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「小耳にはさんだいい話」へ


151号〜160号


151号 深めると広がる

 先日、みどり市立笠懸東小学校で6年生の児童とトイレ磨きを行いました。
 昨年の7月、学年主任の青木先生から「子供たちにトイレ掃除の仕方と心を教えてほしい」と依頼され、郷土を美しくする会のメンバー7人が子供たちと一緒に掃除をしました。以来、毎月1回、6年生は「スーパートイレ掃除」と称して自分の担当する便器を決めて「ひとり1便器磨き」を丹念に続けてきました。
 半年ぶりに再会した子供たちのトイレ掃除の様子を見て、その熱心さと徹底ぶりに驚きました。便器がピカピカに輝いたのはもちろんのこと、蛇口や壁の汚れまで丁寧に磨き上げました。そして、トイレばかりではなく玄関の下駄箱には履物がきちんと揃って入っていました。担任の先生の話では「先日、子供たちが自主的に下駄箱の掃除をやったのです」とのこと。『深めると広がる』という言葉があります。どんなことでもひとつのことを継続し、深めていくと物事の本質に近づき、気づきや周囲への思いやりにつながって視野が広がっていくのだと思いました。
 掃除終了後の感想発表では「便器を磨いて心まで磨けた」「家でも続けたい」「掃除だけでなく、みんなを喜ばせたい」といった自信に満ちた感想が聞かれました。
 後片付けを終え、私たちが応接室でコーヒーをご馳走になっていると、ひとりの男子児童がためらいがちに入ってきました。そして小さな声で「握手してくれますか」と。彼は黙々と便器を磨き続けていた少年でした。冷たい水で真っ赤になった手で大人たちと握手をし、「ありがとうございました」と言って帰って行きました。握手したときの彼の冷たい手の感触と熱い目の輝き。彼と同じように私たちもこの日の感動をずっと忘れずにいたいと思いました。

152号 カレーうどん
 去年の「虹の架橋」の2月号〜4月号で大間々町桐原の五十嵐さち子さんの詩集「母ちゃん」をご紹介しました。28篇の詩はどれも感動的な内容でホームページ版「虹の架橋」を読んだ方からも詩集の注文が入り、何度か増刷をしたほどでした。あれから1年経った先日、詩集を読んだ四国高松署の刑事さんの國方卓さんから五十嵐さんに嬉しい手紙が届いたそうです。
手紙には、詩集を読んで感動し、その日の晩にお母さんが入所している老人ホームに会いに行ったこと。部下の女性刑事さんも詩集を読んで里帰りをするといったこと。讃岐名物のうどんを仏前に供えさせてほしいとも書いてありました。そして、お彼岸前には國方さんから本当にカレーうどんが届いたのだそうです。
五十嵐さんの詩集にはこんな詩も載っています。
 
   後 悔
 母ちゃんが旅立つ三ヶ月前の頃、まだ元気で一人歩き出来たあの日「もう一度さち子の家へ泊まりでお客に行きたい」そういっていたのに、忙しい忙しいと逃げていた私
今はそれを一番後悔している。どうしてあの時、家へつれてこなかったのか。悔いても悔いてももどってこないあの日、もう一度母ちゃん、生まれかわってきた時は好きなだけ私の家に泊めてやるからね。母ちゃん

  カレーうどん
 カレーうどんが大好きだった母、カレーうどんをもう一度、母のお腹いっぱい食べさせてやりたい。今カレーうどんをお墓に供えても母のお腹はいっぱいにはならない 
でもやっぱり母にカレーうどんを食べさせてやりたい

