はじめに
懐かしい文章がありました。もう20年以上も前になるでしょうか? この頃わたしたちは朗読ボランティア「まど」をやっていました。私たちが続けられなくなって、今はこの朗読ボランティアを「やまびこ」の人たちにやってもらっています。その「やまびこ」の人たちは今でも続いており、先日、福田栃木県知事から表彰されたと聞きました。20年以上にも渡って朗読ボランティアをやって下さっている「やまびこ」の人たちに敬意を表するとともに、その先駆けを作った私たちも誇りにしても良いのではないかとも思えてきます。
原文では、この文章を書いた直後に結婚した女性の名前も出てきました。今はどこかで、二十歳くらいの子どものお母さんになっているでしょう。キザっぽく言えば、私の青春の一こまかな?
1.アメーバ
原生動物の一種にアメーバと呼ばれる生物がいるのを知っていますか。一匹のアメーバは一細胞でできている下等動物です。このアメーバはどのようにして子供をつくるのでしょうか。頭脳明晰な読者の皆さんは、もうおわかりになっていることでしょう。そうです、細胞分裂と言う行為を繰り返しながら増殖するのです。一匹のアメーバが二匹になり、それがさらに四匹になり・・・・・。このようにどんどんと無限大に向かって増殖し続けるのです。
しかし、ここでもう一度考えなおしましょう。人間ならば、おじいちゃんよりもお父さんの方が、そのお父さんより子供たちの方が事故や病気で亡くならない限り、長生きするのが普通です。歳上から順に亡くなっていきますから、急に地球上が人間だらけになることはありません。(それでも、この頃はそんな危険性も出てきましたが)。話をもとに戻してアメーバはどうでしょうか。一匹のアメーバが二匹に細胞分裂をし、そしてその二匹のアメーバが・・・・・。読者の皆さんは「おや」と思われた方がおありになるのではないでしょうか。その通りです。良く考えるとアメーバは死ぬということがないのです。永久に細胞分裂を繰り返しながら増殖をし続けるのです。そして最後には、この地球上が全部アメーバに征服されてしまう。僕たちが行く所行く所アメーバだらけになってしまう。それは近い将来かも知れない。僕はこんな不安に居ても立ってもいられなくなりました。
そこで不安になったので、いつも信頼の絆で結ばれている聴覚ライブラリー「まど」の人たちに相談を持ちかけました。僕の思った通りです。「まど」のみんなも真剣に考えてくれました。それもその筈です。アメーバに地球が侵略されるかも知れないのですから。
その時は誰も僕の不安を消してはくれませんでした。悲痛な顔をしながら喫茶店「直」を後にしました。しばらくしてOS君は「平凡社の『世界大百科事典』で調べたけれど、そんなことは載っていなかったよ」と言っていました。しかし、「載っていなかったよ」ではすまされないと、事の重大さを再認識したのでしょう。しばらく考えてからこう言いました。「アメーバに名前を付けよう。その名前は花子だ。花子は分裂をして、"はな"と"こ"に別れる。そして、"はな"は"は"と"な"に分裂できるけれど"こ"はこれ以上分裂できない」。僕はこの話が生物学会に正式な論文として発表されれば、必ず大きなインパクトを与えることになるだろうと思いました。ノーベル賞だって夢じゃない。
KYさんはニヒルな笑いを浮かべていました。OS君の考え方には全面的には賛成しかねるようでした。しかし、だからと言って別の回答が得られたのではなさそうです。歳をとってくると、たくさんの知識や経験が豊富になってきます。それに従って冷静な判断や決断が下せるようになってきますが、それに反比例して柔軟な考えができにくくなってきます。まさにKYさんの顔は、自分の知識の概念に対する格闘のように感じられました。
IK君もだいぶ悩んだらしく、青白い顔をして言いました。「大川さん、俺もだいぶ考えたんだけど、こうなんじゃないかな。アメーバは細胞分裂した瞬間が誕生であり、次の分裂の寸前がアメーバの死だと思うんだ。だって分裂すると前のアメーバは無くなってしまうんだもんな。理屈上は無限に増えていくことになるけれど、それは人間だって同じことだよ。実際は、アメーバも気象条件やその他で、全てが次期の細胞分裂を迎えられる訳ではないよ」
さすが若きホープIK君である。ジェーシーのような巨体を震わせながら語る姿は、学者そっくりである。理論と呼ぶにふさわしいその言葉に女性陣のKSさん、HSさん、HYさん、STさんなどは、ただうっとりとするだけでした。間髪を入れず、勝ち誇ったような余裕を見せながら、なおも続けます。少し口調も変わったような気さえしました。「つまりだな、OYさん、TZさんが結婚すると言うことはだな、アメーバの細胞分裂と同じだよ。何故かと言うと、分裂は前のアメーバの終わりと同時に二つのアメーバの誕生でもある訳だね。OY・TZさんの結婚は独身生活の終わりと同時に、結婚生活の始まりでもある訳だよ。ガハハハ、同じと言うことがわかったやろ」。もうこうなるとIK君の独り舞台。僕などはたたの観客。
KYさんはこれらのことを「アメーバ理論」と名付けました。そして青年活動を始める後輩達に伝説として長く伝えようとしています。そして「俺も分裂して若返りたい」などと言い始めました。また、来る11月12日(土)は、皆さんもご承知の通り、OY・TZさんと言うアメーバが分裂ではなくて、合体する日なのです。
2.なぜ子供はできるの
