現存する資料を頼りにして東陽館の歴史を紐解いてみました。


岩澤正作著
 「黒川峡と澤入塔」より


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創業は大正4年。左記の資料にあるように、当時は鉱泉のある旅館であったようです。残念ながら昭和20年代の台風で小中川右岸にあった湯口が埋まってしまったようです。当時のお客様は近郊の農家の方たちが農閑期を利用して自炊しながら長期に滞在されたり、近くにマンガン鉱山があった関係で東京から地質学の先生がおみえになったそうです。

当時を知る伯母に聞いたところ次の予約は帰るときしていき、キャンセルは手紙や電報だったそうです。今のように便利でない時代に食材の保存などの事も聞いてみましたら当時なりの知恵でどじょうや鯉を飼って不意のお客様にそなえたようです。
戦争中はさすがに開店休業の様な事だったようです。
戦後は林業関係の方や県の職員の方たちが山の視察にいらしたとき泊まられたようです。

現在は「富弘美術館」にいらっしゃる方や「草木ダム」のメンテナンスをされる会社の方や宴会やお食事会にご利用いただいています。