平成20年第1回佐野市議会定例会会議録(第3号)(抜粋) 平成20年2月26日(火曜日) 議事日程第3号 日程第1 一般質問 ○議長(高橋功) 順次質問を許します。 3番、大川圭吾議員。 (3番 大川議員登壇) ○3番(大川圭吾) おはようございます。ただいまより本議会ト ップで一般質問をさせて頂きます。今回のテーマは、1.須永文庫 について、2.個人情報保護法についての2項目です。 まず須永文庫についてです。須永文庫の名前は佐野市郷土博物館 のホームページに須永元と須永文庫資料として概要が公開されてい ますので、佐野の人なら一度は聞いたことがあるとは思います。し かし詳しいことは一部の人しか知らないように感じています。須永 元の名前はむしろ佐野以外で有名になっているようにも思います。 ここで須永文庫の簡単な説明をしておきます。須永が亡くなる1 年前の昭和16年秋に頭山満は須永元の願いを受けて筆頭発起人と なり、財団法人日朝志士記念会館を建設して旧蔵の書籍・文書類を 公開しようとしました。しかし、戦局の急変により計画は中断して しまい、その後、昭和37年にこの蔵書類を管理していた日韓国士 顕彰会代表の広瀬仙蔵氏より同顕彰会の解散にともない佐野市立図 書館に一括寄贈されました。現在では洋書装以外のものは郷土博物 館に移管されておりますから、分割されて2ヶ所に所蔵されていま す。書籍類は和洋書、漢籍・準漢籍のみで約13,000冊にものぼり、 そのうちの約10,000点を博物館で保管しています。その中には、 宮内庁を通して昭和天皇に献上された佐野史蹟写真帖も含まれてお り、須永邸の前に立つ須永と入り口に立つ奥さんの写真とともに金 玉均、禹範善、黄鉄の顔写真も載っています。このほか須永元日記 6冊、金玉均の書簡や、閔妃事件予審集結決定書、金玉均の墓碑建 立に関する陳情書などの手写し本、日本・朝鮮の著名直筆の書画な ど特殊資料として分類されているものが約1,000点あります。これ らは、須永と朝鮮亡命政客との関係だけではなく、近代日朝関係を 研究する上でも貴重な資料とされています。 現在の須永文庫の状況ですが、郷土博物館に確認したところ、巻 物、書画帖、掛け軸等の特殊資料も整理が完了したとのことでした。 ちなみに整理の期間は昭和61年から始まり平成9年で完了したそ うです。総費用は2,070万円で、そのうちの750万円が県からの補 助金であり、書画の表装が742点で1,787万円、桐箱が287個で 268万円、残りがその他となっています。特に平成元年から4年に かけての整理が多く、平成4年がピークで費用として504万円、そ のうちほぼ半分の250万円は県からの補助で賄ったと聞きました。 こんな須永文庫ですから佐野市議会でも何回か話題となっており ます。たとえば平成8年2月の定例議会では林邦英議員が、須永文 庫の収蔵資料の内容と整備費用について聞いています。また平成11 年の12月定例議会では寺内冨士夫議員が、大橋町の市営プールの 件について質問をしております。この寺内議員の質問に関して当時 の毛塚市長はかなり長く答弁をしており、私も当時は議員でしたか らこの答弁を興味深く聞いたのを覚えております。答弁の要旨だけ を述べると次のような内容でした。「大橋町のプールは、元々が須永 邸の跡地でございますから、できうれば膨大な資料があります須永 文庫といいますか、須永家の貴重な資料を多くの市民の皆さん方に 見ていただくチャンスをつくりたい。そこで須永邸の復元とまでは いかなくても、ややそれに近い施設をつくりたいと思っておりまし た。そんな時に市内の旧家でありますお宅が屋敷を無料で差し上げ たいとの話があり、それならば須永邸跡地に移築できなかと考えた 訳です。しかし、移築するには大変なお金がかかるということで、 残念ですがこの話は進んでいません」との答弁でした。私もとても 残念に思いましたが、財政状況を考えるとしかたないように感じま した。その後、平成13年6月議会で私も須永元と須永文庫につい てというテーマで何件かの質問を行いました。 議会で質問した内容をもとに「須永元とその時代」と改題し、私 のホームページ・みかも新聞にアップしました。私のホームページ は宣伝もしていないせいか閑古鳥ホームページであり、あまりアク セス数はありませんが、この須永元に関してだけは例外で日本全国 から様々な問い合わせがあり驚いています。