新年  2008.1.1
 
いつものようにジャニーズのカウントダウンをみながら年を越した。今年は嵐がメインの司会だった。驚いたことにほとんどの曲を知っていた。
「カウントダウンコンサートが終わったら会場のあの大勢の子たちはどうするんだろう?」
という素朴な疑問に
「ドームシティのホテルに泊まるか、親と一緒に来てるから心配ないんだよ。」
と、詩織が明快に答えてくれた。
「ついでにいうと、ホテルのほとんどの窓に大きなあの応援用のうちわがおいてあるんだよ。」
ふ〜ん、納得。




初詣で 2008.1

 普段の年と趣向を変えて1日に貴船さんに出かけた。4時くらいだったと思う。駐車場までいくのに車がすげえならんでいて、くるまから降りても石段にたどり着くはるか前からならんでいて、結局、出直すことにした。
3日にもう一回貴船さんに行ったけど、やはりこんでいて、天神様に行った。天神様も
それなりにたくさん人がいて、西中の生徒がいた。
 恒例のおみくじは・・・
   お父さん・・・吉
      お母さん・・・大吉
      詩織 ・・・大吉
     真名斗 ・・・欠席
 今年の目標は何にしよう?クールに生きることかな。
 その後、イオンに行ったんだけど、福袋はどこも終わっていた。桐生の住人と5,6人行き会った。桐生で太田の人に会い、太田で桐生の人に会うとはね。まあ、桐生の人はイオン大好きだからなあ。

ふぐ   2008.1

 「ふぐを食べよう」と夏頃から言っていてやっと実現した。大腸ポリープ手術の保険が下りたので。ふぐちり、ふぐのからあげ等々。もちろん、いつもの三浦屋でね。最後に三浦屋のおかあさんに「ぞうすい」を作ってもらって、家族4人で美味しく食べた。

成人式            2008.1.13
 
ウチの詩織ちゃんは成人式だった。
「いやあウチの子はきれいだあ。」と夫婦でベタ誉めしていた。セットと着付けのために4時起きだったけれどあっという間の一日だった。





群馬昆虫の森                    2008.1.18
 
昆虫の森に行ってきた。
温室には大きなゴマダラチョウが優雅に舞っていてすごく感動した。矢島園長の話も「子どもたちは体験してこそ生や死を実感する」という意味の話もよかった。どうしてもゴマダラチョウの幼虫が見たくて飼育棟にいってみた。予想外で、芋虫系のカラフルで大きな幼虫だった。
               

 
ツマグロヒョウモン             2008    1
 
引き続き昆虫ネタ。去年の5月に本校で幼虫が大発生してとりあえず毒がないことと蛾ではなくチョウの仲間であることを調べたついでに、亜熱帯型の種でいままで群馬県ではほとんど見つかっていなかったことが分かった。ひょっとしたらスミレの葉っぱの間で越冬するかもしれないと、校務員さんの佐々木さんとスミレを注意してみていたんだけれど、予想通り見つけた。
あったかい日に見つかるんで、ひょっとして、日向ぼっこをしてるんかもしれないと話していたんだけれど、たまたま、読売新聞の群馬版に「1月末に高崎で見つかったのが群馬での記録」みたいなことが載っていた。太田で見つかったんだからちょっとした発見かな?

                                          
買場さや市・天満宮骨董市          2008.2.2

北小の子どもたちの出店が最後というので行ってみた。あいかわらず、(桐生で一番旨いと思っている)焼きまんじゅうの前沢屋さん、(やはり桐生であんこが一番旨いと思っている)辰見屋さん等々いつもの人たちが出店していていつものようにそれらの店で買い物をした。この日は前橋の「ちんどんや」が出たり天満宮も骨董市だったりして賑わっていた。山田さんのところの「大風呂敷」に寄らせてもらって奥様の塚本さんに入れていただいた抹茶をいただき、金貞の鉄火丼を食べて帰った。(注:南座でお昼を食べようと思ったら、珍しく満席だった。金貞は若い方の女将さんが作っていたけど、味というか醤油とわさびのコンビネーションがまだ年期が足りないという感じだった。)
桐生のよさや温かさ、太田にはない伝統や歴史を満喫していい気持ちで家に着いた。

ピエール・エルメ 2008.2.14

ピエール・エルメのマカロンを知っていますか?
たまたま、バレンタインデーも近いし、東京に行ったからというので女房が買ってきた。
一粒400円 〜500円くらいになるんだろうか。バレンタイン・スペシャルセット。
写真を解説すると、チョコ2種、レモン系、ラズベリー系。個人的にはレモン系が美味しかった気がする。まあ、それなりに美味しいとは思ったけれど。
ちなみにお父さんは、腰痛のため家で温和しくしていた。
           
