砂沼 SWIM & RUN '91 in 下妻

1991年8月4日
大川 圭吾

[Image] 1.SWIM(1500m)

 少しでも泳ぐ距離を短くしようと、前の方に並んだのがいけなかったのでしょうか。SWIMのスタートは水中格闘技と呼ばれるように、ほんとうに凄まじい戦いでした。平泳ぎの人に蹴られたり、背中に乗ってしまったり、人の足を叩いてしまったり………と。
 前日はアイスコーヒーを1リットルも飲んでしまったのがいけなかったのでしょうか。不安とプレッシャーで1時間しか寝られませんでした。しかも下痢ぎみの最悪のコンデション。沼上に浮かぶ一周500mのコースを3周しなければならない事を考えたら「完泳できるかな」と言う思いが強まってきました。しかし、スタート直前に水の中に入ったら、その不安はなくなりましたが………。
 プールで泳ぐのとは異なり、沼で泳ぐのは難しいものです。少し泳いでは止まり、方向を確認しなければならないからです。半周ほどしますと、私の回りにはあまり人がいなくなりました。ほとんどの人が先に行ってしまったようです。やっと一周、つまり500m泳いだ時にトップの選手(この人は自衛隊体育学校で、近代五種のオリンピック強化選手)が抜いて行きました。トップの人のスピードはちょうど私の倍の速さです。それからずいぶんたくさんの人に抜かれました。私は最短距離をとるべく、コースロープのそばを泳いでいたので、追い抜く人のじゃまになったようです。時々後ろからぶつけられて「じゃまだ、早くどいてくれ」と言われているようでした。しかし、こっちだって遅いながらも必死です。そんな他人のことなんか、かまっちゃおれません。どうせ水の中、誰だか分からないんですから。速い人にコースをゆずろうなんて気も余裕もありません。
 2周目、1000mを泳いだ時です。かなりの人がSWIMのゴールです。「どさくさにまぎれてこのままゴールしてしまおうか。それともリタイアしようか」などと思いつめていました。だってこれから3周目に向かおうなんて人は、ほとんどいないように思えましたから。最後の500m、必死に泳ぎました。SWIMだと後ろかが見えないのでビリのように見えるのでしょうけれど、後ろに誰もいないと言うことは、それだけでも凄いプレッシャーになるのです。しかし、最後は考え方を変えました。「最後でもいいじゃないか。この広い沼を一人で泳げるなんて最高の幸せじゃないか。それに舟に乗っているボランティアの人も、私一人のためにいるなんて嬉しいなあ」と。SWIMのゴール間近で舟上のボランティアを見ると、まだ私のずっと後ろの方を見ていました。その時「ラストスイマーはまだいるな」と、安心しました。そして、ついにSWIMのゴールです。

2.RUN(10km)

 トランジットには人はいませんでした。ほとんどの人がRUNをスタートしてしまったようです。私は「水泳パンツのまま走ろうかな」と、一瞬思いましたが1時間近くも走る訳です。ランニングパンツに着替えてスタートしました。RUNは10km、歩くことなしに60分でゴールすることを目指しました。まあ最低の目標です。前にも後ろにもほとんど人はいません。水を差し出してくれるボランティアの人達も「やっと一人来た」なんて感じで見ているようでした。ジョグ程度のスピードとは言え、SWIMで疲れているのと、この暑さ(この日は特別暑く、35度は超えていました)です。やはり、それなりに辛いと感じました。脱水症状にならないようにと、エイドステーションでは必ず水を少しずつ飲みました。
 RUNを4kmくらい走った時でしょうか。たくさんの人がゴールしているのが見えました。これからあと6km、砂沼を一周しなければならないと思った時は精神的に辛かったです。それからは、あまり無理をしてもしょうがないと思い、練習会のつもりで走りました。
 ゴールではボランティアの人がテープを張ってくれました。完走賞の写真を見たら、まるで1位で入ったような感じです。しかし実際は213位、後ろには10人前後しかいませんでした。とは言え、十分に燃えた時間であり、充実した1日でもありました。
 当日は苗木さん、カルソニックJCの斉藤さんにはお世話になりました。この場を借りてお礼を申し上げます。また、今度は9月15日の両毛トライアスロンに参加します。これからもあまり順位や時間にこだわらず、色々な大会に参加し大会そのものを楽しもうと思っています。私は「完走する事に意義がある」と考えております。みなさんも一緒に、なるべく多くの大会に出ようではありませんか。


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