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靖ちゃん日記へ


平成26年1月〜12月


  1月12日(日)
 今日は愛妻の誕生日。4月5日までは同い年になる。還暦も過ぎ、お互いに中高年を自覚しはじめた。
先日、テレビで一人暮らしの中高年を対象とした孤独解消ビジネスがあることを知った。有料で散歩や話し相手や一緒に食事をしてもらい孤独を解消するのだという。チョッと虚しい気がしたがそんな時代になったのか。 
 お互いが健康で、毎朝一緒に散歩をし、タダで炊事や洗濯をしてもらえることが当たり前でなく、有難いことだと思った。
 百円均一の店で500円貯金箱を買い、今日から毎日、貯金箱に500円を入れることに決めた。いっぱいになれば10万円になるという。「これで友達と旅行にでも行ってくれば…」と手渡すことにした。
 孤独解消ビジネスは、飲酒は禁止、2人だけの部屋には入らない、体は触ってはいけないという健全なルールがあるという。我家にはそんな決まりはなく、何をやっても許される。これで500円は安いっ!
  2月18日(火)
「掃除の神様」と呼ばれる日本を美しくする会相談役の鍵山秀三郎さんがまた大間々へ来てくれた。
 昨夜は、仲間38人で鍵山さんを囲んで話を聴き懇親を深めた。今日の笠懸東小の「卒業記念トイレ掃除」は大雪の影響で延期されたが、前橋育英野球部の荒井直樹監督との会談会食は予定通り行った。凡事徹底を合言葉に全国優勝をした荒井監督と鍵山さんの話を聴いていて心が洗われた。腰骨を立てた鍵山先生の美しい姿勢は、清廉で品格ある生き方そのものだと思った。
 明日、「日本を美しくする会20周年大会」で「凡事徹底」のブルゾンを販売するが雪のため運送便で送れなくなった。皆で手分けして持てるだけ持って電車で行くことにした。鍵山さんも「私も持って行きます」と言ってくれた。80歳の鍵山さんの腰が抜けるか、紙袋のケツが抜けるか心配なほど重かった。
こりゃ〜明日は手が抜けない。

  3月18日(火)
 ネパール滞在7日目。奥地の村々には電気がなく、昔の日本と同じ茅葺屋根の家でかまどで食事を作る生活。今回も訪問したチ―ス村では、夜明けとともに、子供達が山羊や牛を連れて山の上に放牧に上がる姿を見た。5年前に見たのと同じ時刻、同じ場所だった。厳しい自然環境の中での長閑な風景。1日の中に1年があると言われるほど寒暖の差が大きいネパールで忘れかけていた日本の原風景も感じた。
「春はあけぼの、やうやう白くなりゆく、山ぎは少しあかりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる」という「枕草子」の言葉や「春はやがて夏の気を催し、夏より既に秋は通い、秋は即ち寒くなり…」という「徒然草」(つれづれぐさ)の一節も頭に浮かんだ。山道は山羊や牛の糞でいっぱいだったがこれも自然の循環。相棒の山岸さんと大自然の山々を見ながら、紙を使わずペットボトル1本の水で用を足した。「連れ連れグソ」だった。
 4月10日(木)
 ネパール滞在記を書き終えた。885枚の写真の中から45枚を選び、12ページのレポートにまとめた。「やっちゃん日記ネパール編」で検索すればインターネットでも見られるようにした。
 今回の旅の最大の目的は、現地で単身で支援活動を続ける「OKバジ」こと垣見一雅さんの「移住20周年式典」に参加することだった。3年前から垣見さんに「式典の時に『白鳥の湖』を踊って下さい」とリクエストされていた。大間々祭仮装大会で踊った「白鳥の湖」の写真が垣見さんには印象深かったらしい。
リュックに3人分の衣装を入れて行った。当日、式典会場に集まった数千人の現地の人たちの前で、山岸さんと高柳さんと3人で、手作りの純白のレオタードで踊った。伴奏は羽広さんと千明さんのオカリナ。
踊る方は「華麗な舞い」のつもりだったが、60過ぎたオッサン達の「加齢な舞い」だった。

