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靖ちゃん日記へ


平成27年1月〜12月


  12月19日(土)
『銀河渓谷鐵道イルミネーションコンサート』に参加した。わたらせ渓谷鐵道大間々駅発17時50分の「トロッコわっしー号」は満席で出発。全てのボックス席にはサンドイッチとオードブルが用意され、ワインやビール、ソフトドリンクも飲み放題。相席になったKさんとTさんも虹の架橋の読者と聞いて嬉しくなった。水沼駅に着く頃にはお酒も入り話も弾んだ。カオリンのシャンソンや同い年の岡ちゃんのシンセサイザーの演奏で車内が盛り上った。
 停車する各駅には地元の人たちが作ったイルミネーションが暗闇の中に点滅し「銀河鉄道の夜」のジョバンニになった気分だった。
 終点の間藤駅で折返し。外の気温は1度。イルミネーションをバックに写真を撮った。 
 線路の滑り止めの砂が入ったわ鐵のお守りが受験生に好評だという。酔って口を滑らせないように1つ買った。手が滑って箸を落とし、落した箸に足を滑らせた。砂を噛む思いだった。気分を変えてまた飲んだ。帰りは更に盛り上った。口を滑らせたかどうか覚えていない。

    11月22日(日)
 みどり市PTA連合会10周年記念式典に招かれた。オープニングは笠懸幼稚園児の合唱と大間々北小学校の児童によるマーチング演奏。近所の北小の子供たちがパルの大舞台で演奏する姿を見て嬉しくなった。
式典での主催者挨拶や市P連会長の挨拶も子供達への思いが込められていて素晴らしかった。そして、市P連10周年のために星野富弘さんが書いた「苦しい時の一歩は心細いけれど、その一歩のところに新しい世界が広がっている」という言葉が紹介された。この言葉に励まされて一歩を踏み出す子供達の姿が目に浮かんだ。
式典の後、沢田知可子コンサートを最前列で聴いた。『ふるさと』を皆で大声で歌った。沢田知可子さんと目と目が合った。目がハートになった。ピアノ伴奏をしたご主人の小野澤篤さんと今月、結婚20周年を迎えたという。我家も今月13日が第36回結婚記念日だった。
 なぞかけが思い浮かんだ。結婚記念日とかけてオリンピック選手ととく。
そのこころは、「金を目指すには感謝、体力、忍耐力が必要です」
   10月20日(火)晴れ
さくらもーるテナント会のバス旅行でディズニー・シ―へ行った。専門店の従業員とその家族ら31人が参加。相変わらず混み合っていた。
アスクの従業員と一緒に4人でお昼を食べ、午後は1人で上野の「モネ展」を観に行った。こっちも混んでいた。代表作「印象・日の出」の展示が18日で終っていたのが残念だが見ごたえある展覧会だった。夕方に戻って皆と合流。ストームライダーに乗り、ブロードウエイミュージックシアターも楽しんだ。   
 子どもの頃、ウォルトディズニーが未来の国、おとぎの国、冒険の国、開拓の国を紹介する番組が楽しみだった。ミッキーマウスが誕生して87年になるという。あの時から嫌われ者のネズミが世界一の人気者になった。
若いカップルが大きい耳のミッキーの帽子をかぶり家族連れが揃いのミッキーのシャツを着ていた。帽子やシャツは恥かしいのでミッキーマウスの柄のパンツをはいて行った。人には見られないが自己満足した。ミッキーマウスの柄は大きくも小さくもなく「チュウ」位だった。
 
9月23日(水)
 ネパール人のコニカさんが訪ねてきてくれた。6年前にネパールへ行った時、ホテルもないタフーンという小さな町でたまたま民泊をさせてもらった家の娘さん。お父さんは学校の先生、お母さんは小さな洋品屋さんを切り盛りしていた。親切で温かい家庭だった。以来、何度か文通を続けていた。彼女は今22歳。東京の大学で日本語を学んでいる。最初は全く言葉がわからず苦労をしたようだったが9カ月たった今はすっかり日本語をマスターしていた。朝はコンビニで働き、昼は学校へ通い、夜はお弁当屋でアルバイトをしているという。寝ずに働く日もあるが学校は1度も休んでないと楽しそうに話してくれた。
 デニーズで二人でお昼を食べた。「ヤッチャンサンニアッタトキ、ワタシノオトウサンニアッタヨウナキガシマシタ」と言われて嬉しかった。天使のような笑顔が素敵だった。周囲の人たちがジロジロこちらを見ていた。何も知らない天使のような若い女性をだまそうとしている「ぺ天使」に見えたのかもしれない。


