野間清治展

野間清治研究家 桑原 昭二

 野間清治が住んでいた長屋に縁あって私が生まれました。
そのことを、母に聞いて育った。こんな地縁から野間清治のコレクション・調べが始まった。
 それまでは、隣の埼玉の郷土史に関係するコレクションであった。そんな中、深谷市出身の大実業家、渋沢榮一の人物像を調べている際、深谷市あげて、郷土の誇りとして看板、生家、記念館と町に活気を与えているのを見て、桐生にも講談社を創った野間清治がいるのに、何故取り上げられていないのかという疑問から調べが始まった。
 「野間清治傳」の著者で歴史学者の、中村孝也氏が、戦前(昭和14年)私の父が自転車店の看板を掲げていた家を訪ね、その際に撮った写真が残っていた事が調べていた後で見っかり一層、野間清治が身近に感じた。
 私が最初に手にしたのが、野間清治著の「私の半生」(昭和11年、千倉書房発行)であり、これより十数年間、野間清治の足跡をたどる膨大な資料、コレクションが出発した。又、生前の野間清治を知る人にも、アタックした。手紙で依頼、話を聞かせてもらい、議員生活五十年の式典にも招待していただいた、原健三郎氏、野間清治に憧れて講談社に入社「現代」の編集長を最後に戦後まもなく議員に当選、そんな原健三郎氏が、2004年11月に亡くなり、それまで集めた資料を整理する時と感じ、葬儀に参列した翌日、第一回目の企画展を桐生市立郷土資料展示ホ−ルに申し込みに行きました。
 野間清治の足跡を知ってもらうため「書籍でつゞる野間清治の足跡展」を、2005年5月27日に開催しました。野間清治をどの位の人が、関心をもっているか、私なりに感触をつかみたかった。
 その結果、入りにくい場所にもかかわらず大勢の人が来場してくださり、次回を期待する声もあって、自分自身も資料全部展示が出来なかった事もあり、もっと、もっと野間清治を知ってもらいたい何んとか、生誕130年(2008年)まで続けると決意をしました。
 第二回目は、野間清治が雑誌王と呼ばれる。九大雑誌をテ−マにと「九大雑誌と付録展」を企画した。この企画には、私の思いがあり講談社から借りたい付録があった。 これは、講談社としても門外不出のもので、個人的には借りる事が出来ず、野間清治顕彰会や、市役所の力を借りる事になりました。その付録とは、少年倶楽部の大型模型の「世界一高いエンパイヤビルヂィグ」「大飛行艇ドックス号」「名古屋城発光」である。  講談社の特別の計らいと顕彰会の皆さんの協力により運搬の危険も無事のり越え企画展は大成功で終わる事が出来ました。
 すぐ、第三回目のテ−マを「群馬と剣道」と決定し、運良くその年の十一月の顕彰会の研修旅行で、野間道場を見学する機会にめぐまれ、その際、(財)野間道場を管理している宮勝幸氏より「タイガ−・モリの剣道防具がアメリカより里帰りしている話があり、ぜひ企画展に貸していただきたい」とお願いをしました。願いがかない企画展に華を添える事が出来ました。
 多くの剣道関係者もご来場いただき、野間道場の話も持ち上がり、今回も成果を得る事が出来、来年に迫った生誕130年につなげる盛りあげが出来たと思う。
 これからも、野間清治の研究を続けていきます。