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「小耳にはさんだいい話」へ


131号〜140号


131話 大いなる翼
  義手の詩画家・大野勝彦さんとのご縁のつながりで仙台在住のフリーアナウンサー・渡辺祥子さんと知り合いになりました。渡辺さんは先日、朗読と音楽のコラボレーションCD『グレートウイング 渡り鳥・雁のゴーマーの物語』をつくり、話題になりました。
 主人公の雁(がん)のゴーマーは森と湖の美しい北の国で生まれ、元気な若鳥に成長します。やがて冬が近づき、南の国へ大いなる渡りの旅をする時がきます。ゴーマーのおじいさんはゴーマーに教えます。「長い渡りの旅をするためにはみんなで群れをつくり逆V字の形になって飛ぶ。右側の列には大人や若鳥など生きていく力の強い者たちが並び、左の列には子供たちや年老いた者など生きていく力の弱い者たちが並ぶ。雨や強い風の時には右の列の鳥たちが壁となって弱い者たちを守りながら飛ぶんだ。弱い者たちの列を守りながら飛ぶというのは大変だと思うだろうが不思議なことに、弱い者の列がなければ渡りは成功しない。強い者たちだけで飛び続けることは難しいんだ。自分を信じ、仲間を信じて、みんなで支え合って群れの心がひとつなった時、大いなる翼となって南の国への渡りが叶うのだよ」と。
 いくつもの森や果てしない大海原を飛び、嵐に遭遇すると皆で励まし合って渡りを続けます。その苦難の旅の中で群れの心、大いなる翼の存在に気づいていくお話に胸が熱くなりました。
 朗読アーティストとしてこの話を日本中の人たちに伝えたいと願う渡辺祥子さんの想いのこもった語り口とピアノとフルートの演奏を聴いているとゴーマーたちの心の動きや情景が目に浮かびました。
 私たちが生きていく上で大切なことを気づかせてくれるお話です。足利屋にもCDがありますのでお貸しします。渡辺祥子さんのホームページアドレスはhttp://www.ne.jp/asahi/voice/shoko/

132話 試みの自画像
 今、みどり市東町草木の富弘美術館で、開館15周年記念企画展「試みの自画像」が開催されています。
 星野富弘さんは大学を卒業し、中学校の体育教師になって間もなく、クラブ活動で空中回転の指導中に誤って頭部から落下。頸髄を損傷し手足の自由を奪われました。失意の淵から富弘さんを救ったのはお母さんの献身的な介護と、憶えていたいくつかの詩人の言葉だったそうです。「励ましの手紙に対するお礼の手紙が出したい」という思いから、口に筆をくわえ、詩と絵を描くようになりました。富弘さんの記念すべき最初の作品は「シンビジューム」の詩画でした。

『私の未熟な筆ではこの花の千分の一の美しさも描き出すことはできない。しかし私はこの花をいつまでも心に留めておきたい。苦労して育てた花を根元からスッパリ切って私にくれたNさんの気持ちとともにいつまでも心に咲かせておきたい』

 富弘さんは1981年に結婚。奥様の昌子さんが絵の具を混ぜる手伝いをして完成させた第一作目の作品が「がくあじさい」の絵とそれに添えられた感動的な詩でした。

『結婚ゆび輪はいらないといった。朝、顔を洗うとき私の顔をきずつけないように、体を持ち上げるとき私が痛くないように、結婚ゆび輪はいらないといった。
今、レースのカーテンをつきぬけてくる朝陽の中で私の許にきたあなたが洗面器から冷たい水をすくっている。
その十本の指先から金よりも銀よりも美しい雫が落ちている』

 7月15日の夜、美術館のロビーで星野富弘さんの講演会が開かれました。幼馴染の友達とのエピソード等をユーモアたっぷりに話してくれた富弘さんは今年還暦を迎え、群馬県の名誉県民にも選ばれました。郷土の誇りでもある富弘さんとその作品に接する企画展を是非ご覧下さい。


