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平成14年1月〜12月


十二月十六日(月)
開店前に「さくらもーる」のトイレ磨きをした。1階2階の3箇所、合わせて30の便器を社長以下役員全員と事務局職員ら15名で2日間かけてピカピカに磨いた。普段は清掃のおばさんが1日に何回もトイレ掃除をしているがひとつの便器を1時間も磨くことは不可能。時には店を預かる我々が自らの手で丹念に掃除をすることも必要だ。お客様への感謝の念もわき、小さなことにも気づくようになる。「さくらもーる」もオープン以来10年目を迎えることになった。あらためて良い仲間と一緒に仕事をしていることを実感した。
夜は同じ仲間と薮塚温泉へ行って大いに盛り上がった。朝は掃除で換気扇のハネをはずし、夜は忘年会でハメをはずした。
何事もアソコまでやるとキモチがよくなる。



十一月十五日(金)
横川「峠の釜めし」の発案者である田中トモミさんの講演会を開いた。田中さんは大正十二年生まれと聞いて驚いた。背筋がピンと伸びていて声の張りもあり一時間半マイクも使わずにエネルギッシュに話した。「何事にも本気で取り組むこと、与えられた場所で一所懸命やっていれば必ず道は開ける」と、自らの体験を通して教えてくれた。懇親会では参加者ひとりひとりと言葉を交わし、皆と「一期一会」の喜びを味わった。田中さんの健康の秘訣は規則正しい生活と真向法(まっこうほう)体操。これを続ければ「ピンピンころり」いつも元気で死ぬ時はコロリと死ねるそうだ。今晩から体操を始めて下さいと言われた。よしっ、今晩からやるぞと決心した。
でも二次会から帰ったら明日になっていた。



十月十九日(土)
 大間々北地区の親善ソフトボール大会二日目。八地区なので三試合勝てば優勝する。我が四区は不戦勝があったので一試合勝っただけで決勝に進出した。仕事を終えて夜八時に試合開始。雨の中のナイターも悪くなかった。何より町内の仲間との和気あいあいの雰囲気が楽しい。試合前にチョッとだけ練習をした。「練習は不可能を可能にする」という名言があった。四十年前の野球小僧の勘が戻った。打てる予感がした。案の定、二打席連続でレフトオーバーのホームランを打った。あてにされていなかった下位打線の活躍で久々に四区が優勝した。缶ビールを二ケースもらった。何度も乾杯した。「乾杯の数だけ人生が楽しくなる」という言葉がある。人生が楽しくなりすぎて肝臓が心配になってきた。



九月十九日(木)
遅い夏休みをとって内堀先生と夜行バスで広島へ行った。広島市立日浦中学校を訪問した。修学旅行での心温まる美談を「千羽鶴に祈りを込めて」と題して虹の架橋に紹介した学校だ。三年生が中心となってアルミ缶を回収していた。車椅子を寄贈するためだという。庭に赤紫の和也君の朝顔も咲いていた。
三年生百十一人が体育館に集まって歓迎会をしてくれた。全員の寄せ書きをもらった。「信じる心があれば通い合えることを学びました」…と担任の先生の添え書きにも感動した。女生徒や保護者から素敵な絵や彫刻や花束やラブレター?やもみじまんじゅうをもらった。芸能人になった気分だ。そういえば「爆笑問題の太田にそっくり」と言われた。鏡を見たらニヤニヤしている太田がいた。


八月三日(土)

大間々まつり最終日。今年も婦人会に作ってもらったカレーを皆で食べて仮装大会に出場した。キリンの衣装で七丁目から一丁目まで八ヶ所で演技をした。一番スタートだったので最後の会場で他のチームの演技を全部見られた。どのチームも面白かった。
「希望の家療育病院」の美女達が楽しい魚に扮して踊った。ビールを飲みながら見とれていたら突然、チョンマゲのカツラをかぶらされ浦島太郎にされた。魚達の輪の中に連れて行かれ、美しい乙姫様に唇にキスされ、ポラロイドカメラで写真を撮られた。天にも昇る心地だった。「ば〜かが、男にキスされて…」と笑われて目の前が急に真っ暗になった。仮装で三連覇を逃した事よりショックだった。


七月二十五日(木)
今夜も九時から十一時まで四区の山車(だし)小屋で仮装大会の準備だった。六月から始まった準備もいよいよ大詰め、皆も気合が入ってきた。
下着を黄色に染めた。いらなくなった黄色い生地をもらってきてミシンで縫って長い首を作った。耳をつけて、角をつけて、目をつけて…大人十八人、子供六人分の衣装を作った。見事な出来栄えに惚れぼれした。ビールを飲みながらパフォーマンスをどうしようか、BGMは何にしようかとワイワイ、ガヤガヤ。町内の仲間と過ごすこんな時間が一番楽しい。
今年のタイトルは「キリンファンタジー」タイトルにふさわしく可愛く、きれいに決めてみたい。
股間に大きな金の鈴を二つ付けてみた。踊るとチンチンという音がした。でも肥満キリンの鈴チンチンはファンタジーではないかもしれない。


