元気でやっているんです。もう嬉しくて、嬉しくて」と絶句。そして、ずうっとこみ上げる涙をこらえて…目を閉じた。お客様もいつしかすすり泣き、母はとうとう座り込んで泣き出す始末。私は舞台に飛び上がり、「母ちゃん、よかバイ、よかバイ。稽古したごと、母ちゃんがいっぱいしゃべるより、お客さんにはもっと伝わったよ」と背中をたたいてやった。一生忘れることのできない一番の母の日であった。
 昨年の熊本地震からちょうど一年後の四月十四日、閉鎖されていた美術館が再オープンしました。「母ちゃんにもう一度美術館を見せたい」という大野さんの一念でした。足利屋に大野さんの詩画があります。「人生いかに生くべきか。そんな難しいことわかりません。ただ、大切な人の喜びそうなこと考えて毎日暮らしています」


262号 「鉢の木」の教え 
親友の新井国彦さんは高崎市立佐野中学校の先生です。新井先生は「凛」という学年通信を毎日欠かさず発行しています。その中に「歴史の中の君たち」と題して、謡曲「鉢の木」の感動的な話が紹介されています。

「鎌倉時代の大雪の夜、上野国佐野荘のあばら家に旅の僧が宿をもとめてきました。家にいた婦人は、主人が留守だったため断りますが、帰ってきた主人がその話を聞くと、その僧を追いかけて呼び戻しました。主人は、いろりの薪がなくなると大切にしていた鉢植の松・梅・桜を囲炉裏にくべてもてなしました。旅の僧が主人の素性を尋ねると、もとは佐野荘の領主だった佐野源左衛門と名乗ります。そして「一族に土地を奪われ、今はこのように落ちぶれているが、「いざ鎌倉!」という時には一番に鎌倉に馳せ参じ忠勤を励む所存である」と語りました。翌朝、旅の僧は主人に礼を述べてその家を辞します。
 それからしばらくして、鎌倉から諸国の武士に動員令が下されました。源左衛門も破れた具足をつけ、錆びた長刀を持ち、やせ馬にまたがって「いざ鎌倉!」と馳せ参じました。みすぼらしい姿を見た周囲の武士たちから嘲笑されるなか、源左衛門は幕府の役人から呼び出しを受けます。みじめな格好を叱責されるのかと思いながら、おそるおそる前に進み顔をあげると、そこにはあの大雪の夜の旅の僧の顔がありました。その僧こそ前の執権北条時頼でした。時頼は一宿一飯の恩義を受けた礼を述べ、あの夜の話のとおりに馳せ参じたことをほめたたえ、佐野荘の安堵を約束しました。その上、源左衛門が時頼のために薪として使った鉢の木にちなんで、上野国松井田荘、加賀国梅田荘、越中国桜井荘まで源左衛門に与えたのでした」

 佐野中学校には『鉢の木祭』と呼ばれる文化祭があるそうです。新井先生は、「私たちは連綿と続く歴史の中で、親をはじめとする多くの人々の支えの中で生きています。皆さんは伝統校の佐野中の生徒です」と生徒たちに教えています。
 郷土の歴史風土を学ぶことは生れ育った地域への愛着や誇りにつながります。
263号 OKバジは神様です
 24年前にネパールの寒村に移住し、単身で支援活動を続けているOKバジこと垣見一雅さんは今年七十八歳。今、一時帰国し、支援団体の人たちと会い、報告の会を開いています。
「OKバジを支援する会」は垣見さんを物心両面で支える支援団体として全国に先がけて桐生に誕生、これまでのカンパの累計は5500万円になります。
 今年は、ネパールから二人の校長先生も同行してきました。
デヴラージュ先生は「バジは、多くのNGOと違い、事務所や車を持たず、歩いて支援活動を続けているので支援金が無駄なく貧しい人たちのために活かされています。私たちはそれが全て日本からのお金だと知っているのでみんな日本人に感謝しています。バジの支援の判断は的確で、不満を言う人は誰もいません」
 スンダル先生は「パルパ地方の人達はバジを神様のように慕っています。バジは辺境の村々の実情まで知り尽し、単なる支援ではなく、夢を持たせるような提案をしてくれるので、みんなが働く意欲を持つようになりました」と感謝を込めて語っていました。
 今年の春、OKバジからいただいた手紙には、「今年度は、女性グループに5万ルピーのジャガイモを植えて収入を図るプログラムを主に行いました。4倍、5倍の収入を得たグループもあれば、4千ルピーしかもうからなかったというグループもありましたが、それぞれのプログラムを通していろいろなことを学んだとのことです。もちろん私も学びました。支援決定には、自分の目で確かめ、支援後も村人たちとその結果を話し合い、根づいていることを確認し合っています」と書いてありました。
 ジャガイモプロジェクトは定着し、儲かったグループから返ってきた貸付金は次の村の資金になり、ジャガイモプロジェクトの輪は「芋づる式?」に根づいているようです。
 日本に滞在中は、一駅手前で降りて歩き、電車賃を節約したお金でコメを買って現地へのお土産にしているOKバジを私も神様のように尊敬しています。
264号 足で歩いた頃のこと
星野富弘さんの新刊『足で歩いた頃のこと』(偕成社)には、ここ十年ほどの間に描かれた六十三点の詩画と十六編の随筆が収められています。
 富弘さんは、群馬大学を卒業後、体育教師になりましたが、クラブ活動の指導中に頸椎を損傷し、首から下が全く動かなくなってしまいました。入院中、お見舞いの手紙に返事が書きたくて、筆をくわえて文字を書く練習をしました。何とか短い手紙が書けるようになり、紙の余白に枕元にあった花を描くようになり、それが現在の富弘さんの「詩画」という形になってきたのだそうです。
 富弘さんはあとがきの中で、「生きる希望を失いかけていた私に、詩画は思ってもみなかった素晴らしい出会いをもたらしてくれた。踏み付けはしても、手に取って見ることもなかった花との出会い。絵を贈った人は私の結婚相手になり詩画の向こう側から次々と助け人が現れた」と書いています。そして、「行く先が決まっているのが旅行で、行く先も帰るところも決まっていないのが旅だという。絵を描くのも文章を書くのも旅に似ている(中略) 
 明日のことがわからない人生も旅なら、私はベッドの上で壮大な旅をしようと思っている」と結んでいます。

