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「小耳にはさんだいい話」へ


111号〜120号


111号 与える喜び
  先日、桐生の明治館で『OKバジ写真展』が開催されました。OKバジとは十年前からネパールの山奥の村に住み、貧困や病気と闘っている人たちへの支援活動を続けている日本人・垣見一雅さんのニックネームです。バジとはネパール語で「おじいさん」という意味。困っている人たちにOK、OKと言って支援をしていたのでそう呼ばれるようになったのだそうです。  
 垣見さんは一九九〇年、ネパールの高峰アンナプルナで雪崩に遭遇しました。奇跡的に助かったものの垣見さんのザックを担いでくれていたポーターは遭難してしまいました。ネパールに借りができたと思った垣見さんは一九九三年から単身でネパールの寒村ドリマラ村に住み、支援活動を始めました。垣見さんは息子さんへの手紙の中で「毎日の米の心配をしなくてはならないような人たちが、どうしてこんなに人のことを考えられるのか、どうしてこんなに明るく、温かくいられるのか不思議です。『人間にとって本当に必要なものは何なのか』を村人たちから教えてもらえそうな気がします。」と書いています。垣見さんが大怪我をして入院した時、七十歳になる村長さんが杖をつき七時間も歩いて病院にお見舞いに来てくれたこともあったそうです。「今まで人にあげることは自分の分が減ることと思っていました。だから取ることが自分の分を増やすことと信じていました。今この村に住むようになって、与えることが得ることという一見矛盾して見えるルールが何となく分ってきたような気がします。どんな小さなことでも、いいと思ったことをまず自分から始めてみたらどうでしょう」とOKバジは提案しています。
 OKバジの写真展では大間々のアマチュア写真家・大澤和子さんがネパールで撮った写真がたくさん出品されていました。ネパールの人たちに囲まれたOKバジの笑顔を見ていると物の豊かさが幸せの尺度ではないことを教えられます。
(OKバジを支援する会についてのお問合せは会長・富沢繁司さんまで0277-53-7030)
112号 察する心
十一月十九日、PHP文庫から『それでいいんだよ』という本が出版されました。著者は尊敬する金平敬之助さん。「心と心を合わせる108の話」という副題通り、心温まる話がたくさん紹介されています。

 今春、新社会人になった女性一三八名に金平さんが『察する心』というテーマでお話になったそうです。
『今までは、どちらかといえば、みなさんは「周りから察してもらう人生」だったでしょう。それを、これからは「周りを察する人生」に変えなくてはいけないと思います。今日はひとつ提案をします。共感できたら実行してみて下さい。提案はお祖母さんにはがきを書くことです。お祖母さんの今の気持ちを察してみて下さい。きっとこうでしょう。「孫が就職した。元気に勤めているだろうか。どんな仕事をするのだろうか。友達はもうできただろうか…」このお祖母さんを安心させるはがきを出してみて下さい。それが、みなさんの「察する心」を育てることにもなるからです。はがきの一例です。こんな内容でいいでしょう。「おばあちゃん、お元気ですか。○○課に配属になりました。隣席にお姉さんみたいな先輩がいます。やさしい方です。失敗してもすぐ助けてもらえそうです。仕事は営業です。毎日いろんな人に会えます。とてもたのしみです。わがままとも卒業できそうです。こんど会うときは大人になっています。びっくりしないでくださいね。おじいちゃんにも会いたいです。では、またね」…。』

 金平さんは「察する心」の達人です。先日、金平さんから頂いた手紙の最後には「従業員の皆さんにもよろしく」ではなく「従業員の○○さん、○○さんにもよろしく」と、一人一人の名前が書かれていました。名前を覚えてもらった従業員はもちろん金平さんの大ファン。金平さんからはいつも「察する心」を学ばせていただいています。