六月十八日(火)

今日は東京出張。大雨だった。仕事が終わり、時間があったので、いろいろな店を見てみようと錦糸町へ行った。本当は、長女の恭子の仕事ぶりをソッと覗いてみたかった。丸井の二階の女性水着の売場で働いていると聞いていた。もし顔を合わせたら何と言おうか、上司がいたらどう挨拶をしようかと考えながらエスカレーターを上った。鏡があった。雨と風でボサボサになった髪を整え、父の日に貰ったネクタイを締め直した。左手に水着の売場があった。恭子がいた。接客をしていた。ビキニの水着の陰に隠れて様子をみた。笑顔、よーし。しぐさ、よーし。お客様も説明に納得している様子だった。水着の売場でニヤニヤしながらよーし、よーしとつぶやきながら覗いている中年オヤジを隣の売場の人が不審そうに見ていた。


五月二十四日(金)

 明日「ながめ」で講演をする大野勝彦さんが赤城駅へ着いた。わざわざ義手をはずして握手をしてくれた。富弘美術館へ行った。詩画を観ながら大野さんは「俺達ゃ、怠けとる」と自分に言い聞かすように言った。「富弘さんがこの葉っぱの中の細い線を一本描くのにどれだけ神経を集中して、体力を使って描いてるかを思ったら俺達ゃ、まだまだ怠けとる」と。
 サンレイク草木でビールを飲みながら食事をした。大野さんの下ネタの連発にみんなが大爆笑だった。「大野さんはいつも忙しいですね」と言うと「いゃ〜同い年のムスコはブラブラしとります」?満月を見ながら一緒に露天風呂へ入った。最高の気分だった。本当にムスコはブラブラしていた。


四月二十三日(火)
 作家の神渡良平先生の講演会があった。樹徳中学校の校歌を作詞した先生でもある。
「人は何によって輝くのか」というテーマだった。『人生には登り坂もあれば下り坂もある。時には思いもかけない「まさか」という坂もある。しかし、自分の前に現れる事は全て意味がある。それを謙虚に受けとめ、出会いの不思議に感謝しながらコツコツと努力を続けた時、人は輝く存在になる』という話だった。脳梗塞で半身不随の危機をリハビリで克服した先生の話に心が震えるほど感動した。
 夜、虹の架橋をパソコンで打った。保存する前に突然止まってしまい全部消えてしまった。思いもかけない「まさか」だった。感謝などできなかった。



平成十四年 三月十八日(月)

今日からお彼岸。
朝、お墓掃除へ行った。両手にバケツを持って三十二段の石段を三往復したら息が切れた。普段、体を鍛えていない証拠だ。
要害山から昇る日の出が美しく、思わず手を合わせてしまった。
 光栄寺の入口には「心のおくすり」という掲示板があり、いつもいい言葉が書いてある。「口が濁ればぐちになり徳が濁ればどくになる」「受けて忘れず、施して語らず」…なるほどその通り、と感心させられる。心のおくすりのせいか最近、心に「カゼ」をひくことも少なくなった。そういえば今年は花粉症もひどくならない。年のせいで花粉も感じなくなってしまったのだろうか。「かふん症」より「ふかん症」の方が心配だ。


二月九日(土)

大間々の厚生会館でおもちゃ図書館「もみの木」のイベントが開かれた。心身にハンデを持った子供達とそうでない子供達が一緒におもちゃで遊ぶことでお互いを理解し合い、成長していくことを応援するボランティア活動も今年で十年目を迎える。大間々北小のふれあい広場でわずか数人ではじめた活動がこんな大きな輪になって嬉しい。「遊び心」はどんな時でも活動の大きなエネルギーになる。今回もミスターガーリックさんのマジックショーや皿回しに人気が集まった。コミカルな動きで皿を回している姿をみて、大間々まつりの仮装大会を思い出した。ガーリックさんからは去年も仮装大会のヒントをもらった。今年の大間々まつりまであと半年。眠っていた「遊び心」に火がついた。大人の火遊びは燃えると消えない。


平成十四年 一月十三日(日)
 
環境美化に関心をもつ人達の自主活動として、今年も成人式会場となる「ながめ余興場」の周辺清掃を行った。朝七時、五十人以上の人たちが手に手にゴミ袋を持って空き缶やゴミを拾い集めた。参加人数は去年より大幅に増え、ゴミは去年より減った。「このまちの子供達はこのまちの大人達を見て育つ」。小さなことでも永く続けていればもっといい町になる。
 長女の恭子も今年、成人式を迎えた。着物姿がチョッとまぶしくみえた。我が家の愛犬プーちゃんは大喜びた。
「この家の犬はこの家の主人を見て育つ」?プーちゃんはなぜか女の人が大好きだ。

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