133話 夜回り先生
 先日、群馬県倫理法人会の主催で「夜回り先生」こと、水谷修先生の講演会が開かれました。水谷先生は元定時制高校の先生。非行や薬物乱用、リストカット(自傷行為)など、心を病んでいる若者の相談相手になるために深夜の繁華街をパトロールし、メールでも若者の苦しみや悩みを聞き続けてきました。子供達からの悲痛な相談は2年間で延べ10万人。水谷先生は「昨日までのことは、いいんだよ。今日から一緒に考えよう」と、子供達を丸ごと受け止めています。
「死にたい」とメールをしてきた女の子に水谷先生は「つらいとき、悲しいときは人のために何かしてごらん。まわりに優しさをくばってごらん。みんなの笑顔が君の悲しい心を癒してくれるよ」と、優しく諭しました。その女の子と関わって数ヵ月後、彼女から
「先生、いま私は老人ホームで働いています。ホームで今日、左半身が麻痺のおばあさんがお漏らしをしました。本当は拭いておむつを替えてあげるだけでいいんだけど、汚くて気持ち悪そうだったからシャワーしてあげました。その間じゅうおばあさんが目に涙をいっぱいためて右手で拝みながら、私にありがとう、って言ってくれた。私、先生がいっている『人のために生きる喜び』を知りました。先生ありがとう」というメールをもらったそうです。
「夜回り先生の子育て論-あした笑顔になあれ」(水谷修著・日本評論社)という本の中で水谷先生は「子供は花の種と一緒です。いい人と出会い、いい本と出会い、いい授業などといった栄養分をゆっくりゆっくり与えてあげれば、子どもたち自らがそれを伸ばし、花を咲かせます。それを助けることが教育なのです」と書いています。
 太田での講演会には中高生を含む1000人が水谷先生の話に感動し、勇気をもらいました。大人の責任と役割を改めて考えさせられました。
134話 心あるところに宝あり
 先日、東京の相田みつを美術館開館10周年を記念して「友の会の集い」が開かれました。記念講演では潟Cエローハット相談役で生前の相田みつをさんとも親交の深かった鍵山秀三郎さんが「心あるところに宝あり」と題するお話をされ、感銘を受けました。    
 1890年9月16日に和歌山県沖でトルコの軍艦が台風で難破しました。そのとき近くの大島の人たちは68人の乗組員を必死の思いで助け、自分たちの貧しい生活も顧みず、大切な食べ物を提供して親身に世話をしたそうです。このことを聞かれた明治天皇は、すぐに医師団を大島に派遣して遭難者に手厚い看護をした上で、2隻の軍艦を派遣して乗組員たちをトルコまで送り返してあげたそうです。この話には後日談がありました。1985年にイランとイラクが戦争を始めたとき、フセイン大統領は「今から48時間以降、イラク上空を飛ぶ飛行機はすべて撃ち落とす」と宣言しました。世界各国はすぐにイラクにいる自国民の引き揚げを完了しましたが、日本だけは対応が遅れ、200人以上の日本人が取り残されてしまったそうです。その時、すぐに2機の飛行機を派遣し、残された日本人を救出して送り返してくれたのがトルコでした。それは、95年前の日本人に対する恩返しだったのです。
『ひとつ拾えばひとつだけきれいになる』(亀井民治編)という本の中で鍵山さんは「人は古来、今のことよりあとのこと、自分のことより子孫のことを気遣って生きてきました。先人のこうした尊い訓えを授かっていながら、私たちは後世に大きなツケを回すような生き方をしているのではないでしょうか」と警鐘を鳴らしています。
 相田みつをさんの詩に「自分の番 いのちのバトン」というのがあります。今、私達が先祖から受け継いだいのちのバトンを誇りを持って次の世代に渡したいものですね。
135話 3人の天使
 毎年10月に埼玉県武蔵嵐山で『志帥塾』という勉強会が開かれています。そこで念願の柴田久美子さんとお会いし、お話を聴くことができました。柴田さんは島根県隠岐の知夫里島(ちぶりじま)という小さな島で認知症や寝たきりのお年寄りを世話する「看とりの家・なごみの里」を運営。
マザーテレサの「たとえ、人生の99パーセントが不幸であったとしても、最期の1パーセントのときが幸せなら、その人の人生は美しいものに変わるであろう」という言葉に共鳴した柴田さんはお年寄りを「幸齢者」と呼び、「この島で生きたい、この島で逝きたい」と願う幸齢者の切なる希望を叶えています。
 仏教聖典に3人の天使というお話があるそうです。
閻魔大王が罪人に尋ねます。
「お前は人間世界にいたとき、3人の天使に会わなかったか?」
「閻魔様、私はそのような者には誰とも会っていません」
「それでは、お前は年老いて腰を曲げて歩く人や病気でやつれた人や死んでゆく人を見なかったというのか?」
「閻魔様、そういう者ならたくさん見てまいりました」
「お前は警(いまし)めをを告げる天使たちに会いながら善をなすことを怠ったからこうなったのだ」と閻魔様が諭したというお話です。
 柴田さんは著書『抱きしめておくりたい』(西日本新聞社)の中で「人間の終末期ほど尊い時はありません。その時に添わせていただくことこそ私たちの魂を清め高めます。すべての人がその最期、いい人生だと思えるように、愛する人の腕の中で逝けるように祈りながら、これからも活動を続けていく。「ありがとう」の言葉の中で送り、送られるように…」と書いています。
 一日あたり2・5時間分の介護報酬で24時間、お年寄りのお世話をする「なごみの里」には全国からボランティアの人たちが集っています。

