
引き続き、日を追って記していこう。 (企業名は黄色、就職斡旋団体系は緑)6/1
A社、最終試験。内容はSPIの簡略版と役員面接(副社長含む)。
採用人数十数名ってあったのに一次試験通過はたった5名。こりゃ 全員通過か?とも思ったが気は緩められない。筆記はそこそこの出来。 面接の方はどちらかというとたあいのない話が多かった。地元はどこか、 通うときはどうするのか、…といったこと。ただ、「入社したら何が したい?」という質問には、今までの経験を総動員して「研究にも関係のある 機械制御と、ゆくゆくはそれに関するソフトにも関わってみたい」…って 言ったんだったかなぁ。
最終判定は郵送で送られてくる。6/?
三洋電機工場見学(会場は大泉)。
この日の参加者は全部で7名。まずは昼食をいただき(これが豪華だった)、 順次に工場見学。見学工場としてはどちらかというと空調設備のような大きな ものと、半導体(意外と伸びてるとか)のように極端に小さな物が多く、 期待していた家電的なものはあまり見学できなかった。電気温水器なんかも あったかな。印象としては、とにかくでかい!それだけ。(それだけかい!)
そのあと、質疑応答。おぼえてるのは、配属の件で「向こう(大阪)が 向こうを希望しても通らない場合があるけど、こっち(大泉)がこっちを希望 すれば大体通る」とか。すまん。これだけだ。6/10
A社から通知が届いた。緊張して開けてみると、結果は…内定!
ようやく行く気になる企業から内定が来た。しかし、ここで問題。 19日までに就職承諾書を出せと言ってきた。さぁ困った。就職担当教官には 三洋以外に受けてることは隠してるから相談もできないのだ。とりあえず後日、研究室の教官に相談してみた。
結論としては、三洋の受験は継続、A社にも承諾書を提出して様子を見る。 仮に三洋パスしても、逆にA社に行くわけじゃないから法的に不利には ならない…と思う。果たしてどうなるのか…。三洋の試験が6/23に決まった。
6/19
三洋電機工場見学(これも大泉)。
…といっても今回は、OBらしき「渉外担当部長」なる方が会ってくれる らしい。就職活動最初にして最後の「OB訪問」(にしちゃ相手が歳くい すぎてるが爆)である。
多少話をした後、何をするかと思ったら何と模擬面接。個人的にこういう 形での模擬面接は自分の希望を叩かれそうな気がしてあまりやりたくないのが 本音だった。なぜか。あんなおっさんに、機械科出が「ゆくゆくはソフトも やりたい」なんていったら何言われることか…。で、予想通りになった。 曰く、「そんな事言ったら採るとこも採ってくれないよ」…確かに正論 なんだけどね。んで、そういうことは入社してから、少しづつアピールして いかなきゃならんと言われた。…まあ、1回それで失敗(2回か?)してるし、 参考にしておこう。
…すまん。これだけしか憶えてない。このころ、再び三国コカコーラから試験日程の連絡が。
なんと…6月23日!
…なんてこったい。今回は「今度こそこれが最後」とむこうから言われて しまった。三洋の試験のことは言えないし、逆に三洋の試験を辞退すること はできない。延期することも考えつかなかった(申請すれば可能だったが、 大学側にすら「他を受けてない」ことが前提だったため、延期する理由が ない!)。やむをえず、三国の受験を断念した。6/23
三洋電機・採用試験(今回は東京)。
一般試験は「推薦」しか採らないことが前提だから、試験も一発勝負。 試験の内容は筆記と面接なのだが、最後にして一番クセのある試験が まわってきた。まず一つ。最初の筆記はマークだったのだがSPIとかとは 似ても似つかない(おそらく)知能テスト系の昇華版。そして二つめは 詳しくは憶えてないが、「無人島に漂着したことを想定して」の3つの質問。 いわば「発想力テスト」か。一つ憶えてるのは「現地(無人島)にありそうな もので生活・脱出に利用できるものとその利用法を述べよ」みたいなもの。 他2つ。これで大きくポイントを落とした。
続いて面接だが、事前に課題が出ていた。「現在の研究をOHP3枚以内を 利用して説明(プレゼン)せよ」これが厄介だった。教官にも手伝ってもらって (これだけは感謝している)2日はかけて仕上げた。しかしこれも内容だけ 決まっていてまったく手がついてない(アンケートやらまゆ玉やら やらされるから…)、あくまで構想図である。正直言ってしどろもどろ。 その後の面接も、大したことは言えなかったと思う。「入社したら何が したい?」という問いには、「自販機などの自動機がやりたい」と答えた。 でもソフトの話もやっぱりした。
筆記がひどかっただけに、あまり分のよくない試験になったが…はたして。ちなみに、たまたま当日、高校の同級生とバッタリ。彼は受かったん だろうか?
後日…就職担当から連絡があり、三洋電機に不合格になったとの通知を 受けた。
その担当教官はなんだか予想外といった口振りで、推薦なのにとか、 裏切られたような感じの感想を漏らしていたが、まあしかたがない。あの 試験を思えば、当然ともいえるものである。もともと、教官側が「理系は 推薦を使うもの」といった古い考え方を持っていたように思えるだけに、 ガンガン自由で動いてた私にとっては、大学−企業間のパイプ「しか」 信じない就職担当にはいいクスリになったかなと思ったくらいである。ともあれ、これでA社への入社が決まった。
ちなみに、最初の内定者懇談会で、フタを開けてみたら内定者は3人だった…。 (後から聞いた話だが、その時点で1人辞退者が出ていたらしい)こんな経緯を経て、さらに2年後、今の自分がいる。今思えば笑い話にできる ほどろくでもない動き方だったわけだが、結果論として推薦に縛られない 活動(最終的には推薦も使ったが)をして、ましてやうちの学科に求人すら 来なかった企業(!)に就職したってことは、ちょっとした自信になった。
最後に、今でもある種心の師と思っている元同学科教官の故・S講師 (ご冥福をお祈りします)の所へ相談に行った時にかけてもらった、この言葉 (正確な文面は憶えてない)で終わりたいと思う。
「どんな活動して、どんな会社に入っても、自分と 自分が大切に思う人が幸せならそれでいいじゃないか」
長い文面読んでいただき、ありがとうございました。