雪  2008.2

また雪が降った。
     
クリスピー・ドーナッツ 2008.2.23

詩織ちゃんが春休みで帰ってくるついでに40分ならんで買ってきてくれた。1700円のホワイトデーセット。
オオゴマダラ(大胡麻斑・学名 Idea leuconoe)は、チョウ目(鱗翅目)タテハチョウ科オオゴマダラ属に分類されるチョウの一種。白黒のまだら模様が特徴的な大型のマダラチョウで、蛹が金色になることでも知られており、和名も蛹が黄金色のまだら模様であることを由来としている。
前翅長7cm前後、開長は13cmに及び、日本のチョウとしては最大級である。翅は白地に黒い放射状の筋と斑点がある。ゆっくりと羽ばたきフワフワと滑空するような飛び方をする。その飛び方と羽の模様が新聞紙が風に舞っているように見えることから、『新聞蝶』と呼ばれることもある。オスの成虫の腹部先端には、ヘアペンシルというブラシのような器官がある。これはマダラチョウ類に共通する器官で、フェロモンを分泌し、メスを引きつける働きがある。メスを見つけたオスはヘアペンシルを広げてメスの周囲を飛び回る。東南アジアに広く分布し、日本では喜界島、与論島以南の南西諸島に分布する。分布域では平地から山地まで生息し、季節を問わず繁殖するので1年中見ることができる。成虫の期間も長く、羽化してから数ヶ月、条件がよければ半年ほど生き続ける。
狭い場所でも生活環が成立するため飼育しやすいチョウの一つで、各地の動物園などでもよく飼育される。沖縄県の宮古島市や石垣市の市のチョウに指定されている。
校歌        2008.2
 
平成21年度開校の「桐生市立清流中学校」の校歌の作詞者となった。まあ、いろんな裏話もあるけど、いいや。





上野動物園、千鳥ヶ淵        2008.3


東京は桜が満開というので行ってみた。上野公園は人人人・・・。詩織のバイトが終わるまで時間があったから、上野動物園に行った。パンダ、ゴリラ等をしばらくぶりに見た。
リンリンは相変わらず人気があって、けっこう動き回っていたけど、ちょっと汚くなったというかやせたというか昔のイメージと違う印象を持った。女房の好きなのはアリクイで
元気に動いていてとても満足したらしい。お父さんはゴリラがみたかった。一日見てても飽きないよね。全体的に動物の種類を減らして、象とかゴリラとかの動き回れる自然に近づけたゆったりとした居住区間をつくるようにしているんだなという印象を受けた。動物園好き!!!!!










 



千鳥ヶ淵は江戸城のお堀の一部だ。何百年も前の庭師が何百年後を想像して桜を植え形を整えたと思うと。凄いと言わざるを得ない。人出も凄かった。













人事異動            2008.4.1


予定通り桐生に帰ってきた。住めば都で太田もすごくおもしろかったと思う。ただ、何の土台もなかったので最初はそれなりに苦労はした。あっと、途中でもね。土台があるのとないのでは相当違うということを実感した。でも、自分のことはみんな知らないというのでラッキーだった面も少なからずあったことも確かだ。
 4月1日、交付式に市役所に行っただけでたくさんの知り合いに会って、そして、「帰ってきたね」と声をかけられ、桐生の温かさを実感した。
桐生に帰ってきてすごく気になるのは、桐生に住んでいる人たち自身が「桐生はダメだ」
と言いすぎている事だ。学校やその他の面から見ると街自体が落ち着いてて雰囲気があって決して悲観することはない。そんなことを思っている今日この頃である。

5月          2008 5

連休はあっという間に終わった。1週間経つのが早い。週末はほとんど歓送迎会。太田と桐生でね。重なっていれば1回で済むのに上手い具合というか、重なりは1つもない。桐生の小学校教頭会はあまり人がいなくて副会長になってしまった。淡々とした日々だ。 小学校は一言で言うと細かいし、めんどっちい。


6.8           2008.6.8

 7年前のこの日、あの池田小事件があった。7年後の6月8日は秋葉原で通り魔殺人事件があって、7人が殺された。
 たまたまTVをつけてチャンネルをまわしていたら、テロップに「秋葉原駅で通り魔事件数名が怪我をした模様」というのが出た。さらにNHKでは臨時ニュースを流し、「秋葉原駅近く・・・」となっていた。真っ先に浮かんだのは駅前で「どうぞ、いらしてください」といってティッシュを配っているメイドカフェの女の子達とそこらへんにいるオタク系の男の子達が刺されてバタバタと倒れていく光景だった。(キット彼らは抵抗なんかしないだろうからね)
 詩織ちゃんの住んでいるのはアキバの昭和通り側でヨドバシカメラの方なのできっと事件には巻き込まれていないだろうと思ったけれど、TELしてみた。13時20分くらいかな。通じない。電源が切ってあった状態なのでバイトかもと思ったが一応カナルカフェにも電話したが今日は来ない予定という話だった。そのうち、アキバの商店街の中心近くで心肺停止状態が5人なんていうニュースが入ってちょっと心配したが、その後、詩織から友達とか一括送信でだいじょうぶというメールが届いた。

