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12月16日(金)
シアトル在住の若林茂さんが来てくれた。若林さんはワシントン大学の客員教授で日本の文化や経済を教えている。
アメリカで虹の架橋のホームページを見てくれたのがきっかけで3年前からメール交換が始った。「日本人の心をアメリカの人に理解してもらうのに最適」と、「小耳にはさんだいい話」を抜粋してワシントン大学の日本語教材のテキストにしてくれた。
今回の帰国の目的でもある富弘美術館を時間をかけてじっくりと観た。
サンレイク草木に泊った。露天風呂が大好きという若林さんと何度も風呂に入った。亀の湯という露天風呂には亀の石像があり、そこからお湯が湧き出ていた。明るい月に照らされた亀さんはうらやましいほど元気に空を見上げていた。湯船の中でそっと下の方に手を当てた。情けないほど丸く縮んでいた。湯舟に映る丸い月の下で、それはまさに「月とスッポン」だった。
11月18日(金)
仕事で大失敗をした。先代からのお得意さんのKさんに前回、大量納品した商品と金額が違っていた。指摘されるまで全く気づかなかった。「所長は夜にならないと戻らないからもう一度来て下さい」とのこと。一度、店に帰って以前のデータを全部調べた。コンピュータの打ち違いで前々回の納品も間違っていた。二度の間違いは弁明の余地がない。取引中止を覚悟で正直に詫びた。K所長は「そこまでは気がつかなかった」とあっさり許してくれて注文も増やしてくれた。「失敗」と書いて「けいけん」と読むそうだ。Kさんには悪かったが良い「けいけん」をした。「二度と失敗しない」と心に決めた。夕食後にまた失敗した。以前から薦められていた黒酢を初めて飲んだ。薄めずに一気に飲んだ。あまりの酸っぱさに喉チンコがヒリヒリして咳が止らなくなってしまった。「失敗」と書いて「スッパイ」と読むことを身をもって体験した。
10月25日(火)
今日からながめ公園で「第48回関東菊花大会」が始った。赤城山の全景が一望でき、眼下に渡良瀬川が流れる「ながめ公園」に、これから1ヶ月間、県内外から多くのお客様が訪れる。広い園内には1,300鉢もの菊が飾られ、『義経』の名場面をテーマにした菊人形の前では記念写真を撮っている家族連れがたくさんいた。何ヶ月も前から黙々と菊人形づくりの準備を続け、背景画も一人で描き上げた菊人形師の松崎福治さんがこの様子を見たらさぞ喜ぶだろうと思った。スピーカーからは威勢のいい民謡が流れていた。上州名物・焼きまんじゅうのいい匂いも漂ってきた。菊を見るのを忘れて、民謡のテンポに合わせてパクパクと焼きまんじゅうを食べた。抜けた差し歯の間にまんじゅうが挟まり、飛び上がるほど痛かった。スピーカーから流れる民謡の合いの手が「歯ぁ〜 どしたぁ〜」と聞こえた。
9月24日(土)
大間々神梅小学校の運動会に招かれた。神梅小は児童数38名の小さな学校だが地域総出の運動会は和やかで活気があった。校庭には子ども達と婦人会の人たちが一緒に作ったプランターが並び、色とりどりの美しい花を咲かせていた。小雨が降っていた。開会式での挨拶はひと言で済ませた。スプーン競争に参加した。一緒に招かれていた制服姿の若い駐在さんも一緒に走った。ラケットにボールを乗せて、落とさないように夢中で走る。駐在さんが前を走っていた。抜くとお巡りさんに追いかけられる悪者に見られそうなのでそのまま2着でゴールした。
特製のデカパンを二人で一緒にはいてずり落ちないように走るデカパン競争も面白かった。パン食い競争にも参加した。弁当とパンをもらって帰ろうとしたら「虹の架橋に運動会のことも書いて下さいね」と頼まれた。「一宿一パン」の恩義は忘れちゃならない。
8月20日(土)
夜、Kさんの赤城の別荘で仮装大会の祝勝会を開いた。仕事を終えた仲間も次々と集まり、23人の大パーティになった。仮装大会の1週間前にベビーが誕生したヒデちゃん夫婦、ミツオくん夫婦にプレゼントが用意されていた。みんなが自分の家族のことのように赤ちゃん誕生を喜んだ。まさに「4区ファミリー」。これぞ地域付き合いのお手本だと思った。仮装大会のビデオをみんなで観た。大爆笑で大いに盛り上った。ひとり禁酒を守るのは辛かったが我慢した。
昼間の疲れが出てきて眠くなった。寝ることにかけては「いつでも、どこでも、誰とでも」がモットーだが、この大人数では無理がある。「マクラが変わると寝られねぇ」と言い訳をして泊まらずに帰ってきた。11時に帰宅。うちの美人マクラ?は気持ち良さそうな顔で寝息をたてていた。
7月23日(土)
大間々まつり仮装大会の準備も大詰めを迎えた。今年で15回目を迎える仮装大会には十一チームが参加。優勝賞金30万円を目指して最終日の8月3日に行われる。
今夜も仕事を終えた仲間が次々と集会場に集まった。今年の四区は「白鳥の湖」で9回目の優勝をねらう。毎年の仮装大会のお蔭で皿回しを覚えたり、タンゴやフラメンコが踊れるようになった。今年はT先生から本格的なバレエのレッスンを受けて特訓中。衣装も全て手づくりというのが4区の伝統だ。いい歳をした男12人がレオタード、股モッコリの白タイツ姿でプリマドンナになる。頭の飾りをどう作るか迷った。白鳥らしくなるかどうかがこれで決まる。Yちゃんが「白いパンティを頭にかぶるか」と言った。「冗談とパンティは、またにしてくれ」と心の中でつぶやいた。
