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靖ちゃん日記へ


平成30年1月〜12月


 十二月十七日(月)
 市内八校の小学六年生四八九人全員をながめ余興場に集めて落語会を開いた。「百年後まで語り継がれる創生落語制作委員会」がつくった落語を三遊亭楽麻呂、三遊亭萬橘、三遊亭王楽の三人の若手真打噺家が面白おかしく語った。
 東町出身の『童謡の父』石原和三郎、大間々町を発展させた近江商人、笠懸町の礎を築いた岡上影能という郷土の偉人を落語にして、伝統ある芝居小屋で聴くことは郷土への誇りと愛着を育てることに役立つ。
 朝八時から黒子の会やガイドの会の仲間十五人が教育委員会の職員と一緒に準備をし、ハッピ姿で子どもたちを迎え、終了後は花道や回り舞台に立つ体験もさせた。
 笑うことは健康で楽しい人生に繋がる。下ネタも失敗談も笑って許される世の中であってほしい。「禅の研究家」の鈴木大拙氏が「褌の研究家」と間違われたことがあるという。禅も褌も大事なものを優しく包み込んでくれている。 

 

 十一月十四日(水)
 富弘美術館詩画の公募展のチラシの入選者一覧の中に松ア靖の名前が載った。作品名は「亭主関白&かかあ天下」。赤城山を背景に操り人形の弁慶が手のひらの上で強がっている絵に詩を添えた。「思い起こせばあの頃は 君が天使で 僕はぺ天使 言葉巧みに気をひいて 僕の女房になっちゃった あれから数えて四十年 亭主関白・内弁慶 オラはオメエの手のひらの 広れえ世界で放し飼い 言葉巧みに赤けえ糸 引いちゃーゆるめる神のわざ 今じゃオメエは上州一の かかあ天下になったんべー」と上州弁で綴った。
 九年前に「全国亭主関白協会」(全亭協)の四段を取得した。全亭協の目的は「いかに上手に女房の尻に敷かれるか」を研究し実践すること。亭主とは、もてなす人。関白とは天皇であるカミさんを補佐する役。わかっていながら女房の言うことは聞かず「その手に乗るか」と思うが、気づけばいつも手のひらの上。
  十月十八日(木)
 昨日と今日で「近江商人のルーツを巡る研修旅行」に行った。
バスで八時間。大間々の岡商店の本宅がある滋賀県日野町の家を八代目の岡社長に案内してもらい、夜は日野商人ふるさと館長の岡井さんとアメリカ人のモーアさんも誘い、十六人で、郷土料理と地酒で盛り上がった。モーアさんの日野の町づくりへの熱い想いに感動した。ホテルの展望風呂で居眠りをしてしまい溺れそうになった。
 今日は伊藤忠記念館や五個荘の街並みを歩き、広大な塚本喜左衛門さん宅で「三方よし研究所」の人たちと二年ぶりに再会、近江商人の歴史と精神と高い志を学んだ。
帰りは高速で七時間。二日間を振り返ろうとしたが、昨日のことさえ思い出せない。
若者と年寄りの違いという笑い話がある。
若者は高速道路を暴走し、年寄りは逆走する。若者は恋に溺れ、年寄りは風呂で溺れる。何も知らないのが若者、何も覚えてないのが年寄り。

