さだまさし「とこしへ」コンサート

             日  時 2005年10月15日(土)17時30分開場 18時00分開演
             
場  所 那須町文化センター大ホール(コンサート通算3346回目)
             シ ー ト 1階6列19番(センター)


◆コンサート・メニュー

CONCERT MENU
1ベル(予鈴)17時55分 / 2ベル(開演)18時01分 / 終演21時00分

  1.さよならさくら
  2.長崎小夜曲
   
MC 1
  3.冬物語
  4.北の国から(メドレー)
   メインテーマ〜五郎のテーマ〜純のテーマ
   〜蛍のテーマ〜メインテーマ
  5.手紙
   
MC 2
  6.小夜曲
  7.セロ弾きのゴーシュ
  8.October〜リリーカサブランカ〜
   
MC 3
  9.木根川橋
 10.案山子
 11.秋桜
   
MC 4
 12.親父の一番長い日
   
MC 5
 13.とこしへ
 14.MOTTAINAI
 15.女優
   
MC 6
 16.天然色の化石
 17.風に立つライオン
   
< 緞 帳 >
 E.C.奇跡
  
※歌い終わって、メンバー全員が舞台最前列に整列して
   挨拶。

  
< 緞 帳 >
 MC 1
  ・あいさつ コンサート通算3346回目
   3000回以上もコンサートをやって来ても、
   まだ来たことが無い町があった。
  ・最後のさくら号に乗った。

 MC 2
  
・メンバー紹介
  ・中学校の頃の思い出 のりちゃん
  ・加山雄三さんの影響でこの世界に入った

 MC 3

  ・8年前から弟(繁理さん)が那須町に住んでいる
  ・中学高校時代の恩師 安本先生 ロボ

 
MC 4
  
・山本直純さんに軽井沢音楽祭に誘われた
  ・「親父の一番長い日」誕生の経緯

 MC 5
  
・下宿時代に電話で「カネ、カネ、カネ」
    弟が500円札3枚を送ってきた
  ・「もったいない」は外国語には無い概念
    心の豊かさとモノの豊かさは別
  ・教育改革、特に初等教育の改革を急がないといけない

 MC 6
 
 ・各地で歌うことは、お坊さんや富山の薬売りに似ている
  
・「夏 長崎から」は来年20回目で終わりにする
   加山雄三さんが初めて来てくれたとき、
   舞台袖で見ていて涙が止まらなかった
  ・未来は希望 今は辛くても、必ずいいことが待っている

◆開演前
 自宅を13時30分頃に出て、西那須野の蕎麦屋に寄り道をしてから国道4号線を北上。ホールに着いたのは15時30分頃。走行距離約60Km。国道を離れてホールに向かう道は、本当にこの先にホールがあるの?と思うくらいに周りに何にもないところでした。ホールの駐車場入口からコンサートツアートラックのフリーフライトマークが見えたときにはなぜかほっとしました(笑)。開場は17時30分ですが、周囲に時間をつぶせるような施設もなく、車の中で本を読んだりして開場を待ちました。16時頃からは雨が降りだしました。
 17時過ぎにロビーに入り、コンサートプログラムと宅間さんのCD「Cosmic rain」と「Dear Friends」を購入しました。そうこうしているうちに予定より5分くらい早く、17時25分頃に開場になりました。
 座席は6列目のセンターで、まさしさんの真正面でした。

◆開演
 1ベルが17時55分。客席の後ろの方を見回してみると、この時点でもけっこう空席があったように感じました。いつも以上に年配者のお客さんが多く見られました。逆に小学生や母親に連れられた幼児の姿も。2ベルが18時01分で、ほぼ予定時間どおりに開演です。

  
MC 1
 
あいさつ。ソロ通算3346回目のコンサート。3000回以上コンサートをやって来てもまだコンサートをやっていない街がある。
 寝台特急さくら号が廃止になった。最後のさくら号に中学・高校時代の友人と乗って長崎に行った。ビール3ダース、日本酒、焼酎、ワインを持ち込んだが、横浜を過ぎるころにはすっかりでき上がってしまっていた。東京にひとりで出てきた頃は特急に乗れずに急行「雲仙号」だった。東京駅を午前10時30分に出て、長崎に着くのが翌日の午前10時27分。23時間57分かかった。24時間ではないところが当時の国鉄のプライド(笑)。長崎に着いて、ヘッドマークを背景に仲間と記念写真を撮った。仲間からさくら号の歌を作れと言われて「さよならさくら」を作った。「長崎の曲を2曲聴いてもらいましたって、曲紹介だけすればいいのに何でこんなに話すんだろう?」とつぶやいて笑っていました。
 「長崎小夜曲」はアコースティックのアレンジがしてありました。以前はギターだけのジャジィーなアレンジを披露してくれたこともありましたね。