  8月15日(土)
 夜、愛妻と2人で草木湖まつりへ行った。草木湖まつりは今年で38回目。昭和52年完成の草木ダム建設に伴い、周辺の230戸が水没してこの地を離れた。草木湖まつりの歴史は故郷を離れた人たちと残った人たちとの絆の歴史でもある。完成前に神戸ダムを草木ダムに名称を変えたのも草木の名前を残そうという地元住民の強い要望があったからだという。
 夜7時から野外ステージで『ポァゾン』が出演するというので6時20分に家を出た。10分前に会場前に着いたが駐車場に入れず、スピーカーから流れる歌をイライラしながら聴いた。ようやく会場に着いた時には最後の曲になっていた。バケツをひっくり返したような大雨になり、商工会のテントに入れてもらった。商工会女性部のカレーが売切れていて残念だったがおにぎりもうまかった。
 あたりが真暗になり花火がはじまった。ダムの下から見上げる花火は音も反響して迫力満点。なぞかけが浮かんだ。花火とかけて愛妻ととく。そのココロは、見上げる存在。(暗い方がきれいに見える)

 7月25日(土)
 世良田祇園祭を見に行ってきた。世良田祇園祭は沼田、大間々と並ぶ上州3大祇園祭のひとつで450年の伝統がある。近年、途絶えそうになったが、太田市が1億円をかけて8基の屋台を修復、彫刻や装飾も化粧直しして今年50年ぶりにかつての賑わいを復活させた。沼田祇園祭実行委員会のメンバーも来ていて、上州3大祇園祭の更なる発展を願った。
「おぎょん」と呼ばれて親しまれてきた大間々祇園祭は、諏訪の御柱祭と同様に、「ふるまいの祭り」とも言われ、山車や屋台に金をかける代わりに近郷近在から集まる人たちに日ごろの感謝を込めて飲食を振る舞い、祭りを一緒に楽しんできたという歴史がある。
 夜9時過ぎ、4丁目の山車小屋で太鼓の練習を終えた仲間がまだ飲んでいた。一緒に飲みながら祭の話で盛り上がった。明日の朝は5時から祭の提灯を張ることになっている。みんなで準備するのも祭りの楽しみのうち。
なぞかけが浮かんだ。祇園祭とかけて真夜中の便所ととく。そのこころは、伝統(電灯)の光が行く手を照らす。

  6月20日(土)
 21年前からネパールで単身で支援活動を続けているOKバジの歓迎会を新里町の羽広さん宅で開いた。6年前にネパールに一緒に行った大澤さん夫妻、登坂さん、去年ネパールへ一緒に行った山岸さん、高柳さん、千明さんが参加。羽広さんの息子さんが食事の世話をしてくれた。去年、OKバジ・ネパール支援20周年式典で「白鳥の湖」を踊った話で盛り上がった。ステージの上で千明さんと羽広さんがネパール民謡をオカリナで演奏し、大間々の仮装大会で使った白鳥の衣装を着て山岸さんと高柳さんと一緒に年金受給3人組が華麗で加齢なバレエを踊った。それを見た数千人のネパールの村人たちは最初はあっけにとられていたが最後は万雷の拍手がわき、握手を求められた。忘れられない思い出になった。
 羽広さん宅の周りは田んぼでカエルが鳴いていた。庭にはご主人が手作りの大釜の五衛門風呂があった。OKバジと登坂さんと3人で入った。最高の気分。白鳥の湖を思い出し足を上げようとしたら「重り」がブラブラして溺れそうになった。


   5月26日(火)
 足利屋が創業百年を迎えた時に両親と祖父の戸籍謄本を役所で取り、自分で家系図を作ったことがある。
一番古い戸籍は今から200年前の文化12年1月9日生れの「ひいひいばあちゃん」のたきさんだった。先日、足利のひいばあちゃん・戸叶ミヨさんの七十七歳の記念写真を発見。こっちの家系も調べ始めた。「なぜ、うまくいっている会社の経営者はご先祖を大切にするのか」という本を読んだ。「家系図を作ると、事業が発展する」と書いてある。自分の先祖に感謝をし、自分の使命がわかり、人間力が高まるからだという。
 親2人、祖父母が4人、曾祖父母8人の苗字を全部言える人はほとんどいないという。我家の曾祖父母は松ア、小森谷、戸叶、亀山、中野、岡田、熊田…。みんな自分と血がつながっている。つながっていないのは女房だけだった。でも赤い糸でつながっていた。上手に女房の尻に敷かれることが幸福な家系を維持することにつながる。「家庭の幸福は女房への降伏にあり」戦わずして負けてやることを無条件幸福と言う。女房への無条件降伏が家庭円満の鍵になる。

