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靖ちゃん日記へ


令和3年1月〜令和3年12月


 令和三年十二月十五日(水)

 みどり市観光ガイドの会の定例会議と懇親会があり、サンレイク草木に泊まった。結成から十一年を迎えた活動も新型コロナの影響でガイド依頼が減ったものの、活動開始以来、ガイドを引受けたお客様は延べ三万五千人を超えた。

ガイドの会の仲間はみな、来訪者に喜んでもらうことに生きがいを感じている人ばかり。一緒にいるだけで楽しくなる。

 スマホのワクチン手帳を提示すると、宿泊料が五千円割引になる「愛郷ぐんまプロジェクト」を利用、みどり市内の店で使えるクーポンも三千円つくので、一泊二食で九千円のところ千円で泊れた。毎日でも泊まりたいと思った。このプロジェクトは一月まで延長になる。次は家族で泊まって新年会をやりたくなった。

 会の仲間の女性たちが帰りに足利屋でクーポンて買物をしてくれた。いつもより美人に見えた。気のせいだったのかもしれない。

 

  令和三年十一月十七日(水)

 大間々高校百二十一周年記念シンポジウム『みどり市・大間々の未来を考える』が開かれ、わたらせ渓谷鐵道の品川知一社長、近藤酒造の近藤雄一郎社長と一緒に招かれた。司会はみどり市観光大使の富所哲平君。大間々高校「みらい塾」の今井綺星さんと武井悠人くんの発表を聞き、感想や意見を述べ合った。有意義なシンポジウムだった。何か新しい動きが生まれると思った。
昨日は高校生たちがバーチャルスタンプラリーで街中を散策、商店街に活気が漲っていた。自分も高校生に交じってスマホを片手にチェックポイントを八か所クリアした。人が街を歩くことで会話と笑顔が生まれる。司会の富所君が「毎日スタンプラリーをやればいい」と言った。
高齢者の多い商店街ではバーチャルなイベントは難しいが、リアルで元気なバー(婆)チャンのイベントならば何か考えられそうだ。

 

 
  令和三年十月二十日(水)

『百日連続、一万五千歩』の目標も五十五日目。群馬県のスマホの健康アプリ『Gウォーク』に加えて、十月十一日からは、『みどり市元気プロジェクト』の活動量計を首からぶら下げて歩くことにした。活動量計は、歩数の他に、歩行時間、消費カロリー量なども分かり、スマホに転送してグラフでも見られる。 

 歩いた分だけポイントがたまり、それを商品券に替えて、買物もできる。今までは買物券を使ってもらう立場だったが今後は「みどり市元気プロジェクト」の同志として、買物券を使う人たちとの共通の話題も出来て楽しみが増えてくる。

 活動量計を首からぶら下げるようになってから、体脂肪やコレステロールも気になりだした。昔は脂が乗った男盛りの時代もあったが、今は脂を控え、ボケ防止のチェックも必要になってきた。オイル(老いる)点検が欠かせない年になった。


 令和三年九月二十一日(火)

『スマホ脳』という本を読んでから、スマホやフェイスブックを見る時間を減らし、歩く時間を増やした。電子書籍もやめ、紙の本に戻した。パソコンの前に一時間座ったら十分歩く。近場は車を使わず、車を使う時は一番遠い駐車場に車を止め、百日間、毎日一万五千歩歩くことに決めた。今日が二十六日目。『スマホ脳』に書いてあった通り、ストレスレベルが下がり、健康レベルが上がった気がする。群馬県の健康アプリ「Gウォーク」の歩数が気になり、スマホを開く回数が増えたのが『玉にキズ』  今朝も秋晴れ。六時に家を出て、高津戸橋を渡り、要害山の頂上に登る。往復四十分、朝飯前に楽に五千歩を超えた。歩き過ぎて股ズレができるのが心配。
今日は祖父の命日で二十三日は父の命日自分も秋の彼岸にピンピンコロリで笑って死ぬことが夢。戒名はピンピン玉にキズ居士