 詩画集の最初に「苺」という感動的な作品があります。

  苺という文字の中に
  母という字を入れた
  遠い昔の人よ
  あなたにも
  優しいお母さんが
  いたのでしょうね

 時代は変わりましたが
 今の子供達も皆 
 苺が大好きです
 お母さんが大好きですよ

 八月二十九日から十一月二十六日まで富弘美術館で「新刊発行記念原画展・足で歩いた頃のこと」が開催されます。まずは詩画集を手にとってから、美術館に足を運んでみて下さい。
265号 すぐに結果を求めない生き方
鍵山秀三郎著『すぐに結果を求めない生き方』(PHP研究所)という本を読みました。鍵山さんは昭和8年生れ。カー用品のイエローハットの創業者で、掃除を通して心を磨き、社会の荒みをなくす「日本を美しくする会」の相談役でもあり、大間々へも何度も来てくれています。 
 この本の中に、イエローハットがスポンサーの鹿島アントラーズの話が出ていました。
 
「サッカーJリーグが発足し、鹿島アントラーズにブラジルのスーパースターのジーコが入団したとき、選手たちに徹底したのが基礎訓練でした。選手たちはみな自分はプロだ思っていますから、中学生や高校生がやるような練習ばかりの毎日に嫌気がさしました。そして、せっかく卓越した技術を持つジーコがチームに加入してくれたのだから、われわれにそのテクニックを伝授してほしいと頼みました。その時ジーコはこう答えました。『君たちは基本ができていない。そんな君たちにテクニックを教えても無駄だ。テクニックというのは基礎・基本ができれば自然に備わってくるものだ』と。ジーコは信念を曲げず、選手たちに基礎練習を求め続けました。その結果、Jリーグが始まる前は最下位だったチームが、ついに日本一に輝くほど実力を高めていったのです。基本のできていない選手がいいプレーを出来ないように、基礎的な人格が低くて人間力のない人には決していい仕事はできません。私たちに掃除が必要な理由は、そこにあるのです。頭で考えたことは心で感じたことに劣り、知識や技術は人間性には勝てないものです」と書いてあります。
 前橋育英高校野球部監督の荒井直樹さんも鍵山さんの考えに共鳴し、帽子の裏に「凡事徹底」と書いています。荒井監督は十五年前に監督に就任以来、基礎練習と挨拶や掃除などの習慣を選手に求め続けました。 
 四年前に優勝した時と同様、今年も甲子園で勝ち進んでいる間、宿舎の周りのゴミ拾いを続けました。 
 明徳義塾に勝ち「万歳」とメールを送ると、「今年も毎朝ゴミ拾いをやってます。気付きですよね」という返事が返ってきました。

