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靖ちゃん日記へ


令和6年1月〜12月


令和六年四月十七日(水)
 渥美清の『男はつらいよ』を第一作から第五十作の『お帰り寅さん』までネットで全部観終った。第一作の寅さんは55年前だった。
今、観直してみると昭和の時代がいかにいい時代だったかを改めて感じた。今なら「セクハラ」「パワハラ」「不適切にもほどがある」と言われそうな言葉や行動が飛び交っているがその言動の中に親しみや温かみがあり笑って許せる大らかな時代でもあった。 
 寅さんは失恋するたびに旅先から「拝啓 思い起こせば恥ずかしきことの数々、今はだた後悔と反省の日々を過ごしております」と絵葉書を書いていた。
二十五年間、寅さんを演じた渥美清さんは実生活でも旅先から毎日、お母さんに『俺元気』と葉書を書いていたという。 
 そんな優しくてシャイな渥美清さんとコンビを組んで失恋ネタの漫才をやってみたかった。コンビ名は「やすし・きよし」

令和六年三月五日(火)
今回が三十回目のジョイ会に参加した。中国人の女医(ジョイ)徐桂琴先生とワシントン大学の故若林茂先生を中心に御殿場の『時之栖』で数人で始めた勉強会だったが今回は二十三人が集まった。
徐先生は『嬉しい』と中国語の『我来喜』(ウォーライシー)は似た発音。いつも嬉しいと言っていると身心も健康になります」と教えてくれた。人生をエンジョイしているジョイ会の仲間は皆、嬉しそうな顔をしている。『時之栖』の庄司社長が「やっちゃん日記の下ネタを読むと嬉しくなる」と言っていた。熊本の大野さんも「やっちゃん日記のけがれない下ネタは国宝級」と褒めてくれた。徐先生は「今はマスクをするため炭酸ガスが肋骨の下にたまってイライラする人が多い。白いネギを煮込んで食べると効く」と言っていた。
ネギといえば下仁田ネギ。下仁田も下ネタも体によく効く.
 
 令和六年二月十八日(日)
全国芝居小屋会議に参加。会場の熊本県山鹿市に全国から芝居小屋関係者が集まり、会議や交流会で旧知の仲間と楽しいひと時を過ごした。
 旅先での楽しみのひとつは朝のウォーキング。昨日の八千代座周辺の賑わいがウソのように朝の街は静寂に包まれ、ゴミも落ちていなかった。
朝六時、歩いて十分の「さくら湯」へ行った。四百年近い歴史があり、道後温泉と同じ雰囲気の九州最大の木造の銭湯は天井が高く、男湯と女湯の仕切りも古風だった。毎朝来ているというのおじいさんたちと話が弾んだ。「昔は風呂が五円で、近くに赤線?もあったばい。あの頃は男湯と女湯の湯舟の間に人がくぐれるくらいの穴が開いてたばい」と言って笑っていた。朝から色っぽい昔話を聞いてエッチな想像をしてしまった。穴があったら入りたいと思った。昔の共同浴場は男たちの大衆欲情だったのかもしれない。

令和六年一月十六日(火) 雪
 訪日外国人観光客をみどり市に受け入れる資料を作るため、台湾やインドネシアから来た六人を連れて、外国人が好みそうな所を案内した。あいにくの天候だったが雪景色の高津戸峡や神明宮は最高だった。創業二三七年の岡商店の醤油蔵では、明治の大火の際に醤油で火を消し、町の半分を救った話をして大間々は三方良し町だと伝えた。白壁の土蔵が立ち並ぶ蔵人・新宇は是非見せたかったので店休日だったが店主の新井規夫さんに頼んで開けてもらった。土蔵を民泊施設に改装した内部の和の雰囲気に皆感動していた。薪ストーブのある六角堂で規夫さんの説明を聞いた。
歴史を未来に繋げようとする熱い思いに男のロマンを感じた。「男のロマンは女のフマン」だという。女のフマンは男がガマン
「逆らわず、ニッコリ笑って従わず」。これが女房に捨てられない男の生きる道だ。