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靖ちゃん日記へ


平成21年1月〜12月


 12月18日(金)
 ネパールの少女からラブレターの返事が届いた。彼女の名はイサシェレスタ。12歳。今年3月にネパールの山奥の村々を訪ねた。タフーンという村で民泊させてもらった。その家にイサとイシャンというかわいい姉弟がいた。
イサは英語が話せた。すぐに仲良くなった。イサからネパール語を習い、イサに日本語を教えてあげた。最初に教えた日本語はヤッチャンだった。今日またイサに手紙と「わたらせ渓谷鐵道」のカレンダーを送った。
 ネパールではトイレで紙を使ってはいけないのでペットボトルに入れた水と左指で処理をした。最初はトイレに行くのが不安で出たいのに出なかったが日本を発って5日目のタフーン村ではすっかり慣れて「多糞」になった。タフーン村は夜空も朝日も山々の景色も人の心も何から何まで美しかった。
日本では「花粉症」だったがこの村の美しさに出会って「タフーン症」になった。
 11月22日(日)
今朝、桐原グランドで恒例の大間々北地区ソフトボール大会があった。7年前、2打席連続ホームランを打ち優勝に貢献したのが今でも忘れられず朝から気合が入っていた。
チームワークではどこにも負けない4区チームだったが相手ピッチャーを打ち込むことができず、5回までで13対2と大差をつけられた。1番セカンドで先発出場。2打席目にセンター前にヒットを打った。次の回の守りで1、2塁間のライナーをダイビングキャッチしようと瞬間的に左に飛んだ。肩から落ちて「とんだ」ことになった。途中退場。高校時代、ハンドボールのゴールキーパーをしていて左に飛ぶのが得意だったが、あれから40年も経っていた。仕事中も痛くて腕が上がらなかった。「いい年をして、まったくぅ…」と和子に言われた。頭も上がらなかった。肩に湿布を貼ってもらう時、「もう年なんだから…」とまた言われた。同い年だろう。
 10月24日(土)
 今朝、「ながめ余興場」からNHKの生中継があった。昨日に続き入念な打合せとリハーサル。本番では黒子の会や全国芝居小屋会議の紹介をし、今回新調した桟敷席の座布団の話をすることにした。「座布団に名前を刺繍で入れます」ということで協賛を募ったところ、250口の募集に対して半月で494口の寄付が集まった。中には「百歳と99才を元気で迎えた両親の名前を連名で入れて…」という娘さんからの応募もあり感動した。NHKの入田さんから「そのいい話をしてもらって、最後は松崎さんのオチで締めましょう」ということになった。いよいよ本番。入田リポーターの絶妙な進行。最後に「ところで松アさんが敷いている松崎和子という座布団は」「愛妻の名前で、時には尻に敷き、時にはこうしてやさしく抱き締めて」と座布団を胸に抱えて生中継が終った。ルンルン気分で家に帰った。「またあんなバカなことをして」ときつく締められた。
 9月22日(火)
 四国松山の小倉くめさんと電話で話をした。くめさんは脊椎側弯症という障害を抱えながら、季刊誌「秘めだるま」や「くめさんの空」というラジオ番組を続けている。いつも大切なことを教えてくれる人生の師。「人間の脳が一番求めているのは人から認められることです」と言っていた。
 今朝の朝礼で読んだ「職場の教養」に「ほめられサロン」というインターネットのサイトが紹介されていた。すぐに検索してみた。名前や性別や年齢や職業を選び、最後の「ほめられたいですか」で「はい」と押すと軽快な音楽と共に次々にほめ言葉が画面いっぱいに出てくる。「やっちゃん、頼もしい!」「やっちゃん、男前やな」「やっちゃん先輩が夢に出てきました」読んでいるうちに気持ちがよくなってきた。家族や従業員の名前を入れてほめ言葉を印刷して渡してやた。