 先日、NHK教育テレビの「心の時間」という番組で、托鉢者の石川洋先生が「別れは人を深め、出会いは人に喜びを与える」と言っていました。家族や大切な人との別れは避けて通ることはできません。でも、その悲しみが心を深め、喜びの出会いが用意されているのかもしれません。
 詩集「母ちゃん」は足利屋にも置いてあります。
153号 カルカッタ体験記
 3年ほど前から毎月1回、大間々の「希望の家」で「致知の会」という、心を磨く勉強会が開かれています。4月の例会の講師は、致知の会の会員でもある大間々・光栄寺の副住職・金井智栄さんで、テーマは「マザーテレサ愛の家〜カルカッタ体験記〜」という感動的なお話でした。
 金井さんは今から6年前、26歳の時にインドへ渡り、バックパッカー(バックを背負って世界中をひとりで旅をする人)としてカルカッタ(現コルカタ)へも行き、マザーテレサがつくった施設でボランティア体験をしてきました。金井さんは7つあるボランティアハウスの中のプレムダン(愛の贈り物)という施設で汚物の掃除や高齢の入所者のお世話を体験し、ダヤダン(親切な贈り物)という施設では身体障害や知的障害をもつ子供たちの食事介助などのボランティアを体験してきたそうです。日本では想像もできないような貧しい環境の中で、話すことも、満足に動くことも出来ない人たちが、金井さんの介助に対して笑顔を返してくれたことに深く感動し「今まででこんな嬉しかった体験はありませんでした」と語ってくれました。
 マザーテレサは1979年にノーベル平和賞を受賞しました。そのときのインタビューの中で「世界平和のために私たちは何をしたら良いですか」と尋ねられたマザーテレサの答えは「家に帰って家族を大切にしてあげてください」というものでした。
「この世で最大の不幸は戦争や貧困ではなく、むしろそれによって見放され、『自分は誰からも必要とされていない』と感じることである。『愛』の反対は『憎しみ』ではなく、『無関心』である。家庭が崩壊したり、不和になれば、多くの子は愛と祈りを知らずに育つ。家庭崩壊が進んだ国は、やがて多くの困難な問題を抱えることになる」
 10年前に亡くなったマザーテレサは的確に未来を予言していました。金井さんの話を聴きながら、私達が今、やらなければならないことを考えさせられました。

154号 一瞬の中に永遠がある
 仙台在住のアナウンサーで言の葉アーティストの渡辺祥子さんが「言の葉だより」というフリーペーパー(個人誌)を毎月1回、1年間発行しました。祥子さんは「語りかけることでひとりでも多くの人の心に小さな光を灯したい」という想いで仕事に取り組み、その想いが文章からも伝わってきます。
「言の葉だより」の第5号で「最後だとわかっていたなら」(サンクチュアリ出版)という写真詩集が紹介されていました。ノーマコーネットマレックさんという女性が我が子を偲んで書いた詩で、世界同時多発テロのあとに世界中で話題になった詩です。
「あなたが眠りにつくのを見るのが最後だとわかっていたら…」「あなたがドアを出て行くのを見るのが最後だとわかっていたら…」「…そしてわたしたちは忘れないようにしたい。若い人にも年老いた人にも明日は誰にも約束されていないのだということを」
 この詩集には祥子さんの友人の写真家・中山万里さんの美しい写真が載っています。この本が出版されたとき、中山さんは既にガンと闘っていました。「余命1年と宣告されてから無事に1年が過ぎた。生きていることが当然のことではないと知って真剣に生命と向き合った。一瞬一瞬の何気ない瞬間に生きている喜びを感じて、それは有難いことなんだと感謝の気持ちでいっぱいになる。そんな時間の中でみつけたものは『一瞬の中に永遠がある』ということ。太陽が空や大地に写し出した瞬間の光景も同じことを教えてくれる。瞬間と永遠を同時に生きること、それは『今を生きること』」…。
中山万里さんは写真を通して多くのメッセージを残して、今年1月に永眠されました。
 1年間限定で祥子さんの想いを綴ってきた「言の葉だより」最終号にはヴィクトール・フランクルの言葉が紹介されていました。「どんな時も人生には意味がある。この人生のどこかにあなたを必要とする『何か』がある、『誰か』がいる。そしてその『何か』や『誰か』はあなたに発見されるのを待っている」
155号はるかなる母の想い
  四国・南海放送の「ラジオエッセー・くめさんの空」という名物番組のパーソナリティ・小倉くめさんとは数年前に知り合い、それ以来毎月4〜5週分の番組のテープを送ってもらって聴かせて頂いています。先日の放送で中村久子さんと富子さん母子の感動的なお話を聴きました。
 中村久子さんは明治30年生まれ。2歳のときに突発性脱疽で両手両足を失いました。20歳の時、見世物小屋に入り、「だるま娘」の看板で見世物芸人になりました。その後、何度か結婚し、3人の子供も授かりました。昭和36年には身体障害者の代表として天皇陛下にも拝謁、見事な一生を貫いた方です。
 次女の富子さんが女学校時代に先生とチョッとしたことで衝突したことがあったそうです。困った担任の先生は、朝鮮に興業へ行っていた母親の久子さんに手紙を書きました。手紙か電話で返事が来ると思っていた先生の元に久子さんは義足をつけて、関釜連絡船に乗り、汽車に乗換え、3日かけて富子さんの学校へお詫びにやってきました。
先生は「ぼくは君のお母さんが両手両足のない人だとは知らなかった。富子が大変失礼して申し訳ないと頭を下げられた。そんな立派な親はどこにもいない」と男泣きして富子さんに言ったそうです。
富子さんは母親がどんな思いでここまで来たかを想像し、何と詫びていいかわかりませんでした。両手がなく、義足の久子さんは外では一人で用を足すことができないために3日間飲まず食わずで朝鮮からやってきたのでした。久子さんは「人間どんなことがあっても我慢するときはする。苦労するときは苦労する。それが何かのときに役に立つ」と笑って、午後の汽車で朝鮮に帰って行きました。

