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靖ちゃん日記へ


平成29年1月〜12月


  12月17日(日)
第四回大間々学講座を開催した。百年後まで語り継がれる創生落語制作委員長の松島弘平さんが落語の誕生秘話を話した後、三遊亭萬橘師匠が「大間々あきんど物語」をおもしろく語った。「大間々あきんど物語」は明治二十八年の大間々の大火の際、近江商人・岡直三郎商店が一升瓶にして八千五百本分の醤油を蔵から出して火を消し止めたという実話を元にした落語。お爺ちゃんが孫に大火の話を聞かせ「売り手よし、買い手よし、世間よし」の精神で助け合ってきた大間々商人の心意気を生き生きと描いた人情話。
 岡商店は今年で創業二百三十年、明治の大火から百二十二年、五十年来の仲間たちと町の歴史を百年後の子孫に伝えたい。
 明日は孫の三歳の誕生日。「三つ子の魂百までも」。琉馬もお爺ちゃんのようにこの町のことを大好きになってほしい。
そうだ、お婆ちゃんのことを
「大ママ」と呼ばせてみよう。

  11月4日(土)
 伊東掃除に学ぶ会の年次大会に初めて参加した。参加者は二百五十名。代表の白鳥さんとは十数年来のお付合い。去年、大間々駅の掃除が千回を迎えた時、台風の中をお祝いにかけつけてくれて、一緒に掃除をしてくれた大親友。
伊東駅から会場まで鎌倉円覚寺の横田南嶺管長と日本を美しくする会前会長の田中さんと三人で海瀬さんの車に乗せてもらった。記念講演での横田管長の『観音さまのこころ』という話にひき込まれた。
 懇親会では、多賀城の小畑さん、埼玉の安齋さん、町田の長尾さん、御殿場の廣住さん、伊勢原の腰塚さん、大阪の渡部さん、兵庫の木南さんたちと再会を喜んだ。地酒の「赤城山」を三本持っていった。
 二次会はカラオケだった。小林さんと男同士で「麦畑」を歌った。「♪おらも前から松っつぁんを好きだと思ってた〜♪」のセリフを聞いて、男心に男が惚れた。「名月赤城山」を歌う前に時間になってしまった。

  10月18日(水)
大学時代の友人夫婦たち10人が集まって伊香保温泉に泊まった。45年前、偶然に同じ学部の同じクラスになった仲間同士。放課後のたまり場だった喫茶店の名前から「五城会」と名付けていた。
一緒にスキーに行き、麻雀をし、六大学野球の応援に夢中だった。 
 渋川駅で列車組と合流。車3台で榛名神社へ行き、榛名湖を見て、伊香保の石段を歩いた。ホテル松本楼に泊まった。「旅館甲子園」のファイナリストに選ばれた宿。女将さん夫妻は大学のOB。勉強熱心な若女将夫妻も宴会に顔を出し盛り上がった。
 伊香保温泉は皮膚病に効くというので三回も風呂に入った。一年半前から手のひらと足の裏の皮が乾燥して切れて痛い。最近は保湿クリームを塗ってからポリエチレンの手袋をし、足はラップを巻いてから靴下をはいている。親友のYに「この年になってラッパーか?」と言われた。早口で歌うラッパーではなく、傷口のサランラッパーだ。
 9月2日(土)
 日本を美しくする会の全国大会が新宿のホテルで開かれた。50年前、イエローハット創業者の鍵山秀三郎さんがたったひとりではじめたトイレ掃除の実践が日本を美しくする心磨きの活動として全国に広がり、海外にも広がった。大間々から仲間六人で参加。鍵山さんの挨拶を聴いているうちに目頭が熱くなった。今日の参加者は四百名。宮城、静岡、岐阜、兵庫、広島、香川、鹿児島から集った掃除仲間と嬉しい再会を果たした。
 足利屋で納めた記念Tシャツが会場入口で売られていた。鮮やかなジャパンブルーのTシャツを美女たちが全員で着て販売、七百枚を全て完売した。明朝は築地市場の30か所のトイレを800人で掃除をする。
Tシャツの胸のプリントは掃除で使うスポンジのイラストに「凡事徹底」という文字が小さく入っている。美女たちが着ている柔らかそうな胸のスポンジをチョッと触ってみたくなった。

