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「小耳にはさんだいい話」へ


121号〜130号


121号 かわいそうなぞう
 8月15日、たまたま聴いていたカーラジオから秋山ちえ子さんの声が流れてきました。「かわいそうなぞう」(金の星社・945円)という絵本を朗読していました。そして、その内容にとても感動しました。
「かわいそうなぞう」は60年前の戦争の時に上野動物園にいた3頭の象のお話です。戦争が激しくなり、東京にも毎日、雨のように爆弾が落とされました。もし、動物園に爆弾が落とされ、ライオンやトラや熊が街へ出たら大変なことになります。そこで、動物園では動物達に毒を飲ませて殺したのです。でも、頭のいい象は毒入りの餌を口にしませんでした。象の硬い体には毒入りの注射の針も刺さりません。結局、餌を与えずに餓死するのを待つことになりました。可愛い目をした心の優しい象はだんだん痩せ細って元気がなくなっていきました。でも、象係りの人を見つけた象はぐったりとした体を起こして芸をはじめたのです。後ろ足で立ちあがり、前足を折り曲げ、鼻を高く上げてバンザイをしました。しなびきった体の力をふりしぼって芸当を見せるのでした。芸をすれば昔のように餌がもらえると思ったのです。象係りの人はもう我慢ができなくなりました。餌小屋から餌を持ち出し、水を与え、象の足に抱きすがりました。動物園の人達もみんなこれを見て見ないふりをしました。1日でも長く生きていれば戦争も終って助かるかもしれないと心の中で神様にお願いしていました。しかし、その願いは叶えられず、象たちは鉄の檻にもたれながら痩せこけた鼻を高くのばしてバンザイの芸当をしたまま死んでいってしまいました。

秋山ちえ子さんは毎年毎年、敗戦記念日にこの話をTBS系ラジオで放送しているそうです。「かわいそうなぞう」は戦争の悲惨さ、平和の尊さを誰にもわかるように教えてくれています。永く語り継いで行きたいお話ですね。


122号 今、幸せですか
日本では5年に一度の国勢調査が10月1日に全国一斉に行われます。
 先日、ヒマラヤの秘境ブータンという国の国勢調査の話を聞きました。ブータンは経済的には決して豊かと言えない国ですが、緩やかな成長を続けており、世界一幸せな国という評価もあるそうです。そして、この国の国勢調査では、調査項目の最後に「あなたは今、幸せですか?」@幸せ A少し幸せ B幸せでない、という質問があるそうです。ブータンでは「国にとって大切なのはGNP(Gross National Product:国民総生産量)ではなく、GNH(Gross National Happiness:国民総幸福量)である」、ということを国の基本方針として掲げていると聞いて、とても共感しました。
 人間学を学ぶ「致知」という月刊誌の10月号に作家の故三浦綾子さんの話が紹介されていました。
三浦さんは24歳で突然高熱で倒れ、13年に及ぶ肺結核との闘病生活が始まりました。さらに脊椎カリエスを併発する中で執筆した『氷点』が新聞社の懸賞小説に当選し、作家への道を歩み始めました。しかし、その後も紫斑病、喉頭がん、帯状疱疹、大腸がん、パーキンソン病と次々に難病が三浦さんを襲いました。そんな中でも三浦さんは「神様が何か思し召しがあって私を病気にしたんだと思います。特別に目をかけられ、特別に任務を与えられたと思っています」と笑って答えました。
「九つまで満ち足りていて、十のうち一つだけしか不満がない時でさえ、人間はまずその不満を真っ先に口から出し、文句を言いつづけるものなのだ。自分を顧みてもつくづくそう思う。なぜ私たちは不満を後まわしにし、感謝すべきことを先に言わないのだろう」とも語っていました。
 相田みつをさんの『幸せはいつも自分の心が決める』という言葉を思い出しますね。


123号 力耕吾を欺かず
 先日、広島県福山市で『致知』愛読者の集い、という勉強会がありました。
全国から1200人もの人が集まり心を磨きました。講師の鍵山秀三郎さんは全国にカー用品店を展開する「イエローハット」の創業者。「力耕吾を欺かず」というテーマで心に響くお話をされました。この言葉は中国の陶淵明の詩の中の一説で、辛い苦しい状況に追い込まれても、ベストを尽くせば その努力は必ず報いられる、という意味です。
 鍵山さんは昭和8年、東京生まれ。12歳のときに岐阜県の山奥に疎開をし、両親はそこで農作業をはじめました。炎天下、大きなツルハシを振るって荒れ地を懸命に開墾しているお母さんの姿をみて一瞬「自分が代わってやらないと母は死んでしまう」と思ったそうです。「その日から学校が終ると家に飛んで帰り、親の手伝いをするようになりました。自分が頑張れば、それだけ両親が楽になると思いました」と。また、「田んぼが干上がると、はるか下にある川から肥やし桶に水を汲んで、坂を担ぎ上げて、何回も何回も田んぼに水を流しました。しかし、結局、稲は生気を取り戻すことなく立ち枯れてしまいました。そうなるとわかっていても、やらずにはいられなかったのです。無駄に思えるようなこの経験は、のちに事業をはじめてから生かされたと思います。たとえば、百の努力をして得られた成果が一つしかなくても、私は落胆せずに頑張り続けることができるようになっていたのです。」と話されました。
 