266号 アンダースタンド
 東京大井に住む斉藤吉孝さんは「みちくさ新聞」というひとり新聞を毎月一日に無料発行していて全国の読者の人たちと交流しています。個人新聞を発行する者同士として斉藤さんとのお付き合いは二十年近く続いています。先日届いたみちくさ新聞二四七号に、今年七月に九六歳でお亡くなりになった犬養道子さんのことが載っていました。犬養道子さんは、カンボジアやアフリカなどの難民支援や環境保護に尽力した方でした。
 犬養道子さんは晩年は老人ホームで暮らしていました。犬養さんを介護している若い人たちはいつもニコニコしていて、やってあげてるという感じがしなかったそうです。難民支援もそこが大事だと言っています。「人間同士はつねに対等、あわれまれて喜ぶ人はいない。私は『アンダースタンド』という言葉が好きなんだけど、これを『理解する』なんて訳したのがいけない。『下に立つ』と素直に訳したらよかった。人間というのは、やはりどこかで自分は偉い、自分が正しいと思い込んでいるもの。意識して、努力して人の下に立つぐらいでちょうどいい。それで対等」と言っています。犬養さんは幼い頃、年末になるとお母さんに連れられ、おみやげを持って近くの孤児院を訪ねていたそうです。おみやげは、犬養さんが大事にしていた人形やおもちゃでした。子供心に「どうして!」と思ったそうです。その時お母様が、「自分のいらないものを人さまにあげても、差し上げたことにはならないのよ。人の役に立ちたいと思うなら、自分も少しは痛い目にあわないと」と諭してくれました。
 犬養道子さんの祖父は、五・一五事件で暗殺された犬養毅首相でした。暗殺される数日前、犬養首相は孫の道子さんに「恕」という書を与えたそうです。恕(じょ)とはマイトリー、他人の心情を察し、思いやるという意味の言葉です。
 難民支援や環境保護に生涯を捧げた犬養道子様のご冥福をお祈りいたします。
267号 生くる
 お彼岸に帰省した息子と久しぶりに一杯飲みながら読書談義をしていた時、息子から「去年読んだ本の中で一番よかった本は『生くる』だった」と聞いて嬉しくなりました。私はその本の著者・執行草舟氏の『憧れの思想』という本を読み終えたばかりだったのですぐに読んでみました。『生くる』という本の表紙の帯には「還れ、日本人の心に」と書かれ、裏には、「余計なものを捨てても捨てたことにはならない。大切なものを捨てなければならないのだ」、「死がなければ人生の意味は何もない。自由自在に動き回って、愉しむことができるのは、還るべき『永遠の家』としての死があるからなのだ」などと書かれています。
「礼について」という章の中で著者は「…礼をもって人とつき合えば人間関係はうまくいく。礼とは全ての存在物との「良い関係を保つ方程式」に他ならないのだ。礼を動かしている原動力は人間の真心に尽きる。孔子はこの真心を「仁」と呼んだ。真心を失ってしまえば礼は形式に堕し、堅苦しい教条主義になる。だからこそ孔子は真心のことだけを説いてるのだ。人間に真心があり、その真心から礼を実行すれば、自己と他者の、またあらゆるものとの最良の関係が生まれてくる」と書いています。そして、こんな逸話が紹介されていました。
「大英帝国がインドを支配していた時代、インドの首長をヴィクトリア女王が招待した。英国の食事作法を知らなかったインドの首長は、フィンガーボール(指を洗う水入れ)の水を飲んでしまった。周囲の英国紳士淑女たちは軽蔑の目を向けて笑っていたが、ヴィクトリア女王は間髪を入れずに、自らもフィンガーボールの水を飲んだ。それを見て紳士淑女たちは笑いを止めた。ヴィクトリア女王は身をもって客に対する礼を示したのだ。これが礼そのものを表している。礼は形ではない。相手が失敗すれば自分も失敗をする。礼を活かすための真心とはこのことを言う」
『生くる』は、今年読んだ本の中で一番印象に残った座右の本になりそうです。
268号 争わない生き方
『ベテラン弁護士の「争わない生き方」が道を開く』(ぱる出版)という本を読みました。著者の西中務さんは、弁護士としての四十五年間の経験から、「争う心からは幸せは生まれない」と断言しています。
 まえがきで西中さんは、「本当の人生の成功者とは、経済的だけでなく、精神的にも豊かな人のことだと私は思います。この本は、そんな「心の億万長者」になる方法について書かれています。」と語っています。
 本の中に「ウサギとカメ」の話がありました。「ウサギは、カメと自分を比較して、自分の方が速いから少しくらい休憩しても大丈夫だと思ったから居眠りをしたのです。けれどもカメは一度もウサギと自分を比べたりはしませんでした。ただひたすらゴールだけを目指して走り続けたから勝てたのです。『一切の悩みは比較より生じる』というのは国民教育者森信三先生の言葉です。全ての悩みの原因は他人と比較することです」と西中さんは書いています。
 そして、両親や先祖を大切にし、常に感謝の心を持つことが大切だといっています。
 作家の吉川英治さんは、「私にはもう両親はいないが、会おうと思えばいつでも会うことができる。それには、私の脈をとるのです。私の体の中に、両親も先祖も生きてくれており、一度も切れないで続いてくれているのです」と語っていたそうです。
「人は永遠の命を与えられているわけではないのに、出世や名誉や財産等の欲望を抱きます。でも、『一生を終えてのちに残るものはわれわれが集めたものではなくて、われわれが与えたものである』とジェラール・シャンドリは言いました。同じ一生ならば、私たちは、いろいろなものをかき集める生き方ではなくて、人に、世に、より多くの何かを与える生き方をしようではありませんか」と西中さんは呼びかけています。
 この本には、「おいしい饅頭は一人で食べてはいけない」、「生きているということは借りを作るということ」、「よい出会いは、よい行動から導かれる」など興味深い内容が多く、実践したくなる本です。