 

   令和三年八月二十一日(土)

検診で「生活習慣病予備軍」と診断され、十日前に個別保健指導を受けた。スマホに「ぐんま元気アプリ」をインストールした。毎日一万歩歩き、体重と血圧を記録している。九月からは「みどり市元気プロジェクト」に申し込んだ。活動量計を首から下げるだけで歩数、歩行時間、活動エネルギー量が判る。活動した分、ポイントがたまり地域の店で使える元気アップ商品券と交換ができる。

今までは商品券を使ってもらう店の立場だけで「歩くことで自分も、みどり市も元気になる」の合言葉を受けとめていたがこれからは「一石二鳥」を目指せる。

毎日たった三十秒で腹筋百回分の効果が出るフリパラ(振腹)ツイスト体操がある。かかとをつけてつま先を九十度に広げ、人差し指と親指でL字型をつくり両手を水平に伸ばして腰を早く振る 

 腰を振りすぎて腹筋に力が入り、失禁しそうになった。

  令和三年七月十七日(土)
 四時起床。夜明けが少しずつ遅くなり明けの明星が美しく見えた。先週の大雨で二日続けて店に水が浸水したため一週間続けて毎朝、側溝の掃除をした。蔦の根っこがびっしりとはびこり、一時間に五十センチも進まなかった。腕が疲れきってしまいもう若くないと感じた。
 今日は二度目のワクチン接種。「疲れているんだから」と家族に止められたが無視した。今回も痛くも痒くもなかった。まだ若いと自信を取り戻したが「年寄りは副反応がない」と言われてがっかり。
 スマホにデニーズの10%割引クーポンが来ていたので夜は家族みんなで食事に行った。幸せを感じるひと時だった。
 ワクチン接種の予約も食事も、買物も乗り物もスマホがあればOKの時代になった。家族五人分の食事代をスマホで済ませた。支払いはペイペイでもd払いでもなく、いつもの「G(爺)払い」だった。  
 令和三年六月二日(水) 今日も孫の琉馬と庭で競争した。足利屋の裏から母屋の横を通り、稲荷様の前を走り抜け、裏通りまでの70mを全力で走った。稲荷様のあたりで息が苦しくなった。琉馬に追いつけると思った瞬間、足がもつれ、体が宙に浮いて「大」の字に転んだ。両手と左膝の皮がぺろりとむけて血がふき出した。何度も「ごめんなさい」と言って琉馬が泣き出した。
 愛妻の運転で近くの医院へ行き、応急手当をしてもらった。皮がむけた手のひらに小石が刺さり、それをピンセットで取ってもらうときの痛みは転んだ時より10倍痛かった。2時間後、琉馬が母親と医院の駐車場まで来て待っていた。手紙を持っていた。「じーえ はやくよくなってね。こんどわおれがまもるからね。いつもほんとにありがとう」と書いてあった。
痛みを忘れ嬉しくて泣き出したくなった。琉馬に勝てるのは年齢だけになった。
 令和三年五月十八日(火)
 生まれて初めて大腸の内視鏡検査を受けた。昨夜は夕食を少なめにして、寝る前に下剤を飲んだ。朝九時に病院に行き、九時半から十二時半までの三時間で二リットルの腸管洗浄剤を飲み、トイレに五回行き、検査の準備が整った。
検査用のパンツにはき替え、一時に検査が始まった。自分では気が小さく「けつの穴が小さい」と思っていたが思いのほか簡単に内視鏡が入った。が、S状結腸というあたりから痛くなった。もうやめてほしいと思ったが、そこを過ぎたら痛みが収まり、小腸の入口まで届いた。帰り道はモニター画面を見ながら先生の説明を受けた。異常なしと言われてホッとした。腹が黒いかもしれないと心配したがきれいだった。人間ドックで要再検査と言われ家族にも脅されていたが怖くて拒否していた。でもやってよかった。腹がきれいでけつの穴が小さくないのが証明できた。