フリージャーナリスト、 大学院生、教師など職業や年齢なども色々です。須永元と頭山満の 関係を示す資料を教えて欲しいとか、須永元のお墓の場所を教えて 欲しいとのお願いもありました。すぐに佐野から離れている遺族の 方に連絡をとり、鎌倉霊園の場所を教えてもらい依頼者へ連絡した こともあります。また須永は慶応義塾に学んだとされていますが、 卒業名簿に載ってないのですが、何か須永文庫の中に証拠がありま すかとの問い合わせもありました。郷土博物館にお願いして調べた ところ、慶応義塾大学別科の通知票を見せてもらいました。別科だ ったので調べた卒業名簿に記載されていなかったのかも知れません。 おそらく、私のホームページには須永元だけではなく、福沢諭吉、 金玉均、朴泳孝、禹範善、禹長春、黄鉄、頭山満などのキーワード から飛んでくるのだと思われます。 このホームページが縁で、大阪ソウル会事務局の本多雅嗣氏と開 化派リーダーたちの日本亡命という著作で須永元を取り上げて下さ った医師の姜健栄氏の招きにより、大阪で「須永元と朝鮮からの亡 命者たち」という題目で講演をしてきました。この時に言われたの が、須永元は韓国政府から勲一等をもらってもよいほどのヒューマ ニストですね。ぜひ須永元の日記を解読して欲しいとの依頼を受け ました。しかし、佐野に墓地がないのがとても残念ですが、とも言 われました。これほどの人がなぜ佐野地区であまり有名ではないの でしょうか。それは甲申事件とそれに続く日本が深く関わったとさ れる閔妃暗殺事件、さらには明治43年から昭和20年までの35年 間以上に渡る日韓併合が須永の評価に暗い影を落としているのは間 違いないことだと思われます。 大阪に行く前に郷土史研究家の京谷博次氏と佐野市立図書館及び 郷土博物館の協力を得て、須永元の足跡をたどることにしました。 図書館では書庫にしまってある膨大な須永文庫の一部を写真に撮ら せてもらいました。また郷土博物館では須永が朝鮮に渡る前に書か れたと言われる「送別会の人々」と呼ばれる絵を見せてもらいまし た。これには須永が学んだ二松学舎の創立者であり東京帝国大学の 教授であった三島中州、そして師事をした元彦根藩家老の岡本黄石 など須永を含んだ24名のそうそうたるメンバーが描かれています。 この送別会は東京の料亭である星ヶ丘茶寮で行われたと言われてい ます。この絵は世田谷区立郷土資料館で開催された岡本黄石企画展 の図録の表紙に使われました。また咸臨丸でアメリカに渡った勝海 舟からもらった「全快を祝って」と呼ばれる書で、内容は「鬼手脱 命」と書かれている書も写真を撮らせてもらいました。また黄鉄が 故郷をなつかしく思って書いた墨絵や須永屋敷の絵も特別に見せて もらいました。さらに須永邸模型もありましたので、現在の市営プ ールの所にあった当時の屋敷を思い浮かべることができました。 作家の角田房子氏は昭和63年9月17日に堀米町の妙顕寺でいと なまれた須永元、金玉均、禹範善、黄鉄など亡命者のための法要に 出席した帰りに、今では故人となってしまった須永元研究家の藤沼 博さんに連れられて須永邸跡地を訪れています。今では小さな日本 庭園と建設記念碑だけが遺されており、碑の裏面には須永與右衛門 の名前を読みとることができます。また市営プール入り口に、須永 元先生邸宅跡 昭和三十八年二月二十八日 佐野市長 鈴木達三の 文字が花崗岩に刻まれています。 須永が庇護した朝鮮からの亡命者たちは、須永文庫以外にもいく つか佐野市内に作品を遺しています。甲申事件で亡命した金玉均は 妙顕寺の山号扁額である開本山の文字を揮毫しており、朝鮮独立運 動の志士と呼ばれていました。また閔妃暗殺に関わったとされる当 時訓練隊第一大隊長李斗?は、図書館裏の興福寺の山号扁額である 天山の文字を揮毫しており、道から見ることができますので図書 館からの帰り道にでもぜひご覧下さい。 妙顕寺には須永が東京の青山墓地から移設したと言われている禹 範善と黄鉄のお墓があります。禹範善は閔妃事件で日本に亡命して きた当時訓練隊第二大隊長です。この禹範善の子どもが禹長春、戸 籍名須永長春で、52歳の時に奥さんと6人の子どもたちを日本に残 して単身韓国に渡り、韓国のキムチ用白菜を品種改良により作った 農学者で、晩年に大韓民国文化褒章を受章しました。