269号 困難にも感謝する
『困難にも感謝する』(鍵山秀三郎著・亀井民治編・PHP研究所)というポケットサイズの本を常に手元に置いています。
「人生の極意」、「人間としてのマナー」、「掃除の効用」など六つの章に分類された百十二項目の話が見開き一ページで読めるように構成されています。日めくりカレンダーのように、一日一項目を読み続けると一年で三回、十年で三十回読むことになり、読んだことを実践できるようになるかもしれません。   
 本のタイトルになっている「困難にも感謝する」のページにはこう書かれています。「人は幸せだから感謝するのではありません。感謝するから幸せになれるのです。換言すると、幸せになるコツは感謝することです。だれでも、人から何かしてもらったことには例外なく感謝します。しかし、この感謝はだれでもがやっている、いわばレベル1の感謝です。できれば、してもらったことだけに感謝するのではなく、身の回りの当たり前にも感謝する。毎日通える職場がある、住む家があり家族がいる、健康である…。これがレベル2の感謝です。この感謝を深めていくと、生きていくための空気がある、蛇口をひねると飲める水が出てくる、さらに、人間として生まれてきた当たり前に対してさえも幸せを感じるようになります。ところが、なかなかできないのが、困難に対して感謝することです。全ての困難は、必ず意味があって身の回りで起きます。だとするならば、身の回りで起きることはすべて絶対肯定・絶対感謝。この受け止め方さえできれば感謝の念が自然と湧いてきます。艱難が自分を鍛えてくれる。感謝以外の何物でもないはずです」

 この本の編集中の平成二十七年十月十六日、鍵山さんは脳梗塞で倒れ、緊急入院されました。救急車に乗り込む際、酸素マスクを外して、事務所のスタッフに「どちらの救急隊か、お名前もうかがっておいて下さい」とおっしゃったそうです。退院後にお礼に伺うためという理由からでした。
 鍵山さんはリハビリに励みながら、私達に大切なことを教えてくれています。
270号 鈍刀を磨く
 伊東掃除に学ぶ会年次大会の記念講演で鎌倉円覚寺管長の横田南嶺老師の話を聴きました。横田老師は昭和三十九年生れ。平成二十二年に四十代の若さで臨済宗円覚寺派管長に就任したお坊さんです。数年前に横田老師の講演を聴いて感動し、それ以来毎朝、延命十句観音経をお唱えするようになりました。
 今回の講演の中で横田老師は仏教詩人の坂村真民さんの詩をたくさん紹介してくれました。横田老師の朗読で聴く真民さんの「念ずれば花ひらく」や「二度とない人生だから」に改めて真民詩の素晴らしさと奥深さを実感しました。

『二度とない人生だから』
二度とない人生だから
一輪の花にも
無限の愛をそそいでゆこう
一羽の鳥の声にも
無心の耳をかたむけてゆこう
二度とない人生だから
一匹のこおろぎでも
ふみころさないように
こころしてゆこう
どんなにか喜ぶことだろう…


「鈍刀を磨く」という詩からも大切なことを学びました。

『鈍刀を磨く』
鈍刀をいくら磨いても
無駄なことだというが
何もそんなことばに
耳を貸す必要はない
せっせと磨くのだ
刀は光らないかも知れないが
磨く本人が変わってくる
つまり刀がすまぬすまぬと
言いながら
磨く本人を光るものに
してくれるのだ
そこが甚深微妙の世界だ
だからせっせと磨くのだ

坂村真民著「詩集 念ずれば花ひらく」より

 「困難は自己を磨く砥石」という言葉を思い出しました。  
 今から二十年前、坂村真民さんからおハガキをいただきました。「…詩縁を感謝いたします。お互いしっかり生きてゆきましょう」という言葉、ハガキの裏には「氣海丹田」と墨書されていました。この書を見るたびに丹田に氣が漲ってくるような気がしてきます。
 先日、友人から「横田南嶺老師に学ぶ真民詩のこころ」と題するDVDを頂き感動しました。ご希望の方にはお貸しいたします。