 放送テープの声の小倉くめさんも脊柱側弯症という障害を持った方で話に説得力がありました。人は体験を通してしか真の優しさを知ることは出来ないのかも知れません。
くめさんの詩に「辛いに『一』足し幸せつかむ。あなたの笑顔はみんなの笑顔」という一節がありました。

156号 上神梅駅に立って
 先月の虹の架橋で「上神梅駅舎が有形文化財に」という話を紹介しました。「無人駅になって数十年、駅前の福田さんご夫妻は先代のおばあちゃんの代から駅舎の掃除や周辺の草刈りを続けている」という記事を読んだ邑楽郡邑楽町の横山栄一さんから感動的なお手紙が届きました。
 横山さんは今から24年前、62歳の時に仕事で上神梅駅の近くを通りました。その時、横山さんは子供の頃に降り立った上神梅駅のかすかな記憶が蘇り、駅舎を訪ねました。そこで出会ったのが駅前でタバコ店を営んでいた先代の福田とよさん(当時85歳)でした。「大正の頃、ここが梨木温泉の案内所で馬や駕篭や背負い人が待機していましたよ」という話をとよさんから聞き、横山さんが子供の頃に家族に連れられて、馬や駕篭で梨木温泉を訪れた時の記憶が確かだったことに喜びを覚えたそうです。
 横山さんは親切な福田とよさんとの出会いを「上神梅駅前に立って」という文章に綴り、上毛新聞の「ひろば」欄に掲載されました。その文章の最後には「私は駅前で、福田のおばあさんと一緒に記念写真をとった。その時、おばあさんが『本当に足尾線は廃止されるんでしょうか』と、問いかけるように言われた言葉に限りない寂しさを覚えた。足尾線の存続を願ってやまない」(昭和58年11月5日)と書かれていました。
 先日、横山さんから頂いたお手紙には24年前の、とよさんとの一期一会が今も心の宝物になっていることが書かれ、当時の写真と「ひろば」欄の切抜きが同封されていました。写真と新聞記事をすぐに福田さんご夫妻にお届けしました。それを見て感動した福田さんご夫妻は横山さんに丁寧なお礼状を書き、手紙での交流が始まったそうです。
ご縁を大切にすると感動の出会いが広がりますね。「出会いは心の花を咲かせる」という言葉を思い出しました。

