■航空偵察 S45年頃 約半月に渡る演習が相馬が原であり、私は小隊の班長として現地に
行きました。この演習は隊員のもっとも嫌いな演習で私自身ウンザリして
いました。翌朝、訓練幹部が航空偵察のための人員、陸曹以上を2名募集
した時、いの一番に手を挙げ採用されました。後の1名はT二曹でした。
二人は連隊本部の指揮下に入り、総勢12名ヘリポートに駐機してある
ヘリコプター(OH-6・4人乗り)の所に行き、座学でヘリコプターの主要な
特性や機能・諸元等を勉強させられ、午前と午後の2回ヘリコプターに
搭乗して航空偵察の訓練を受けましたが、実際に操縦士と会話を出来る
のは、隣に乗った一人だけで、後ろの二人はヘルメットも無く、
通話機能が無いため、のんびりと景色を楽しんでいればいいのです。
しかし、パイロットは私より一階級上の新米パイロットで心配で
ヒヤヒヤしての搭乗でした。墜落もせずに相馬が原周辺の上空を存分に
飛行しました。
特に印象に残っているのは、榛名山に向かい東側から進入し、伊香保温泉を
下に見て上昇気流に乗りグイグイと高度を上げ見る間に榛名富士、榛名湖
上空に達し、山の西側に抜けた時、今度は下降気流で尾根と尾根の間の
V字谷に向かって下降して行った時は思わずもう墜落かと思いました。
また、高崎、観音様の真上での旋回飛行は今でも鮮明に憶えています。
お陰で嫌いだった演習はパス。
■営 内 班 平常の勤務時、普通科中隊は10ケの営内班がありました。班長、副班長、9-10
名の班員で成り立っています。私が班長の頃、班長以下総員12名でした。
給料日、副班長と相談し、全員と面接します。当時は家庭への仕送り等
をする親孝行な隊員が何人かいました。
そうした人を除き、給料の半分の現金と通帳を預かり、(印鑑は別)私自ら
厚生科に出向き預金してくるのです。
後で、通帳に預金したかどうかを確認させて、本人の了解の下、通帳は
私が管理し、本人が持っている金は今月の小遣いとして全部使ってよいと
言い渡しました。
何ヶ月か経って、各班の預金統計の結果、我が班がダントツの預金高
でした。
班活動の一環として夏のある日、中隊長に相談し、班全員の外出を申し出で
許可をとりました。会計係りを命じ、会費を徴収して持参品を指示し、
いざ出発・・。
駐屯地の東からバスに乗り、目指すは豊島園遊園地のプール、班全員で
プール遊びを存分に楽しみました。
実は西武系の各施設は自衛隊に対しての優遇制度で厚生科に行くと格安券が
もらえたのです。
今度は、電車で池袋に出て、当時流行の「コンパ」(手軽なスナックという感じ)
で酒を飲み全員、上機嫌で帰隊したのです。費用も格安、班員に大好評で
班長の点数も上がりました。
お陰で、班の指導良好につき、五級賞詞を授与されました。
■0点規正 ゼロテンキセイと読む。射撃用語。ライフル銃には人間と同じに、個々のクセが
あります。そのクセを知ることが0点規正です。まず、200mあるいは300m
(通常は300m)の射座(射撃をするところ)で射撃の姿勢をとり、9発の弾を
貰い、定められた上下、左右のクリック数で、標的を真剣に狙い3発を
撃ちます。上手い人が撃つと3発が大体近い所に集まり下手な人は
バラバラで(0点規正が出来ない)集まった3発が左下に集中した場合は
左右クリックで右に〇クリツク、照門を移動させ今度は上下クリックで
上に〇クリツク移動させます。
この時少しオーバー目に移動させるよう指導されました。
次に修正したクリックで3発撃ちます。今度は中心より少し右上に集中したと
します。
今度は照門を左右クリックで左に〇クリツク、上下クリックで下に
〇クリツク移動させ弾が中心に行くように導くのです。
最後の3発を撃ちそれが中心の円の5点圏内に入れば0点規正は完成です。
射撃の初期は9発も使いますが慣れて来るに従い、6発になり最後には
3発で、出来るようになります。
一般の人は300mでの射撃は、スコープを用いると考えていますが、
陸自隊員は300mではスコープなど使用することはありません。
スコープはスナイパー(狙撃手)養成等で使用するだけです。この時には
100mで10cmの標的を狙いました。スコープの0点規正は大変難しく、
少しの衝撃が次の日の射撃の成績に影響したのを覚えています。
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