   4月16日(木)
 毎年恒例の大間々街路灯組合の1泊旅行。今年は善光寺と弥彦神社、1度行ってみたいと思っていた高橋まゆみ人形館などを見学。気心の知れた男9人、女11人の和気あいあいの楽しい旅だった。
 7年に1度の「御開帳」の善光寺では回向柱に触れることができた。阿弥陀如来の右手と「善の綱」で結ばれた回向柱に触れると前立本尊に触れたのと同じご利益があるという。本堂の前立本尊までは長蛇の列。ご縁が百倍になるように5百円玉を賽銭箱に入れた。孫のお守も買った。野沢菜お焼きを食べてやけどしそうになった。小布施の竹風堂で栗おこわを食べ、サービスエリアでソフトクリームを食べた。弥彦の旅館で出たあわびの奉書焼きが絶品だった。
行く先々で桜を楽しみ、バスの中でも夜の宴会でも飲んで、食べて、歌って…みんな「御快調」だった。翌朝はトイレでも「御快腸」だった。

  3月8日(日)
4時45分起床。雨。気温3度、半年がかりで準備を進めてきた長澤薬師・春恋祭の本番。神様は春恋祭を雨乞い祭と勘違いして雨を降らせてしまったかと天を仰ぐ。8時前から仲間が集まり、旗を立て、大間々駅に写真を飾り、スタンプラリーの会場を作り、看板を掲げた。10時開会式。石原市長をはじめ6人で枝垂桜の記念植樹。大勢の人が傘をさしてスタンプラリーに出発した。
 日光江戸村の大道芸と大間々出身の吉本芸人・アンカンミンカンのお笑いライブも面白かった。雨は降り続いていたが午後1時頃には焼きまんじゅうも日本一だんごも酒まんじゅうも完売していた。
「春恋祭」というネーミングも好評だった。毎年恒例にして「恋が芽生える長澤薬師」にしていきたいと思った。そこでなぞかけが浮かんだ。「春恋祭」とかけて「雨」ととく。そのこころは「時にはふられることもある」
 2月23日(月)
 「大間々アーカイブス写真集・温故知新」の原稿が出来上った。去年の春から老舗商店の昔の写真を集め始め、一般の人からの貴重な写真提供も含めて200枚以上集まった。去年11月には岡商店の土蔵の大きな白壁に昔の写真を投影し、先日さくらもーるで開催した写真展は3日で1456人が来場、貴重な写真を提供してくれた人もいた。
 写真集は83点を厳選して、明治、大正、昭和、平成に分けて解説をつけた。3月8日の春恋祭スタンプラリーの参加者先着1000人にプレゼントする。
 三方良しの会の会議を何度も開き、レイアウトや色使いもみんなで相談した。美人デザイナーの戸塚佳江さんと文字校正や背景の色を相談し、白黒写真をセピア色変えたり、背景に合わせて色使いを調整したり、今日1日で20回もメールのやり取りを繰返した。「色仕掛け」に一番時間がかかった。
  1月26日(月)
 夜、「三方良し」の会の会議。議題は、3月8日に長澤薬師で開催するイベント内容の検討。メインテーマは「温故知新」。当日は、400年の歴史を持つ長澤薬師の祠前に枝垂れ桜を植える植樹祭、3丁目4丁目の街並みを歩けば景品が当たるスタンプラリー、いきいきセンターや各商店に昔の写真を展示する街角ギャラリー、岡直三郎商店の日本一醤油を使った「日本一団子」や焼きまんじゅうの販売、大間々名物の花パンや写真集なども配布する予定。
 みどり市観光大使の吉本芸人・アンカンミンカンのお笑いや日光江戸村の大道芸人の昔懐かしい「ガマの油の口上」や「南京玉すだれ」も予定している。
 三方良しの会のメンバーは祇園祭の仮装大会の仲間も多い。南京玉すだれも真似してみたいが、仮装大会の時のように股間に金の鈴をつけて、「純金玉すだれ」では品性に欠ける。