 令和三年四月十二日(月)
 免許証の更新に行ってきた。
十八才の誕生日直後に初めて免許をとったので運転歴は五十年以上。心配なのは視力検査だった。普段はメガネをかけずに生活できるが本や新聞を読む時には老眼鏡のお世話になっている。今朝は松山英樹のマスターズ優勝のテレビを見ていたので目がショボショボしていた。高瀬薬局で目がパッチリする目薬を買って桐生の交通センターに行った。視力検査係は感じのいいオネエチャンだったのでバッチリ見えて難なく合格。写真は心の準備を整える前に撮られたので実物よりジジイに写った。今度はゴールドカードになると思ったがまた水色のカードだった。 
 次の更新は五年後の七十四歳。高齢者講習を受講しなければならなくなる。
 漫才コンビと同じで、年をとるとボケ老人になるか、ブレーキとアクセルを踏み間違うツッコミ老人になるのかもしれない。
 令和三年三月十六日(火)
 掃除仲間の伊藤さんと二人で沼田市歴史資料館で開催中の企画展『足尾銅山を支えた根利山』を見に行った。明治時代、根利山は足尾銅山の木材供給地として古河鉱業が開発。百年前には従業員と家族三千人以上が暮らし、二つの学校、診療所や映画館まで備えた「幻の集落」があって、俗世から離れた「別天地」であったという記述が残っている。
 百年前、祖父松崎友次の長兄が沼田に足利屋という店を出したと聞いて調べたことがあったがその時は分らなかった。 
 今日、歴史資料館で売っていた百年前の沼田の地図を買った。その地図には何と「足利屋・松ア商店」が載っていた。百年前の根利山と足利屋が結びついた。
 帰りは沼田から根利の山道を通って大間々へ帰ってきた。伊藤さんの真っ赤なオープンカーを運転させてもらい感謝感謝だった。赤い車のナンバーは3939だった
  令和三年二月十七日(水)
 日本を美しくする会の第十四回総会にリモートで初参加した。
一昨日、ZOOM機能の使い方を熟知している九州の廣瀬さんと伊東の白鳥さんに操作法を習った。画面に映る二人の笑顔に助けられながら細かい使い方まで覚えた。
 今日の本番では、全国各地で清掃活動を続けている代表が七十人も参加した。岐阜の田中義人さんが「トイレ掃除をする時は、汚れの原因を調べ、相手を傷つけずに汚れを落とす」という話をした。人間関係にも通じると思った。「掃除を通して心の荒みをなくし世の中を良くしよう」という活動の目的が理解できた。
 全国の掃除仲間の活動を聞いて参考になり、大間々駅の掃除の話も発表した。
 リモート会議は初体験だったがやってみたら不安が消え病みつきになりそう。トイレ掃除も初体験の時は不安だったが病みつきになった。
もっと若い時の初体験は忘れた。

令和三年一月十七日(日)
親子三代、上毛かるたで遊んだ。上毛かるたが誕生して七十余年、 今や全国大会か開かれるまでになった。自分が子供の頃に覚えたかるたを六歳の孫が暗記していて「き」と言うと「桐生は日本の機(はた)どころ」、「つ」といえば「鶴舞う形の群馬県」、「こ」というだけで「心の灯台内村鑑三」と即座に答える。上毛かるたは遊びながら郷土の偉人や歴史が学べて郷土愛も深められる。琉馬と一対一で勝負をした。最初は手加減してやろうと思っていたが途中から本気になり、力を入れ過ぎて指を痛めた。それでも記憶力と反射神経では孫に勝てず、二十三対二十一で負けた。再度挑戦したが今度は二十五対十九で大敗した。

「上毛かるた」とかけて「合コンで彼女をゲット」ととく。その心は「どちらも手の早い者が勝つ」というなぞかけがあった。今度は合コンで孫と勝負をしてみたい。