136話 おもてなしの心
松戸市の柳クリニックの院長夫人で広報紙「やなくり通信」を発行している柳靖子さんが「おもてなしのこころ・レセプショニスト」という本を出版され、一冊贈って頂きました。
 開院して7年、柳クリニックでは「花嫁養成所」とあだ名されるほど素敵に成長した受付さんたちが巣立っているそうです。
「おもてなしのこころ」には48の心に響くお話が載っています。たとえば…
  瞳の中に
小さな子どもと話をするとき、自然と同じ目の高さになるように、かがんだり、座ったりするものですが、特にお年寄りの患者さんには努めてそうして下さい。
忙しいときほどひと呼吸おいて膝をおりましょう。
患者さんの瞳の中に自分が映っているか確認できたらいいですね。
命の重さは皆だれでも平等ではありますが、時の重さは年の数に比例します。
お年寄りの方々には特に敬意を持って丁重に接してください。

  ひざをつくこと
 お掃除で膝をつくことに慣れていると日常生活の中で膝を折ることに抵抗を感じなくなります。膝をついてお掃除をすると小さな汚れやシミやゴミもよく確認ができます。日本には「ひざまづく」という美しい言葉があります。マザーテレサの祈りの姿が浮かびます。膝をついて診療室の床を一所懸命ぞうきんをかけている受付さんの後ろ姿に同じ心を感じます。
 柳クリニックの待合室では、お茶とおしぼりが出され、季節の花とアロマの香りで患者さんをお迎えします。診察室のドアが開けられると先生がわざわざ立って「こんにちは」と笑顔で迎えてくれるそうです。

 柳靖子さんの澄んだ笑顔はまさに「和顔施」そのもの。柳さんに会いたくて予約時間より早く行く患者さんの気持ちがわかります。

137話 いっしょにいる幸せ
熊本県で農業を営んでいた大野勝彦さんは45歳の時に農業機械で両手を切断。以来、義手で感動的な詩や絵を描き、阿蘇山の麓に美術館もつくりました。
 大野さんの最新の詩画集『夢は叶うもの・思い強ければ』の中には素敵なお話がたくさん載っています。

 大阪の百貨店で大野さんの個展が開かれた時、ひとりの娘さんが大野さんのフクロウの絵を買いたくてやって来ました。その絵には「いっしょにいる幸せ、何度あなたに勇気づけられたことか」という言葉が添えられていました。娘さんは2日後に結婚することになっていて、「この絵を見た時、ここまで育ててくれた両親にありがとうをこめて贈りたい」と思ったそうです。彼女の真剣な瞳を見ながら、大野さんはご自分の娘さんの結婚式の前夜のことを思い出しました。「私の前に正座をして『お父さん、24年間、大切に育てていただいてありがとうございました』と泣き崩れ、『俺もお前のお蔭で楽しかったぞ』と、心の中でつぶやき、胸がいっぱいになった。あの一言は私の生きている限り忘れないだろう。その時の娘の姿と彼女が重なって見えた」と本に書いています。しかし、残念ながらその絵は売約済みになっていました。「そうですか、だめですか」という寂しそうな彼女の声を聞いた大野さんは「この絵は何としても、彼女の思いと一緒に両親に届けたい。それが私の役割だ」と思ったそうです。その夜、ホテルの一室で大野さんは彼女の両親のことを思い浮かべながら、気持ちをこめて同じ絵を描きました。「絵には思いがあり、願いがあり、ドラマがある」と語る大野さん。翌朝「ありがとうございます」と深々と頭を下げた彼女の手を握った大野さんは「夢は叶うもの」を彼女に証明してあげたのでした。