 10年前、鍵山さんの講演を聴いたのがきっかけで、この人の生き方に少しでも近づきたいと思い、足利屋のトイレ掃除をはじめました。
 11月1日、朝8時35分からNHKの生活ホットモーニングという番組で鍵山さんの生き方が紹介されるそうです。殺伐とした現代、鍵山さんのような真摯な生き方が改めて注目を集めています。
124号 プチ紳士・淑女たち
 心の教育を実践する先生方の勉強会「まごころ塾」のメンバーに吉井町立入野中学校の齊藤貴三先生という方がいます。以前、虹の架橋を参考に「ちょっとイイ話」という学級文集を作り、送って頂いたのがきっかけで生徒さん達との文通も生まれました。齊藤先生が発行する学級通信「プレイ」101号に「プチ紳士・淑女たち」という素敵な話が載っていました。
「ある日の午後。給食がこぼれた。私が生活ノートを見ようと、不安定な教卓のうえにおいておいたからだ。「あっ」と思ったときには、もうみんな動いていた。トイレットペーパーをみんなに配る人、床を拭く人、雑巾を持ってくる人、「大丈夫?」と声をかける人、食器を洗う人、新しい給食を用意する人。とにかくそのスピードに驚いた。考える前に動く。とりあえず手を出す。その行動力と感性のよさに感動した。それだけじゃない。仕事は限られているから、手伝う人数もある程度いればいい。それ以外の人たちはどうしていたか。なんと、立って見守っていてくれたのだ。「見守る」ってなんて温かいんだろう。そういう光景を見たのは生まれて初めてでとても感動した。その場にいられたことに幸せを感じた。動くことも大切。見守ることも大切。まず、自分も何かしなきゃ、と感じられた2Aのみんなはえらい!素敵な時間をありがとう。」
 お金をかけずに誰にでも出来る「無財の七施」という教えがあります。@眼施(げんせ)優しい思いやりの目を向ける A和顔施(わげんせ)穏やかな笑顔で接する B言辞施(ごんじせ)優しい言葉をかける C身施(しんせ)自分の身体を使って人に奉仕をする D心施(しんせ)思いやりの心をこめる E牀座施(しょうざせ)居場所を作ってあげる F房舎施(ぼうじゃせ)だれでも迎え入れる 
 入野中2年A組の生徒さんは「無財の七施」の偉大な実践者であると感心しました。

125号 先生、体育館へGO!
 3年前からご縁を頂いている五十嵐貴子先生はテニス部の顧問も務める中学校の国語の先生。その五十嵐先生が担任した3年5組の合唱コンクールの話にとても感動しました。
 合唱コンクールが近づくにつれて子供たちの練習にも熱が入り「もう1回」が当たり前になりました。日々上達していく子供たちの歌声を聴きながら五十嵐先生は心の中で毎日感動していました。しかし、合唱コンクール本番の日、五十嵐先生は出張に出なければなりませんでした。練習を見れば見るほど言い出しづらくなったそうです。「実はあさって、私はいないのです。でも、出張から戻ったら、机の上にきっとグランプリのトロフィーが載っていると信じているよ。」
 コンクールの翌日、出勤した五十嵐先生の机の上には大きなトロフィーが輝いていました。教室に入ったときの子供たちの満足そうな顔。五十嵐先生は本番の様子が手にとるようにわかったといいます。そして、数日後。5時間目の授業で自分のクラスに向かった五十嵐先生は感動的な体験をしました。

「誰もいない教室。黒板に
 『先生、体育館へGO!』
大きな文字で書いてありました。渡り廊下を走りながら、もう胸がいっぱいでした。(絶対泣くもんか)でも、重い体育館の扉を開け、ステージにきちんと制服を着て並んだ生徒たちの姿を見、体育館の中央にたった一つ、椅子が置いてあるのを見たら、もう涙が止まりませんでした。たった一人の観客を前に、合唱が始まりました。涙は止まらなかったけれど、一人一人の顔を見ながら聴きました。歌いながら子供たちの顔も泣き笑いの顔になっていました。…」