5月16日(金)
関東甲信越静市町村教育委員会連合会の総会・研修会に参加した。大間々を9時に出発。11時に長野市に着いた。まず腹ごしらえ。
開店前から行列ができる蕎麦屋に並んだ。1日限定30食、2.5倍盛りの「横綱そば」を注文。満腹感も満足感も2.5倍だった。研修会は『自ら学ぶ力を育む』というテーマ。いい勉強になった。4時過ぎに終了。車で15分の善光寺にお参りをした。拝観時間を過ぎてしまい、本堂地下の「お戒壇巡り」ができなかったのが残念だった。仁王門近くの店で味噌ソフトクリームと野沢菜おやきを食べ、夕方6時に長野を出発。帰り道の高速道路の進行方向にオレンジ色の大きな月が浮んでいた。『信濃では月と仏とおらが蕎麦』を全て体験できて大満足だった。
家に着いたのは9時近かった。
『信州信濃の新蕎麦よりもわたしゃあなたのそばがいい』と古女房をヨイショした。
   6月15日(日)
3丁目のSさんが50年前の大間々祇園祭の写真のポジフイルムを探して届けてくれた。その数79枚。
現像したカラー写真を見ると、三丁目が当番町だった年の祇園祭の賑やかで華やかな様子が蘇ってきた。
「三方良し」の会が今秋に計画している昔の大間々の写真展やスライド上映会の開催が益々現実味を帯びてきた。夜、会の仲間が集まり、「大間のまんま」オーナーの吉澤さんの発案で岡商店の白壁にプロジェクタで写真の投影試験をした。国の有形文化財に登録された土蔵に映し出された映像の素晴らしさに感動した。皆が生ビールを飲み始めた。飲みニケーションが盛り上り、いいアイデアが次々に出た。
「遊びをせむとや生まれけむ、戯れせむとや生まれけむ」人生を楽んでいる達人達の集まり。今からこれだけ遊び、戯れることができれば本番も成功する。
Aさんが「親しき仲にも前戯あり」と言っていた。アレ?

  7月27日(日)
 大間々祇園祭まであと5日。昨夜は大人の太鼓の練習日だった。山車に乗り、ばちを握るとワクワクしてきた。ピーという横笛の合図と共にテ・テン・テン・テン・テンと締め太鼓と軽やかな鉦が入り、大太鼓の音が太っ腹に響く。さんてこ、きり、たま、にんば、神田囃子と叩くうちにカンが戻ってきた。
 今朝は5時から祭りの提灯つけ。昨夜の太鼓の練習の後、遅くまで山車小屋で飲んでいた仲間も集まり、本町通りの両側に3時間かけて150個の提灯をつけた。
今年は4丁目が当番町。町内の浴衣も新調した。クリーム色の地に藍色で隅立四つ目の紋と「第四街」という字が染めてある。 
 この町に400年近い伝統をもつ祭りが残っていることに誇りと喜びを感じる。  
 そこでなぞかけを思いついた。
大間々祇園祭りの歴史とかけて、美女の浴衣姿ととく。このこころは、
「紐解いてみたくなる」

