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靖ちゃん日記へ


平成31年1月〜令和元年12月


 令和元年十二月四日(水)
みどり市商工会主催の「大嘗宮参観研修」に参加した。6時出発。バスの窓から神々しい日の出を拝んだ。十時に皇居到着。坂下門は長蛇の列。お濠や重厚な石垣を見ながらノロノロ歩くこと三十分。荘厳な大嘗宮が現れた。天皇皇后両陛下がこの中で新穀を神々に供え、国民のために、安寧と五穀豊穣を祈念してくださった。西行法師の「なにごとのおはしますかは知らねどもかたじけなさに涙こぼるる」という歌を思い出した。
 昼は築地のすしざんまい。狭い通りは人で溢れていた。「三つで千円っ」という美人のオネエチャンの声につられてお土産を買った。「詰め放題で千五百円」という若いオネエチャンと目が合ってまた買った。帰りのバスでは商工会女性部の昔のオネエチャンが陽気にカラオケ大宴会。気の小さいヤッチャンはネエチャンと目を合わさないように寝たふりをしていた。

  令和元年十一月十八日(月)
 縁あって大間々駅のトイレ掃除仲間六人で長岡市立中之島中央小学校を訪問。七時出発、十時に学校に到着。三時限目、体育館で三年から六年までの児童に「トイレ磨きは心磨き」という話をした。四時限目は六年生の男女四五名が五グループに分かれてトイレ掃除に挑戦した。慣れた手つきで便器を磨く大人たちの姿を見た子供たちは除菌クリームを塗り、ゴム手袋をはめた手で恐る恐る便器に手を入れた。便器がピカピカになりはじめるとみんなが夢中になり「トイレ磨きは心磨き」であることを体感した。「やってよかった」「家でもやりたい」という子供たちの素直な感想を聞いた金子明子校長先生の目に涙が光っていた。
 今日は往復で三七〇キロ走ったが疲れは残らず感動が残った。途中何度もトイレ休憩、トイレに感謝の一日だった。長岡は遠かったが年のせいかトイレは近かった。
 
 令和元年十月十四日(月)
今日は、ながめ余興場での「大谷桂三舞踊公演」の日。店の仕事の段取りを済ませて八時半にながめ余興場へ。大谷桂三さん、奥様の千春さん、息子の龍生くんたちも早々と楽屋入りした。黒子の会の仲間が音響や照明、客席の準備などをする中、通し稽古が行われていた。
 第一部は十一時開演だが九時には一番乗りのお客様が入口前に並びはじめた。
 歌舞伎仕立ての「走れメロス」は桂三さんが義太夫風に物語を語り、その言葉や情景を画面に映し、メロスが走るシーンでは桂三さんが花道を歌舞伎風に六方を踏んで駆け抜け、拍手喝采を浴びた。
 桂三さんは十三年前、五十六歳の時に三十三歳も年下の才女の千春さんと結婚して龍生くんが生まれたという。
 若い美女を口説くには何が大事かを教えてほしかったが大事なことを教えてもらわずに虹の架橋の題字を書いてもらった。

令和元年九月十一日(水)
 五時起床。二十一度。曇り。本店は定休日。掃除仲間の伊藤さんと二人で「貴婦人」を見るために奥日光へ行った。午後から雨の予報だったが伊藤さんのオープンカーで出かけた。大間々から足尾を通って一時間二十分。昼前に戦場ヶ原の赤沼に到着。自然情報センターで低公害バスに乗り換え、途中で降りて遊歩道を歩いた。秋風が心地よかった。木立の間から「貴婦人」が見えてきた。貴婦人とは、広大な小田代ヶ原の湿原の中に一本だけ凛と立っている樹齢百年とも言われる白樺の木。古美門佳一郎さんが描いた油絵や「一本の木」という写真集を見て、本物を見たいと思っていた。 
 みんなに「貴婦人を見て感動した」と話したが知らない人が多かった。貴婦人は人間ではなく木婦人だと説明した。
婦人を不倫と聞き間違えた奴もいた。不倫は見て感動するものじゃねえだろう。