禹長春の人生 は角田房子氏の著書・わが祖国にまとめられており、須永元を通し て佐野と須永のことが詳しく述べられています。またこの中には当 時佐野郷土博物館学芸係長そして現石田副市長が須永関係資料につ いて語ったことも載っておりますのでぜひ一読して頂きたいと思い ます。またこのわが祖国は、NHKと韓国の番組制作会社シネテル・ ソウルとの共同取材でドキュメンタリードラマ化され、日本では 1991年2月2日にNHKスペシャル「わが祖国 ある日本人・禹長 春」、そして韓国では公共放送のKBSで「祖国・父と子」という題 名で放送され、日韓共に多くの人々の感動を呼びました。この中で も須永元の顔写真と妙顕寺の前の道路からお寺を見る映像が使われ ています。そして禹長春の四女が朝子さん、つまり禹範善から言う と孫にあたりますが、彼女が現在京セラの名誉会長である稲盛和夫 氏の奥さんです。先日、私は禹長春の次男のご子息から長文のメー ルを頂き、最後に禹範善の曾孫、禹長春の孫で、私の本籍地は栃木 県佐野市大橋町2073の1 須永元さんのお屋敷跡の住所です、と 結ばれていました。またホームページ上で公開されているものとし て次のような文章があります。「私は須永長春の孫です。栃木県佐野 市とは浅からぬお付き合いがございまして、現在も本籍地は佐野市 大橋町となっております。韓国ばかりではなく日本でも祖父の事が 紹介されており、誠に光栄であると存じます。今後とも佐野と韓国 が共に栄えることを心よりお祈りいたします」。 妙顕寺にお墓のあるもう一人が黄鉄です。彼も閔妃暗殺事件によ り日本に亡命してきた一人です。しかし後に韓国統監伊藤博文の知 遇を得て、農商工部協弁となっています。しかし日韓併合後は政治 の道を外れて日本に移住し、書画の道に専念しています。佐野市史 の通史編下巻にも詳しく載っていますが、昭和2年11月18日に所 沢飛行場を飛び立った陸軍の練習機が秋山川河川敷に墜落しました。 この時の遭難碑が堀米橋河川公園内にあります。台座の大きな立派 な碑ですが、碑文を書いたのが須永元で、書が黄鉄となっています。 また音楽評論家で有名な田川律氏は黄鉄のお孫さんであり、佐野に も2度ほど訪れているそうです。さらに祖父である黄鉄のことを朝 日新聞に発表し、世間の関心を集めたこともあると聞いたことがあ ります。 また妙顕寺には閔妃暗殺事件の首謀者だと言われている三浦梧楼 陸軍中将、閔妃事件当時は朝鮮公使でしたが、彼に書いてもらった といわれる御影石の水盤があります。そこには遠塵離垢(おんちり りあか)の四文字が掘られており、裏面には元の父である須永市重 郎の名前が刻んであります。また須永邸から移築してきたという水 神様も祭られていますが、立派な彫り物で飾られた白木づくりのお やしろです。隣の石碑には菊沢水神と寛延三年、西暦ですと1,750 年になりますが、今でもこれらの文字を読みとることができます。 八坂神社の御影石の鳥居は建設費の一部を須永が負担したと聞い ておりますが、そこには明治四十三年八月 日韓合邦記念と刻まれ ています。そこには日韓併合と言う文字ではなく合邦と刻まれてお り、併合という文字を使わなかったのは、須永のあくまでも日本と 朝鮮は同格であるとの願いが込められているのではないかと聞きま した。ちなみに須永の戒名は妙国院輹斎日韓居士です。 最後に田中正造との関わりですが、須永の父親が佐野町の町議会 議員をやっていた関係から、頻繁に行き来をしていたようです。こ れらの事を考えますと、佐野市内に須永を巡る歴史散歩コースが作 れるように思いました。 以上のようなことから須永元は佐野市が生んだ偉人であることは 間違いなく、佐野市の保有する須永文庫も佐野市の宝であると思い ます。そんな時に金玉均の研究者より驚くべき情報がもたらされま した。それは、佐野市が朝鮮文化に関するいっさいのものを譲渡す る確約をしたと言う内容がインターネット上に掲載されているとい うものです。すぐに確認しますと朝鮮新報のホームページで、「朝聯 は第4回文化部長会議(48年6月25〜28日付)で文化交流に 関して朝鮮古典美術展覧会を開くことを決めているし、朝鮮古文献 調査蒐集(しゅうしゅう)のために活動を進めることも決めている。 