真珠湾 パールハーバーへ行ってきました
2004年12月20日
日本では分からない、太平洋戦争の別の姿を知って

 真珠湾(パールハーバー)と言えば、何を思うでしょうか。
「ニイタカヤマノボレ」「トラトラトラ」「リメンバー・パールハーバー」「戦艦アリゾナ」などいろいろ脳裏をよぎることでしょう。今でもこの湾の底に戦艦の中に何百人の人が封じ込められているのです。

 ワイキキは、外国を感じさせないくらい日本人が多く、英語が分からなくても生活できるのですが、パールハーバーは日本人はとても少ないです。パールハーバー全体が軍の施設なので、多少の制約がありました。

 画像は、戦艦ミズーリ。第二次世界大戦WWUに終わりを告げた象徴物です。
後部の星条旗に敬礼をしてから船に載るのがマナーのようでした。載った直後に、後ろから来たアメリカ人がしていましたので、あわててしました。
 左は噂の「シゲミツ・プレート」。上甲板にあるこのプレートの上で、日本の降伏文書調印が行われた。日本側は全権大使重光葵、アメリカ側はマッカーサー元帥。
説明によると、日本を開国させたのはペリー。日本を民主主義に導いたのはマッカーサー。そして、WWUを終わりにしたのがこの戦艦での調印式。この戦艦ミズーリは、アメリカン・ヒーローとして象徴されていた。

     
   真っ白なアリゾナ記念館は、沈没した戦艦アリゾナの上に建っている。右の画像がそのモデルです。記念館にはここでなくなった船員・戦士全員の名前が彫られており、涙を流す人もいました。とても神聖なるところで、無駄なおしゃべりなど全くありませんでした。
記念から見た戦艦アリゾナの残骸です。煙突などの部分を見ることができますし、まだ船内からの油の流出が続いています。60年以上たっても生々しさを感じます。
 アリゾナ・メモリアル・センターには、太平洋戦争だけでなく、ヨーロッパでの様子が紹介されていました。奥には、真珠湾攻撃の指揮艦であった「空母赤城」の大きな模型がありました。とても大きいので、カメラに収まらないのが残念です。

このセンターは、展示を見て、映画を見て、そして会場のアリゾナ記念館へ行くコースになっていました。

 映画は、大日本帝国海軍が奇襲攻撃し、被害を受けるパールハーバーの様子が生々しく描かれていました。さらに、イギリスとドイツの戦いの様子も紹介されていました。
 ここで気になったのは、広島長崎への原爆投下については、全くふれていませんでした。環太平洋では、唯一テニアン島のB−29の格納庫跡だけです。

  マイケル・ベイ監督、ベン・アフレック主演の映画「Pearl Harbor パール・ハーバー」を改めて見てみるのも良いかもしれません。アメリカから見た真珠湾攻撃が様子がうかがえます。
      
 潜水艦バウフィンが会場に見学できるようなっています。中にはいると、当時の潜水艦のつくりや船員の役割等が分かります。また、その記念館は、各種魚雷から、巨大な核ミサイルが展示され、建物内にはアメリカの潜水艦の歴史や原潜のコンソールなどが並べられています。
この潜水艦はドイツのUボートや日本のイ号などに比べると大型で、艦内はハイテクです。
 戦争末期の昭和19年秋に、日本海軍は最後の望みを託して人間魚雷を開発しました。その名は「回天」。回天は海中の特攻隊でした。日本ではまず見ることのできない、残っていない兵器です。一見の価値があります。
 パールハーバーにあるアリゾナ記念館、潜水艦バウフィン、バウフィン号博物館、アリゾナ・メモリアル・センター、戦艦ミズーリ等は、アメリカ軍の施設です。よって、食堂や豪華なお土産店はなどはありません。私は、売店で日本の降伏文書のコピーを買ってきました。このコピーはあまりきれいではありませんでした。ニューヨークの国連本部で売っている方が鮮明です。

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