 令和元年八月十九日(月)
 四時半起床。二十五度。虫の声が聞こえて秋の気配を感じる。虹の架橋二八九号の裏面が完成。残るは靖っちゃん日記だけ。気分転換に裏庭の草刈り。草を刈りながら「キタサノサ〜あ〜ドッコイサ〜ノサ〜」という越中おわら節の合いの手を思わず口ずさんでいた。八尾の人たちから越中おわら節の歌詞を教えてもらった。「鳴くなこおろぎ 淋しゅうてならぬ お前ひとりの秋じゃなし」
色っぽい歌詞をもっと覚えたくなった。笠を深くかぶった笠美人たちも皆、ながめ余興場で踊れたことを喜んでいた。
「余興場の外で送りおわらを踊った後にお客さんに『また来てね』と手を握られて嬉しくなった」「帯をきつく締めていたのでおいしいお弁当を食べきれなかった」という女踊りの笠美人もいた。弁当の時に帯を解いてやりたかった。男踊りの越中ふんどしの紐の方は解きたくはない。
令和元年七月二十日(土)
岡直三郎商店(河内屋)の木桶の廃材を固めてつくったウッドチップブロック二百十一枚と足尾線の枕木四十五本を使って河内屋木道「桶の細道」をつくり直した。ウッドチップブロックは群馬大学の板橋英之教授が開発したスグレモノで廃材の再利用と除草効果とCO2削減で地球温暖化防止にも効果がある。
 白壁の仕込蔵から漂う醤油の香りやレトロな雰囲気の三方良しの井戸、その隣の銭湯・千代の湯の煙突も趣きがある。
芭蕉のように桶の細道で一句浮かぶかと思ったが今日は気温が三十度。額に玉の汗が浮かんだが一句は浮かばなかった。
 今日の参加者は三方良しの会の会員ら三十名。子供たちも楽しそうに手伝ってくれた。この子たちが今の我々の年齢になっても桶の細道が残ってるだろうか。地球温暖化が解消し世界が平和になり、この道が「OKの細道」になっていてほしい。
令和元年六月八日(土)
 二十五年前からネパールで支援活動を続けているOKバジこと垣見一雅さんが帰国し支援者への報告会や笠懸中での講演会のために桐生市、みどり市へ来てくれた。今日は垣見さんの八十歳の誕生日。新里のHさん宅で十人でお祝いのパーティを開いた。虹の架橋で垣見さんを知った仙台、丸亀、宗像市の友人から頼まれた支援金を垣見さんに渡し、その写真を撮って友人たちに郵送した。 
 今日は車だったので偽物のビールで乾杯したが楽しい雰囲気の一夜に酔った。
 ネパール語のナマステは「こんにちは」だが「あなたの心の中の神様に礼拝します」という意味があり、小さい子供も手を合わせてナマステとお辞儀する。 
 おいしいはネパール語でミトチャ、いただきますはカンチューハイと言う。
ミトチャな料理をカンチューハイしたが、本物のビールをカンチューハイしたかった。
 令和元年五月一日(水)
 令和最初の日を夫婦で鎌倉で過ごした。北鎌倉駅のそばでそばを食べ、横田南嶺老師の円覚寺と葉祥明さんの美術館にも寄った。外は雨だったが気持ちは葉祥明さんの絵のように晴れ晴れしていた。明月院のアジサイは早過ぎたが喫茶店のフルーツあんみつがうまかった。
 江ノ電の駅は人が溢れ、電車の中も身動きがとれず、見たいと思っていた車窓からの景色が見られなかったのが残念。由比ヶ浜の駅で降りた。娘がネットで予約してくれた「かいひん荘鎌倉」の建物は国の登録有形文化財で古都鎌倉らしい落ち着いた宿だった。ひと休みしてから相々傘で由比ヶ浜海岸から大仏様まで歩いた。小学校の修学旅行以来だった。
 外国人の派手な女の子たちが大きな声ではしゃいでいた。ここはカマクラではなくキャバクラかと思った。
 大仏様が眉をひそめてブツブツ言っているように見えた。
 