MC 2
 「北の国から」をメドレーで聴かせてくれました。曲紹介で、メインテーマ、五郎のテーマ、純のテーマ、蛍のテーマ、再度メインテーマと続けたので「これで5曲分にカウントして下さい」(笑)。「手紙」の演奏の中ではバイオリンを胸の前に抱えてピチカート奏法で三線のパートを弾いていました。
 メンバー紹介は、並んでいる順に下手側から、倉田さん、石川さん、宅間さん、岡沢さん、川瀬さんでした。ツアーのはじめのほうでは、メンバーの並び順が少し違っているような情報もありましたが、いつもと変わりませんでした。
 ひとりで東京に出てきて中学校に入学した時の思い出から、加山雄三さんの「君といつまでも」のコード進行で歌を作ってのりちゃんに尊敬され、この世界に入ることになるまでが語られました。入学式前日に中学校に半ズボンで挨拶に行ったが、東京では違うのだと知らされた。入学後3日間は方言・イントネーションをばかにされるのが嫌でしゃべらなかった。のりちゃんが最初に話しかけてきてくれて、一緒に帰る途中にいきなり、「さだ君はベトナム戦争をどう思いますか?」と尋ねられてびっくりした。のりちゃんはのりちゃんで、東京を背負っていて長崎から出てきた田舎者にばかにされたくなかったらしい。下宿先のすぐ近くに住んでいたお兄さんのギターで「君といつまでも」を弾いた。バイオリンを弾いていたので、ギターのバレーコードも難なく弾けた(石川さんがFコードの模範披露)。「君といつまでも」と同じコード進行で歌を作ったらのりちゃんが喜んでくれた。次の日も別の歌を作って聴かせたらまた喜んでくれた。3日目にも作っていったら「他のはないの?」と言われた(笑)。こんなやくざな世界に入ってしまったのは、全て加山雄三さんのせい。

MC 3
 8年前から弟(繁理さん)が那須に住んでいる。今日は新幹線の那須塩原駅から会場に来たが、会場までの風景からすると今日は人がいないんじゃないかと思った(確かに会場周辺は林か田んぼが続いています)。
 中学・高校時代の恩師の思い出。高校の安本先生は「学校は勉強するところではなくて、勉強する方法を学ぶ場所だ」と教えてくれた。毎年先生を囲んで同窓会を兼ねた旅行をするが、ここ2年は先生が入院したりしていたので休止中。でも先生は「いつやるんだ」と楽しみにしているらしい。
 中学の2・3年の時の担任“ロボ”が亡くなった。定年後は塾を開いていた。「さだは自分が育てた」と吹聴し、松戸で行われるコンサートには20〜30人をひき連れてきた。よく寝る先生で、試験の監督に来ていても寝てしまう。おかげでその試験だけは平均点が高かった。今考えると、わざと寝ていたのかとも思えるが、確認できずじまいになった。酒を飲むと必ず「木根川橋」で寝た先生は誰かと尋ねた。「ロボ、おめえだよ」と答えると嬉しそうにしていた。

MC 4
 「木根川橋」の演奏中、川瀬さんが胸にパーカッションを抱えて演奏していました。また、倉田さん、石川さん、岡沢さんが♪荒川土手の〜の部分で大きな声で合唱していました。
 オーケストラと仕事をするとクラシックバイオリンを学んでいたためにお互いに分かりあえるところがある。クラシックの底辺を広げようと活動していたのが山本直純さん。直純さんに軽井沢音楽祭に呼ばれた。「おまえのお客さんを連れてきて欲しいんだ」と言われたとか。25分の歌を作れと言われた。1曲が3分・4分というのはテレビ局やラジオ局の都合に過ぎないと言われた。音楽祭の前の6月に軽井沢を下見した。建具屋の加藤さんから、貧乏人の行くところじゃないとか、駅の改札で預金高のチェックをされるとか脅されたが、そんなこと無かった。軽井沢のイメージとして、愛人を連れた小説家が結核で咳をしながら白樺の林の中を歩いていて欲しかった。自転車で軽井沢を巡っていたところ、小さな教会での結婚式に出くわした。長い曲を作るにはそれなりの必然性が必要。これだ、と思った。時間を長くするだけなら、超スローテンポで歌えばいい?まさしさん、スローテンポで歌う様子を実演(笑)。逆に、早回しで時間を短くする様子も実演。動作も早くなる(笑)。結局12分30秒の歌しか作れなかった。直純さんが要求した長さのちょうど半分だった。

