中3の頃
母校に赴任して3ヶ月。楽しいことがあったり珍しい人にあったりとか、プラスの面がすごく多いような気がする。
(日記に重複する部分もあるんだけれど、「中3の頃の思いで」等を以下エッセイ風につづってみます。ところで、先日、耐火書庫内で指導要録を探していたら、偶然に昭和46年度卒業のものを見つけてしまった。自分のを見てみたい気がするけれど、見る勇気はない。)
▽エピソード1
同級生で俳優をやってるMとしばらくぶりにいきあった。
話すと長くなるんだけど、中学時代、 Mをはじめとして僕ら5〜6名はとにかく毎日毎日毎日ツルんでいた。ほんとに毎日毎日毎日だった。遊びの話、女の子の話、未来の話、SEXってどういうんだろうとか、それにちょっとだけ勉強や高校の話も。
平成14年度の最初のPTA役員会で1年先輩のNさんに行き会ってしばらくぶりに話をした。
「おう、向田君かぁすぐわかったよ。こんなとこで何してる?」とか話し始めて、
「なんだぁ、もう”向田くん”なんて言えなくなちゃったよね。」なんてね。
役員会が終わって、Nさんは自分でもまだ現役の野球部で息子も野球部にいるので、校庭で部活の練習を指導していたら、やはり元野球部のMが
「Nさん、お久しぶりです。なんで母校の校庭にいるんですか?」
と犬を連れて話かけてきたんだという。で、ひとしきり話をして、Mが僕とも仲がよかったのを知っていたNさんは
「珍しい人に遭わせてやるよ。」
といって、わざわざ、職員室にMを連れてきてくれた。10数年前の中学の同窓会のときも5、6年前の高校の同窓会もMのスケジュールに合わせて日程を決めたんだけれど(そんなに売れっ子ではないんだけどね)Mは両方とも急に予定が入ってしまって欠席して逢うことはできなかった。ほんとにしばらくぶりで、話しているだけで30数年前にタイムスリップしてしまうようで、楽しい時間だった。
「向田、おまえがせっかくこの学校に来たんだから、担任の大島先生を呼んで、同窓会をやってくれよ。先生が元気なうちに。」
と最後に言って別れた。俳優だけあって着るものも洗練されていて若かった。
でも、やはり、というか僕のよく知っているMだった。
▽エピソード2
前にこの日記にも書いたことのある同級生のHに関することだ。Hは中学から大学時代まで同級生のDとずっとつき合っていたことも前に書いた。
(注:ちょっと複雑なので、男は青で、女は赤で表します)
Dの妹さんのYちゃんがPTAの役員さんだった。美人姉妹で、まあ、僕らの友達で知らないヤツはいないという姉妹だったわけなんだけれど、旦那さんも本校の卒業生で顔を知っていた人だった。
先日、PTAの飲み会があってDの妹さんのYちゃんと一緒だった。
「まさかこうしてまた逢うとは思わなかったよね。」
といいながら、昔話に花を咲かせた。で、
「姉たちはどうして、別れたんでしょう」という話になって
「そればっかりは当人同士じゃないとわからない。」から、どういうきっかけで2人はくっついたかとかそこらへんの近親者というか親しい連中じゃなければ判らない話をした。
1971年の春、
ビートルズが解散した次の年、僕らは西中の3年生になった。(そのころの西中は1学年5クラスで、1クラス38人くらいだったと思う)
自然に
@僕、
AYちゃんのお姉ちゃんのDとくっつくことになるH、
B前述の俳優になった野球部のM、
C医者になったやはり野球部のB、
D文化事業団にいるS、
E隣の中学で理科の教員をやってるサッカー部のA・・・等々が集まるようになった。
僕らは毎日毎日毎日一緒だったことは前にも書いた。
どちらかというと斜に構えていて、公然と教師への反発はするし、それでいてみんな馬鹿じゃなかったからけっこう扱いにくいというか赤丸チェックの集団だったと思う。
当時一番若くて元気だった国語の西山先生は僕らの仲間だけ特別扱いで、みんな生徒のことを「○○くん」と゛くん付け ゛だったが僕らだけは呼び捨てで、でも、それが心地よかった。僕らも西山先生はお気に入りで決して先生に反発したり逆らったりはしなかった。
(確か昨年度、西山先生はご退職なさいました)