8月2日(水)
388年目を迎える大間々祇園祭。昨日の初日は大雨で音楽パレードも民謡パレードも中止になった。二丁目の仮宮で行われた夜宮の神事では絽の着物がずぶ濡れになり、着替える間もなく総町付き合いに出た。今日は祭の本日(ほんび)。黒の着物に裃を着て平笠をかぶり神輿渡御の行列に参加した。
元禄十四年の記録には、「町内を上三町、下三町に分けて大名行列を行い、花万灯に稚児行列も加わった」と記されている。
 大間々祇園は、沼田、世良田と並んで上州三大祇園と呼ばれている。昨夜は沼田、今夜は世良田の人たちが四丁目の祭典事務所に来てくれて一緒に飲んだ。地元の祭や文化を愛する人たちとの話は楽しくて興味深い。世良田も祭の日は赤飯と鰹のなまりを皆で食べたという。大間々祇園も元々、振るまいの祭だった。
なぞかけが浮んだ。大間々祇園祭のふるまい料理とかけて、弘法大師ととく。
そのこころは「くうかい?」
 7月7日(金)
 今日の「山田雅人かたりの世界永六輔物語」は大盛況だった。去年の秋、武蔵嵐山志帥塾で初めて山田さんのひとり語りを聴いて感動、大間々に呼びたいと思った。
山田さんが相田美術館で「相田みつを物語」を語った時に知り合った人達も泊まりがけで来てくれた。
いよいよ本番。今日は幕引係。三色の定式幕を開けると客席から一斉に拍手。自分が拍手をもらっているようで嬉しかった。
舞台のそでで見ていると、山田さんの絶妙の語りに客席がどっと沸き、劇場全体がひとつになっているのを感じた。第二部は「コール萌」のコーラス。永六輔さん作詞の「上を向いて歩こう」をみんなで歌っているうちになぜか目頭が熱くなってきた。
 打ち上げには山田さん夫妻やお泊まり組の人たちも参加して何度も乾杯!十時を過ぎても誰も席を立たないのでそろそろお開きにしましょうと声をかけた。
今日は最後まで幕引係だった。
 6月4日(火)
 ながめ余興場で「富士路子浪曲の世界」を開催、予想以上のお客さんが入ってくれて嬉しかった。富士路子さんは日本浪曲協会の会長。三味線の伊丹秀敏さんは八十二歳の大ベテラン。大好きな「権太栗毛」も披露してくれた。武将熊谷直実の家来の権太が磐城の三春で主君が乗るに相応しい名馬を見つけ、五十里離れた武州まで一夜で帰るという人情話。富士路子さんの軽快な節と啖呵に合わせて絶妙のタイミングで三味線が入る。遠くから駆けてくる馬のひずめの音は三味線とは思えない躍動感があり胸が躍った。
 公演の後の打ち上げも盛り上った。去年も富士路子さんの付き人として来ていた弟子の富士実子さんと富士綾那さんの前に座った。嬉しくて胸が躍った。思わず歌いたくなった。「♪飲めと言われて素直に飲んだ 肩を抱かれてその気になった よせばいいのに一目惚れ 浪花節だよ人生は」今日も飲みすぎた。

5月9日(火)
ゴールデンウィーク後に娘夫婦と孫と五人で初めて沖縄へ行った。 
 首里城、ひめゆりの塔、美ら海(ちゅらうみ)水族館も見た。
二日目は二人で古宇利島へ行った。アダムとイブに似た伝説がある恋の島。韓国と中国の若いカップルばかり。ハート岩をバックに新婚時代を思い出して二人で仲良く記念写真。
「とうらく」というオシャレなカフェでトロピカルかき氷を食べた。オーナーの奥さんは同世代の素敵な沖縄の女性。定年でリタイアしたご主人と沖縄中を廻り、一番景色がよかったこの場所で数年前にお店をはじめたという。陶と島(とう)を楽みたいという思いで「とうらく」という名前に決めたが陶を楽しむ時間がなくて残念と笑っていた。旅の楽しみは、どこへ行くかより、誰と行くか、そこで誰と出逢うかが最高の楽しみ。「とうらく」の奥さんにまた会いたいと思った。「どうらく」の夢がまたひとつ増えた。