 九月十六日(日)
 心配していた雨も上がり「ゆかたdeまま遊び」のイベントが大成功だった。縦の関係でも横の関係でもなく、年齢も職業も生活スタイルも違う「ななめ」の位置にいる人たちが集って町を元気にしようという「ななめの会」の主催。
スタッフ全員ゆかた姿でお客様を迎えた。来場者も自前のゆかたやレンタルのゆかたでスタンプラリーを楽しみ、インスタ映えする街並みで写真を撮っていた。フォトコンテストにネットで応募し、その日のうちに表彰式をするという若い人ならではの企画も面白かった。一年に一度、大間々祇園祭の時だけ登場する人力車を特別に借りてきて展示した。明治時代に造られた人力車は、交流館の白壁と黒塀にピッタリと合っていた。ゆかたの美女とイケメン俥夫姿のスタッフとの記念写真が一番人気だった。
俥夫をやりたかったが年齢と体型と顔ではじかれた。「ななめ」の位置から指をくわえて見ていた。
 八月十五日(水)
 八年前の今日、父のシベリア抑留の手記を発見した。「何が何でも生きて故国の土を踏むまでは」と書いてあった。以来、毎年八月十五日には物置の段ボール箱を開けてみている。軍服を着た父の写真があった。裏に父の達筆な字で「昭和十七年十二月二十六日」とあった。
八十年前の前橋高等女学校時代の母の「家事帳」というノートもあった。上手な文字だった。少女時代の母の姿を想像した。
 自分の中学三年の通知表も出てきた。担任は田中先生。美術の先生で顔がゴッホに似ていた。「頑張っているのか、のんびりしているのかわからない。いつも飄々として…」と書いてある。生徒会は新聞委員。 
 自分たちの結婚式の写真や子どもたちの写真も出てきた。幸せそうな写真ばかり。父がシベリアで死んでいたら自分も生まれていなかった。両親を見習って上手な字を書こうと思ったがいつもの飄々とした字になってしまった。
七月三日(火)
 午後二時半に大間々を出発して五時十分に御殿場の時之栖到着。六時からジョイ会。ジョイ会は年に三回、漢方と西洋医学を極めた女医・徐桂琴先生に学ぶ勉強会。今日のテーマは言葉と体と心の関係。「嬉しい」は中国で「我来喜(ウォライシィ)で日本語と似た発音、宇宙の喜びが聞こえてくるという意味。「嬉しい」「笑う」「ありがとう」という発音は人相と心相を変え、精神相もよくなるという。徐先生が暗誦した中村天風の「運命の誦句」も同じ内容だった。
 勉強会の後は参加者十二人で人生をエンジョイするジョイ会。時之栖の地ビールが「我来喜」、シラスのピザを「有難う」、飲んで食べて笑いが絶えない一時だった。
時之栖の気楽坊で五種類の温泉に入った。今朝は三時に起きてサッカーを観たので眠気と酔いで頭がぼーっとした。「ぼーっと生きてんじゃねーよ」とチコちゃんに叱られそうだ。
六月三日(日)
 ながめ余興場で浪曲「富士路子の世界」を開催した。十一時半に赤城駅に迎えに行ったが電車が三十分遅れた。会場準備とリハーサルの時間が短かったがさすがプロ、二時開演にピッタリ間に合った。富士路子さんは日本浪曲協会会長の貫録で「白餅大名」と「慈母観音」を熱演して拍手喝さいを浴びた。幕が下りるとすぐに玄関に回り、お客様をお見送りした。「よかったよ」と涙ぐんで師匠と握手する人たちを見てもらい泣きした。 
 舞台の後片付けが終わって懇親会場へ。美人で可愛いお弟子さん三人を車に乗せてラッキーと思ったがアッという間に着いてしまった。東京から来た追っかけのファンも参加して懇親会は大盛り上がりだった。酒が入るとなぜか口も尻も軽くなる。富士路子師匠は地酒の赤城山が大好きだった。三人の若いお弟子さんたちにもお酌に行ったが逆に飲まされた。低目狙いは予想通り空振り三振だった。
 五月十三日(日)
 今年もぐんま百キロウォークの第四休憩所で応援ボランティアを買って出た。八年前に親友の宮本成人さんがはじめた百キロウォークは「タイムを競うのではなく、自分の限界への挑戦」。今年の参加者は三百八十三名。国道五十号みどり市笠懸町のファミリーマートの駐車場にテントを張らせてもらいコーヒーや甘酒や漬物を用意して参加者の到着を拍手と声援で迎えた。参加者がこの地点を通過するのは十二日の夜から十三日の朝にかけて。疲れがピークに達し、睡魔と不安感に襲われる魔の八十キロ地点。「ここがゴールだったらな〜」というつぶやきが実感として伝わってくる。真夜中の二時八分、「アンバサダー」のタスキをかけたお笑い芸人アンカンミンカンの川島くんが到着。スタッフ六人が大きな拍手で迎えた。去年よりずっと速いタイム。「アンバサダー」は「大会の大使」のこと。さすが「たいし」たもんだった。