 今度は試しに「ほれられサロン」はないかと探してみたがそんなサロンはなかった。
 8月1日(土)
大間々祇園祭りが始まった。今年は京都の八坂神社のご分霊を大間々の地に祀ってちょうど380年の節目の年。伝統の重みを感じた。初日からあいにくの雨。それでも昼間は商工会で神輿パレードに参加し、夜はお囃子競演会で山車を引いた。商工会のハッピとお囃子保存会のハッピと4丁目の揃いの浴衣と3回も着替えた。商工会の神輿パレードには会員が60人も参加していた。担ぐのは若手に任せ、一番ラクな先導役を務めた。行く先々で酒やビールを振る舞われ、途中から千鳥足になってしまった。4丁目の山車小屋前で慎ちゃんからバケツに2杯水をかけられた。酔いが醒めて元気回復。
 6丁目からは若いオネエちゃんと2人で神輿の上に乗った。「玉の輿」に乗る気分を満喫した。あちこちで水をかけられ、雨にも濡れて、気がついたら白い半股引の下の柄パンが透けて見えていた。縮み上った「輿の玉」がパンツからはみ出していないか心配だった。
 7月1日(水)
 新里の安養寺さんの本堂でOKバジこと垣見一雅さんの講演会が開かれた。住職の舩戸さんは「にんげん」という新聞を発行し、ネパールで支援活動を続けるOKバジに支援金を送っている。本堂いっぱいに集まった人はOKバジの話を興味深く聴いていた。百校もの学校を作り、奨学金制度を作って子供たちの教育環境を整え、村人たちと一緒に汗を流して井戸や灌漑用水も数知れず作ってきた。病気やケガをした人の命を救い、神様のように尊敬され家族のように愛されている。
舩戸住職に「松アさんがネパールで体験した話もしてほしい」と頼まれた。OKバジを真ん中に舩戸さんと3人が上座に座った。OKバジの話のあと、おハチが回ってきた。足が痺れて転びそうになった。ハヂをかくところだった。気がついたらご本尊様にずっとケツを向けていた。バチが当たるところだった。ご本尊様からケツを左に移動させた。今度はOKバヂに当たるところだった。
  6月25日(水)
 垣見一雅さんと桜井ひろ子さんから今日、同時に手紙が届いた。3日前に別れたばかりなのにすぐに礼状をもらって感激した。2人に共通するのは再利用の封筒と、使い残しのノートや紙を便箋代わりに使うこと。物を大事に使う習慣が染み付いている。垣見さんは、長年のネパールでの支援活動が評価され、今年の「吉川英治文化賞」を受賞した。「一糸乱れぬ」丁寧な字は垣見さんの生き方そのもので、手紙をみんなに見てもらいたくなる。
OKバジを密着取材したひろ子さんの著書「道を楽しむ」は「吉川英治文学賞」を上げたいくらい感動的な本だ。天真爛漫、ありのままを飾らず隠さず飛んだりはねたり「一糸まとわぬ」ような手紙も味がある。ひろ子さんの手紙は誰にも見せずに涙を流したり、笑ったりして何度も何度も読み返した。「私、人のふんどしで相撲をとってま〜す」というひろ子さんのふんどし姿を今夜もまた想像してしまった。
 5月20日(水)
 昨夜は水上温泉に泊った。いつもの習慣で5時に目が覚め、5時半に起きて散歩に出た。利根川の源流と残雪の谷川岳の景色が美しかった。
うちのプ〜ちゃんも今頃は散歩の時間。テレビの「お父さん犬」と違ってプ〜は携帯を持っていないので、代わりに和子に電話…。でも、今朝は電話でなく、谷川岳の写真を携帯で撮ってメールで送ってみることにした。初体験だった。慣れない手つきで「送信」。それから電話。「届いた?」「写真が見られない」…。再度挑戦。「今度は?」「今度もだめ」。利根川の橋の上と渡良瀬川の遊歩道で悪戦苦闘する2人をプ〜も心配して見ていたに違いない。臆病だが空気が読める賢い犬。以前、散歩の時「柴犬?」と聞かれ「いえ、オカマの雑種です」と答えた。プ〜は淋しそうな顔をしていた。
以来、「シバですか」と聞かれた時はプ〜のプライドを傷つけないように「女房はチバです」と誤魔化している。
 4月2日(木)