 4月15日(土)
 みどり市出身の漫画家・おーはしるいさんの「あいターン@」を読んだ。超面白い。マンガの題名のアイターンとは、都会出身者が地方に職を求めて定住すること。
「あいターン」の舞台は群馬県。「お花の形の夢里村」。主人公の港明は25歳。田舎暮らしに憧れて古民家を買い、地元の中学校の社会科教師になる。隣りに住む山辺家の孫の蕗さんも明と同い年で気が強い美人英語教師という設定。「ごせがやけるんね」「大丈夫だろがね」「そうじゃねんかい?」「ちっとんべー」といった上州弁が次々に飛び出してくる。
 高校を卒業するまでは群馬の言葉こそが標準語だと思い込んでいた。「寝ぎょうさが悪ぃんねー」と言ったら、東京人に「寝て餃子を食うこと?」言われた。寝ぎょうさとは、寝る行儀作法(ぎょうさ)の略か?上州人は寝る時も行儀を重んじる上品な人間なんだんべかなー思った。
いや、そうじゃあんめー。

 3月19日(日)
4時起床。6度。満天の星と下弦の月が頭上に輝いている。一週間前の満月の朝はマイナス1度。月は西の空にいた。これから数日後には同じ時刻に刀のような鋭い月が東の空に見えてくる。暖かくなり夜明けが早くなるのも嬉しいが「有明の月」を見るのも好きだ。
 昔は二十三夜講が全国各地にあった。
大間々にも200年前に造られた二十三夜塔がある。二十三夜の月は真夜中に出て明け方まで夜空を照らす。二十三夜は女人講中で女性たちが持ち寄った料理を食べながら語り明かせる女子会のルーツのような日でもあったらしい。
二十三夜様は三夜待ち、産夜とも呼ばれ、夫婦がその夜にお参りすると子宝に恵まれるとも言われていた。
夏目漱石はアイラブユーを「月がきれいですね」と訳したという。月には愛とロマンがある。
愛妻に「月がきれいだね」と言ってみた。
「そうね」と月並な答えだった。

 2月3日(金)
 今日は節分。神明宮の節分祭のお手伝いをしてきた。社務所でお昼をご馳走になった。節分の食べ物といえばこの辺では恵方巻きではなく、赤飯、めざし、けんちん汁と決まっている。午後一番で大間々町内の幼稚園保育園児による豆まきがあった。神社の境内には鬼はいないので「福は内、福は内」だけで「鬼は外」と言わない決まりがある。
 夜は三方良しの会の新年会があった。会員は百年以上続いている老舗が多い。老舗の昔ながらの豆まきは、主人が「福は内、鬼は外」と言って豆を撒くと提灯を持った人が「ごもっともごもっとも」と言ってあとについて歩いたという。
 二百年以上前から続いている「ごもっとも、ごもっとも」の風習が大間々にもあったことを語り継ぎたいと思った。
 節分の夜は愛する人同士が鬼のいない間に「せっぷん」をするという風習は…ない。「ごもっとも、ごもっとも」 
 1月12日(木)
 たけし、まさし、やすしの3人の名前にちなんで「3しの会」と命名し、3夫婦6人で年に6回、それぞれの誕生日に合わせて食事会を続けている。今日は和子の誕生日でみんなに祝ってもらった。
行きつけのレストランは料理の味も最高で、店の雰囲気も良く、スタッフの人たちも心が行き届いている。今回も、誕生日を迎えた和子のデザートのお皿には「Happy Birthday Kazuko」と書かれ、ロウソクとカラフルな花びらが添えられていた。六人揃って記念写真を撮ってもらい、帰りにはその写真を額に入れてプレゼントしてもらった。
 外へ出ると月が煌々と輝いていた。今夜は満月フルムーン。六人揃っての食事会がこれからも長く続くことを願った。
 和子と結婚して早いもので37年。あの頃は可愛くて、食べちゃいたいと思った。今では逆にこっちがなめられている。