 四月十八日(水)
 大間々街路灯組合のバス旅行で石和温泉に泊まった。河口湖オルゴールの森美術館で、白雪姫の物語を砂を使って指で絵を描いていくサンドアートライブや百年前のオルゴールの音色に感動。今日は雨で富士山は見えなかったが明日は晴れそう。昇仙峡や前々から観たかった藤城清治影絵美術館に行く予定。
 今朝は七時半出発。八時にはビールで乾杯。九時からカラオケがはじまった。普段は仕事や家事に忙しい肝っ玉かあちゃん達はみんな歌がうまい。気心の知れた商店街の仲間と歌っては飲み、飲んでは食べ、冗談を言い合って腹を抱えて笑う。何を言っても「セク腹」で訴えられる心配はない。
今日の若いガイドさんはオジサン、オバサンの上品な下ネタに話を合せてくれた。今日は朝からセクハラのニュースばかりが流れていたがバスの中はセクハラもパワハラも無縁の世界。ガイドさんの名は「イシハラ」だった。
 三月九日(金)
五時起床、九度。予報通りの雨。六時四〇分、掃除道具を積んで大間々駅へ。一〇七八回目のトイレ掃除に上毛新聞の取材が入った。第四十一回上毛社会賞に郷土を美しくする会が選ばれた。二十年以上、毎週欠かさず「町の玄関口」である大間々駅の掃除を続け、市内の小学校で十年以上、掃除を通して心磨きを指導し、県内各地にトイレ掃除が広まるきっかけをつくったことが認められた。
三月二十八日に上毛ホールで上毛社会賞、芸術文化賞、文学賞、スポーツ賞など上毛四賞の贈呈式が開かれ懇親会もある。いろいろな分野の人と出会えるのが楽しみだ。
 掃除をしながら取材を受けた。辛かったことは?と聞かれたが楽しいことばかりが思い出された。駅のトイレの前で十二人が二列に並んで写真に納まった。掃除をした後なのでいっそう清々しい気分だった。
雨が降っているのにみんな天晴れ(あっぱれ)な笑顔だった。

 二月十六日(金)
 夜、隣りのいきいきセンターで三方良しの会の役員会を開いた。議題の中心は長澤薬師・春恋祭。今年も四月八日の日曜の朝十時から行うことに決めた。長澤薬師は四百二十年前に大間々の町を開いた「草分け六人衆」のひとり長澤家の敷地内にある薬師様で眼病治癒の仏様として有名。半紙に「め」の字を九つ書いて奉納するとご利益があると言われている。今年も、目の字奉納を行い、光栄寺さんに拝んでもらい、参加者には「三方良し」のどら焼きと甘酒を振る舞うことにした。音楽のイベントとして「伊藤ブラザーズ」に出演を依頼した。リーダーの伊藤征夫さんは元武蔵野音大の先生でトイレ掃除の仲間。伊藤さんのピアノにはファンが多い。伊藤ブラザーズに合わせて松崎ブラジャーズを結成し、大間々祇園仮装大会で優勝した時の「白鳥の湖」を踊ろうと思ったが目の薬師様に「めッ」と叱られそうなのでやめた。
 1月12日(金)
 4時半起床。満天の星。東の空に有明の月が白く輝いている。
新聞を読み、手紙の返事を四通書く。お湯を沸かし、ポットに入れて六時前に大間々駅へ。改札口の温度計は氷点下6度、この冬一番の寒さだった。女子トイレの洗面台には今朝も花が飾られていた。松と南天とスイセンの花が正月の雰囲気。だれが飾ってくれているのか、心が和む。
今朝の参加者は六人。雑巾もスポンジもあっという間に凍ってしまう。床は水洗いしないことにした。掃除が終わり、用意したお湯を専用バケツに移し「松の湯」と称してかじかんだ手を順番に温めてもらう。湯加減は?と聞くと「ア〜」「イ〜ッ」「最高〜」とみんなが恍惚の声を上げる。最後に自分でも手を入れてみた。熱すぎずぬるすぎずちょうどいい湯加減。「ア〜」「イ〜ッ」「サイコ〜」と声を上げた。
そういえば最近こんな声を出したことも聞いたこともなかった。