付録

大小比較

山の凸地・尾根を表す用語、凹地・溝状の地形を表す用語を、その大きさの順にならべてみた。
本来、種類が異なるものも一緒に入れているし、実際の用法において、その大小はあまり厳密なものではない。
あくまでも参考であり一例である。
〔大〕





尾根





〔小〕
稜線 主脈
尾根、リッジ 支脈
馬の背、牛の背両側がきり落ちた尾根
アレート、グラート痩せた岩尾根
鎌尾根鎌の刃のように狭い尾根
リッペ稜状の岩
カンテ縦方向の岩角、リッジよりも傾斜が急
エッジ岩の角
〔大〕



ピーク



〔小〕
ピーク、頂上山のてっぺん
チンネ巨大な岩峰
あたま尾根上の突起
エギィユ、ニードル針峰
ツァッケ、ピクナル小さな突起
ピンさらに小さな突起
〔大〕







岩溝







〔小〕
あんぶ、のっこし二つの峰をむすんだ稜線上の凹所
まど山稜が切れこんで鞍部をなしたもの
きれっと、ギャップ山稜がV字型に深く切れこんだ割れめ
ルンゼ大きな岩溝
クーロアール、ろうか急な岩溝の大きく深いもの
ガリーもろい岩が詰まった狭い谷。縦溝
リンネ凹角、岩の割れ目
チムニー、カミン体が入るくらいの広さ
オフウィドゥス体の半分、ふとももがはいる
フィスト、クラックこぶしがはいる
ワイドハンド指などを折って厚みを作るのが難しい
ハンド手の甲がすべてはいる
シンハンド手の甲が半分くらい入る
フィンガー、リス指、ハーケンがはいる
スラブ、フェイス溝がなんにもない

登山用品の主要メーカー

社名(日)社名(英)国籍、創業主要製品
アライテントARAI TENT{日}テント
イーピーアイEPIgas{英}1967コンロ
イスカISUKA{日}1983シュラフ
イワタニプリムスPRIMUS{日/瑞}1882コンロ
オプチマスOPTIMUS{瑞}1889 (プリムス)コンロ
エディバウアーEddieBauer{米}1920ウエア
カジタックスKAJITAX{日}1961登攀具
片桐Katagiri{日}1870ザック
カリマーKARRIMOR{英}1946ザック
キャラバンcaravan{日}1954登山靴
キャンピングガスcamping gaz{仏}1926コンロ
グレゴリーGREGORY{米}1977ザック
コールマンColeman{米}1900コンロ
ゴローgoro{日}1973登山靴
コロンビアColumbia{米}1938ウエア
サレワSALEWA{独}1960登攀具
ザンバランzamberlan{伊}1929登山靴
シモンsimond{仏}1905登攀具
シャルレcharlet{仏}1925登攀具
シュイナードCHOUINARD{米}1964登攀具
シリオSIRIO{日/伊}1993登山靴
ダックスmt.dax{日}1969ザック
ダンロップDUNLOP{日}1972テント
ドイターdeuter{独}1898ザック
ドロミテDOLOMITE{伊}1897登山靴
ノースフェースTHE NORTH FACE{米}1968ウエア、テント
ノルディカMORDICA{伊}1925登山靴
パタゴニアpatagonia{米}1964ウエア
ペツルPETZL{仏}1970登攀具
マインドルMEINDL{独}1933登山靴
ミレーMILLET{仏}1921ザック、ウエア
モンベルmont-bell{日}1975ウエア、シュラフ
ヘリテイジHERITAGE{日}1982ウエア、テント
ローバーLOWA{独}1924登山靴
                   (瑞=スウェーデン)

初登頂の記録

 日本の山岳は古くから信仰登山や狩猟登山などによって初登頂されているが、記録に残っているものは少ない。明治時代に初登頂のつもりで登った剣岳の山頂から奈良時代の錫杖が発見されたのは有名な話である。そもそも、初登頂という思想は日本にはなかったのではないか。
 以下で※は、信仰や調査でなく純粋な登山として初登頂した日本人登山家である。アンナプルナ以降はすべて登山家。{国名}は登山隊を組織した国。
外国人では、ウイリアム・ガウランドやアーネスト・サトウがウエストンより前に日本アルプスに登っている。ウォルター・ウエストンは純粋な登山として日本アルプスを初めて登破した登山家である(1892年槍ヶ岳登頂)。
 富士山は、864年(貞観6年/平安前期)の大爆発の直後に、調査のために頂上まで登った記録がある。登頂者は不明。富士山に最初に登った外国人は、初代イギリス公使オルコックで、1860年(万延元年/江戸末期)のことである。
 