 結果的にいうと、いつもより遅く起きた詩織はちょうど事件の起きたあたりに買い物に行こうと思っていたが、母親から「東京に来てるからいっしょにお昼を食べるかい?」という連絡があったので、面倒かなあと思いながらもアキバの駅を出たのが11時半〜40分ころだったとか。もし、ということがあれば、お昼の誘いを断っていたら、ひょっとして事件の時間にあの場所にいた可能性があったということだった。
 すごい怖い話だよね。それに身近な。
池田小の事件と同じ日だったというのも偶然かもしれないが何かの因縁みたいなものを感じざるを得ない。少し前の、同じマンションの9階に住んでいた女の子を殺してバラバラにして捨てた事件や、駅でたくさん人を刺して警察に捕まったとき「ゲームオーバー」といったという噂のあの事件とか人間がかわってきているのかなという懸念を持ってしまう。人間を人間としてみていないのかもしれない。違った言い方をすると、人間としてでなくモノとしてみているのかもしれない。
 7年前のこの日に何をしていたかもハッキリと思い出した。

大学保護者会       2008.6.14
  長女の詩織ちゃんの大学の保護者会があった。神楽坂でお昼を食べてから「拝啓 父上様」のロケ地を見たりしたあとに、大学にいった。
大学では就職の話や留学の話を聞いたあと、クラス別の話し合いになった。1年からの引き続きの担任の永井先生や同級生の保護者の方達と(去年出席者とほとんど同じだった)話した後、懇親会に出席し、石澤学長ともお話しし写真も一緒に撮らせていただいた。
  
  秋葉原の一週間前の事件現場を通りかかった。ミーハー的に写メを撮ってる人なんか一人もいなくてみんな真剣に手をあわせていたのが、せめてもの救いだった。
 
 詩織ちゃんは友達とドームの嵐のコンサートにいくというので、その雰囲気を味わおうと水道橋で下りてドームにいってみた。人人人・・・。服の色によって誰のファンだか分かるんだって。ちなみに詩織は黄色、ミサきゃんは緑だった。









        石澤学長と                 ドーム前というより水道橋駅






桐高運動会〜水明杯争奪戦   2008.6.21

 伝統の桐高運動会を見に行った。真名斗くんは「張りぼて長」でバイキンマンの張りぼてを作る責任者になったんだけど、ちょっと苦労してたかな。でも結構いい具合に仕上がっていた。苦労とかそういうのも結構楽しくプラスにしてしまうのは真名斗くんの人柄だし、青春なんだなあと彼のことをちょっと見直してしまった。彼の中学からの友達たちは応援合戦の時の各クラスの中心としてそれぞれ活躍していて楽しく見られた。張りぼてにしても、ダンスにしてもゼロのところから自分たちで作っていくパワーと想像力に感銘した。
「先生たちにやらされるんだったら、みんなあんなに一生懸命やンねえよ。自分たちで自由に作っていくから一生懸命やるんだ。」というようなことを真名斗くんが言ってたんでその通りだと思った。
借り物競走は、やはり、「女子高生」が多かった。騎馬棒倒しは昔から比べてだいぶ安全面に気を遣っていてちょっと迫力に欠けた。部活対抗それぞれ工夫してひじょうにおもしろかった。
理数科に女の子が入ったのが良い影響を及ぼしてほかの学校からたくさん女子高生が来ていた。近接市町村の制服をほとんど見たような気がする。














右の集合写真は真名斗が母親を見つけ、「あれ
ウチの親」と言ったら、みんなでわざわざ振り向い
てくれたときの1枚
殺人事件  2008.7.14















久々に桐生で殺人事件発生!!

事件のあったその朝には、容疑者は学校区域の工場に勤めているらしいとの一報が保護者から入ったものの、警察からの情報は「容疑者は特定されず」で結構警察は情報を操作しているんだなあと思った。犯人が捕まらないので、本校は集団下校を実施して隣の中学校の生徒も一緒に

下校した。犯人が捕まらないようだと明日も明後日も同じように帰すようかなあとおぼろげに思ってマスコミが取材するのにはいい光景かななんて不謹慎なことを考えた。頭が回って若い犯人なら東京に行くだろうし、金がなくて年寄りなら菱の山の中じゃねえかと噂をしてた。
(その後犯人は相生でほとんど一文無しの状態で発見され、逮捕された)





殺人事件2     2008.7.23

またまた殺人事件発生!!
桐生のイメージまた悪くなるよ



















まだ10日も経ってないのに、ねえ。
15歳の桐一生が死んで、殺したのは6月まで同じ桐一生だった子ということだが、桐一関係者としては、現役の桐一生同士でなかったことで胸をなで下ろしていることだろう。現役生同士ではない。被害者が桐一ということで多分野球部には被害はないだろう。きっと。
なお、桐一は本日休校となり終業式は明日に延期になった。野球準決勝の応援は必要最小限ということになるんだろうか?