ネパールで1番の心配はトイレだった。紙を使わず水と左手で処理をする。正露丸を手放せなかった。民泊初日は緊張した。ズボンを下ろし、便器の小さな穴を確認してしゃがみこむ。無事に出たあとは右手に水の入ったビール瓶をもち、左手で尻を洗う。最初は戸惑ったが慣れると快感に変わった。ビール瓶を大きく傾け、左の指で健康状態を確認するかのように洗い流す。ビール瓶1本の水は尻を洗って手を丁寧に洗うのにちょうどいい量であることを知った。小瓶ではチョッと物足りないというのはビールを飲む時と同じだった。
 民泊4日目の今朝はペットボトルに水をつめて、散歩を兼ねての野外トイレ。道端には大きな牛の糞や特大の正露丸のような山羊の糞が落ちていた。牛や山羊との道端勝負を避け、道なき道を分け入り、慣れた腰つき、慣れた手つきで用を足した。澄んだ空気、眼前に広がる雄大な山々。神々の座と呼ばれる山の中でカミは必要なかった。
3月22日(日)
ネパール出発まであと4日。
旅行の目的は15年前から現地の寒村で支援活動を続けるOKバジこと垣見一雅さんに会うことと、我々の支援金と村人の労力で出来た図書館のオープニングに出席し、蔵書第一号として預った星野富弘さんの英語版の詩画集を届ける事。18人の仲間が手分けして富弘さんの本をリュックにつめて持って行く。首都カトマンズから飛行機で30分、バスで2時間半。更にジープと徒歩で5時間、2時間、2時間半…と民泊4日を含めて村々を訪問する。現地の人達との交流とヒマラヤの「神々の山嶺」をこの目で見るのも楽しみだ。
 11日間も仕事と家を空けるのは初めて。留守中の段取りに追われ旅行の準備が出来なかった。親友のYちゃんから寝袋を借りた。試しに一晩寝てみた。快適。赤と青のツートンカラー。赤は遭難した時に目立ちそうだ。女房の元気が出る赤いパンツも借りて行こうと思ったがやめた。遭難した時目立ちすぎる。
2月16日(月)
さくらもーる閉店後、センターコートで従業員とその家族のための「お笑いイベント」を開いた。日頃はイベントがあっても観られない従業員のための粋な計らい。一昨年はモノマネのホリ。昨年は口からトランプを出す藤井あきら。今年はジョイマン、しずる、5GAPのお笑い芸人のギャグを270人が楽しんだ。
 お笑いイベント終了後、近くのカラオケ店へ行き、打ち上げパーティで盛り上がった。今日はダイエットのことは忘れてビールを飲み、イチゴパフェと焼きおにぎりを食べた。さくらもーるの看板娘のY子ちゃんと「今夜は離さない」を歌った。熟女のSさんとIさんと未熟女のYちゃんが次々と両隣に座った。飲ませるつもりが飲まされた。酔うと口説きたくなる癖がある。『惚れた数からふられた数を引けば女房が残るだけ』というどどいつを思い出した。残る女房がいるだけましか。「ジョイマン」でなく「酔いマン」で帰宅した
1月21日(水)
全国亭主関白協会(全亭協)に入会して3ヵ月が経った。
「亭主関白」の亭主とは茶道でいう「もてなす側の人」であり、関白とは天皇を補佐するナンバー2の人のこと。家庭にあっては天皇である愛妻を補佐し、もてなすのが全亭協の唱える亭主関白である。
全亭協には「愛の三原則」がある。
@「ありがとう」をためらわずに言おう
A「ごめんね」を恐れずに言おう
B「愛してる」を照れずに言おう
「愛してるよ〜」はなかなか言えないので、我家ではこれを省略して「愛・よ〜」と返事に使っている。
「お風呂、お先〜」「愛・よ〜」
「明日はゴミの日ね」「愛・よ〜」
亭主力が高まると愛妻の笑顔もよくなる。「妻の顔は通知表」だ。何を言われても口答えせず「あいよ〜」に愛を込めれば夫婦喧嘩はなくなる。
戦わずして負けてやる「無条件幸福」であり、「白旗攻撃」であり、「妻害対策」でもある。

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