その時の合唱は「大地讃頌」「たたえよ大地を あ〜」という最後の感動的なフレーズが聴こえてくるようでした。
卒業した子供たちと五十嵐先生の心のハーモニーは今も消えることなく続いています。
126 号 ほうきダコ
 一月十一日、高崎のまごころ塾という勉強会で鍵山秀三郎さん(イエローハット創業者)の講演会があり、心に沁みるお話をたくさん聴かせて頂きました。鍵山さんの生き方や実践は「凡事徹底」という言葉に象徴されています。
 講演の中で鍵山さんは心を磨くために大切なことは
@徹底して掃除をする
A徹底して人に親切にすること、と言われました。鍵山さんが掃除を始めた理由は「四十四年前に創業した会社の社員が気持ちよく働ける会社にしたい」という願いを実現するためでした。最初は鍵山さんがトイレ掃除をしている横で社員が小便をし、顔にはねたこともあったそうです。それでも鍵山さんは徹底した掃除を続けました。その姿をみて、社員も少しずつ掃除を手伝うようになったそうです。その後、掃除の輪は社内だけでなく日本全国に広がり四十七都道府県全てに「掃除に学ぶ会」ができました。
 そして、心を磨くために徹底して人に親切にすること。たとえば食事の出前をとった時には器をきれいに洗って返す、というような小さな実践を徹底して心をこめて行うことが大切と言われました。
 講演会の後、内輪の懇親会が開かれました。隣に座らせていただき、鍵山さんの手のひらを触らせてもらいました。手には固い「ほうきダコ」がありました。永年、毎日徹底して掃除を続けてきた証です。
「十年偉大なり、二十年おそるべし、三十年にして歴史なる、五十年神の如し」という言葉があります。鍵山さんの掃除の実践はあと数年で神の領域に入ります。そんな鍵山さんでも掃除の実践を途中でやめたくなったこともあるそうです。それでもやめなかったのは「それまで積み上げた努力が捨てるには惜しい努力だったから」と言われました。努力を積み重ねた人にしか語れない素晴しい言葉に深く感動しました。
127号 福西の窓

 児童数58名の大間々町立福岡西小学校の原島廣子校長先生は心遣いの行き届いた素敵な先生で、お会いするたびにホッと心が和みます。原島先生は9年前にも、教頭先生として福岡西小学校に勤務していたことがありました。その頃、原島先生が発行していた学校だより『みんなのわ』には、学校での子供たちの様子や学校から家庭への連絡事項がわかりやすく書かれており、一番下には『福西の窓』という小さなコーナーがありました。わずか数行の『福西の窓』には原島先生がその日に体験した小さな感動や嬉しかったことが紹介されています。平成9年12月18日の『福西の窓』にはこんなお話が載っていました。「鳥が散らかした焼却炉近くのゴミ袋のゴミを片付けているところへ、6年生の千春さんがゴミを捨てに来ました。
『先生、大変ね』と言いながら、一緒にゴミを拾ってくれました。ありがとう」

 時間がたてば忘れてしまいそうな小さなありがとうのお話でした。でも、それから8年後、たまたま花屋さんに買い物に行った原島先生はそのお店でアルバイトをしていた千春さんと偶然に再会したそうです。そして、千春さんが6年生のときに『福西の窓』で原島先生から「ありがとう」と、褒めてもらったことを心の中に大切にしまってくれていたことを知り、原島先生はとても感激しました。「ありがとう」はこちらからの感謝の言葉であるとともに、相手を幸せにしてしまう魔法の言葉でもあります。 原島先生は長い教員生活を終えて今年3月に定年を迎えます。原島先生の心の中には『福西の窓』から見た数え切れない「ありがとう」の光景が宝物のように大切にしまわれていると思います。そして、多くの人の心の中にも原島先生への「ありがとう」が大切にしまわれています。


128号 せせらぎの音
「商業界ゼミナール」という勉強会があります。50年以上の歴史を持つ商人のための勉強会です。創始者の倉本長治先生は「店はお客様のためにある」「損得よりも先に善悪を考えよう」「正しく生きる商人に誇りをもて」という商業界の精神を説き続け、今も多くの商業者にとって精神的な支えになっています。
 先日、商業界ゼミの親しい友人である十日町市のレストランオガワヤの松村ひろみさんから倉本先生の素敵な話を聞きました。 
 オガワヤさんのご両親も昔から倉本先生を師と仰いでいたそうです。35年ほど前、オガワヤさんのお母様が原因不明の眼病で視力をほとんど失い、店で働けなくなることを絶望していた時のことです。倉本先生は「レジの脇に、2畳ほどの部屋をお作りになって、そこでお店の活気を肌で感じ、お客様に尽くされたらよいのでは…」と、アドバイスされたそうです。そして、オガワヤさんのお母様の為に励ましの言葉を色紙に書いて下さいました。その言葉とは、    
 小川のせせらぎ
  の音を聞く方が
 その川を眺めるより
  美しいことがある

