田中正造ゆかりの地を訪ねて


 田中正造の"想い"を求めて

 夏の暑さもいつしか過ぎ去り、秋の装いとともに季節は晩秋の装いさえ感じさせております。時の移ろいは、私たちの気持ちの変化よりもはるかに速いようです。
 今回は「田中正造 ゆかりの地を訪ねて」と称し、歴史探訪シリーズの第1回めを企画しました。正造のゆかりの地を訪ねることにより、より人間・田中正造への理解を深めると同時に、その“想い”を感じるための小さな旅にしようと考えました。今回は先着20名と言う参加人数に限定はありますが、これを機会としてなるべく多くの人たちに、田中正造並びに佐野地方への歴史に対して、理解を深めて頂ければこの上ない幸せです。
 田中正造は政治家であり、活動家でもありましたが、何よりもまず思想家であったように思います。それは治水論の中で「治水は造るものにあらず、治とは自然を意味、水は低き地域によれり。治の義を見れば明々たり」と語っているからです。この考えは現在の最も進んだ自然観に通じていると思われます。日本は川を真っ直ぐにして川岸をコンクリートにする事が自然保護であり、それに比べ現在の西欧では、曲がった川は曲がったままにしておくのが自然保護であるとの考えです。西欧の認識からすれば、日本が行っているのは明らかに自然破壊なのです。この事を、正造は今から九十年も前に感じていたのですから、ある面では天才であったかも知れません。
 私は田中正造を「日本の数少ない巨人のうちの一人」であると感じております。そして、なぜこの保守的な風土の強い佐野からこのような人物が生まれたのか不思議でなりません。私は今回の“小さな旅”を通して、その答えの一つでも見いだせたらと考えております。
 今回は講師を郷土史研究家の京谷博次氏にお願いしました。「須永元とその時代」作成にあたっても大変お世話になった方です。皆さんも私と一緒にさわやかな秋の一日を過ごしてみませんか。

[Image]

[Image]

[Image]  [Image]
田中正造生家前                      川俣事件現場記念碑

戻 る