157号 日本人の美徳

 先日、群馬県中小企業団体中央会主催の「2008トップセミナー」が前橋で開催されました。講師は潟Cエローハット相談役の鍵山秀三郎さん。「平凡なことを非凡に努める」というテーマでお話をされ、大きな努力で小さな成果に感謝できる生き方を提唱していました。
 鍵山さんは陶淵明の詩の一節から『力耕不欺吾』(りきこうわれをあざむかず)という言葉を紹介し、「一所懸命に日々の努力を積み重ねたことは全て自分自身に返ってきます。自分にとって益は無くても意味はあります。努力は何一つ無駄になりません」と言っていました。
 また、昔の日本人が持っていた美徳についてのエピソードも興味深いものでした。
1916年(大正5年)にアート・スミスという飛行家が日本で曲芸飛行の興業を行い大変な人気になりました。曲芸飛行は有料の会場だけではなく、近くの民家の屋根からも見ることができました。
数日後、アート・スミスの元に手紙とお金の入った封筒が届きはじめました。それらの手紙には「素晴らしい飛行を見せてもらい感激しました。入場料を払わずに見てしまったので見物料を同封します」と書かれていました。アート・スミスは「こんな美しい心をもった国民は世界中探してもいません」と日本人の美徳に深く感動したそうです。
 鍵山さんは、日本人の美徳について、「青年の思索のために」(下村湖人著)という53年前に発行された本を引用してお話しになりました。「忍耐、謙譲、調和、勇気といった美徳もその根底に愛の心がなければ美徳は悪徳になってしまいます。忍耐は怨恨の源になり、謙譲や調和は卑屈や妥協の別名に過ぎず、勇気は粗暴になってしまいます。あらゆる美徳は、それが真に美徳たるためには、必ず愛を基調としたものでなければなりません」と。

158号 このような人になりたい

 先日、東京で「月刊・致知三十周年記念講演会」が開かれ、星野物産椛樺k役の星野精助さんといっしょに参加しました。「月刊・致知」は人間の生き方を学ぶ雑誌で、この日も全国から1300人もの人が参加し、講師の鍵山秀三郎さん(イエローハット創業者)、渡部昇一さん(上智大学名誉教授)、藤尾秀昭さん(致知出版社社長)の講演から学び、懇親会では多くの人たちと交流を深めました。
帰りにいただいたお土産の中に鍵山秀三郎さんの新刊「平凡を極める生き方」(致知出版社・1260円)が入っていました。その本の中に「人間にも賞味期限がある」ということが書かれていました。

「賞味期限は商品だけにあるものではなく、人間にも当てはまります。期限は年齢によるものではなく、百歳を超えてもなお、まだ十分に余裕を残している人もいれば、二十代で期限の切れてしまった人もおります。人間に与えられる期限の基準は、その人が他の人から信頼され、かつ社会に貢献しているかどうかにかかっています。百歳を超えても多くの人々に頼りにされ、お手本となる生き方をしておられる方は、期限を十分に余す人です。一方、自分さえよければそれでよし≠ニする生き方をしている人は、期限切れといえましょう。
このような人になりたい
と私が人生のお手本と仰ぐお方は、『上州手振りうどん』で有名な星野物産梶i群馬県みどり市)の相談役・星野精助氏です。融通無碍という言葉はこの人のためにあるといっていいでしょう。93歳になられた今でも比類のない気品の高さ、人間の幅の広さ、深さに感銘しております。私のような者では願いが叶えられないと思いますが、一歩でも近づく努力をし続けます。人生の目標を与えていただいた幸せに感謝します」

 東京の行き帰りの電車の中で、(あの鍵山秀三郎さんが尊敬する)星野精助さんから生き方や考え方や商いの基本をじっくりと教えて頂き、このような人になりたい
と心から思いました。