登頂年山名標高(m)登頂者
BC400?エトナ3,323エムペドクレスシチリア島
6??大峯山(山上ガ岳)1,719役小角(役行者)(えんのおづぬ)
701立山3,015滋興(佐伯有頼)
717白山2,702三神氏泰澄
782男体山2,484勝道(しょうどう)
850石鎚山1,982灼然、上仙
879富士山3,776都良香(みやこのよしか)
1311プラト・アル・サグリオ1,500ダンテ(詩人)最初の冬山登山者
1492モンテギーユ2,097アントワーヌ・ド・ビーユ登頂不可能な山とされていた
1511モンボソ(モンテ・ヴィード)3,500レオナルド・ダ・ヴィンチ
1555ピラトゥス2,132ゲスナー登山を趣味としていた博物学者
1786モンブラン4,807M.G.パッカール、J.バルマアルピニズム勃興
1828槍ヶ岳3,180播隆(ばんりゅう)文政11年
1855モンテ・ローザ4,634J.G.スミス
1865マッターホルン4,477エドワード・ウィンパーアルプス銀の時代
1871北岳3,192名取直江(芦安村の行者)明治4年
1877槍ヶ岳3,180ウイリアム・ガウランド(冶金技師)
1883白馬岳2,932渡辺敏(大町小学校長)
1893前穂高岳ほか3,090館潔彦(参謀本部陸地測量部 技官)
1895富士山3,776野中到(気象観測)厳冬期の初登頂
1902槍ヶ岳3,180小島烏水、岡野金次郎 ※日本の近代登山始まる
1905尾瀬ヶ原 武田久吉、梅沢親光 ※
1905前穂高岳3,090鵜殿正雄 ※
1907剣岳2,998柴崎芳太郎(陸地測量部)錫杖発見
1908燕岳2,763石川光晴 ※
1909剣岳2,998吉田孫四郎、石崎光瑤 ※
1917黒部峡谷冠松次郎 ※
1950アンナプルナ8,091{仏}モーリス・エルゾーグ、ルイ・ラシュナル人類初の8000m峰登頂
1953エベレスト8,848{英}エドモンド.ヒラリー、テンジン・ノルゲイ
1953ナンガパルバット8,125{独}ヘルマン・ブール無酸素
1954K2 チョゴリ8,611{伊}A.コンパニョーニ、L.ラツェデルリー
1955カンチェンジュンガ8,586{英}ジョージ・バンド、ジョー・ブラウン
1956ローツェ8,516{スイス}E.ライス、F.ルフジンガー
1956マナスル8,163{日}今西寿雄、ギャルツェン・ノブル

山の古典名著

書名著者初版年
アルプス登攀記エドワード・ウィンパー1871年
日本風景論志賀重昂(しが しげたか)1894(明治27年)
アルプスおよびコーカサス登攀記アルバート.F.ママリー1895年
日本アルプス登山と探検ウォルター・ウェストン1896年
日本山水論小島烏水(こじま うすい)1905(明治38年)
山岳山岳会1906(明治39年)
日本山嶽志高頭式(たかとう しょく)1906年(明治39年)
山水無尽蔵小島烏水1906年(明治39年)
日本アルプス小島烏水1910年(明治43年)
アルペン行鹿子木員信(かのこぎ かずのぶ)1914(大正3年)
日本アルプスと秩父巡礼田部重治(たなべ じゅうじ)1919(大正8年)
山岳巡礼北尾鐐之助1919年(大正8年)
ヒマラヤ行鹿子木員信1920(大正9年)
スウィス日記辻村伊助(つじむら いすけ)1922(大正11年)
山行槙有恒(まき ありつね)1923(大正12年)
黒部渓谷冠松次郎(かんむり まつじろう)1928(昭和3年)
立山群峰冠松次郎1929(昭和4年)
屋上登攀者藤木九三(ふじき きゅうぞう)1929年(昭和4年)
山と渓谷田部重治1929年(昭和4年)
山-研究と随想大島亮吉1930(昭和5年)
山と雪の日記板倉勝宜(いたくら かつのぶ)1930年(昭和5年)
雪・岩・アルプス藤木九三1930年(昭和5年)
わが山山深田久弥(ふかた きゅうや)1934(昭和9年)
山の絵本尾崎喜八1935(昭和10年)
先蹤者(せんしょうしゃ)大島亮吉1935年(昭和10年)
アルプス記松方三郎1937(昭和12年)
山の憶ひ出木暮理太郎(こぐれ りたろう)1938(昭和13年)
山岳省察今西錦司1940(昭和15年)
単独行加藤文太郎1940(1936)
霧の山稜加藤泰三1941(昭和16年)
風雪のビヴァーク松濤明(まつなみ あきら)1950(昭和25年)
をちこちの山深田久弥1952(昭和27年)
処女峰アンナプルナモーリス・エルゾーグ1953年
星と嵐ガストン・レビュファ1955年
八千米の上と下ヘルマン・ブール1955年
氷壁井上靖1956(昭和31年)
山のパンセ串田孫一1957(昭和32年)
日本百名山深田久弥1964年(昭和39年)
青春を山に賭けて植村直己1971年(昭和46年)