  8月18日(月)
4日前、仕事で使っているパソコンが突然切れて動かなくなった。電源を入れ直しても開かない。ハードディスクが壊れたらしい。データは毎日バックアップを取っていたので大丈夫だが、メールもFAXも使えず、帳簿も伝票発行も住所録も予定表も全部パソコンに頼りきっていたので仕事にならない。
考えてみれば、お盆も正月もなく、1日も休まずパソコンが仕事をしてくれるのが当たり前と思っていた。「当たり前」の反対語は「感謝」だそうだがパソコンへの感謝が足りなかったかも知れない。
 お盆明けの今日、ハードディスクを交換してもらった。ソフトを入れ直したりデータを再度入れるのに時間はかかるが虹の架橋も間に合いそうでホッとした。
なぞかけが浮かんだ。パソコンとかけてフンドシの紐ととく。そのこころは、
大事なモノが入っているので切れたら大変なことになる。
9月24日(水)
 大間々の古い写真などを保存・活用し、未来に伝達する『大間々アーカイブス』事業を「三方良し」の会が進めており、貴重な写真が集まってきた。明治初期の3丁目界隈の写真。大正元年のレンガ煙突竣工式の写真。95年前に2代目・朝潮太郎が大間々の酒蔵の地鎮祭で土俵入りをした時の写真等。
 商店街に残る最古のカラー写真は、現在86歳のOさんが21歳の時に撮った写真。雑誌の表紙を飾る女優のような美しい写真。戦後間もなく写真館に飾られ超美人のOさんは町の話題になった。
女性は超(チョー)美人と中(チュー)美人とチャー美人に分けられるという。チャー美人とは、見る角度と見る人によっては「まあ美人ッチャー美人」。
「私はどうなのよ」と聞かれ、本当のことが言えない時は、相手にはチョーと聞こえるように小声で「じゃー美人」と答えればいいだろう。
 10月27日(月)
 机の引出しを整理していたら、「全国亭主関白協会」(全亭協)の会員証が出てきた。2009年10月1日に4段を取得した時のもの。会員証の裏には@「ありがとう」をためらわずに言おうA「ごめんなさい」を恐れずに言おうB「愛してる」を照れずに言おう、という「愛の三原則」が書かれている。「亭主」とは、もてなす人のこと。「関白」とは、天皇であるカミさんを補佐する役目。全亭協の目的は「いかに上手に女房の尻に敷かれるか」を研究し、亭主力を磨いて家族を幸せにすること。
 亭主関白道段位認定基準では5段とは「愛妻と手をつないで散歩ができる人」となっている。毎朝、散歩はしているが結婚してから手をつないで歩いたことはない。11月13日には、結婚35年目を迎える。人前で堂々と手をつないで歩くためには、どちらかが先にボケるのを待つしかない。
  11月24日(月)
 今日も「日本を美しくする会」のブルゾンの注文が入ってきた。
胸に日の丸とクリーンアップジャパンアソシエーションというローマ字の刺繍が入り、背中に凡事徹底というプリントが入っている。
足利屋が加工販売元になっているブルゾンが日本各地で清掃活動を続け、心磨きをしている人たちのお役に立っていると思うと嬉しくてならない。
 国会内にも「国会掃除に学ぶ会」があり、19日に衆議院の解散を前に関係者20人が国会内のトイレ掃除をした。
朝日新聞にも自民党の河村健夫さんや逢沢一郎さんや次世代の党の中田宏さんらが真剣にトイレ掃除をしている写真と記事が載っていた。日の丸のブルゾンは国会議事堂にもよく似合うと思った。 
 日頃は対立している国会議員の先生たちも掃除をしている時はウヨクでもサヨクもなく、「ムヨク」で「ナカヨク」「カッコヨク」見えた。
  12月24日(水)
 4時45分起床。気温0度。外は星空。今日も風邪で体調不良。
 去年、父の昔の日記を発見して以来、真似をして、その日の出来事や思ったことを毎日10項目日記に書き残すことにしている。
昭和51年の今日、父の日記には「…風邪の調子がよくない。…群馬の福田赳夫氏が内閣総理大臣となり、大間々出身の長谷川四郎氏が建設大臣となる」と書かれていた。38年前の今日、父も風邪をひいていた。日記は後になると貴重な資料になり、書くことはボケ防止にもなる。最近、物忘れや失敗が多くなった。ボケないためには、キョウイクとキョウヨウが必要だという。キョウイクとは今日行くところがあること。キョウヨウとは今日用があること。今朝はパジャマを脱ぐのを忘れて重ねてズボンをはいていた。トイレでチャックを下しても指が奥までたどり着かない。
今日用が足せなかった。