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例幣使街道reiheisi kaidou
京の朝廷の使いが、日光東照宮に毎年御幣を捧げるために通った道です。東照宮の例祭に合わせ、四月一日に京を発ち、 四月十日に上州に入り、翌日にこの道を通り、十五日に日光に到着したとされています。禄の低い公家が例幣使で あったことから、道々金品を強要したり、籠をゆすって落ち金銭を要求したといいます。このことから金品を要求することを 「ゆする」と言うようになったとされます。


倉賀野宿
  日光例幣使街道は、中山道倉賀野宿から別れています。この分岐点に閻魔堂のがあり、その前に分岐点を示す 道標と常夜灯が置かれ、「これより、右江戸道、左日光道」と記されています。

岩鼻
  寛政五年(1793)徳川幕府は直轄地の経営のため代官所を置いた。明治になって岩鼻県が置かれ その県庁となったが、明治四年(1871)岩鼻県が廃止されその任を終えた。

綿貫
  街道沿いにある前方後円墳。この上に立つ不動尊を祭る不動山神社。

玉村宿
  玉村八幡宮と木島本陣跡の歌碑。中仙道坂本宿とともに、上州で例幣使が宿泊した二つの宿の一つ玉村宿は、 日光例幣使街道と三国街道の脇往還である佐渡奉行街道と交差する交通の要所でした。 本陣跡の参議有長の歌碑には、「玉むらのやどりにひらくたまくしげ ふたたびきそのかへさやすらに」と刻まれています。

南玉
  玉村を出たところに住吉神社がある。ここには多くの庚申塔が並んでいる。神社の南に室町時代の 夫婦の墓とされる「文安銘五輪塔」がある。

五料宿
  五料の常楽寺にある薬師堂内に石の薬師如来と馬頭観音が安置されている。 また入口には多くの庚申塔が並んでいる。
  烏川を渡る渡し河岸には五料の宿があり関所が設けられていました。その関所の中にあった 井戸と門の沓石だけが残されています。   「烏川渡舩、神保原参拾町、本庄弐里」と刻まれた道標

柴宿
  烏川を挟んだ五料宿の対岸柴宿の本陣跡。本陣の門前に立つ大正期の道標。 芝宿にはかつて桜並木があったことから近年水路とともに復元されました。芝を出たともろにある 雷電神社。裏手には8基の庚申塔と2基の馬頭観音と2基の道祖神がある。

堀口
  かつてこの一帯が城であったとはとても思えない畑と家の間に、那波城跡の石碑がある。 昌雲寺の入口には庚申塔が並ぶその中の一つに「従是 南本庄 北伊勢崎」と刻まれ道標となっている。

大正寺
  大正寺の豊武神社には鎌倉時代の五輪塔があり、隅には台座に「右ちゝぶ 左日光」とある 安永八年の二十二夜塔がある。その東のもと清水商店であった向かい側に、倒れた大正期の道標には 「東 馬見塚約八町 境町停車場約一里十八町 太田町約五里」とあります。

下道寺
  「塔の辻の道しるべ」と呼ばれる万延元年の棒状の猿田彦大神の下部に「右 玉村 左 やった」と 標された道しるべがある。その傍らにある大正4年の道標 には「東 馬見塚 下蓮沼 境町経テ太田 約五里 北堀口本町 西下道寺」などが標されている。
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