僕は2年の時から同じクラスだったHと仲がよかった。そのころ、Hは学年の女子の中でも一番大人げでトッポいAさんとラブラブだった。僕もAさんと彼女の仲間とは仲がよくて、女の子向けのエロ小説とかよく回してもらったし、けっこう一緒にあそんだりもしていた。
「HはDに気があるみたいだ」
とHの様子に気づいたのはBだった。
「向田、HともDとも親しいんだから一肌脱いでやれよ。」
とみんなから言われて僕は狂言回しのような役回りを務め始めたのだった。
実はDちゃんにもGという彼氏がいた。僕はGとも親しくて、HとDちゃんがとにかく2人だけで会えるをように、HとDとAさんとGの間の調整でしばらく動き回った。
僕はその4人から同時に相談を受けて、最終的には
「とりあえず、二人を逢わせてみよう、逢ってみよう」という4人の合意をとりつけ、HとDはこれといった修羅場は避けて逢うことになった。
結果として、HとDはくっつくことになって、HはAさんとDはGと別れることになった。
でも、別れるときは、大人も中学生もあまりかわりはなくて、けっこう、なんだかんだとあって学年内ではかなりニュースバリューは高くて、結局、僕は4人から悩み相談を受ける形になったけれど、一貫してHとDがくっつく方向を指示した。AさんともGとも良好な関係は保ち続けた。
「Gは知ってるよね。」
「Gさんはお姉ちゃんの元彼ですよね。」
「そう、彼の子どもも本校にいるよ。」
「知ってる。Gさんとも何度か顔を合わせました。」等々
その後、Dの妹のYちゃんとあの頃の話で盛り上がったことはいうまでもない。
○余談@
僕はHと行動することが多かったわけだが、Dちゃんは仲良しのJさんと行動することが多かった。自然に僕らは4人で遊びに行ったり、一緒に帰ったりするようになった。サテンでお昼を食べたり、ゲームセンターにいったり、映画を一緒に見たり・・・。
僕とJさんはつき合うとかそんなんじゃあなかったけど、結構仲良くなった。時間が経つにつれてHとDは二人だけで行動したがりはじめ、僕とJさんも二人でいることが多くなった。その頃、二人でいるっていうことも心地よかったしね。
そんなことが卒業のころまで続いた。
○余談A
2学期のころだったと思う。
Bが自動販売機でゴムを買ってきたことがあった。 僕らは休み時間にどんなものかよ〜く観察してから膨らましてそれでバレーをやった。今とは違って、コンビニで手軽に買えるものではなかったし、だいち、オシャレなものじゃなかったし、ゼリーがついてたりとかペパーミントやイチゴテイストがついてたりなんてものではなくて、ごくごくシンプルなものだった。
その後、いつだったか、僕とJさんとHとDちゃんの4人でいるとき、Hが突然、
「これ、やるよ。使ってみる?」
といって僕にゴムを渡した。Dちゃんはニヤニヤしながらその様子を見ていてそのことははっきり覚えているけれど、Jさんの様子はどうだったかはまったく覚えていない。
「じゃあ、な」と言って僕とJさんが残され
、これもよくは覚えていないけど二人で並んで歩きながら僕はHから渡されたゴムを学生服のポケットから出して 、Jさんが封を切って二人で見て
「どういうの?」というので、僕は
「ここから被せるらしい」と説明してやると
「キャッ」と言ってどぶにそのまま投げ捨てた。
確か、桐生一高の裏の方のどぶだったと思う。
その後、HとDは実際に使ってみたらしいという噂が流れた。が、決して噂の元は僕たちではなかった。
○余談B
HはDちゃんとのことでけっこう僕に相談することが多かった。高校入試のための課外補習授業を学校がやってくれたりしていたんだけれど、僕らは堂々とサボって、現・第一高校の裏の方の焼きそば屋なんかで時間つぶしをし、相談を受け話をしていたりした。
そこでは一高の生徒がたばこを吸ってたり、奥の部屋のカーテンを閉めてラブホみたいに使ってたりしていた。
で、僕等はけっこうかわいがってもらった。
「タバコすってみるかあ」とか「やきそば、くわしてやるぞ」とかね。
いつだったか、顔見知りになった一高の3年のお姉様が乱れた髪を直しながら
(化粧を直しながらだったかも?制服を直しながらだったかな)奥の部屋から出てきた。僕等はなんて色っぽいんだろうと、ほとんど
初めて「女の艶めかしさ」みたいなものを感じとった。
