「さ だ ま さ し」を語る


「さだまさし」との出会い
 
さだまさしが「グレープ」でデビューしたのが、1973年。当時中学生(歳がばれる〜^^;)の私はそのデビュー曲『雪の朝』こそ知らなかったが、『精霊流し』のヒットでその存在を知る。ギターとバイオリンという珍しい組み合わせと、ある種哀愁を帯びた『精霊流し』のメロディーは印象的だった。レコードを買うまではしなかったが、『精霊流し』以後のグレープのヒット曲はテレビやラジオで聴いていた。
 中学校の卒業間近にクラスメートの女子たちがサインブックを持ってきて何か書いて欲しいと言ってきた時に、好きな歌手としてグレープと書いた記憶がある(サインブックはモテていた訳ではなく、ただの卒業記念の意味であったろう(笑))。
 グレープは解散し、半年後さだまさしはソロ活動を開始する。ソロ活動を始めたことは知っていたが、その頃もグレープに接していたころと変わらない接し方をしていた(テレビやラジオで見聴きする程度)。幸い当時から注目されていたアーティストだったせいか、FM放送で特集番組が組まれたり、ライブの模様が放送されたりしていた。そんな中で話術の巧みさを知っていった。
 1979年、『関白宣言』が社会現象になった時も、それを伝える新聞記事をリアルタイムで読み、「女性蔑視」と唱える方々に対し「そんな見方もあったんだー」くらいに感じていた。

「さだまさし」にはまったきっかけ
 
1981年、東京で大学生生活を始めた年、FM放送から流れてきた『フェリー埠頭』の冒頭の歌詞に惹かれた。
           ♪ わたしフェリーにしたの
             だって飛行機も汽車も
             涙乾かすには短すぎるでしょう

何ということないと言えばそれまでだけれども、とても印象的な歌詞で耳を離れなかったし、その後の歌詞もストーリーができ上がっていて短編小説みたいだった。
 それまでに発表されていた楽曲でも日本語や漢字を大切にしていて、歌詞に重点が置かれていることは感じていたが、この曲によってはっきりと意識させられたと言っていい。以後、発売済みのアルバムやシングルレコードを買い集め、またニューアルバムのリリースを待って、歌詞の深読みや、短編小説的世界を楽しむようになった。

その後
 
アルバムやシングル、書籍を買いさあり、ラジオ(セイヤング)を聴き、コンサートに出かけるようになった。
 最近では、インターネットを通じて情報収集をしたり某掲示板に時々書き込みをしたり、インターネットがなければ知る由もなかったはずの方などとのやりとりをしている。

私的「さだまさし」の魅力
 10人いたら10通りの、100人いたら100通りの魅力があるに違いないが、私にとっての魅力は・・・

1) 歌詞が短編小説的で聴き手が自分なりのストーリーを想像できる。
  また、歌詞に文学的香りが漂っている。
2) 歌詞にメッセージを込めたものがあり、いろいろと考えさせられる。
3) コンサートトークが面白い。

     1)と2)は、「さだまさし」が万人受けしない原因になっているかもしれない。

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