「隣のお姉さんはなぜ子供ができないの」、とおばちゃんに聞きました。そしたら「だって、結婚していないじゃないか」と答えてくれたのです。僕はそれを聞いてもさっぱり解りませんでした。しかし、それ以上は禁断の果実を食べるような気がして、聞き返すことはしませんでした。そしてすぐにそんな事は忘れてしまったのです。なにせ、他の遊びに忙しかったものですから。僕は秋になれば自然に柿が生るように、女の人もある年齢になれば、自然と子供ができるものだと考えていたのです。それが自然の摂理だと信じて疑いませんでした。
子供が生まれるのには親が必要です。それも二人の親、お父さんとお母さんです。ではなぜ子供をつくらなければならないのでしょうか。それは親たちはいつか年老いて死んでいくからです。種の存続のために子供をつくりつづけなければならないのです。そんな事は解りきっていることですって。まあそう怒らないで下さい。本題はここからなんですから。
人間は年老いていきます。私たちの体は60兆もの細胞でできていて、常に新しい細胞を作り出しているにも関わらず年老いていきます。決して、だんだんと若返るなどということは、マンガの世界ならいざ知らず、決してありません。マムシ酒を飲もうが、パックをしようが、確実に老いるのです。そんな事あったり前なのです。
子供は母親の卵子と父親の精子が受精する処から生への営みを開始するのを、今の子供なら小学生だって知っているでしょう。卵子は母親の体内で作られます。その卵子は、やはり減数分裂という細胞分裂によって作られるのです。ですから当然その卵細胞は母親と同じ歳の細胞であるはずです。精子の場合も同様です。
歳をとった細胞である卵細胞と、同じく歳をとった精子が受精した瞬間に一つの細胞になり、その細胞の年齢は零歳なのです。なんと驚くべきことではないでしょうか。例えば27歳の細胞プラス30歳の細胞がつまり、零歳の細胞になってしまう。こんな非常に驚くべきことが、日常茶飯事に起きているのです。
手塚治虫はきっとこのことについて悩んだのだろうと思います。悩んで悩んで悩み抜いたのだと思います。そこから生命の神秘さを唱いあげた作品、「火の鳥」が生み出されたのでしょう。
妻のTが僕たちの結婚記念にキウィフルーツの木を植えてくれと、まるで飴玉をせがむ子供のように言うのです。僕はなけなしの金をはたいてキウィの苗を一本買おうとしたのです。そうしたら「キウィは雄木と雌木の二本を買わなくては実がつかないよ」、と言われました。実がつかなくてはしかたがありませんから、泣く泣く二本買いました。カボチャのように一本の木で雄花と雌花が別々に咲くのは知っていましたが、雄木と雌木があるのは銀杏以外は知りませんでした。
性があるのは生物の進化を促進させる非常に大きな要素であると言うのを、どこかで読んだことがあります。性によって進化のスピードが速まったと言い換えることもできるでしょう。ところが先日の新聞では、風邪のウイルスは普通の生物より進化の速度が何万倍も速いと報じています。ウイルスにも性があるのでしょうか。もしあるとしたら女性に違いありません。だって僕は毎年のように取りつかれるのですから。
3.バクチについて
一つの卵子めがけて何千万、何億という精子が突進していきます。その中でたった一つの精子しか栄冠にありつけないのです。この確率は競馬の万馬券を当てる確率よりもづっとづっと低いはずです。君たちはこの競争の勝利者である。(こんなことを言うと、僕は性教育の先生になったような気がするなァ)。この競争をなんと例えようかとずいぶん悩んだのですが、「バクチ」以外どうも思い浮かびません。
生まれることさえバクチみたいなものですから、生まれて来てからバクチが好きになっても、それは宿命みたいなものでしょう。外国でも「バクチをやめることができるかを賭けるか」などと言うジョークがある程ですから、バクチは全世界共通の遊びなのでしょう。いやバクチ的要素がなければ遊びの面白さは半減してしまうかも知れません。
バクチにはいろいろなものがあります。マージャン・パチンコ・競輪・競馬など。ですが、生まれてきたこともバクチと見なすならば、生きていくこともバクチだと極論することもできます。その生きていくことの中で自分の意志により行うバクチの最大なるものが「結婚」という名のバクチです。当たるか当たらないかはやってみなければ解らない。当たるも八卦当たらぬも八卦なのです。通俗的なバクチであるマージャンやパチンコをやる人は、女性よりも男性の方がずっと多い。しかし、結婚と言う非常に大きなバクチを行う女性の数は男性と同じだけいるのですからおったまげたことです。しかも強く望んでいる。女性も根はバクチが好きなのに違いありません。
バクチでも、当たるも八卦当たらぬも八卦と呼ばれるものばかりではありません。競馬で言えば銀行レースと呼ばれているのがそれです。一頭だけが飛び抜けて強い馬がいるために、レースをやる前から勝馬がほとんど決まっている。当然配当金は低くなりますが・・・・・。
結婚でも銀行レースみたいなのがたまにはある。今度結婚する、OYさんとTZさんです。結婚する前から幸せになるのが解っている。周りから見るとなんてつまらないと思えるかも知れませんが、いいじゃありませんか二人が幸せならば。
最後は「生命の誕生について」と言う題から少しそれましたが、Zさんと妻のTの新しい生命の誕生を祈って、ここいらへんでさようなら。