159号 全てのものにありがとう

四国松山の南海放送ラジオで16年前から「くめさんの空」という人気番組を持ち、「秘めだるま」という季刊誌を発行している小倉くめさんは生まれつきの障害を持ちながらも明るく前向きに生き、 名刺には「夢職」(むしょく)と書かれています。「秘めだるま」25周年増刊号には、くめさんが聞いて「心に残った話」が紹介されています。
 全く読み書きのできない信心深いお姑さんのことをお嫁さんが話していました。
「お婆ちゃんはよく独り言を言っていました。朝起きると、今日も目覚めさせていただいて有り難うございます。腕が動いて有り難うございます。足が動いて有り難うございます。…」そんな風に、順々にお礼を言うところからお婆ちゃんの一日が始まったそうです。ある時、子供さんが言いました。「お婆ちゃんはおかしいよ。お便所でウンコやおしっこに話をしている」と‐。その訳をたずねると、お婆ちゃんは「人はものを食べる時『戴きます』と拝んでから戴くじゃろ。体に入って血となり肉となりして働いてくれたものが出て来たら、お礼を言って見送らせてもらうのが当たり前じゃろぅ」と言ったそうです。神様や仏様に手を合わせても、ウンコやおしっこにお礼を言う人は少ないと思いました。
 学校へも行けなかったというお婆ちゃんから「全てのものに感謝する」という生きて行く上で一番大切なことを教えられ、感動しました。
そのお婆ちゃんは「顔は自分の物じゃけど、人様の方を向いとるのじゃから気をつけんとのぅ…」とも言っていたそうです。お嫁さんは「今、誰かひとりだけ会わせてくれると言ったら、お姑さんに会わせてもらいたい」と言い、お姑さんは、お嫁さんが何処かへ出掛けると、子供が母親を待つみたいにして待っていてくれたそうです。
「そんな二人の最期の別れは、お嫁さんがちょっと家を空けた間のことじゃったそうな」とくめさんの文章は結ばれていました。
 相手のことを思う気持ちの温かさを感じるお話でした。


160号 大人の権威と親心
「かすみがうら菩提禅堂」の形山睡峰さんの新刊「心が動く一日一話」(佼成出版社)を読みました。この本はスーパーマーケット・カスミのチラシの片隅に連載されていた形山睡峰さんのコラムをまとめたもので、第一章の「家庭とは」からはじまり、第二章「職場とは」、第三章「社会とは」、第四章「人生とは」、第五章「心とは」、第六章「命とは」まで見開き2ページの簡潔なコラムの中に心が動く素敵な話がたくさんあり、考えさせられたり感動したりしています。形山さんにご了解を頂き、二つのお話を紹介させていただきます。

  大人の権威
 お父さんが高校生の息子を連れて海に釣りに出ている。お父さんはもう何匹も魚を釣りあげたのに、息子はゼロである。餌の種類が違うのだという。親の教えに反抗して、息子は別の餌をつけた。釣れないから、お父さんの餌をくれと言うが、父は無視して、「自分でそれが良いと思ったのだから、それでやってみろ」と言う。帰宅して、父の釣果を食卓に乗せる時、息子はただ黙っている。
私はこの話を聞いて、おもしろかった。父はこうでなければならぬと思ったからだ。… 

   親 心
…永平寺の住職だった北野玄峰禅師は、幼児より京都の寺に修行に出された。十九歳の時、母が病気になり、初めて看病のために帰省した。寝ずの看病のお陰で、二十日ほどで快復した母に禅師は約束した。「今度帰ってくる時は、偉い坊さんになってきますからね」
母が言った。
「偉い坊さんになったら、帰ってくる必要はないよ。
でも志破れて、誰も相手にしなくなったら、いつでも帰っておいで」
 こんな心情が親にあれば、子は力強いだろう。

 父親とはどうあるべきか、母の想いとは、人生とは…、ページをめくるたびに目からウロコが落ちてきました。