岡本太郎 著
青春文庫 刊
大阪の万国博覧会での太陽の搭の設計者として、初めて岡本太郎氏を知りました。私だけではなく、かなり多くの人も同じだと思います。その後に、確かウイスキーのコマーシャルだったでしょうか。おまけのウイスキーグラスの底に太陽の搭とほとんど同じ顔がデザインされており、「グラスの底に顔があっても良いじゃないか」と言っていたのを覚えています。またどこかで聞いたか忘れましたが、岡本氏が言った「瞬間に生きよ」と言う言葉に私も全くその通りだと感じました。また「芸術は爆発だ」との言葉も印象に残っております。その意味する事は曖昧でしたが、何となく理解できるように感じました。
今回偶然にも本書に出会った訳ですが、私が思い違いをしていたことにも気づかされました。岡本氏が生涯独身だったと言うことは知っていましたから、てっきり女性にはあまり興味を抱かないのだとばっかり思っていました。しかし、20代のパリでの生活で、何人もの女性と同棲していたのを今回知りました。女性に興味を持たなかったのではなく、結婚と言う形態に捕らわれたくなく、本人も「ぼくは、結婚という形式が好きではない」と書いています。
本書を最後まで読んだ感想は、もっと若いときに読んでいれば、もっと感動や共感をしただろう、と言うことです。内容は芸術家らしく本質をとらえており、非常に激しい内容に満ちあふれております。ただそれを感じる私の方が、ストレートな表現を素直に受け止めるだけの若さを失ってしまったように感じたので、残念な思いがしました。
一つだけ非常に共感したこともあります。それは、子どもに対しての評論や議論について私たち大人が「子どもに対して一段上というか、別の立場に立って口をきいている」という箇所でした。私も大人たちが発する"教育”という言葉にそれを感じます。大人が教育という言葉を借りて、自分の思う通りに子どもたちを動かしたいという傲慢さを。 (2004/09)
中村敦夫 著
近代文芸社 刊
先日のテレビではアメリカの、なんと500キロにも及ぶ女性の映像が流されていました。減量するために胃を切除し、あまり食べられないようにするとか、またはお腹の脂肪を取り出す方法なども解説していました。でも人間が500キロにも太れることにまず驚きました。その女性は自分では起きあがることさえできず、一日中寝たきりです。なぜそこまで太ってしまったのか、とても信じられません。
その反対に、やせるための番組も花盛りです。1ヶ月に何キロやせて、お気に入りに服が着れるようになったかとか、自分に自信が持てるようになったとか言っていました。後から後から似たような番組が作られるのにはあきれます。もちろんそれを見る人が多いから作られるのでしょうが・・・・・。
でもこんな番組を見るたびに暗い思いにかられます。このような番組を作る人は、全世界で9億人もの人びとが飢餓状態にあることを知っているのでしょうか。アメリカや少し落ちぶれたとは言えこの日本で、"痩せたい、痩せたい”と思っている人は、明日たべる食料もなく餓死寸前の人たちがこの地球上に数多くいると言う現実を、どのように捕らえているのかぜひ知りたいものです。
このような大きな矛盾は、世界人口の20%の人びとが富の80%を独占しており、それが年を追うことに拡大してきていることに象徴的にあらわれています。なんと、世界の超金持200人の資産合計額は、世界人口の40%(約25億人)の人びとが、1年間に得る総収入と同じだという学者の発表もあるそうです。筆者・中村は、「吐き気を催すような不公平」と表現しています。私はこの"吐き気を催すような不公平”こそが、テロを発生させる最も大きな要因であると考えております。これを根本から解決しようと努力しない限り、テロはなくならないと思います。 (2004/10)
平和をつくる17人 著
合同出版 刊
小泉首相は「誰だって平和がいいに決まっている」と言いました。でもこの本を読むと決してそんなことはないと思います。いつの時代もそしてどこにも「戦争をしたい人」がごまんといることがわかります。今では戦争をあおることが商売になっていますし、戦争そのものは最大の公共事業と呼ばれているように巨大なビジネスです。戦争はとても儲かるものなのです。私たちは、ただ単に「戦争を無くそう」と叫ぶだけではなく、このとても厳しい現実を見つめることから始めなければなりません。
そして、二十一世紀の現在でも戦争を止められない人類、つまり私たちホモサピエンスは本当に万物の霊長と呼ばれるに相応しい生き物なのでしょうか。万物の霊長なんて呼び方は、自分たちだけでただ単にうぬぼれているに過ぎないように感じます。