付け加え
先日、ヤオコーで恐喝傷害事件があった。21歳のHを主犯としてヤオコー付近にいつもたむろしている高校生〜中3生数人が逮捕された。逮捕されたHは相中卒業生でこの過去の日記にも何度か登場したHである。Hは詩織の同級生だったし、本校のある先生はHの5,6年の担任だったというそのことはおいといて。
何ヶ月か前に学校帰りに100円ショップに寄ったら顔半分包帯を巻いたヤツが「先生、キョートー先生だよね。」と声を懸けてきた。「顔が全然わかんないけど、誰だ?包帯どうしたんだ?」と聞くと、「キョースケ、西中の時世話になったキョースケ。」という声が返ってきた。中学の時にやんちゃしてて、ま、いろいろやってくれて結局、群学に行って卒業の時に学校に帰ってきたというKだった。
「包帯はどうしたんだ?」ともう一度聞くと「さっきバイクで事故った。」「医者は?」「いかねえ。」「気をつけろ。」なんて言って別れたけれど、ヤツもHの仲間だった。(両者とも相生中卒の超有名人のOの仲間ではなかった )ヤツも一緒に捕まっただろうし、高校生というのは桐一生かな、中3は相中に違いないなんて憶測が飛んでいるが、けっこう物騒だよね。(注:逮捕された高校生は相中出身で前橋・Sの生徒だった)

さらに、数日前にはウチの近くのセーブオンで未明に強盗未遂事件があったことも付け加えておく。

【桐生市の男子高校生死亡、元同級生を傷害致死容疑で逮捕】
 7月23日8時56分配信 読売新聞
 群馬県桐生市で22日、路上に倒れていた私立桐生第一高校1年星野智さん(15)が死亡した事件で、桐生署は23日、前橋市に住む
元同級生の少年(15)を傷害致死容疑で逮捕した。
 発表によると、少年は22日午後5時半ごろ、桐生市小曽根町の民家の車庫内で、星野さんの顔などを殴ったり、けったりして死なせた
疑い。
 県警幹部などによると、少年は先月、同校を1年生で自主退学し、星野さんと面識があった。インターネットの星野さんの自己紹介サイト「プロフ」に書かれていた内容を巡って、少年が腹を立てていたとの情報があり、同署で動機との関連を調べている。

膀胱炎?   2008.8

何をしたっていうこともないんだけれど、排尿の際に違和感を感じて、(以前にも同じような感じがあったことがあるんだけれど)それが、日に日に強くなってたまらず泌尿器科に初めていった。ネットで調べてみたら、尿道炎というのはちょっと性病に近いんだけれど、(といっても、雑菌等でもなる・・・)ま、いずれにせよ排尿時に激しい痛みがあるんだそうでこれはたぶん違う、じゃあ、膀胱炎かということになり炎症を抑える薬をもらって飲んだ。薬を見たら、山田医院でもらう扁桃腺の薬あるいは森島歯科でもらう歯の薬と同じじゃないかとがっかりしたような、拍子抜けしたような ・・・。少し年取ってきたから前立腺かもしれないとおしりに指を入れて直腸診もしてもらった。ヘンな医者で
「ここ押したのがわかるかな?これが前立腺だけど、おかまはここを押されるのがきもちいいって言うらしい。こう押すとなんか感じるかい?」なんて言われたけれど、別に気持ちいいとは思わなかった。
 徐々に回復はしたものの、なんか精力減退。小学校に移って16年ぶりに本当の意味でののんびりとした夏休みを味わって気が抜けてるんじゃない?とか女房に言われてる。





詩織の誕生日 2008.8.6


「8月6日が雨なのは、詩織が生まれてから初めてかもしれない。」といって、眼が醒めたんだけど、10時にはもう晴れ間が見えてきた。どうしても、詩織にケーキを送ってやりたいというので、じゃあ、と、日光の明治の館にニルバーナを買いに行った。調子よく日光に着いて予定通り竜頭の滝の茶屋でそばと団子を食べて、湯の湖のほとりの有名な
塩羊羹を買いに行ったら、目の前でこの日の最後の一本が売り切れてしまった。すげえがっかりした気持ちを引きずりながら明治の館にいったところ、その日はお休み。またガッカリ。でも、執念で駅に売店があったはずと、東武日光駅までわざわざ行って周辺を探したら、ありました。それでやっと買えて詩織にも送ってあげてガッカリ×2が少し直ったところで家に帰った。家で食べたニルバーナはきっとごく普通に買って帰ってきたときよりも2倍くらい美味しかったと思う。

