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〜気まま日記W                          
                                          

2010年1月17日の日記
つづき

もう15年も前になるのだ。
あの悲惨な出来事から。

私はそのとき大学4年生だった。祖父母の家に下宿し、祖父母、祖祖母と4人で暮らしていた。
その日も祖父は2階に、私と祖母と祖祖母は1階で寝ていた。

夢なのか、なんなのかわからず真っ暗の布団の中でとっさに「地震!!」って思った記憶はある。
目を覚ましてみると家の中で寝ているはずなのに空が見えた。
でも、何かに押さえつけられて身動きが取れない。

祖母も祖父も、祖祖母もどうなってしまったのか・・・
何が起こったのか理解できなかった。

気がついたら数時間が過ぎていたように思う。
眠ってしまったのか・・・。記憶が定かではない。
しばらくすると2階で寝ていたはずの祖父の声が聞こえた。
私は自分が生きていることを知らせるために声を出した。

隣で寝ていたはずの祖母を呼ぶが反応はない。(布団と布団のあいだは50cmも離れていなかったはずである)
何が起こったのか・・・

空が明るくなるにつれ、住んでいた家が倒れ、自分が家の下敷きになっていると認識した。
動けない体で辺りを見回してみても、瓦礫の山であった。
幸い、足が挟まれているだけで、顔や胸には何ものっていない。私の胸の上に家の壁が立っている状態なのだが、柱か何かがつっかえ棒になって胸のところに隙間ができていた。
運がよかった。
もちろん細かい状況は全く把握できなかったが。

それからしばらくして、祖父が助けを呼んできてくれた。
そして、数人の男性が、瓦礫の中からなんとか私を引きずり出してくれたのだ。
足の感覚は全くなくなっていた。
体の震えがとまらなかったのを覚えている。
どんな状態だったのか覚えていないが、横になったまま車に乗せられ、病院まで連れていってもらった。

そこから後のことは・・・

細かい状況は、あとで知らされただけで、実際に目にしないで済んだ。
1ヶ月程の入院のおかげで、一番辛い現実を直接この目で見ずにいられたのである。

何度も余震におびえながらも、病院内で過ごせた私は、
まさに不幸中の幸いだったとしか言いようがない。
もっと、もっと、辛い状況だった人たちがたくさんいたはずだから・・・。

ライフラインが切断され、10日間ほど水道が使えなったと記憶している。
トイレも新聞を敷いた上に用を足してゴミ箱へ入れていた。
お風呂ももちろんはいれない。顔だって洗えない。
それでも、ちゃんと室内で寒い思いをせずに過ごせたことがありがたかった。
車椅子での移動も、それほど苦にはならなった。
命があるだけで・・・。

地震後しばらくして、やっと水道が使えるようになったとき、
蛇口から流れ出る水で顔を洗えることが、こんなにも幸せなことだったと
初めて気づいた。
感動した。





あれから15年である。
ケガの後遺症もなく、元気に生活している。
あらためてそのときのことを書いてみて、15年前のことが鮮明によみがえってくることに驚いている。
こんなこと、公の場で書くことじゃないかもしれない。
書こうかどうか迷った。
でも、当時の事をちゃんと記憶にとどめておくために必要な作業だと思った。

なかなか口にはできないでいたこと。
現実に起こったこと。
自分が考えていたことではなく、体で感じたことをそのまま書いてみた。

これからも、この記憶は消えることはない。
そして、祖母も、祖祖母も今もずっと私の中で生きている。
あの時助けてくれた祖父も今はもう祖母のもとへ逝ってしまった。

いろんな人に支えられて今があるのだと
あらためて想う
15年目の今日。


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