神話の国出雲の
鶏の居るところと
いないところ
島根県大社町は、一時期八百万(やおよろず)の神が全国から集まるところで、出雲大社の境内には神々の泊まる19社と呼ばれる小社が長屋のように建てられている。旧暦10月を世間一般では神無月、出雲では神有月と称するわけだ。出雲大社は神話にも登場する大国主命、別名、大黒様を祀る神社で縁結びの神として知られ、いまでは年間200万人を越える参拝者で賑わっている。出雲には多くの神社があり奈良時代に編纂された『出雲国風土記』には500もの神社が名を連ねている。まさに神様と神話の国である。
この神話の国、出雲に相応しい生き物として、1951年6月9日に国の天然記念物に指定された黒柏鶏(くろかしわ)が居る。鶏飼いならば1度は飼ってみたい鶏のひとつであるが、故事来歴を含めて実態が良く知られていない。そこで、出雲地方に5度目の調査に出掛けることになった。
1999年5月14日「疲れるから飛行機で行きなさい」との妻の勧めを振り切って、東京駅発の寝台特急「出雲」に飛び乗ったが、熟睡しないうちに島根県に入ってしまった。宍道駅から木次線に乗り換え、1輌車が樹木の茂った金山峠を越えると開けた木次駅に着いた。黒柏鶏保存同好会の吉田肇事務局長と、彫刻家の景山孝三氏に迎えられて、三刀屋町の森山幸吉会長、景山孝三、湖陵町の吉田肇、出雲市の右京幸雄氏宅を順次案内して戴くことになった。日暮れまで8時間かけて見聞し、資料を基に互いの意見を交換したが、結論を要約すると、出雲地方の黒柏鶏は出雲系と松江系の2系統に分かれ、地元では見解が異なり一つに絞り込めずにいる。そのため、品評会ではなく展示会を開催しているとのことであったが、飼育固体数は予想より多く同好会の飼育管理もしっかりしていて、大方が1957年の出雲市知井宮町の藤江俊夫氏の雄を理想体型と認めているので、鹿児島に於ける多様な薩摩鶏を、現在の形に集約出来た成功例を手本に纏めて行けば、良い結果が期待出来る。
夕闇が濃くなったが、最後に出雲市の宇京幸雄氏宅を訪問した。1994年に出雲市で黒柏鶏を飼っているところとして探したが見つからず、出雲空港を飛び立って心残りになっていた訪問先であった。夕方になって仕舞ったが吉田事務局長に無理を言って案内して戴いた。飼育している黒柏鶏は大型体型で鮮赤冠の松江系統で、出雲地方の鶏舎の特徴であるガラス戸で囲われていた。さて、宇京氏の職業は和楽器の製造に携わっておられるので、音謡に詳しく黒柏鶏の謡にも造詣が深く、祖父から3代、109年に亘って黒柏鶏を飼育し続けている。今までに飼った鶏で良いと思われる謡を再生して聴かせて戴いたが、なかなかのものであった。そして、黒柏鶏の謡は長鳴鶏として固定が充分でないので暫定案として、
『音律は出し、付け、張りまたは上げ、引き、落としの5部に分けられ、鳴き出しに明瞭で接続段階としての「付け」を忘れず、頂点でまた明瞭に声を落とし、最後の引声で結んで謡終わるべきものである。落としとは、唐丸程の明瞭さは求めないが、欠くものは問題にもならず、引きは必ずつけなければならない』と強調された。音質はむしろ低音で非常に力強く、張りには一気に謡の豪放を感じさせるものとし、高音は劣品とし、細音も同様である。声良鶏と異なり、よく響くものでなくてはならない。謡の理想長さは18秒位が必要で、それ以上長いものが望ましい。宇京氏は、それに「成雄の標準体重4キロを目指している」と言う。
