菅原文太 日本人の底力
ゲスト:さだまさし

2009年3月8日・15日(日) 5:30〜6:00 O.A. ニッポン放送(関東ローカル)
以下の内容は、mixiの自分の日記に書いたものを転記したものです。


【3月8日】

タイマー録音すると同時に、何とかオンタイムで聴きました。
ただし、途中睡魔に負けましたが…ざっとおさらいをしてみます。

・長崎生まれ、12才まで長崎で過ごす
・父は戦後長崎に引き揚げてきた
・バイオリンを始めたきっかけ
  母(喜代子さん)が音楽が好きで子供に音楽をやらせたかった。
  父が楽器屋で20万円のピアノと3000円のバイオリンを比べて、バイオリンを選んだこと。
・祖父母のこと
  ウラジオストクで大きな日本料理屋「松鶴楼」を経営
・戦争引き揚げで祖母と父(雅人さん)の茂木港での再会
・まさしさんが生まれた頃のこと
  築山があり池には鯉が泳いでいるような豪邸住まい
・父が材木屋の事業に失敗して二軒長屋住まいになったこと
・バイオリンの修業時代 
  お金がない中、よくバイオリンの修行ができた
  ハイフェッツは特別な存在
  音楽学校の受験に失敗
  バイオリンを習ったものは誰でも、パガニーニの家に討ち入りに行きたいと思う
  譜面が難しいらしい…
  その頃の辛さがあったから、今の曲作りにも耐えられる
・ケンカもよくした
・バイオリンの修行を諦めた頃
  学生時代のアルバイトで身体をこわして、故郷長崎に帰る
・グレープの誕生
  バンドの淘汰の結果、吉田正美とグレープ誕生
・「精霊流し」のヒット
  精霊流しは人生のバトンを渡す行事
  祖母の船を出した時のこと。船が海に流れていって提灯の明かりがふっと消える時、故人を思い切る。
・原爆投下直後にも精霊船が出た記録が残っている。

  曲 「精霊流し」 2コーラス目からはMCをかぶせて。
    歌詩の頭に「あ」行音のつく言葉を並べて意識的に明るくしようとしている

・宮崎康平の影響
  フォークソングは「生活歌」ではないのか。
  なぜ「精霊流し」を歌にしないのか
・グレープでずっとやっていけるとは思わなかった
  吉田はジャズを、まさしさんはバイオリンを活かしたかった
・音楽のジャンル分け
・グレープ解散後、定職を求めて長崎放送制作部音楽課への就職を試みる。
  宮崎康平の子分的存在の制作部長に履歴書を持っていった
  その場でゴミ箱に入れろと言われ、「君は歌っていなさい」と。

文太さんからは、「いい人に何人も出会ってるねぇ」と。

続きは次週。


【3月15日】

若干のプレッシャーを感じつつも、前回のレポの反響におだてられて再び木に登ってしまいました(爆)。
今日は放送開始の15分前に目が覚め、タイマー録音のスイッチが入るのを二度寝しないように
待ちました(笑)。それではどうぞ。長いです…

音楽に関しては全く音痴なので何を聞いたら良いのか分からないと言う文太さんに対して、
まさしさんは「そんな聞かないで下さい、雑談にして下さい」というところからスタート。