113号 店はお客様のためにある
十月二十三日に発生した新潟県中越地震は避難者十万人、被害総額三兆円を超える大災害となりました。
 新潟県十日町市でファミリー向けレストランを経営する松村ひろみさんのお店も大きな被害に遭いました。松村さんは商業界ゼミナールで『店はお客様のためにある』という商いの心を一緒に学び、実践している素敵な女性です。
 地震発生直後、商業界社長の結城義晴さんはホームページを通して被災地の商業者に緊急のお見舞いとメッセージを送りました。『たとえ地震に襲われようとも…元気を売ろうよ…それがあなたの仕事です』という言葉に松村さんはとても励まされたと言います。
「食器は八割破損して正面の強化ガラスもこっぱみじん。足の踏み場もないほどの厨房に翌日スタッフが続々駆けつけてくれて本当に胸が熱くなりました。物は大損害でしたが家族、従業員、お客様の命はお金では買えません。それが無事であったことだけで幸せです」と。
 復旧オープンを待つお客様から「避難所暮らしで心が塞ぐばかり。あなたのお店に行って癒されたい」という電話に松村さんは「おばあちゃん、水が来たらその日から開店できるように今、準備をしているから、待ってて下さい。必ず、その日に開けますからね」と約束をしました。
 水道が通った日、ブルーシートをかけた外観でオガワヤさんは復旧オープンしました。開店後、五歳くらいの男の子がお店の入口で「おかあさ〜ん、オガワヤやってるよ!早く!早く入ろうよ!」という声が聞こえました。松村さんは涙をボロボロ流してその子を抱きしめました。そして、その日一日、お客様が入られるたびに泣いてしまったそうです。
 人間はどんなに苦しく厳しい状況に置かれても、感謝の言葉を口にすることにより心に明るさを取り戻し、困難を乗り越えるエネルギーが与えられます。次の商業界の勉強会で素敵な笑顔の松村さんとお会いするのが楽しみです。
114号 天国への橋
 数年前からご縁を頂いている作家のハイブロー武蔵さんから、ご自身の新刊『天国への橋』(総合法令・一二六〇円・二月八日発売)という本を頂きました。表紙の帯には『全てのペット愛好家そして動物好きの人たちへ。失ってしまっても、なお決して忘れられない愛するものたち。彼らは、天国へ渡る橋のふもとで、あなたを待っている…』と書かれています。
 この世から天国へ渡る橋は、その色から『虹の橋』と呼ばれています。この世で人間と仲よく暮らしていた動物は死ぬと必ず、この橋にたどりつきます。この世で病気で苦しんだ動物も年老いた動物も、この橋に来ると全てはよくなってしまいます。しかし、一つだけ心の中に、小さなしこりがありました。それはそれぞれにとっての特別に大切な人がいないことでした。後に残してきた大切な人がいないのが淋しくてしかたがないのです。しかし、いつかその動物が遠くを見つめる日がやってきます。輝いている目が一点に集中し、体は喜びと興奮のあまり震え始めます。あなたを見つけたのです。彼は、まるで空をかけるように緑の草原を走ります。速く、速く、さらに速く。ついに彼は、特別に大切だったあなたと、ここで出会えるのです。もう二度と別れることはありません。それから、あなたたちは天国への橋をいっしょに渡っていくのです。
 この本の中では、この世で一度も愛されなかった動物やこの世で誰にも愛されなかった人も天国への橋のたもとで、この世で愛し合い大切にし合うはずだった人と出会うことができる、と書かれています。この世での「最高の報酬」は大切な家族、素敵な友人、そして愛しいペットや生き物たちの存在です。
人の本質は愛であり魂であることをこの物語は私達にやさしく教えてくれています。
 ハイブロー武蔵さんから頂いた手紙には「天国への橋はまさに虹の架橋でもありますね」と書かれていました。
115号 手が二本あるのは
 四国の南海放送ラジオで毎週日曜日に放送されている『くめさんの空』という人気番組の録音テープを毎月送ってもらっています。
くめさんこと小倉くめさんは脊柱側弯症という障害を持って生まれてきた第一種二級の身体障害者ですが、テープから流れる「くめさん」の四国久万弁の声は明るくてユーモアたっぷり。話す言葉の一つ一つに力強さと説得力があり、大ファンになってしまいました。先日届いたテープに「手が二本あるのは」という、くめさんの詩が紹介されていてとても感動しました。

 手が二本あるのは
一本の手で炊事をして、着替えをして、赤ちゃんを育てている人がいるのに、手が二本あるのは何のためですか。一本の足で歩いたり、跳んだり、車に乗ったりしている人がいるのに、足が二本あるのは何のためですか。ひとつの目で見て、ひとつの耳で聞いて、それでもちゃんと生活している人がいるのに、目も耳も二つずつついているのは何のためですか。…手が二本あり、足が二本あり、目も耳も二つずつついているのは、もうひとりの誰かのお手伝いをするためです。手が一本しかない人や両手がない人、足が不自由な人や目が見えない人、耳が聞こえない人などのお手伝いをするために手も足も目も耳も、神様はひとつずつおまけして下さったんです。一本の手は一本分の仕事しかできなくても、二本の手は二本分以上の仕事ができます。四本になればもっとたくさんの仕事ができます。人間同士が本気で助け合えばみんなが幸せに生きられて、どんなことでも解決できるように、神様は二本の手と二本の足と二つずつの目と耳を与えてくださったんです。

 くめさんが二十年以上発行し続けている「秘めだるま」という雑誌に「辛」という字に一本足すと「幸」という字になる、と書いてありました。もうひとりの誰かのお手伝いをするための一本がみんなが「幸」になるための一本なのかも知れませんね。