私は山口県教育委員会編『天然記念物黒柏鶏の保存について』により上記は識っていたが、黒柏鶏の産地で唐丸を凌駕すべく取り組んでいるとは、世界の長鳴鶏のレベルが26秒台に入っているのに、3分の1にも達しない鶏種が、長鳴鶏の高いハードルを30年も遅れて目指すとは、宇京氏の解説と経過を聴くまで思ってもいなかった。現在1番長いので12秒、普通7〜8秒であるが、今後何十年も苦労を重ねるより、現在程度の謡の長さで、むしろ短くても、黒柏鶏独特の捨て難い良い声色に集中すべきである。
長鳴鶏とその文化は、日本、ドイツ、トルコ、ロシア、ブラジル、ベトナム等にあって、日本では声良鶏、唐丸、東天紅鶏の異なる特性を持った3品種で充分との先入観があったのかも知れない。以前から黒柏鶏を長鳴鶏に含めるか否か議論されているが「全日鶏会報」第36号23頁で見解を述べているので省略する。私はすぐに、唐丸を思い出した。今から唐丸を凌ぐ黒柏鶏が完成するだろうか。どちらが主でどちらが従なのか、日本鶏の同じ様な品種が2つでは不適切で意味が無い。しかし、両者が同じ改良の力点と、ベクトルの方向が同じならば、何時かは努力次第で同じ範囲の品種に到達するであろう。
新潟には1968年以降、保存14団体を統括する天然記念物蜀鶏保存新潟連合会が発足し、飼育羽数1千羽を擁し、1968年制定標準体重♂3,9`を目指し、官民上げて努力を傾注している。
出雲駅まで送っていただく車中で、吉田事務局長に当日の成果と意見を求められた時、独断と偏見を覚悟の上で、産地としての標準と目標を定めるのは事務局長の最大の責務であると伝え、出雲で一番懸念されている「黒柏鶏は唐丸の亜種ではないか」から決別するには、唐丸を意識し過ぎて対抗上同じ方向へ行くより、品種として距離を確保すべきで「黒柏鶏は他の如何なる黒い鶏とも、他の如何なる日本鶏とも近付いてはいけない。日本鶏の1品種として確立するには現段階で長鳴鶏としての謡の目標を捨てるべきで、その努力を体色、体型に集中するべきだ」と世界の長鳴鶏の現状と限界を良く識るものとして提案した。
現に、日本鶏の遠祖と言われる黄肌種の同じ黒色長尾鶏で、ヨーロッパで2世紀に亘り改良されたブラックスマトラ種の♂♀共に、全身緑黒色羽装と艶光色は、黒柏鶏や唐丸が足元にも及ばない程見事に完成されている。黒柏鶏の♀の特徴としている幌羽はブラックスマトラ種の2分の1にも達していないことを認識した。品種としての標準が必要で、私としては黒柏鶏の謡を良くする為に東天紅鶏や唐丸を交配するなど論外であると伝えた。
個人の書簡の公開は私の意に反するものではあるが「鉄は熱い内に打て」の諺に従い、根岸氏の書簡を証文の出し遅れにならない為に敢えて転記させていただくと、
『黒柏鶏については、故小穴氏が大正12年防府市の秋山氏よりその存在を確認され、昭和16年再訪時近交累積の結果、鶏に見るべきものが無かったので、口伝を頼りに島根県に分け入り、平田市灘分の農家、小村常蔵氏より当地産を入手され、岐阜の塩谷氏に託され、知られるに至った鶏種のために、その主産地を山口、島根と見做されております。但し、赤柏、白柏と併存した黒柏名称云々は類推に過ぎず(古老の言といわれる証憑文献無し)この間の事情は不明ながら明治初期、周防、出雲地区に於ける牛馬商の来訪時、当地区馬喰・枇杷益一なるものが秋山氏移譲のものと判るものはあります。原産地問題に固執するものではありませんが、山口一辺倒の意見聴取は腑に落ちかねます。
小穴氏要請により之より天然記念物指定申請は小生の筆にて昭和24年4月、当時の文部大臣高瀬荘太郎翁に起草、昭和25年2月、文部省天然記念物調査専門委員東大名誉教授鏑木外岐雄理博の現地調査を経て、昭和26年6月、指定の実施を見ております。この間、昭和25年、山口市在住の故岡崎茂樹氏より共同研究の御要請を受け、事後、小穴氏らの再来を待ち、昭和28年、第1回の標準を作成致し、昭和30、31年、2回訂正した審査適殖規準書は公文として山口県教委に保存され、現在も死んではおりません。