・音楽でいちばん刺激を受けたのは誰か?
  根っこにはクラシック
  サイモン&ガーファンクル、ビートルズ。ビートルズに影響を受けていない
  ポピュラーミュージシャンは少ない。
  子供の頃はエレキギターを弾いたこともある。ベンチャーズやシャドウスの影響。
・いちばん影響を受けたのはポールサイモンの存在
  世の中がおかしいと思ったら、おかしいと歌わないといけない。これはロックシンガーの姿勢。
  ロックとは…エレキやベースやドラムを大音量で髪振り乱しながら歌うのはファッションの部分
        本当のロックの魂というのは、おかしいことをおかしいと歌う姿勢で、
        ポールサイモンは一貫してその姿勢を貫いている。
  官僚は辞めてしまえ〜と歌うのではなくて、こんな思いの年寄りがここにいるよとか、
  年寄りをここまでいじめるなんてこの国はどんなになっちゃたんだろうと歌うだけで
  伝わる人には伝わる。
  ポールサイモンのように流行語やCMで使われている言葉を歌の中に入れてみたり、
  笑ってしまうような歌詩を書きながら伝えるものはちょっと芯のあるよう歌を書きたいと思った。
・「たかが音楽、いつでもやめられる」(プレーボーイ誌のインタビューの小見出し)に対する反応
  真意を確かめにニューヨークまでポールサイモンに会いに行った。
  「音楽は常に過去に向かって進行しているんだ」の言葉に腑に落ちた(納得した)。
  作曲は曲ができた瞬間がいちばん震える。その瞬間が音楽である。
  コンサートはその時の瞬間を再現したい作業。商業音楽として再現していくのは、
  死体を追っているようなもの。
  だから、「たかが音楽、いつでもやめられる」の言葉は腑に落ちた。音楽家はその都度死んでいる。
  この言葉を知ったのはまさしさんが20代の時、ポールサイモンは30代後半かな?
  彼の詩は作ったものではなくて、彼から出てきたものである。
・ポールサイモンに嘘をつかれた?
  彼のリムジンでホテルまで送ってくれた時のこと。アート・ガーファンクルと仕事をする機会は
  もうないのかと尋ねたら「never(決して無い)」と答えたが、その後ポールサイモンは
  映画で失敗してアートと再結成したのでちょっと嘘をついた(笑)。

ここから映画「長江」の話題へ…

・さださんも映画(「長江」)で失敗した、と文太さん。まさしさん「あいたたた…(笑)」
  中国国内だけで200時間撮った。そりゃぁ、借金する。35mmでパナビジョン。
  30年前のこと。中国に憧れていた。
  祖父がその母に宛てた手紙が残っている。
  「四川に邦人は私一人であります」この1行が未だに僕を突き動かす。
  一人でコビ砂漠を渡った7人目の日本人だった。
・映画「長江」のきっかけ
  日中の国交が回復して、何を土産に中国に行こうかという時に、
  自分が見たいのだから日本人はみんな見たいだろう。
  カメラを持っていけば何か写るだろう。長江流域のことを1ヶ月半調べ上げて、企画書を書いた。
  その企画書を父(雅人さん)が観光旅行に行く振りをして北京に行き、
  中央電視台のポストに投げ込んできた。
  父の夢でもあった。
  長江流域の撮影は6カ国の競合だった。中国側からは企画書を見て会社(さだ企画)のことを
  調べたがひどい零細企業である。しかし仕事はお金がするのではなく、人が仕事をするのであるから
  私ども(中国側)はこの企画に許可をすると言われた。その時に日本を背負った。
  あの時にあれほどの借金をしようとは想像もしなかった。
  その頃、「関白宣言」が売れ、コンサートにもお客さんが来てくれていて、
  自己資金が2億円あった。2億あれば楽勝だろうと思っていたら桁が違っていた。
・実際の撮影現場
  撮影班を3班に分けた。本隊と本隊の援護班、援護班が取り残したものをさらに拾う班。
  憧れの四川に入った時に膝が震えた。祖父はここに来たのかと言う感動。
  祖父はどの辺を歩いたのだろうという想像。
  感動の一方で、会社からは「もう無理だ」という連絡。現場ではそんなに借金しているとは
  感じなかった。2億では足りなくて、5億ぐらい借りたのかな?と思っていたが正味28億。
  人生終わったじゃん、って思った。
  弟(繁理社長)が連絡を受けたのは明日蛾眉山に登ろうとしていた日。
  五合目まで車で頂上までは7時間の行程。
  登頂の翌朝、頂上から小便をして蛾眉山に虹をかける(デカンショ節にそんな一節があるようです)
  はずが、上昇気流で全部顔にかかった(爆)。
  人生終わった、と思って帰国したが、終わってなかった。借金を返す作業が残っていた。
  文:「今振り返ればいい冒険だったじゃない。いい度胸してた」
  ま:「度胸は無かった。知らないからできたと思います」
・借金の返済
  働いて働いて働いて、歌って歌ってコンサートにお客さんが来続けてくれて助けられた。
  文:「それが3500回を越えるコンサートの底力になったのかな。
    ずっと話を聞いていてその元気さを見ると、5000回は楽に行くな」
  ま:「いや〜、文太さんそういんもんじゃないと思います。
    30代40代とは違う50代に入ると、徹夜がこたえるようになりました。」
  小説を書いたり歌を書いたりして徹夜をすることがあるが、以前は一晩寝れば回復したのが、
  何日かかかるようになった。