116号 トイレ磨きは心磨き
 先日、大間々南小学校で卒業記念トイレ清掃が行われました。六年生53名と郷土を美しくする会の仲間8名が一緒になって校内8ヶ所のトイレで「1人1便器」を磨き上げました。真剣に便器を磨く子供たちの姿に感動し、後日いただいた感想文を読んでいっそう感心してしまいました。
『私は今までトイレ掃除は手ぶくろをつけても少しいやでした。素手でやると聞いた時は本当におどろきました。少しいやでしたがやってみると無心になり全然大丈夫でした。汚い茶色い水が出てくると、においはなくなってこすりやすくなり、どんどんこすって落としました。白くつるつるになった時は本当にうれしかったです。私はこの体験をして、一番見えないかくれている所をよく掃除しなければいけないと思いました。あと学んだことは、汚いところを掃除したあとの、とてもすがすかしいさわやかな気持ちです。本当に心がよく磨けるのだと思いました。これからも私はこんなボランティアをして、人のためになりたいと思います』  
                                            板橋幸音さん

『最初は1時間も便器を磨くなんてイヤで顔が暗くなってしまいました。床に手をつけるのもイヤで便器の中に手を入れるのもイヤでした。でも掃除をやっているうちに何だかキレイにすると気持ち良くなってきました。あっという間に1時間過ぎてしまって「まだみがきたいのに」と思う位掃除が楽しくなっていました。それに皆の顔も笑顔でした。自分達が一生懸命キレイにしたトイレなので、皆に気持ちよく使ってもらえると嬉しいです。』
                                           大沢萌子さん

 6年生の児童達は翌週、自主的に体育館の便器も磨いたそうです。3月24日、その体育館で卒業式が行われました。トイレ清掃のご褒美としてイエローハットの鍵山秀三郎さんからプレゼントされた3個のサッカーボールは卒業生から在校生に贈られました。心を磨いた卒業生の顔がキラキラと輝いていました。
117号 渡良瀬川
 先日、待望の新富弘美術館がオープンしました。それを記念して『山の向こうの美術館』という本が出版されました。(偕成社・1680円) その中には星野富弘さんの少年時代の詩や絵をはじめ、中学校の体育教師になってすぐに頚髄損傷のため首から下の自由を失ってしまった入院生活の様子が綴られています。渡良瀬川や足尾線など、身近な地域の話題の中に示唆に富んだ感動的な内容がたくさん載っています。その中でも「渡良瀬川」と題するエッセイではとても大切なことを教えられました。
 富弘さんが子供の頃、ガキ大将たちに連れられて、渡良瀬川に泳ぎに行きました。やっと犬かきができるようになったばかりの時に、どうしたはずみか、速い流れに流されてしまいました。必死に手足をバタつかせ、元の所に戻ろうとしましたが何杯も水を飲んでしまったそうです。そしてその時、水に流されて死んだ子供の話が頭の中をかすめました。しかし同時に頭の中にひらめいたものがありました。

『…「そうだ、何もあそこに戻らなくてもいいんじゃないか」私は体の向きを百八十度変え、今度は下流に向かって泳ぎはじめた。するとあんなに速かった流れも、私をのみこむ程高かった波も静まり、毎日眺めている渡良瀬川に戻ってしまったのである。

 怪我をして全く動けないままに将来のこと、過ぎた日のことを思い、悩んでいた時、ふと、激流に流されながら、元いた岸に泳ぎつこうともがいている自分の姿を見たような気がした。そして思った。「何もあそこに戻らなくてもいいんじゃないか…流されている私に、今できる一番よいことをすればいいんだ」その頃から、私を支配していた闘病という意識が少しずつ薄れていったように思っている。歩けない足と動かない手と向き合って一日一日を送るのではなく、むしろ動かない体から教えられながら生活しようという気持ちになったのである。』

118号 生きる希望
 90歳を越えた今も現役で活躍する聖路加国際病院理事長の日野原重明先生の『生きかた上手』(ユーリーグ鰍P,260円)という本を読んで、とても感銘を受けました。
 日野原先生は「死に近い人にこそ、生きる希望が必要」と、ホスピスでの回診に心を砕いています。平塚市郊外にあるホスピスではいつもひとシーズン先の京都の絵が飾られています。
『病気の進行から見れば、患者さんが秋の紅葉を見るのは無理かもしれない。けれども、患者さんの心の中には今までに過ごしたさまざまな秋があります。紅葉の絵を見て、患者さんに「あの秋をもう一度」と待ち望む気持ちが湧いたらなら、その気持ちが今日一日を生きようという希望につながるかもしれません。人は最後の瞬間まで、生きる希望に支えられるべきなのです。』と書いています。そして、母親に生きる希望を与えた娘さんのお話を読んでとても感動しました。
『深刻なガンで入院していた母親の病室を、大きなバッグをかかえて娘さんが見舞いに来ました。婦長さんはその様子を見るやピンと来たようですが、とがめもせず、気づかないふりをしました。バッグの中身は、持ち込み禁止の「犬」だったのです。入院以来、可愛がっていたペットにふれることもできない母親に、せめて一晩だけでもペットを抱かせてあげたいと、娘さんは思いついたわけです。無論、犬が吠えればそれまで。決死の覚悟の見舞いだったことでしょう。しかし、まちがいなく、死に瀕して絶望していたお母さんの心に希望を与えたはずです。そんな娘をもったことを母親はどんなにうれしく思ったことでしょう。』

