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「小耳にはさんだいい話」へ


21号〜30号


21号 おてんとうさんが見ている
 第二次大戦中の話です。朝鮮や満州にいた日本人の兵隊たちは食料不足で大変ひもじい思いをしていました。そこで、現地の子供たちに「スイカ持ってこい、マクワウリ持ってこい」と命令しました。子供たちは怖いものだから畑にもぐりこんでスイカやマクワウリを盗んで持ってきたそうです。次にその兵隊たちはニューギニアへ転戦しました。ここでも食料不足は同じ。兵隊たちはまた、現地の子供たちに「バナナ持ってこい、パパイヤ持ってこい」と命令しました。ところが、どんなに脅かしても子供たちはみんな両手を合せて「勘弁してくれ、勘弁してくれ」と言うばかりで一人も言うことを聞かなかったそうです。そこで「お前たちはなぜ俺たちの言うことが聞けないのか」と怒ると、どの子供たちも同じように空を指差して「おてんとうさんが見ているから出来ないんだ」と口々に言いました。その姿に兵隊たちも深く心を打たれたそうです。人間としてしてはならないことはどんなことがあってもしてはいけない、という最も人間らしい生き方をこの話から学びました。 

22号 役者冥利
 今秋、大間々で開催される『全国芝居小屋会議』のPRを兼ねた研修ツアーに、先日参加しました。
岐阜県福岡町にある『常盤座』という芝居小屋を案内してくれた福岡町歌舞伎保存会の早川さんという方は、普段はタンクローリーの運転手さん。精悍な顔付きで朴訥な話し方が一層、早川さんの優しさを感じさせてくれました。
『歌舞伎をやると、殆どのお年寄りはいつも決まった場所で見てくれます。「ああ、今年も元気でいてくれたぁ」と思いながら演じます。いい場面では涙を流して見る姿に、こちらのほうが感激してしまって・・・。 数日経ってからその婆ちゃんたちが畑仕事の手を休めて、あの芝居はよかった・・・と声を掛けてくれると本当に嬉しくなりますよ』
今では、早川さんのお子さんも歌舞伎を始め、一緒の舞台に立つそうです。今、感動することが少なくなった時代だと言われますが、今回の研修ツアーでは一隅を照らす素晴らしい人にたくさん出会いました。
11月の芝居小屋会議にはたくさんの感動を持ってその方々が来町されます。
23号 天使は博多弁だった
 私の尊敬している先生から『ことばのご馳走』Cという本を送っていただきました。感動する話がたくさん載っています。そのひとつをおすそわけします。
『まさに天使の声だった。でも、それは中年の、すこししわがれた声だった。
雨が降りしきる中、市内でバスに乗った。乗客は7、8人。私を乗せて、バスはまさに発車しようとした。そのとき、小柄なおばあさんが席を立って慌てて降りようとした。70代半ば近い、腰の曲がった人だった。手に大きな荷物と傘。足許もおぼつかない。そのうえ床も濡れ、ステップも滑りやすい。
「あ、危ない! バスが動いたら・・・」他の乗客もただハラハラ見守るだけだった。その瞬間だった。車内にやさしい声が響いた。あたかも天使の声のようだった。でも、それは博多弁の天使だった。
「ゆっくりでよかとよ。バスは動かさんから・・・」この一言で安堵感が流れ、車内がいっぺんに和んだ。そして、乗客みんなが乗務員の背に感謝の目を向けた。』