たとえ目が見えなくてもお店の様子を耳で聞き、心で感じて感謝することはできる。倉本先生の愛情溢れる言葉でお母様は更に心の目を開くことができたのかも知れません。
倉本先生は生前、こんなことも言っています。「夫婦二人で必死に働いている姿は、本当に美しいものです。人間的に打たれますね。何とか守ってやりたいな、と思うんです。町を歩いていて、本日開店の店なんかにぶつかると、わずかな物でも何か買ったものです。見ず知らずの私でも、こんなことで励ましになるのならと思いまして。」
 愛と真実の商いを提唱した倉本先生の真の魅力はこの優しさにあると思いました。

129号 対談・いのちを語る

 4月22日、みどり市東町の「童謡ふるさと館」で星野富弘さんと聖路加国際病院理事長・日野原重明先生の対談がありました。「いのちを語る」というテーマにふさわしいお二人の対談とあって、定員400名の会場は30分以上も前から超満員でした。
 日野原先生はある小学校を訪れて「いのち」についての授業をしました。聴診器を20本用意し、子供達にお互いの心音を聞かせ、生きている命の実感を教えました。そして、いのちについて「いのちとは君たちがもっている時間のこと。日常の行動を振り返り、自分らしく『いのち』を使ってほしい」と教えました。 星野富弘さんは入院中に「もう死んだ方がいいと思い、何日か食べないことがありました。たまらなくおなかがすきました。その時に、自分は死のうと思っていたのに、いのちは一所懸命に生きようとしていることに気づきました」と語りました。富弘さんの詩画カレンダーには「ありがとう私のいのち こんなに生きられるなんて思わなかったよ 今、21世紀 春!」という詩がチューリップの花に添えられています。
 今年95歳を迎える日野原先生は昨年の文化勲章受章の記者会見で心境を聞かれた時に「人生、これからが本番」と答えたそうです。5年先の予定まで入っているという日野原先生のエネルギーにすっかり圧倒されました。
 対談の2日後が60歳の誕生日という星野富弘さんのために、対談の最後に400名全員で「ハッピーバースデートゥユー」を歌いました。1時間半、生きることの素晴らしさを聴かせていただいた後だけに、歌いながら涙が溢れてきました。

この対談の模様は全国24のテレビ局、ラジオ局で放映・放送されるそうです。
群馬テレビでは、6月18日と25日の2回に分けて、朝7時から放映されます。是非、ご覧ください。

130号 OKバジがやってくる
 ネパールの中でも最も開発が遅れているといわれる東パルパ地方で単身で村落を回り、開発支援を続けているOKバジ(OKおじいさん)こと垣見一雅さん。
 垣見さんは16年前、ネパールの高峰アンナプルナで雪崩に遭遇しました。奇跡的に助かったものの、垣見さんのザックを担いでくれていたポーターは行方不明になってしまいました。ネパールに借りができたと思った垣見さんはその後、高校教師を辞め、東京の自宅を売り払ってネパールへ単身で移住しました。
 垣見さんは「どこの国に生まれ、どんな環境で生きていくかは、自分で選択できるものではありません。与えられた条件の中でどう生き、どう幸せを見つけていくかは各自の知恵によるところが大きいでしょう。ネパールの人たちは泣きたくなるような厳しい条件の中で暮らしているのに幸せそうに笑います。目が輝いています。明日の米の心配をしなければならないのに、私が村を訪ねると家畜を潰したり、踊ったりしてもてなしてくれるのです。」と語ります。
 移住10周年には1万5千人もの村人たちがお祝いにかけつけ、国王からも表彰を受けたそうです。垣見さんは「目の前ですりむいて血を流している子供に1枚の絆創膏を貼るところから始めた活動です。あれもない、これもないというネパールでの『不足』の暮らしが『知足』を教えてくれました。この13年間、私は村落開発をしているつもりになっていましたが、実は自分自身の『心の村落開発』をさせてもらったのではないかと感じています」と謙虚に話してくれました。
 6月19日(月)午後1時50分から大間々北小学校体育館で全校児童を対象に、帰国中の垣見さんの講演会を開催します。テーマは『ネパールの子どもたちとOKバジ』。一般の方の参加も歓迎いたします。お申し込みは足利屋まで(73‐1212)