[全体概要]
奥日光の風土が育てたちょっぴり塩味のきいた上品な一品。こだわりの味に売り切れ続出。

一般名称
つるや塩羊羹本舗 (ツルヤ)
所在地
〒321-1662
栃木県日光市湯元2549

交通アクセス
(1) 日光駅からバスで

湯元温泉バス停から徒歩で
営業期間
営業:8:00〜18:00
休業:月

問合せ先
0288-62-2537

草木サンレイク 2008.8.7

学校の職員レクで草木サンレイクに行った。
夜、木星を見た。


金沢 2008.8 10〜12

女房と二人で金沢〜福井に行ってきた。
一泊目は片山津温泉。途中によった納谷寺は(暑かったけれど)落ち着いて人もいなくていいお寺だった。片山津は湖に面した、部屋がすごく広いクラッシックなホテルだった。花火がすぐそばで見られ、アマチュアバンドのかったるい(歯切れの悪い)これまたクラッシックな演奏と曲目がいかにも片山津らしかった。(お風呂はサンレイクの方が充実してたかも。)

2日目は永平寺に行った。とにかく大きくて人もたくさんいてビックリ。いいお寺とか言う前に雲水と呼ばれる修行僧のキビキビとした所作に驚かされた。彼らを見るためだけでも永平寺にはいく価値があると思う。
つるや塩羊羹本舗 (ツルヤ)
明治の館
ニルバーナ
永平寺
今から約750年前の寛元2年(1244)道元禅師によって開創された「日本曹洞宗」の第一道場で出家参禅の道場です。 境内は約10万坪(33万平米)、樹齢約700年といわれる老杉に囲まれた静寂なたたずまいの霊域に、七堂伽藍を中心に70余棟の殿堂楼閣が建ち並んでいます。
 永平寺の開祖道元禅師は、鎌倉時代の正治2年(1200)京都に誕生され、父は鎌倉幕府の左大臣久我道親、母は藤原基房の娘といわれています。8歳で母の他界に逢い世の無常を観じて比延山横川に出家されました。 その後、京都の建仁寺に入られ、24歳の春、師明全とともに中国に渡り天童山の如浄禅師について修行し、悟りを開かれて釈迦牟尼仏より51代目の法灯を継ぎ、28歳のときに帰朝されました。帰朝後京都の建仁寺に入られ、その後宇治の興聖寺を開創されました。寛元元年(1243)鎌倉幕府の六波羅探題波多野義重公のすすめにより、越前国志比の庄吉峰寺に弟子懐弉禅師(永平寺2世)等とともに移られました。
 翌2年、大仏寺を建立、これを永平寺と改称し、のちに山号を吉祥山に改めて、ここに真実の仏弟子を育てる道場が開かれました。
 以来、御開山道元禅師が説き示された禅の仏法は脈々と相承護持され、今では全国に1万5千の末寺、檀信徒は800万人といわれております。
 永平寺から東尋坊を経て海のそばの国道を通って途中磯料理を食べて金沢に行こうと思っていたんだけど、遠くて海沿いじゃなくて食堂なんかあまりないような田舎ですごい大変な思いをして金沢にやっと着いた。お昼を食べる機会を失ってしまい(というより、田舎で食堂がなかった)、途中のフルーツランドでなしを買ってまるかじりをした。夕方に金沢に着いた。金沢は都会だった。西茶屋はけっこう狭くて小さくて形だけという感じだってけど、武家屋敷跡はなかなか雰囲気のあるところでよかった。ホテルのすぐ近くで、歩いていくことができた。香林坊の飲み屋で郷土料理を食べた。

3日めは金沢。金沢は不思議な街だ。古いものと新しいものが混在している。それがすごく自然なんだ。京都に似ているという人もいるが全然違う。京都はまさに近畿なんだけれど、金沢には一種独特な空気が流れている。活気があって奥が深い街だと思う。旅に出て
ホントに時々だけど、いい街だなあと感じる都市に出会うことがある。まさにそれだった。
主計町は月初めの豪雨による洪水からまだ完全に立ち直っていなくて畳を換えていたり、石灰を撒いた後が残っていたりでけっこうたいへんそうだった。
市場では生ウニやかきを食べてすごく美味しかった。アメ横の雰囲気もあるんだけどもうちょっと品があるような気がした。買っていく客の方も「ありがとう。」と必ず声をかけて帰る。
もう少し居たいと思わせてくれる街だった。 (写真は家族のページに)

    主計町
この界隈では昔ながらの料亭や茶屋が建ち並び、夕暮れ刻になると三味線の音が聞こえることがあります。尾張町2丁目の一部でしたが‘99年10月1日に全国で初めて旧町名が復活し正式に主計町となりました
    