「私は正しい。しかしあなたは間違っている」と言う言葉があります。現在の地球はそんなことを言っている時ではないと思います。イラク戦争でも使われた劣化ウラン弾などがこれからも使われると、人類の未来はないように感じます。なんと劣化ウランが出す放射能の半減期は、地球と同じ年齢だけあるのですから。中村敦夫氏は「これからの人類の運命は、この百年にかかっている」と言っていましたが、私もそう思います。もう「どうにかなるさ」と言う状況ではないように思っています。
戦争、地球環境問題、限度を超えた貧富の差、開発途上国での人口爆発と先進国での少子高齢化の問題など、今を生きる私たちが真剣に考えなければならない時期に来ています。あと百年、私たちのひ孫の時代でしょうか。人類が本当に賢かったか、それともとてつもなく愚かな生き物だったかの結論が出ると思います。私も人類の一人として、他の動物よりも賢かった生き物だと呼ばれたいと思います。こんなことを本書を読んで感じました。 (2004/11)
佐々木信夫 著
ちくま新書 刊
この頃まとまりかけていた市町村合併が、破談になる場合を良く耳にします。いやむしろまとまる方が少ないと言った方が適当かも知れません。では何故これ程までに市町村合併は難しいのでしょうか。こんな疑問から本書を読んでみました。
歴史をひもといてみますと、明治政府は日本を近代化させるために、当時約7万1千あった町村を明治22年に約1万6千にまで合併させました。これが明治の大合併と言われるものです。その後市町村は昭和28年から31年までに約4千まで減少し、現在の姿になりました。これが昭和の大合併です。そして現在は平成の大合併と呼ばれるものですが、国は合併により約3千3百の市町村を千にまで減らしたいとの考えを持っています。
この約8万5千人の佐野市は、日本にある約3千3百の市町村の中で、人口の順位は何番目位だと言う質問をしますと、ほとんどの人は見当もつかないようです。日本で一番人口が多いのは横浜市の350万人で、栃木県の人口200万人の1.7倍以上だと言うと、それに比べて佐野市の人口が非常に少ないとの印象を受けるのでしょう。「1000番目から1500番目位かな」と言う答えが多いようです。しかし答えは約270番目であり、なんと佐野市の人口規模は大きい方から1割以内に入っている非常に大きな市なのです。この事は裏を返せば、ほとんどの町村が非常に小さいと言うことを物語っております。
明治の合併時の移動手段は"歩き"でした。そして昭和の合併時は"自転車"であり、現在の平成では"自動車"が主な移動手段です。そのような時代の変化に合わせて、ある規模までの市町村合併は必要に思いますが、合併には利点だけではなく欠点も存在することも否定できません。むしろこれからの市町村合併は、いかに利点を増幅させ、欠点を最小限に留めるかに行政の手腕がかかっているように思います。 (2004/12)
ローレンス・J・ピーター 著
ダイヤモンド社 刊
ピーターの法則とは、「階層社会では、すべての人は昇進を重ね、おのおのの無能レベルに到達する」と、「仕事は、まだ無能レベルに達していない者によって行われている」の2つによって成り立っている法則のことです。私は本書の全てについて納得した訳ではありませんが、"なるほど"と思うこともありました。
あらゆる組織で出世するのは、上からの命令を忠実にそして確実にこなし、それゆえに優秀であると認められた人物です。そのような人が出世し、今度は命令を下す必要性にかられます。そうしますと、命令を忠実にこなす能力と、適切な命令を下す能力は異なります。つまり、優秀なゆえに出世したにも関わらず、その結果全く異なる能力を必要とする立場に立たされることになります。そこでほとんどの人は異なる能力を持っていないゆえに無能になるということになります。
また政治家についても言っています。政治家になるためには選挙と言う関門をくぐらなければなりません。その選挙に勝ち抜くためには、聴衆の心をつかむ雄弁家や有権者を話術や身振りで魅了させることのできる候補者であったり、見てくれの良い人が当選する可能性が高くなります。しかし、見てくれがどんなに立派でも、国や自治体の問題を正しくとらえ、冷静に議論でき、賢明な判断が下せるとは限りません。ですから選挙での票が多く取れると言うことと、政治的能力とは全く異なります。有権者はそこまで見抜くことが非常に困難であるゆえに、当選した瞬間に無能になってしまう政治家も多いと筆者は語っています。
確かに、車の走っていない高速道路、後処理のことは目をつぶって突っ走る原子力発電、問題の先送りだけする政治家と官僚などを考えると、この社会はかなりピーターの法則が当たっているように感じます。 (2005/01)