「君たち、中学生なんだぁ。そこの中学じゃあ、あたしの後輩だね。」とか、言葉をかけてきて、
それがきっかけになって顔を合わせると話すようになった。しゃべりながら、僕らはそのお姉さんの色っぽさに骨抜きになっていたんだけれど、その人が我が校で超有名な伝説のTさんだった。
中3で妊娠して中絶して・・・高校に行っても男をたぶらかしている・・・。
「お名前だけは伺っています。」みたいなことを言うと、
「どうせ、悪い噂ばっかりなんだから・・・」といい始め、
「これからは男の人から告白されるのを待ってるようじゃあダメ。」 とか
「女は抱かれるのを待ってるのよ。」 とか刺激になるようなことをたくさん聞いた。
「渋谷とか新宿にもいくよ。」というTさんの言葉に僕らは都会に思いをはせ、
「生理の前には男が欲しくなる。」という話には胸をワクワクさせた。
いつだったか「中学生ってパンツは白いのはいてんのかなあ?」なんていう言葉にTさんの前で僕らは学生服のズボンを脱いだりしたこともあった。
○余談C
就職して結婚してからの話だ。
まだ、下のコが外にあまりでない頃かあるいは下の子が病気だったのかもしれない。とにかく、岡公園に上のコを連れて2人で遊びに行った。3月か4月の暖かくなりはじめた頃だったと思う。熊の檻の前を通り過ぎたら
「向田くん?」と声をかけてきた親子連れがいた。
中学の時、一緒に遊んでいたJさんだった。 10数年ぶりの再会だった。
里帰りしてるけど、いくとこがないから来たといった。彼女も子どもを一人連れていて、ちょうどウチのコと同じような歳だった。なんとなあく、子どもたちは2人で遊び始めて、僕らはあったかくなりかけた日差しに当たりながらベンチに腰掛け、とりとめなく話をした。
「HもDも違う人と結婚したの知ってる?」「どこに住んでる?」「仕事は?」「同級生とは誰かとまだ往き来はある?」「この前桐生に残ってるやつらだけで飲んだんだよ。」
「で、幸せ?」・・・・・
家に帰る車の中で娘が
「さっきの○○ちゃんとまた遊びたいなあ。パパが○○ちゃんのママとお友達だから仲良くなれたのかなあ」という意味のことを言った。
『昔、パパが大好きだった人だからだよ。きっと』と、心の中でつぶやいた。
○余談D
これら、中学校の頃のできごとや話は実は僕の唯一の長編小説「夏の断章」の重要なプロットになっている。
小説の中での登場人物は全て架空だけど、一人一人を構築する上で
ここに出てきた中学生の時の
@僕、
AYちゃんのお姉ちゃんのDとくっつくことになるH、
B前述の俳優になった野球部のM、
C医者になったやはり野球部のB、
D文化事業にいるS、
E隣の中学で理科の教員をやってるサッカー部のA・・・
がベースになっている。それぞれのエピソードも事実半分、嘘半分というところかな。
ところで、Hとは数年前まで子どもが同じ少年野球のチームに所属して親しくしてもらっていたことは、いつか日記に書いた。
もう一つ付け加えると、Hは地元の優良企業の人事課長さん(おっと、「夏の断章」の設定と同じじゃないかあ)になっている。
で、ウチの学校の2年生が職場体験学習をするんだけど、そのための事前学習に接客についての心得みたいなものを企業の人に聞きたいなんて話があった。
Hに「誰かおたくの会社の若い(それもかわいい!!!)女の子を紹介してくれないか」って頼んだんだけど、結局、Hにお願いすることにした。
「卒業してから学校に行ってない。」というんで、
「じゃあ、たまには学校に来てみるかい?」と言ったんだけど、
「俺でよければ行くよ。」と二つ返事で受けてくれた。
時代が過ぎて、立場が変わって、世の中は超スピードで進んで行っても、変わらないものってあると思う。思い出とか共通体験とか友情とかね。(クサイこというなあ)
参考 1971.4〜1972.4頃までの主なできごと
○雫石上空で全日空機と自衛隊機が空中衝突。162人死亡。
○ドル・ショック。
○大久保清連続女性殺人事件。
○マクドナルド・ハンバーガーが日本に初出店。
○ミスタードーナッツ1号店開店
○カップヌードル新発売
○グアム島で横井さん救出
○あさま山荘事件〜連合赤軍事件
○「おれは男だ」「仮面ライダー」放映 |