『人生いかに生くべきか。 そんな難しいこと分りません。ただ大切な人の喜びそうなこと考えて毎日暮らしています』という熊本の義手の詩画家・大野勝彦さんの言葉をフッと思い出しました。


119号 OKバジ
 12年前からネパールの寒村ドリマラ村に住み、単身で民間支援活動を続けている「OKバジ」こと、垣見一雅さんが日本の支援者への報告や講演活動のために一時帰国しています。
 先日、桐生市の富澤繁司さんが会長を務める「オーケーバジ支援の会」での活動報告会の翌日、垣見さんと食事をしなから興味深い話を聞かせて頂きました。
 ネパールの村人たちの願いをOK、OK、と聞き入れてくれるおじちゃんという意味で「OKバジ」と呼ばれている垣見さんは精悍な顔にやさしい眼差し。愛情に溢れた話にすっかり引き込まれてしまいました。
『人形が大好きでたくさんの人形を持っている少女に「あなたが一番大切にしている人形は?」と聞くと、その少女は、髪の毛が抜け落ち、片目がなく、手も片方がとれたボロ人形を出してきました。そして「私がこの人形を大事にしてあげないと誰も大事にしてくれないから」と答えました。垣見さんが支援しているのは「ボロ人形村」と呼べるような村ばかり。ネパールの貧困は村によっても格差があり、「パソコンが欲しい」という要望から「朝晩4往復の水汲みの重労働から女性を解放したい」といった切実な訴えまでさまざま。「リクエスト(要求)でなく、クライ(叫び)を受けとめたい」という垣見さんのひと言が印象的でした。
垣見さんの著書『OKバジ』にこんな話が載っています。
『森が火事になった。これを見た小さな一羽の鳥が、池に飛び込んでは自分の羽を濡らし、火が燃えている森の上にいって、羽をバタバタと羽ばたかせては数滴の水を落とす。私の行為もこの小鳥の一滴のような気がする時もあった。しかし、この小鳥の姿をみて、日本の、そして村々の大きな力のある鳥たちもまた池に飛び込み、大きな羽で水を運び始めてくれるようになった。(中略)どんな小さなことでもいい。いいと思ったことをまず自分から始めてみたらどうだろう』


120号 感動作文
 第18回感動作文コンクールで全国14,685編の中から桐生市立菱小学校の伊藤有香さんの作文が見事優秀賞に選ばれましたのでご紹介いたします。
 大野勝彦さんに出会って 
 大野さんの両腕は、ひじの所からありません。義手をつけています。その義手に筆をはさんで絵や詩を書きます。私は大野さんの書いた「そばにいた青い鳥」という本を読んで涙が止りませんでした。この本を読んで書いた私の感想文が、大野さんに届きました。そして、6月17日に大野さんが熊本からサンレイク草木に来るというので、私は会いに行くことが出来ました。心臓はドキドキして、目がうるうるしてしまいました。初めて会った大野さんは、「似顔絵を描いてあげようね。」と言って私を描いてくれました。義手に筆をはさむと指のように義手が動きました。絵はあっという間に出来ました。最後に「有香ちゃんのやさしさがみんなに伝わってうれしいネ」と書いてくれました。帰る時、私が何も言えないでいたら、お母さんが「握手してもらったら」と言ってくれたので、大野さんは「いいよ、いいよ」と言って義手をはずしてくれました。ひじのところで丸くなった大野さんの手を見たとき、胸が熱くなりました。そっと触ってみたら、あったかくて、やわらかくて赤ちゃんの手みたいでした。また、少し涙が出そうになりました。
 私は生まれてから10年間、あたりまえに手を使って生活しています。5年生になって、家庭科の授業で針に糸を通したり、玉結びもできるようになりました。大野さんに出会ってそれがどんなに大切な事か知りました。大野さんと握手した私の両手は、ずっと大野さんの手を忘れません。大野さんに描いてもらった絵は、私の机に飾りました。本と一緒に大切にします。最後に、私が大野さんに会えたのは、本をくれた森山さん、感想文を送ってくれた松崎さんのお蔭です。本当にありがとうございました。そして大野さん、感動をありがとう。