山口県黒柏鶏に関しては往時、故伊藤政太郎氏の御見解により、小穴氏と対照的な見方が出たので実際面を精査して極力吟味の規準を作成したつもりでおります。(山口県の原案は全て私の拠出意見となっております)詳しくは文献的にはっきりしておりますので、要点のみ申し上げます。
黒柏の戦後復旧段階にき小穴氏指示に基づき、大型、鮮赤冠の目標を立てましたが、どうしても、往古の色艶が固定出来ないので、島根本系の交血をお願いしたものの成功せず、その中間クロス時の欠陥が先述伊藤氏に追及された次第です。ごく簡単に申せば、黒色鶏通念の緑艶はとらないと言うことで、墨をなすったのに近い紫光黒色を身上とし、これが最暗の瞳色と黄肌の個性に合致するとの結論の変らぬことで、この個性が他の黒色品種に無い特徴としております。その拠点は一般通念でいう「緑艶を良し」とすることの拠点が主としてミノルカ・オーピントン・ラングシャン種に標準とされている点に求められそうですが、これら欧産の黒色種が、すべて白肌鶏となる点が黄膚系の黒柏鶏の異点となるかどうか。(尤も米産ジャージー・ブラック・ジャイアントのことは存じませんが)
私の比較実験では、唐丸他のクロスではすべて羽艶が狂い、又、小国鶏、東天紅鶏等、非黒色品種、ヘテロシスの黒色体ではすべて鮮やかな緑艶となっており、白膚品種の黒は固定度の高いものでは、瞳色が頗るよいものとなっておりますが、白膚の特徴として、蹠、趾間は石竹色を呈します。黒柏鶏の黄膚で暗瞳色を求めると緑艶では、差毛が出てどうにも除去出来ない点、かつは、黄膚の関係で脚色は成鶏時、楊柳色となり唐丸に見る灰黒にはならぬ点を一つの個性と見ております。
又、小穴氏により強調された♀の幌羽突出特徴は、山口県産でははなはだ劣っており、かつは、白膚の少ないことはミノルカあたりの混血ではないかどうか、この点の解決も出来ておりません。特に唐丸(流れ尾型)との識別上、顔面に黝づみの多く黄膚で鈍黒の個体を集め、現在島根の主系統がある訳です』
仁多郡横田町の大吟醸酒「玉鋼(たまはがね)」を味わいながら、島根県無形文化財指定の大原郡大東町、いわゆる出雲黒柏鶏発祥地の海潮山王寺神楽「スサノオの大蛇退治」を観た。
翌日、宍道町の八雲本陣を訪問した。今年は島根県文化財保護審議会会長、木幡久右衛門居士の17回忌にあたるので、少し触れてみることにする。氏は大地主で1928年に早大卒業後帰郷し、山陰中央新報の社主をはじめ多くの事業を手掛けられた実業家で、また、尺八の道場主で名を吹月と称し、蒐集した美術品は170余点に及び、今では財団法人八雲本陣記念財団に寄贈されて町の蒐古館に展示されている。私が最初に訪問したのは亡くなる2年前の秋で、翌年の島根国体で陛下がご昼食に寄られる時、黒柏鶏を鳴かせる方が良いか悩んでおられた様子で、庭に下りて黒柏鶏を鑑賞したり、廊下の衝立に描かれた鶏の説明をされたり、何菅も形よく並べられた尺八のある応接間で意見を交換した。ご自身も笑っておられたが、根岸啓二氏との「黒柏鶏論争」は何年にも亘った激しいものであったらしい。次の遺された記事からその片鱗を窺うことが出来る。
天然記念物 黒柏鶏始末記 木幡吹月
古来、山口、島根地方に飼われてきた黒柏鶏という日本鶏が、昨年文部省から天然記念物に指定されたために世間の注目を浴び、小生が多年これを飼養していることを聞知した人々から問合せがだんだんある。