24号 シャボン玉とんだ
 「七つの子」や「青い目の人形」で有名な童謡作家の野口雨情はなかなか子宝に恵まれず、8年目にようやく女の子を授かったそうです。
彼はその子を目の中に入れても痛くないほど可愛がっていました。ところがその子が僅か2歳で伝染病にかかりあっけなく亡くなってしまったそうです。彼は浴びるように酒を飲み、酔って悲しみを忘れようとしました。
ある日、その子が夢の中に現れました。彼女は泣いていました。
涙に濡れた瞳を見た時、野口雨情はハッとしました。「ああ、このままでは天国へ行っても娘に会わせる顔がない。お父さんは歯を食いしばって悲しみに耐えたよ。お前の分まで一所懸命生きだよ、と言えるようになろう・・・」それが彼の転機となり、後世に残る多数の童謡が生まれたそうです。
「シャボン玉」も父の思いを表現した歌です。『シャボン玉消えた飛ばずに消えた生まれてすぐにこわれて消えた風、風、吹くなシャボン玉飛ばそ・・・』
(神渡良平先生講演会より)
25号 周囲の人に感謝
 大間々町で毎年実施している中学生海外研修の出発式が八月十三日の朝、役場前で行われました。多くの希望者の中から選考で選ばれた男子十一名、女子十二名がアメリカのフレズノ市で十日間ホームステイをして見聞を広めてきます。どの顔もみんな嬉しそうで目が輝いていました。好奇心旺盛の彼等ならきっと素晴らしいことに出会って帰ってくるだろうと思いました。 関係者の激励の挨拶のあと、海外研修の団長でもある大間々中学校の校長先生が挨拶に立ち、『今朝、このように全員が無事に出発の日を迎える事が出来たのも、たくさんの人達が私達のために努力し、見守ってくれたお陰です。その人達に感謝してお礼を言いましょう』と言い、全員が声を合わせて『皆さん、ありがとうございました』と唱和しました。
ある本に『よい出会いをするためには、自分自身がいつも何にでも感謝の気持ちを持っていることが第一歩、感謝の気持ちのない人は絶対によい出会いはできない』と言われています。校長先生の言葉で改めて感謝することの大切さを教えられた中学生たちはきっと素晴らしい出会いをして帰ってくるだろうと思いました。 

26号 レスリング王国・大間々
 福岡中央小学校の金子淳二教頭先生は大間々ミニレスリングクラブを結成して10年、現在では週に3回、40名以上の子供たちを指導しています。
結成2年目に出場した大会ではなんと全員が一回戦で敗退という屈辱を味わったそうです。しかし、その屈辱をバネにした金子先生のレスリングへの熱い思いが子供たちにも伝わり、昨年は関東各地から300名もの選手を集めてミニレス大間々大会を開催するまでになりました。そして、ついに21階級のうち16階級で優勝するまでに成長しました。
金子先生のモットーは「仕事は人の3倍やる」ということ。「自分が一所懸命やれば子供たちは必ず応えてくれます」…細い目をいっそう細めながらとっても嬉しそうでした。飾り気がなく「ハートで話をする」という表現がピッタリの優しくたくましい話し方にすっかり引き込まれました。彼等の中から明日のオリンピック選手が出てきてくれることを願いました。                                   

27号  生きる喜び
かねてから一度お会いしたいと思っていた深谷市の田島隆宏さんにお会いしました。
田島さんは脳性小児マヒで生まれ、40歳を過ぎた今でも寝返りさえ打てない重度の障害を持っています。しかし、とても明るい性格で、口と顎だけで操作出来る電動ベッドに乗って、いまカメラマンとして活躍しています。
「ホウジャクの一瞬」と名付けられた写真があります。コスモスの花からホウジャクが飛びながら蜜を吸っている写真です。「幸いにも体が動かない僕にとって決定的瞬間を狙って待つことは苦痛ではありません」と言って2週間待って撮れた写真だそうです。蜜を与える花も、蜜をもらうホウジャクも、分かち合い、共生を楽しんでいる瞬間を田島さんは見事にカメラに収めました。
田島さんは子供の頃、意地悪をされたり、笑われたり、石を投げつけられたことさえあったそうです。大声で泣き、「どうして僕を生んだんだよぉ」と抗議するたびに、お母さんは答えることも出来ず、目頭を押さえて台所に走り込んだそうです。そんな田島さんが、割り箸を口にくわえ、パソコンで打った詩があります。
−おかあちゃんぼくを生んでくれてありがとう ぼくはたまたま不自由だったけど幸せです うそじゃないよおかあちやん ほんとうにぼくをうんでくれてありがとう−