MC 5
 「親父の一番長い日」を歌い終わって「この曲は3曲分にカウントして下さい」(笑)。
 下宿時代にお金に困って10円で長崎に電話をかけた。3秒ぐらいの通話時間で「カネ、カネ、カネ」しか言えない。ある時、両親が不在で弟が電話を取った。しばらくして、アイロンで皺を延ばした後のある500円札が3枚、弟の字で宛名が書かれた現金書留で送られてきた。心情的には使えないけど、使わないと死んでしまう(笑)。500円でインスタントラーメンを買って飢えを凌いだ。500円をパ○○コで増やそうと思ってあっという間に無くなった。最後の500円は使えずにほんの間に挟んでおいたが、その本を売ってしまった(苦笑)。あの本を買った人は得をした。
 「もったいない」という概念は、外国語にはない。ノーベル平和賞を受賞したケニアのワンガリ・マータイさんが「MOTTAINAI」を世界語にしようとキャンペーン中。心の豊かさとモノの豊かさとは別のもの。教育改革、特に初等教育の改革を急がないといけない。

MC 6
 こうして全国を歌って旅をしていることが、辻説法をしながらお布施をいただくお坊さんと使った分だけ補充していく富山の薬売りに似ていることに気付いた。
 長崎で続けてきたコンサート「夏 長崎から」を来年の20回目で終わりにする。11回目から続けて参加してくれている加山雄三さんはノーギャラで参加してくれている。加山さんが最初に来てくれた時に、舞台の袖で見ていたら涙が止まらなかった。子供のころから今までいろいろ挫折や辛いことを経験してきたが、自分のためにこうして加山さんが来てくれた。辛いことを経験していたころの自分に会って、もう少し頑張ると加山さんが自分のために来てくれるぞ、と励ましてやりたい。未来は希望。今辛くても必ずいいことが待っていると信じよう。
 このMCの後に歌った「天然色の化石」は、武道館で歌った時と同じように、まさしさんのギターだけで、かつ歌詞からは「God bless you」が省かれた演奏で、とてもシンプルだけど、もともと強いメッセージを持った歌がさらに印象深く心に刻まれたような気がします。

E.C.
 緞帳が上がると、ステージ上には色とりどりのハート型の風船が30個くらい、重りを付けた糸に付けられて浮かべてありました。 
 
歌い終わった後、メンバー全員がステージの最前列に整列して、挨拶してくれました。メンバーが舞台袖に入った後、ステージに向かって左側前のほうの席にいた幼児ふたりに風船をプレゼントしました。もうひとり、最前列にいた女性にもプレゼントされました。この女性は、MCの中でまさしさんが「ずいぶん太っている人だなあと思ってみていたら妊婦さんだったのね。何カ月?」と問い掛けて「来週出産予定なんです」というやりとりがあった方でした。

◆全体の印象
 舞台セットは極めてシンプル、というか、左手奥に大きなハート型の風船が1つ浮かべてあるだけです。何年か続けて使ってきたような映像を映し出すスクリーンもありません。聴衆が神経を視覚に奪われない分、歌詞の内容や演奏に集中でき、楽曲が訴える力を強く感じることが出来るような気がしました。今までの、映像によって楽曲のイメージを見せていくという手法とは180度考え方を変えた演出ですね。ツアー毎に続けてコンサートに行っている方には最初物足りなさを感じるかも知れませんが、コンサート中に歌詞や音の一つ一つに注目している自分に気付くのではないかと思います。ましてや今回のツアーの選曲とアレンジはアダルトリッチで、聴き入ってしまう楽曲ばかりです。この曲があんなアレンジになっている、と思わされるに違いありません。また、バイオリンをたくさん聴けました。ちょっと残念だったのは、この日のまさしさんの声の高音部が少し出にくい感じがしていたことでした。
 衣装はTシャツ、ジャケット、パンツとも黒で、アンコールの衣装は、サッカーのWカップ予選で君が代を歌った時のものでした。

◆終演後
 21時10分頃、ホール正面の車寄せに用意してあった繁理さんの車の助手席に乗ったまさしさん。運転席側の窓が開けてあったので、両手で手を振ったら笑顔で手を振って応えてくれました。この日は繁理さんの家にお泊まりだったのでしょうか?、それとも新幹線で東京に戻ったのでしょうか?。 

(2005/10/16 記す)


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