黒柏鶏は尾羽長く垂れた黒色の長鳴鶏で、正しく時刻を告げるので古来山地の神社、仏閣や農家で実用と鑑賞を兼ねて愛養されて来たが、その鳴声の長さは、彼の東天紅鶏に比べていささか短いが、鳴声が清澄で独特の抑揚は東天紅鶏に勝るものあるため、鶏飼の玄人が珍重する。
その発祥は山口か、島根か不明だが、出雲地方で古来この鶏の別名を「石州黒」というところを見ると、山口から石見を経て出雲へ来たものとも考えられる。近時卵用鶏種に駆逐されて数も減り、近親交配のために体質も虚弱に、体型も矮化して来たようだ。数年前に松江市の根岸啓二氏が拙宅を訪問して、これが研究と保護顕彰に着手したとき、意図をヒレキして余の20年来の経験談を徴して種鶏の分譲を求められたが、当時純系の雌はわずか1羽所持せるのみ、やむなく別に東天紅鶏と黒柏鶏との1代雑種で全身黒色に出たものを数羽分譲し、君はこれに他より純系の雄を配して数代を経過すれば、原種に復元するという自信の下に持ち帰られたことがあった。
その後氏は鋭意これが優性繁殖に努めると共に、鏑木、小穴等、斯道の大家を招致して、ついにこれが天然記念物の指定を受けるに至った様子であったが、その際に審査を受けたサンプルが果して何れの鶏種によって作られたものかは知るを得ないが、その実物を見たり、新聞に報道せられた写真を見た県下各地の我と自負する愛好家から、その体型や羽色の不備を指摘する異論続出し、自称元祖や本家元が次々と名乗りを挙げて、にぎやかなこと江戸は黒門町の「いもりの黒焼」の本家争いよろしく、黒と名がつけば鶏の世界でも本家争いで、ケンケンゴウゴウの声は朝の鶏小舎以上のものがあった。
余は根岸氏の作出鶏も見ず、審査に来県した2大家に面晤の機も逸したので、論難の是非については何とも言い得ない。ただその作出鶏の母鶏として、拙家より分譲の東天紅鶏雑種を使用せられたとすれば、2代や3代の優性交配で原種に復元せしむることの至難なことは、筆者自らも体験し、専門動物学者の説もまた同調するところであるから、仮にサンプルになった作出鶏に不備な点があったとすれば、短期間の研究と短時間の審査にも甘い点があったためかとも懸念され、母鶏分譲者として一縷の不安と責任を感ぜざるを得ない。
他に幾多優秀な原種鶏が存在する島根県で不備なサンプルで指定を受けたことは見合いの相手にウッカリ寝起きのまずい顔を見られた遺憾がないでもないが、試験の答案に落第点をとりながら実力認定で御情け及第したと思えば腹も立たぬ。殊にこの天然記念物指定の対象は、審査のサンプルになった作出鶏やその飼養グループの所有鶏に限定せず、島根県に存在する該当鶏種全部を含むものだから純粋種の飼養者は何れも自分の飼養場が指定されたと思ってその幸運を喜び、指定に努力した人の熱意を多とすべきである。
ただこの純粋という問題について議論が起こり易いのは、この黒柏に大別して二ッの内種があって、一長一短あり、飼養家は各々その長をとって譲らぬためである。
その1は大型で脚高く、雄の冠は肉厚く赤色で切れ目が深く整然たる鋸歯状をなし、謡羽は4本位が長く垂れるのみ、足の裏や趾膜の裏は肉色である。その2は体型小にして脚短く雄の冠は粗面で肉薄く、切れ目は紙をちぎりとった如く不整形でかつ浅い。昔応挙や若冲等の描いた鶏の絵にこの種の冠が多い。冠肉が薄いために体力の消長によって伸縮し、体情期には雌の如く側面へ倒れるものがあり、冠全体に著しく黒色の色素が分布する。
謡羽、小謡羽が著しく羽の幅が広く数も多く地に長くひき、足の裏や趾膜が濃黄色である点が鑑別の要点である。