28号 生かしてあげる

 先日、大間々中学校PTAで恒例の廃品回収が行われました。廃品回収の収益金は子供たちの部活動の運営費やユニフォームの購入資金にもなるため父兄の人達や中学生達も回収作業に汗を流し、一般の町民の方々も古新聞や古雑誌を協力してくれました。
廃品回収日の数日前、PTAのKさんの近所に住むお婆さんが外でたくさんの醤油のビンを一所懸命に洗っていました。「廃品回収に協力しようと思ってね…」というお婆さんの善意とものを大切に生かしてあげようとしている姿にKさんは何と言ってよいかわかりませんでした。というのは、「今回の廃品回収では瓶はビール瓶とお酒の瓶のみ回収します」という通知が回っていたからでした。しかし、Kさんはお婆さんの善意を無駄にしたくないと思いPTAの役員にこのことを連絡しました。2日後、お婆さんとKさんの優しい思いが通じて、醤油醸造の岡商店さんのご好意でビンを引き取ってもらえることになりました。廃品回収当日の朝、岡商店さんの前にはピカピカに洗われた醤油ビンがきちんと木箱に入れられて積み上げられていました。
今年は古紙の引き取り価格が下がったにもかかわらず例年以上の収益があがりました。そして、収益以上に「なにごとも生かしてあげる」ことの大切さをお婆さんやKさんから学びました。                                   

29号 がんばれA子

 岩手県の友人・小松宏さんから毎月「おかげさま」という手づくり新聞と「ニューモラル」という冊子が送られてきます。その中にとてもいい話がありました。
 ある荒れた中学校で水泳大会が開かれました。選手を選ぶのに番長ともいえる生徒が 「A子がいい」と言いました。A子さんは体に障害を持っていました。番長が怖かったので反対の声は上がりませんでした。水泳大会当日、A子さんは水しぶきをあげて飛び込みました。しかし、なかなか前へ進みません。その姿が滑稽に見えたのか、プールサイドの生徒達は声を上げてはやし立てます。その時、ひとりのおじさんが何も言わず着のみ着のままでプールに飛び込みました。バチャバチャしているA子さんと一緒に泳ぎながらおじさんは「腹たつねぇ、でも自分で泳げよ」…A子さんが沈んでしまわないようにエスコートしながらも手を出す子とはしませんでした。必死で泳ぐA子さん、服のまま寄り添って泳ぐおじさん。その光景に生徒達はいつしかシーンとなり、次いであちこちから声が上がりはじめました。「がんばれA子、がんばれA子」その声はやがて大合唱になりました。全生徒のエールの中、A子さんは25メートルを泳ぎきり、おじさんと抱き合って泣きました。おじさんは校長先生でした。それ以来、教室のガラスが割られなくなったそうです。

30号 子犬と少年

 あるペットショップの店頭に、「子犬セール中」の札が掛けられました。子犬と聞くと、子供はたいそうこころをそそられるものです。暫くすると案の定、男の子が店に入ってきました。「おじさん、子犬っていくらするの?」「そうだな。三十ドルから五十ドルってところだね」男の子はポケットから小銭を取り出して言いました。「僕、二ドルと三十七セントしかないんだ。でも見せてくれる?」
店のオーナーは思わずほほえむと、奥に向かってピーッと口笛を吹きました。すると、毛がフカフカで丸々と太った子犬が五匹、店員のあとをころがるようにでてきたのです。ところが、一匹だけ、足を引きずりながら、一生懸命ついてくる子犬がいるではありませんか。「おじさん、あの子犬はどうしたの?」と男の子は聞きました。「獣医さんに見てもらったら、生まれつき足が悪くて、多分一生治らないって言われたんだよ」と店のオーナーは答えました。ところがそれを聞いた男の子の顔が輝き始めたのです。「僕、子の子犬がいい。子の子犬をちょうだい!」「坊や、よした方がいい。そりゃあ、もしどうしても子の犬が欲しいって言うなら、ただであげるよ。どうせ売れるわけないから」と店のオーナーが言うと、男の子は怒ったようににらみつけました。「ただでなんかいらないよ。おじさん、この犬のどこが他の犬と違うっていうの?他の犬と同じ値段で買うよ。いま二ドル三十七セント払って、残りは毎月五十セントずつ払うから」その言葉をさえぎるように、店のオーナーは言いました。「だってこの子犬は普通の犬みたいに走ったりジャンプしたりできないから、坊やと一緒に遊べないんだよ」これを聞くと、男の子は黙ってズボンの裾をまくりあげました。ねじれたように曲がった左足には、大きな金属製のギブスがはめられていました。男の子は、オーナーを見上げて優しい声で言いました。「きっとこの子犬は、自分の気持ちがわかってくれる友達がほしいと思うんだ」