・グレープについて
  吉田正美さんの現在。レコード会社で著作権関係の仕事をしている。
  グレープは二人組たから、力まなくてもあいつがギターを持って来ればいつでも再結成できるし、
  今まで何度も再結成している。その都度上手くなっていて、成長している。

・父と母のこと
  元気でいる。父88才、母83才。長崎を中心に東京に行ったり来たり、
  会社に顔を出したりコンサートに来たり。コンサートについて、いちいち批評する。

・新潮新書「本気で言いたいことがある」
  文:「今、本気で言いたいことは何があるかな?」
  自分のことを棚に上げて良ければという前置きで、この国はどげんかせんといかんと思う。
  政治だけでなくて、精神・生活環境が汚染されている。
  我々がダメだからダメな政治家を送り出しているのだろう。
  年寄りと若者の間にいる僕ら(まさしさんの世代)がダメだ。僕らの世代が壊れてしまった。
  日本を壊してしまったのは、僕らと僕らの少し上の世代。この責任は大きいと痛感している。
  どうしたらいいのか?
  コンサートでは日本人が日本語を下手になっていること、
  伝えたいことを上手く伝えられないでいることを訴えている。
  日本人が日本語を下手になったら、この国はどこへ行ってしまうのだろうと思う。
  落語家に友人が多いので、日本語会話教室をやらないか?と提案している。
  ま:「子どもたちに会話の楽しさを教えることから始めないと、
    大人と話ができない子どもたちばかりになってしまって、
    こどもと話ができない大人ばかりになってしまって、
    どうやってバトンを渡していいか分からない。
    都会になればなるほど、つき合いはないし。小さい街ではまだ年寄りからこどもへって
    バトンを渡す、例えば阿波踊りを見ていると羨ましいと思う。
    子どもたちがおじいちゃん、おばあちゃんの踊りに憧れる。
    年寄りはそういう存在であって欲しい。
    それを繋いでいけないのは中間管理職である中年の責任である。
    中間管理職がどこから壊れたのか、どこから直せばいいのか、僕は途方に暮れている。
    どうにかしてあげないと、子どもたちが壊れてしまう。壊れていないこどももいるから、
    どこかでバトンは渡っているのだと思うけれど、細い糸になっている。
    血管が細くなっている感じ。おじいちゃんやおばあちゃんから
    孫に何か大事なものは伝わっているはずだが、伝わる量が減っている感じ。
    人間同士の社会的な動脈硬化が起きている感じがする。
    それを繋ぐ役割をする、僕らのような発言をしなきゃならない仕事の人間が
    テレビを見ていると動脈硬化を起こしている。架空の社会正義が出来上がっていて、
    それを背景に話さざるを得ない状況になっているという不幸。」
  文:「まったくそのとおりだね。」

・2月に発売になったアルバム「フェスティバルホール200」
  文:「このCDの中に今話してきたような内容にふさわしい曲があったような気がしたので
    それを聴きながら終わりましょう。何ていう歌だったかな?」
  ま:「それは『防人の詩』だと思います。」
  文:「日本という国を守らないとね。」
  ま:「心から守らないとダメですね。」
  文:「じゃぁ、その歌を聴きながら終わります。ありがとう。」
  ま:「ありがとうございました。」

ここまでCM無しで、実質21分くらいでした。
  曲 『防人の詩』 

以上です。長かった…  


ムーンライトのつぶやき
 
第1週の内容はファンにとっては名刺代わりのようなものだったので、 第2週はどのような展開になるのかと思ったら、
文太さんもちゃんと心得ていて、もちろんまさしさんもそれに十分に応えて、 コアなファンにも納得のいく素晴らしい内容だったと思います。
 まさしさんやそれより少し上の世代ばかりでなく、 まさしさんの訴えている内容に共感している僕たちもそれぞれがそれぞれの立場で
何か行動をしていかなければならないのですよね。みんなで肝に銘じておきましょうか。

        〜おわり〜