武家屋敷跡
長町界隈は、かつての藩士が住んでいた屋敷跡であり、土塀の続く町並みの中では今も市民生活が営まれています。石畳の小路を散策すれば、当時の雰囲気がしのばれます。
    
東町茶屋街
卯辰山山麓を流れる浅野川の川岸には、今でもキムスコ(木虫籠)と呼ばれる美しい出格子がある古い街並みが残り、昔の面影をとどめています。灯ともし頃にもなれば、今でも軒灯がともる茶屋から三味線や太鼓の音がこぼれてきます。五木寛之著「朱雀の墓」の舞台としても知られています。また、平成13年に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定され、「街並みの文化財」として保存策が進められています

豪雨      2008.8.16/28

16日の明け方、「煙感知器が鳴っている」という警備会社からの電話で起こされた。
急いで学校に駆けつけると体育館の跳び箱置き場に水がたまってその上の感知器から水が落ちている。よくみると、2階のギャラリーから玄関のあ
たりに水が流れた後があって、所々水がたまっている。フロアも半分以上水浸し。感知器に水が入って警報が鳴ったまま。 しかたなく、感知器の元
を切って様子を見ることにした。後日、防災センターに来てもらって機械をみてもらったら「機械は全く壊れていなくて直すところはありません。雨漏
りを直すことが必要です。」と言われた。15日の夕方、ものすごい豪雨で、その影響だろうということになったが、どういうように雨漏りしたのか疑問
が残った。
 
 その12日後、17時過ぎに再び、豪雨があった。
体育館はどうなったろうと、しばらくしてから行ってみると・・・  体育館の中も豪雨。屋根から2階に滝が落ちている。ギャラリーを水が流れている
ではないか。先生方もたくさん残っていたので現状を見ていただこうと職員室に呼びに行った。みなさん、異口同音に「こんなすごいのは見たこと
がない。雨漏りじゃない。滝だ。」等々ビックリ。「TDRのアトラクションみたいだ」という先生までいた。
職員作業でほとんどの水は掻き出して、次の日の朝、6年生にフロアを拭いてもらって、1時間目には何とか体育館が使えるようになった。
なぜ、そんなことになったかというと根本的な構造上の問題で、たくさん雨が降って
たくさん水がたまると(本当にこんなことはあまりないんだけれど)屋根の一番外側の壁より内側の屋根(人が歩けるスペースが確保してある)が低
くて水が外に抜けるのではなく、体育館の中に流れ込んでしまうという状況だった。
 後日、外側の壁の屋根より低い位置に穴を空けて応急処置をすることになった。


 ついでにもう一つ。
豪雨の前、というか雨が降り始めたときに行き場所を失ったコウモリが家の中
に飛び込んできた。素手でつかんで捕まえて雨の掛からないところに置いてお
いた。しばらくして雨がやんでからみてみたら、もう居なくなっていた。







イオンモール羽生    2008.9.

大きいというので行ってみた。1時間ちょっとかかった。3階建てで余裕のある作り。喜八のソフトクリームを食べた。「無尽蔵」のラーメンを30分待
って食べた。まあまあ美味しかった。
IH用の土鍋を見つけた。 帰り、太田のイオンの前を通って帰った。羽生から一本道。30分ちょっとだった。



大川美術館 2008 9

 行きたい行きたいと言っていた大川美術館に3年ぶり?4年ぶり?に行った。心落ち着くい
い美術館だよね。なんてったってロケィションがいい。
帰りに有鄰館によった。河原井源次コレクションの展示があって、古き良き時代の 
桐生のビデオを見た。 





群馬サファリ+十五夜   2008.9.14


 招待券をもらったので、3連休の真ん中の日に行った。客なんか居ないと思っていたけど大失敗。入り口の1キロくらい手前から渋滞。中に入ってもいっぱいでウォーキングゾーンに行くのに30分待ち。さあーと見て出てきた。
子ども達を連れて来た頃の記憶をたよりながら遊具やレストランのあたりを女房とゆっくり歩いた。
 帰りにすすきをとってきて飾った。十五夜だった。サンマにけんちん汁、月見団子、すすき・・・日本の秋。
といっても、まだまだ、暑い。   

運動会 2008.9.20

しばらくぶりに小学校の運動会。先生方がいろんなことにこだわりを持って、さらに自信も持って指導している。前日まで雨だったんだけど、当日は快晴だった。心がけがいいからだよね。先生方の。この日の夜の打ち上げ会もものすごく盛り上がった。
付け加え・・・最後の団リレーに教員チームも参加した。(事前練習もした!!)バトンを受けてなん歩か走り始めたとたんに右腿上の筋肉に激痛が。なんとか走りきったけど、
痛くて痛くてお灸をしたり、風呂でよくもんだりしてどうにか収まってきたものの、2、3日後、膝の上のあたりに内出血が広がった。普段の運動不足を痛感した。