四月十七日(水)
 全国芝居小屋会議に参加した。全国の芝居小屋関係者が旧金毘羅大芝居「金丸座」がある香川県琴平町に集まり総会を開いた。総会後、歌舞伎を観た。中村勘九郎、七之助兄弟、中村扇雀、市川中車といった豪華な顔ぶれ。国の重要文化財の芝居小屋はさすがに格調が高い。
 夜の芝居小屋会議の懇親会では琴平町長や内子座のある内子町長、永楽館のある豊岡市長さんに地酒の赤城山を振舞って喜ばれた。琴平町長の案内で二次会へ行った。「太田川」という名のスナックのママさんが「さっきまで勘九郎さんがここにおったんよー」と言った。その椅子に座りチューハイを飲んだ。勘九郎さんの弟子の中村仲侍くんが「大間々大好き」と言っていた。
 昨日は徳島の齋藤さんの案内で阿波踊り会館で踊りを覚えた。二次会のスナックのママさんの踊りの腰つきに見惚れた。一緒に踊った阿波踊りが赤城山音頭になっていた。

 

  三月十二日(火)
「ちゃんさや」こと横塚沙弥加さんがみどり市観光大使になった。彼女はみどり市出身のモデルで群テレやFM群馬にも出演している人気タレント。観光大使の初仕事でさくらもーるに来た。「みどり市観光大使」のタスキをかけて、「よろしくお願いしま〜す」と笑顔で市のパンフレットを配った。FM群馬で生中継したのでラジオを聴いていた人やファンの人でセンターコートは大賑わいだった。
 彼女は以前、さくらもーるの専門店で仕事をしていたこともあり、人気が出る前から知っていた。屈託のない笑顔とちょっと天然?な受け答えがたまらなくかわいい。
 ファンと沙弥加ちゃんがツーショットの写真を撮っていてうらやましくなった。
ツーショットは恥ずかしいので観光大使の先輩の吉本お笑い芸人富所哲平君を誘い、沙弥加ちゃんを真ん中に三人で撮った。あとで哲平君を切り取ればツーショットになる。
 
   2月18日(月)
 群馬県乳牛改良協会の酪農婦人を対象にした講演を頼まれた。
瀬戸が原で酪農をしている協会顧問の石原さんからの紹介だった。
前橋問屋町のプラザスワンに熟女が六十人も集まっていた。演題は「虹の架橋〜やっちゃん日記と小耳にはさんだいい話」。事前に「やっちゃん日記」の下ネタ編を全員に配っていた。「小耳にはさんだいい話」の感動的な場面を紹介しているときに目の前のふたりの女性が肩を震わせていた。感動で涙をこらえているのかと思ったら「やっちゃん日記」の下ネタを読んで笑いをこらえていた。
 講演の最後に夫婦円満の「愛の三原則」を紹介した。@ありがとうをためらわずに言おう Aごめんねを恐れずに言おうB愛してるを照れずに言おう。うちへ帰って「愛してる」なんて言えば、「熱でもあるの?」と言われそうだ。「熱はとっくに冷めてるよ」と言えば夫婦の危機になる。
 1月12日(土)
 今朝は三月二日にながめ余興場で開催する「中村七之助特別舞踊公演」のチケット発売日だった。 十時の発売を前に朝六時から芝居小屋前の駐車場に行列ができた。寒い中で長時間並んでもらうのは申し訳ないので発売二時間前に整理券を配ることにした。一人二枚に制限したが販売開始からすぐに一部、二部とも全ての指定席が売り切れた。全国のプレイガイドで同時に発売した分も即時完売した。昨日、黒子の会の仲間15人が芝居小屋に集合、完璧に準備したので混乱はなかった。 
 三十年前は取り壊しの危機に瀕していた芝居小屋。あの頃は中村座の歌舞伎が来るとは夢にも思わなかった。「あんな芝居小屋に金をかけて改修する意味はない」とか「芝居小屋のせいで文化会館ができない」と叱られたこともあった。今日は一日「券が買えない」というお叱りの電話が殺到した。中村七之助になりかわって深〜くお詫び申し上げた。