その一環として、金玉均先生に関する文献を保存しているという栃 木県佐野市との交渉の結果、書籍、書画、美術品など朝鮮文化に必 要なものいっさいを朝聯中総が譲渡を受ける確約を得ている」、とな っていました。日付は2007年10月20日ですからつい最近の話で す。そこでこれに関する真偽についてお伺い致します。 佐野市郷土博物館では昭和62年10月10日から11月15日まで 須永文庫資料展 −須永元と明治の文人たち− との題名で企画展 を開催しております。第2回目は平成3年5月1日から6月15日 まで第16回企画展 −須永文庫− 水墨・山水画展を開催しまし た。第2回目の企画展から既に17年が経過しようとしています。 北朝鮮による拉致問題が解決していないとは言え、NHKで放送され たドラマ「冬のソナタ」を発端とする韓流ブームもあったことです し、第3回目の須永文庫企画展を開くのに適当な時期を迎えている と思われますが、郷土博物館として次期企画展の計画はないのでし ょうか。 須永文庫の中には水墨・山水画展をやったように優れた書画が数 多くあります。そこで郷土博物館にこだわることなく、吉澤記念美 術館で須永文庫の特別展をやったらと思われますがいかがでしょう か。美術的な面も含めて、佐野の歴史を知る上でも大いに役に立つ ものと思われます。 次は個人情報保護法についてです。友人から聞いた話ですが、子 ども会の連絡網を作ろうとした時に、ある一人から「連絡網を作る ことは個人情報保護法の観点から問題があるのではないか」との意 見が出て、結局は作るのをやめたそうです。そこで、連絡をする次 の人の電話番号のみを知らせることにしたようです。友人の話によ ると、次の人が不在だった時に、その次の人に知らせることができ ず、とても不便だと言っていました。私はこの話を聞いた時、ちょ っとやりすぎではないのかと感じました。 これもある知人の話ですが、「資料請求を行うと個人情報に関する ことで非公開になる場合が多いような気がしている、行政は個人情 報に関するということで、必要以上に神経質になりすぎているので はないか」と言われたことがあります。 先日ある保護者の方から、子どもの学校での様子が心配なので聞 いて欲しいとの依頼を受けて学校に電話しました。そうしましたら、 「個人情報に関することなのでお教えできません」とピッシッと断 られました。依頼者の名前を言ったにも関わらず、想像もしなかっ た回答が帰ってきたのでとても驚きました。この場合は個人情報保 護と言うよりもプライバシーの観点からと言った方が適切かも知れ ません。 また4年前の正月に、高校を卒業してから初めての同窓会が実に 32年振りに開かれました。その時にクラス別に担当責任者を決めて、 その人に出席の確認の依頼をすることに決めました。その時に使用 した名簿は同窓会名簿ですが、これはクラス別には別れておらず、 あいうえお順で全体が一緒になっています。ですから32年も経過し た時点においては、誰がどのクラスに属していたのかということが はっきりしません。私が卒業した高校の普通科では、卒業アルバム も作成しませんでしたのでクラス名簿が存在していないのです。ほ とんどあやふやな記憶にたよらざるをえずにとても苦労しました。 現在の学校でも、個人情報の観点から卒業アルバムを作っても、そ の後の方に名簿を記載しない学校が増えていると聞いたことがあり ます。今は良いかも知れませんが、後になって私と同じような苦労 をするのではないでしょうか。また今年も第2回目の高校同窓会を 開いたのですが、司会者を依頼されていた関係省、参加者をメール で送って欲しいとお願いしたところ、「メールだと何がおきるか分か らない危険があるので、今度会った時にフロッピーディスクで渡す よ」と言われました。私はそれ程重要なデータを送ってもらう訳で はないと思っていたものですから、そのように言われて驚いたと同 時に、今ではそこまで気を使わなくてはならない時代なのかと思い、 妙に関心してしまいました。 個人情報保護法を楯に発言している人は、本当にこの法律の中味 を知った上で発言しているのだろうかと言う素朴な疑問が浮かんで きました。それよりもこの法律の「個人情報保護」と言う名称から 来るイメージにより、各個人が勝手に判断して拡大解釈しているの ではないかと思い始めてきました。「個人情報保護」という名称が混 乱を生んでおり「個人情報活用法」とすればよかった、と読んだこ ともあります。