TDS        2008.9.23


TDS 2008.9.23
TDSで詩織ちゃんがアルバイトをしていて、9月で終わるというので様子を見に行った。
ミラコスタのすぐ近くの洋服屋さんだった。でお昼を食べようとしたら、とにかく、一杯。スターライトで入ったんだけどシーもみなアトラクションが90分とか80分待ち。とにかく、初物のレイジング ・スピリットのファストパスでをとってミスティックを見た。
レイジング ・スピリットのウリは360度回転なんだけど、どちらかというとせせっこましいかんじがしてたいしたことなかった。というか、あっという間に終わった。
詩織ちゃんは営業スマイル満開でレジ打ちをしていた。



ジーザス・クライスト・スーパースター 2008.10 5


劇団四季「 ジーザス・クライスト・スーパースター」の桐生公演にいった。昔、見た1970年ころの映画はあまり良い感じじゃなくて、長かった印象があった。(「ウエスト・サイド・ストーリー」をみてすぐだったからかもしれない。)
しばらくぶりの市文はひじょうに混んでいてほとんど満席でたくさんの知人にお会いした。全体的には面白かった。ちょっと短い感じがした。
◇で、感想は・・・
▽訳詞がよくない。こなれてない。(といっても岩谷洋子の訳なんだよなあ)
▽1970年頃の作品なので、当時のハードロック(初期のディープパープルや)のシャウトするようなファルセットやゴスペルなど使って俳優とすれば非常にむずかしんだろうという曲ばかりだった。曲自体は古い音だったけれど、当時とすれば斬新だったと思う。・大八車を、使った舞台の演出がすばらしかった。時に花道となり、時に舞台を後ろに広げ、時にゴルゴダの丘となり、それを10数名の黒子が動かしているんだけれど、とにかく、巧く使っていた。
音はよくなかった。(録音とスピーカーの位置とかだと思う )
▽イエスを中心にして群衆が集まるシーンなんだけど、イエスの前にいる人たちはしゃがんでいてだんだんと中腰から立っていき真後ろの人は完全に立つというちょっとした演出にもすごく気を遣っていてすげえとおもった。後で女房と話したら、やっぱり同じところをみていて、なんか見方とかも似てくるんかなアと思った。
▽実は中学時代にこの映画をみたんだけれど、当時あまりしっくりこないでいまひとつ(映画として)があった。それにやけに長い映画だったという印象しか残っていない。
YouTubeで(今はすごく便利になったというか簡単に昔のものも見られてしまう)みなおしたところ・・・当時としては非常に斬新な映画で今になって理解できたりなるほどとおもうところがたくさんあって、映画の場面場面の埋もれていた記憶が蘇ってきた。ユダが
黒人でソウルフルな歌い方(当時のかんじでいうとジェイムズ・ブラウン「セックスマシーン」とか・・・)で昔というか若い頃はあまりブラックミュージック系は好きじゃなかったから、だから映画の印象もあまり良くなかったに違いないと思った。それにしても斬新すぎるくらいの映画だった。


キンモクセイ  2008 10

10日前後にきちんと咲いていいにおいをさせている。


水上  2008 10

今年も去来荘に行ってきた。きのこ鍋が超美味かった。去年も行った時に
知人に会ったんだけど、今年もやはり、知人に会った。(それもサウナで)
次の日、照葉峡に行った。紅葉はまだだった。



就学時検診 2008.10。17


小学校には入学する前に就学時検診というのがあって、来春入学予定の子ども達が親に連れられて学校に来て健康診断や知能テストをするんだけれど、小学校では非常に重要な行事である。そのことを言いたいのではなくて、そのときに親の話をするんで来ていただいたN先生のことである。(N先生は生い立ちかエッセーの中に登場する http://www.sunfield.ne.jp/~hiro7881/essey/20/tyu3.htm
N先生は中学生の時の国語の先生だ。詳しい話は前記のアドレスのところに書いてあるが、我々の仲間はちょっと悪ぶっていて、でも、勉強はある程度できて教員的な見方をするとあまり扱いやすい生徒ではなかった。しかし、N先生は我々の仲間をかわいがってくれて、(あの頃N先生も若くてかわいかった。)けっこういろんな先生に反発したり逆らったりしていたんだけれど、N先生と担任の大島先生にだけは逆らわなかった。そのN先生とそれこそ何十年ぶりかで再会したのである。お話をしていただく前のちょっとの時間しか話せなかったけど、先生と顔を合わせたその瞬間に僕はN先生の生徒になって懐かしい話をポツポツとしたのである。