大野さんの本は足利屋にも置いてあります。(3500円)
138話 「感動する心」が明るい社会を造る
「社会の安全と日本人の倫理をいかに考えるか」という懸賞論文の最優秀賞に香川県高松南署の警察官・國方卓さんが選ばれました。國方さんは刑事課強行犯係長で剣道4段。香川掃除に学ぶ会のトイレ掃除の熱心な実践者でもあります。「感動する心が明るい社会を造る」という論文の中で、國方さんが担当した青年のことが書かれています。
「20歳代前半で心がすさんだその青年は、背中には刺青(いれずみ)があり、執行猶予中の身だった。親身になってくれる彼女に暴力を振るうこともあって、彼女に被害の申告を勧めても『私が見放すと彼は立ち直れない』と拒否された。彼は幼少の頃、両親と別れ、祖母に育てられた。…」
そんな彼に、國方さんは真正面から向き合い、『あとからくる君たちに伝えたいこと』(致知出版社)という本を薦めました。本の著者・鍵山秀三郎さんは潟Cエローハットの創業者で、掃除を通して日本を美しくする運動の提唱者。本の内容は、どうしたら自分の人生がよくなるか、あとに生まれてくる人のために何ができるかを考えるもの。人からありがとうと言われる生き方、強い心とは我慢できる心、関心・感動・感謝の「三感王」になろう、という内容の本を彼はじっくりと読み、ポツリと「この本に書いてあること、何一つおれにはできていない」と涙を浮かべたそうです。それからの彼はすっかり変わり、刑事さん達に挨拶をするようになり、面会に来た彼女や祖母にも「ごめんなさい」と「ありがとう」の言葉を伝え、更生の道を歩み始めました。
 この話を聞いた鍵山さんは「感動しました。本当に感動させられました」という書き出しで、心温まる彼への激励の手紙を書き、彼と彼女からの手紙を読んだ鍵山さんは「これまで読んだどんな手紙よりも心がこもっており、涙が止まらなくなった」そうです。
 今、鍵山さんの真摯な生き方を学ぶ人が増えています。
139話 自分が動けば世界が変わる
 最近、荒川祐二さんという上智大学の学生さんとメール交換をしています。  
荒川さんは去年から毎朝6時に東京新宿駅東口広場の掃除を続け、NHKのテレビでも紹介されました。
荒川さんは「自分が動けば世界が変わる」という言葉に感動し、「俺にも何かできないか」と考えた結果、日本一汚い新宿駅東口広場の掃除を始めました。背中に「一緒に掃除してくれる人募集」とマジックで書いた看板を背負い、一人で黙々と掃除を始めたのです。最初はジロジロ見られたり、せっかく集めた空缶を蹴られたり…。でも、続けるうちに「ご苦労様」と温かい缶コーヒーを指し出してくれる人が現れたり、二人三人と手伝ってくれる若い人も出てきました。番組の最後に皆で楽しそうに掃除をする様子とゴミの消えた東口広場の風景が映し出されて感動しました。
 荒川祐二さんとメール交換をする中で、テレビでは紹介されなかった感動的な秘話も教えてもらいました。
荒川さんが孤独な掃除を始めて2週間ほど経ったころ、ホームレスのおっちゃん〈石浜さん〉がフッと現れて、一緒に掃除をしてくれるようになりました。休みたい時でも、『石浜さんが一人で掃除してる』と思ったら、自然に足が新宿に向いたそうです。二人で掃除をするようになってからは、掃除が楽しくなり、その頃から落ちてるゴミが目に見えて減り、仲間も少しずつ増えて、「やめたい」と思う気持ちが無くなりました。
そんな時、石浜さんは現れた時と同じように、ある日フッと姿を消してしまいました。荒川さんは「あの人は僕の為に神様が姿を変えて現れてくれたんだ」と思っているそうです。一緒の仲間や応援し、支えてくれる人の存在は大きいですね。
 2月9日、大間々駅トイレ掃除500回の応援に来てくださった「日本を美しくする会」の鍵山秀三郎さんはその翌朝、荒川さんの活動を応援するために新宿駅東口のお掃除に参加されたそうです。


140話 心はひろく
 大間々駅トイレ清掃五百回を記念して大間々南小学校で講演会を開きました。日本を美しくする会の鍵山秀三郎さんのお話を聴き、トイレ掃除の実践をした子供達の感想文を読ませて頂き、とても感動しました。

「私が鍵山先生のお話で心に残った言葉は「心は宇宙よりも広い」ということです。…私はその考えでトイレ掃除をしました。前までは『くさい、面倒くさい、何で私達が…』という気持ちだったけど今は『みんなが喜んでくれるなら…』という気持ちになりました。いつもよりずーっと、ずーっと何倍も心がきれいになった気がします」

「『そんなことやりたくない』私は最初は素手や素足でトイレを掃除するなんて考えられませんでした。でも、実際に私もやってみると最初はやっぱり抵抗はあったけれど掃除をしていくうちにトイレをきれいにしたいという気持ちが強くなって抵抗はほとんどなくなりました。掃除が終わると、とてもスッキリした気分になりました。」

「…これからは、どんなことでも面倒くさがらず、きちんとやっていきたいです。そして、お母さんやおばあちゃん達に感謝して、苦労をかけないように、たのまれたことはすぐにやって、表だけでなく内面もきれいにしていきたいと私は、鍵山先生の話を聞いて本当に思いました。」

「ぼくは鍵山先生の話を聞いて、トイレ掃除に対する思いが変わったような気がしました。『トイレ』、その言葉を聞くだけでイヤな感じがしました。けれど、今のぼくには、トイレは心をみがく場所になりました。…」

 高崎市立片岡中学校の新井国彦先生や伊勢崎市立北小学校の桃井里美先生も大間々駅のトイレ掃除の話を授業で取り上げました。送られてきた感想文を読むと、トイレ磨きは心磨きであり、気づきや謙虚さ、感謝や感動の心を育むことを改めて感じました。