6月23日(木)
大間々と姉妹都市・鳩ヶ谷の冨田栄子さんと上田眞由美さんが訪ねてきてくれた。
2人は17年前から『おしゃべりじゃーなる』という新聞を2ヶ月に1度発行。女性の目で見た地域情報紙としてユニークで楽しい話題を提供し、鳩ヶ谷には無くてはならない存在になった。8月には100号を迎えるという。虹の架橋も8月で丸10年。続けることの楽しさや苦労を体験している者同士、お昼を食べながら楽しい話に花が咲いた。
虹の架橋をいつまで続けるか、という話になった。感性や気力が鈍ってボケてきたらこの新聞は作れなくなる。でも、ボケが逆にユーモアを生むこともある。「カップヌードル」を「ヌードカップル」と間違え、「おばあちゃんの知恵袋」を「おじいちゃんの玉袋」と言った人がいるという。ボケも一種の才能かもしれない。
5月12日(木)
商業界の勉強会で出会った十日町市の松村ひろみさんと宮沢敬子さんが訪ねてきてくれた。松村さんのお店・レストランオガワヤは新潟県中越地震で大被害を受けたが一週間後に店を復旧オープン。被災した街に元気と明るさをもたらした尊敬する親友。両手に花で富弘美術館を案内した。平日でも多くの人で賑わっていた。美術館のスタッフやカフェの制服は足利屋で納めたものなのでその姿を見るのも嬉しい。夜は家内の和子も加わって四人で食事。松村さんは自称『歩く虹の架橋』と言うほど、虹の架橋の内容を詳しく知っていた。「靖ちゃん日記」の下ネタのオチも次から次と思い出させてくれた。まるで重ねばきしたパンツを一枚一枚脱がされていくような恥かしさと快感だった。
女房以外の女性にパンツの中まで見透かされている気がしてソッと両手で前を隠した。
4月20日(水)
大間々街路灯組合のバス旅行で会津へ行った。気心の知れた商店街仲間の旅行は気軽に冗談が言い合えて楽しい。『安達ヶ原鬼ばば伝説の里』へ行って民話の人形劇を観た。愛する我が子を助けたい一心で、髪を振り乱し、恐ろしい鬼になっていく姿の中に母親の深い愛情を感じ、親しみも湧いてきて、最後は胸が熱くなった。
一度観たいと思っていた『三春の滝桜』も観た。樹齢千年といわれる風雪に耐えた紅枝垂桜は繊細で初々しい色香をただよわせていた。梅、桃、桜が一緒に咲くので三春という地名がついたという。磐梯熱海の大きなホテルに着いた。三度目の春が真っ盛りのオバちゃん軍団は肩からバッグをタスキ掛けに背負い、ワイワイ騒ぎながら玄関に向った。入口の大きなドアのガラスに髪を振り乱したオバちゃん軍団の姿が映った。『鬼ばばの宿』に来てしまったかと思った。
3月17日(木)
大間々駅トイレ清掃400回などの記事が上毛新聞や桐生タイムスや日刊きりゅうで紹介され、皆から祝福された。今日は中学3年の時の担任だった田中文夫先生から便箋4枚の嬉しい手紙が届いた。美術の先生でユーモアのある大好きな先生だった。もう、81歳になったという。あれから37年も経っているのに不義理な教え子のことをちゃんと見守ってくれていたことに感激した。小学校6年の時の担任の木暮久子先生からも新聞を読ませてもらったよと電話をもらい、商売の見習修行をさせてもらった高崎の高橋英三会長からも心のこもった手紙をもらい嬉しかった。
いつも冗談を言い合う年上のA子ちゃんから「やっちゃん、男を上げたね」と言われた。お返しのつもりで「A子ちゃんだって、更年期が過ぎて女が上がっちゃったんべ」と口を滑らせてしまった。
二月八日(火)
足利屋の名刺がビジネス名刺コンテストの優秀賞に選ばれ前橋で表彰式があった。「貴社の作品は地域に根ざした商店主の人柄が伝わってくる心に残る優れた名刺ですのでこれを賞します。群馬県知事・小寺弘之」という賞状だった。
夕方の群馬テレビのニュースで放映すると聞いていたのでテレビの前で待った。ニュースがはじまった。最優秀賞の伊香保の旅館『おかべ』の美人女将が映った。「…見ただけで泊まりに行ってみたくなるような温かみのある名刺」と評されていたが名刺を見なくても、あの美人女将を見れば誰でも泊まりに行ってみたくなる。次はいよいよ優秀賞の番だ。でも名刺だけチョッと紹介されただけであとは全部カットされてしまった。カットされてカッとなるようでは「地域に根ざした商店主の人柄」が聞いて呆れる。
一月二十一日(金)
入院生活十日目。インターフェロンの副作用の発熱も落ち着いた。今日も二冊本を読んだ。『病気とは、静かに自分を振り返り、今まで気づかなかった価値に出会う絶好の機会である』というヒルティの言葉が印象に残った。午後二時を過ぎると廊下の足音に耳を澄ます。毎日、和子が着替えと郵便物を持って来てくれる。デート気分で一階の喫茶店でココアを飲んだ。
消灯は九時。六人部屋は昼間は良いが夜は熟睡できない。Aさんは真夜中に煎餅をボリボリかじり、まだらボケのBさんは一時間おきにナースコールを押してワガママを言い、Cさんはイビキとオナラ。寝たと思うと目が覚める。枕に和子と名前をつけて両手でギュッと抱きしめたら安心して寝られた。又、Aさんが煎餅の袋をむき始めた。今度は枕を誰の名前にしようかと考えたら余計、寝られなくなった。
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