修学旅行 2008 10 30〜31


6年修学旅行を引率した。去年の中2と同じ鎌倉方面。子ども達の班活動の時間を利用して八幡宮の横にある横浜国大付属鎌倉中にちょっと顔を出した。昔、教育実習をした思い出深い学校だ。そこの校長先生が我々が学生の頃お世話になった先生だというのでお顔を拝見しに行った。実に20数年ぶりの再会だった。貴重なツーショットの写真も撮ってきた。前回の話にも通じるんだけど、種田校長先生と向かい合った瞬間から学生に戻って、懐かしい話をした。

時間を前に戻して。学校を出発して5分もたたないうちに「先生、おなかが痛い。」と言う子がでた。信じられません。急遽10分ぐらい走った先のまだ桐生のドライブインのトイレに寄った。大事をとって1号車に保健の先生に乗ってもらい僕は2号車に乗った。その後の1号車は吐いた子も何人か、腹痛トイレと言った子も何人かで結構大変だったらしい。でもなんとかバスは鎌倉に到着し大仏で解散して長谷観音、由比ヶ浜、鎌倉の班の確認をしていたんだけど、お昼は鎌倉のキャラウエイでカレーをたべた。
二日目の朝、ちょっとした事件があった。朝の散歩に行って子どもが海岸に流れ着いていた死体を見つけたのである。第一発見者には旅行者の人になってもらって、二人で警察の事情聴取を受けた。朝食までの時間をたっぷり使って。ちょっとない経験だよな。
 その後、八景島に行ってなが〜いジェットコースターに乗った。けっこう長くて振られる感じで(TDSのこの前乗ったコースターはあっという間に終わった)あまり気持ちのいいものではなかった。ブルーホールにはどうしても乗れなかった。




尺八演奏会  2008,11,30


11月は特別何もなかった。変化がないというのはいいことかもしれないが、発展もないということだ。通夜に何回か行ったな。詩関係の人に会う機会が何回かあったけれど、「最近、見かけないね。」とか「書いてないの。」とかいわれた。せっかく小学校にいるんだから『少年詩集』のような分野に挑戦しようかとも思ってる。その前に書きかけの小説を完成させよう。といっても、結末をどう持って行くかまだ検討中。
 30日に動員がかかって尺八のコンサートにいった。いつか、尺八作りの第一人者という人の講演会を聞いたときに、「尺八は時に鹿の鳴き声になり、修験者の遠いホラ貝の音になる。それは元々虚無僧や修験者達が尺八を使うことが多かったからだ・・・云々」と話してくれて、行ってすぐ帰るつもりだったけれど、結局、最後まで聞いてしまった。休憩の時に事業団の塚本さんが〃わたしの趣味でやっている〃と言ってたお茶とお菓子をいただいて、(尺八の演奏等を)全然期待していなかった分、ちょっと得した気になって、教育文化展に寄って帰った。

12月  2008.12

12月になって、通知表を21クラス分みて、結構、シビアに(今はPCで通知表を打ち出していて、通知表に打ち出す前の、属に言うゲラ刷りのようなのが廻ってくる)文章をビシビシと直してしまった。クリスマスには”プルミエ”のケーキを食べて、真名斗くんの誕生日には”モンシェリー ”のケーキ。それと、とうとう、十数年使っていたプリントゴッコのセットを(さすがにもう使わないだろうと思って)捨てた。
詩織は、31日にジャニーズのカウントダウンコンサートに行くので一度帰省してまた、東京に行った。(といっても1/1にすぐ帰ってきたけど)
 12月のことをまとめて書くってことは、12月は大きな変化もなくあまりたいしたことがなかったということだな。あっ、そうそう、お歳暮はどういうわけだか酒ばっかりで、「あなたがあまりお酒飲めないの知ってる人たちからいただいたんだから、やはり、あたしに飲めって言ってるンだよね。」と女房が言ってた。全くその通りだと思う。

と、こんな調子で平和な2008年は終わった。
【53歳女性、刺され死亡 群馬・桐生の雑居ビル空き店舗】

 14日午前2時ごろ、群馬県桐生市仲町2丁目の雑居ビル「ホワイトウイングス」でサービス業を 営む女性(58)から「人が血を流して倒
れている」と110番通報があった。県警桐生署が調べた ところ、ビル1階の空き店舗内で、近くに住む元飲食店従業員吉田純子さん(53
)が胸と腹の数カ 所を刺され、うつぶせで倒れていた。吉田さんは、市内の病院で死亡が確認された。同署は殺人事件 として捜査してい
る。
 調べでは、吉田さんは女性の仕事を手伝っていた。現場となった1階の空き店舗では6月半ばごろ まで、韓国スナックが営業していた
が、その後、休業。店舗の所有者に鍵は返却されていなかったという。
 現場は、JR両毛線桐生駅近くの繁華街の飲食店などが入っている8階建てのビル。