故老の口伝によれば昔から黒柏鶏は肩に「弁当箱を背負った」ような型の鶏でないと声が良くないという。即ち首の付根、肩の部分が少し盛り上がったような姿の鶏は、後者の中にしばしば見受けられる。鳴声は前者が太く低いのに比べて後者のほうはカン高く清澄である。後者の愛養家は黒柏鶏は冠も黒くないといけぬとて冠に黒味の少ない前者を「赤がしわ」と蔑称しているのは、一部の真理があるようで、後者の冠が昔の絵にあるような不整形で黒色が多い点は野趣に富み原種の香が深い。しかし同じく天然記念物である土佐の東天紅鶏を始め、各種の日本鶏にも各々2、3の内種があって必ずしも一致しない点もあるから、黒柏鶏の中に2種類あるのも一応止むを得ないとて、採長補短は将来の問題である。
今度島根県の文化財保護委員会の下部組織として、黒柏鶏だけに関する特別委員会が出来て、これが研究と保護に乗り出したことは結構である。天然記念物の委員会はあくまで敬虔の態度をもって伝統を尊重し、故老の経験を徴してしかるのちこれが研究保存に努力すべきで、功をあせりことを好んで理論本位の近代科学に囚われた改良さたは厳に慎まねばならぬ。鶏は生きもので豌豆の花と違うから、鶏の改良淘汰にメンデルの法則が直ちにあてはまらぬことは当然。天然記念物と読んで字の如く天然自然に出来たものが対象であるべきだから、鶏の如く本来人間の作為によって淘汰固定されて来たいささか人工的な生物をもしもなお天然記念物として取り扱う上は特に慎重に対処すべきである。 (島根県文化財専門委員会)
| 昭和26年当時の出雲黒柏鶏♂ (八雲本陣にて当時の写真を撮影) |
出雲の黒柏鶏(三刀屋の景山宅にて) ♂体重2,85kg 謡羽長さ1m撮影 鈴木 |
黒柏鶏♂(湖陵町の吉田肇宅にて) 撮影 鈴木 |
出雲に鶏の居る風景と異なり、にわとりを飼うのは勿論、鶏の卵も食べない集落が在ると聞いて大山山麓より直行した。
島根半島の東端、関の五本松で有名な美保関町である。海岸に近いところに鎮座する美保神社は、オオク二ヌシの息子、コトシロヌシ、別名鯛を抱えた恵比寿様を祀る神社で、漁の神様として漁師たちの信仰を集めている。「にわとりとたまご」の由来は、神代に恵比寿様が中海対岸に棲むミゾクイ姫のもとに夜な夜な通っておられた。ある時、夜が明けやらぬ内に一番鶏が間違えて「とき」を告げたため、恵比寿様は慌てて船を漕ぎ出したが、あまりにも慌てたために艪を流してしまった。仕方なく足で漕いで行くうちに、ワニザメがエビス様の足に食いついた。怒ったエビス様はにわとりに八つ当たりして美保から鶏を追放してしまった。以来、美保神社の氏子たちは、この故事に従い鶏を飼わない事にしていると言う。早速社務所で聞いたところ、宮司は今でも鶏の卵は食べず、売店の女将に聞くと、娘のころは鶏の卵を食べないで、必要な時にはあひるの卵を食べたそうである。こうなると、物価の優等生、鶏卵も台無しである。
何千年もの間、神様の八つ当たりに合わせて鶏を飼わないところと、鶏の保存に情熱を傾注しているところ、思い合わせると神話の国、出雲は興味尽きないところである。私は4日間の旅を終えて米子空港へ向かった。 「日本鶏」第41号より
今年は酉年で、年末から新年にかけてテレビ、月刊誌、新聞社から直接取材を受けたり、四国、岐阜、出雲などからも電話やファックスがきた。特に出雲の新聞社では、元旦に黒柏鶏の特集を載せるためという問い合わせがあり、当方からも出雲へ連絡をして黒柏鶏の様子を聞く機会を得た。現在の黒柏鶏同好会会長は吉田肇氏で、天然記念物黒柏鶏の保存に力を注いで居られるという。
2005年2月記