またこの法律の内容を完全にはつかみきれないもの ですから、グレーゾーンは全て黒にしてしまえと言うような感覚が 働いてしまうのかも知れません。 そこでこの個人情報保護法とはどのような法律なのか、問題は生 じていないのかを私なりに調べてみました。まず問題点ですが、107 名の犠牲者を出したJR福知山線の事故ですが、家族から病院に対し て安否を確認する問い合わせが殺到したそうです。しかし、病院側 では個人情報保護への対応を優先して教えなかったそうです。また 鳥取市で、学校給食での食中毒発生の連絡が、「個人情報保護」の観 点から連絡網が廃止されていたため、迅速な中毒の情報のやりとり ができなかった。また町内会の名簿の作成なども個人情報保護上ど うしたらよいか分からない。名簿が流出した場合に町内会として責 任が問われるのだろうか、と言うような不安もあるようです。また 保育園での写真販売の中止などもあったそうです。 ではこの法律はどのような経緯で成立したのでしょうか。この法 律は2003年5月30日に公布され平成17年4月1日から全面施行さ れましたが、目的は「個人情報の漏洩や不正使用で、プライバシー を含めた権利や利益が損なわれるのを防ぐため」とされています。 その背景には、良く知られた有名企業から何十万件、何百万件と言 われるコンピューター上の個人情報が、事故や事件により流出して いることがあります。一度流出してしまったデータは、もはや拡散 を防止することは不可能です。しかしながら残念なことに、この法 律が施行された後も何十万件というデータの流出が相次いでいます。 この個人情報保護法令を読んでみましたところ、第一章、第一条 の目的の最初に、「この法律は、高度情報通信社会の進展に伴い個人 情報の利用が著しく拡大していることにかんがみ」となっており、 明らかにパソコン端末からネット上への個人データ漏洩防止に対し て重きをおいているのがわかります。私はかなりの部分で、この法 律の拡大解釈や誤解、さらにはこの法律を楯にとっての責任回避が 行われているのではないかと思いました。しかし、この法律も非常 に多岐に渡り、法律文書に関する知識が少ない私の知識では、町会 の名簿や各種名簿の作成及び卒業アルバムへの名簿の記載はこの法 律に抵触するかどうかまで判断することはできませんでした。 ここで質問に移りますが、市役所は市民の情報が最も集まる所で あると思います。そこで佐野市ではこの個人情報保護法に関してど のように各部及び各課では対応しているのかをまずお聞きします。 また情報公開との観点から苦情や不満を寄せられたことはないでし ょうか。さらには、個人情報保護法についての市民とのトラブルな どもお聞きします。 学校の対応についてお聞きします。氏名が表示された卒業アルバ ム及びクラスの名簿作成や連絡網、その他同窓会名簿やPTA名簿な どの作成はどのようにしていますか。また児童、生徒関係の成績な どの個人データの取り扱いに特別な注意をしている点はありますか。 それについての苦情などもお聞きしておきます。 市民病院についてお聞きします。入院患者や病状に関する問い合 わせについてはどのようにしているのでしょうか。またカルテや写 真データについての取り扱いと、取り扱う担当者に関しての教育は どのようにしているのでしょうか。また患者に虐待が予想される場 合の警察や児童保護施設などへの情報提供はどのようになっており ますか。 暴力団員の市営住宅への入居が制限されることになりました。そ のために入居希望者名簿を警察に提出してチェックしてもらうこと になると思いますが、入居希望者が書類を提出する時に、その旨を 説明し了解を得るのでしょうか。 市のホームページ上で、個人情報は常に正確で最新の状態に保ち、 個人情報の漏えい、滅失等をしないように管理します。また、保有 する必要のなくなった個人情報は、確実な方法で廃棄等します、と あります。個人情報の最も重要なものに戸籍や住民票があると思い ますが、住民基本台帳ネットワークシステムからの情報の漏洩や事 故の問題はないのか、また戸籍の廃棄基準はどうなっているのかを お聞きします。 市長、副市長並びに関係各部長の真摯なるご答弁を期待し、私の 第1回目の質問とさせて頂きます。 ○議長(高橋功) 当局の答弁を求めます。 まず、生涯学習部長。 (生涯学習部長 登壇) ○生涯学習部長(大森博) 大川圭吾議員の一般質問にお答え申し 上げます。 私のほうからは、須永文庫についてという内容の3点のご質問に ついて順次ご答弁いたします。まず最初に、金玉均に関する文献を 保存する佐野市と交渉の結果、朝聯中総が朝鮮文化に必要な書籍、 書画、美術品など一切を譲り受けるとある記事の真偽についてとの ご質問についてお答えいたします。昨年10月20日付の朝鮮新報の 掲載内容につきましては、日本が戦後の社会的な混乱期にある1948 年、昭和23年当時の内容でありまして、現在の内容を表現している ものではございません。確かに金玉均を始め朴泳孝など亡命朝鮮人 に関する資料は、郷土博物館の収蔵する須永文庫に多数含まれてお りますが、後に須永文庫と呼ばれる須永家の旧蔵資料につきまして は、1948年当時では財団法人日韓国士顕彰会が管理しており、本市 に寄贈されましたのは、14年後の同財団が解散する1962年、昭和 37年のことでございます。1948年、昭和23年当時では、須永家の 資料をまだ譲り受けていない状況でありますので、本市が朝鮮総連 と譲渡に関する交渉を持つことはないと推測されます。また、1962 年、昭和37年以降も、譲渡に関する交渉が持たれたということはご ざいません。 次に、須永文庫の第2回目の企画展から17年たつが、第3回目の 企画展の計画はないのかとのご質問でございますが、須永文庫関係 の展示につきましては、郷土博物館で昭和62年秋、平成3年春に2 回の企画展のほか、企画展では公開していない書画などの展示を昭 和61年、平成5年、平成8年、平成10年の夏に4回収蔵展を開催 し、多くの見学者に見ていただいたところでございます。お尋ねの 第3回企画展につきましてのご質問でございますが、平成20年度の 計画につきましては、既に春、夏、秋の展示計画が予定されており、 須永文庫関係の企画展につきましては平成21年度以降ということ で検討したいと考えておりますので、よろしくお願いいたします。 次に、須永文庫の中にすぐれた書画が多数あるが、郷土博物館に こだわることなく、吉澤記念美術館で須永文庫の特別展を開催した らどうかとのご質問でございますが、須永家の旧蔵資料が亡命朝鮮 人のほか岡本黄石や三島中洲ら明治詩壇の漢詩人らとの人脈を背景 に持つことから、須永文庫の書画は交友関係や時代背景を映す資料 とともに展示することがふさわしく、今後も豊富な関連資料を保存 する郷土博物館で公開していきたいと考えております。また、吉澤 記念美術館における特別展開催につきましては、今後調査研究をし てまいりたいと思いますので、よろしくお願いいたします。 以上、答弁とさせていただきます。 ○議長(高橋功) 次に、行政経営部長。 (行政経営部長 登壇) ○行政経営部長(須藤作次) 一般質問にお答えをいたします。 私のほうからは、個人情報保護法に関して佐野市ではどのように 対応しているのかにつきましては、個人情報保護法におきまして、 地方公共団体が保有する個人情報の保護につきまして規定されてお りますことから、本市においては佐野市個人情報保護条例に基づき まして、個人情報の適正な取り扱いに関して全庁的に対応している ところでございます。なお、本市の対応といたしましては、条例の 制定時においての職員の研修や各課に配置されております文書取扱 主任を対象とした会議における説明などを実施しているところでご ざいます。個人情報の適正な取り扱いについて、各課の対応を図っ ているところでもございます。 次に、情報公開との観点から苦情や不満はないのかとのご質問に つきましては、自己の個人情報が含まれた情報について情報公開請 求をされる方がおりますが、情報公開制度におきましては、請求者 本人の個人情報であっても公開できない場合がありますので、ご不 満を抱かれることがございます。なお、開示を請求される場合につ いては、個人情報の開示請求をしていただき、対応させていただい ているところでございます。 次に、個人情報保護法についての市民とのトラブルなどにつきま しては、個人情報の開示請求などの際、本人確認が明確になったこ とや、団体の名簿の取り扱いについて従来より不便になったという ご意見をいただいているところでございます。 以上、答弁とさせていただきます。 ○議長(高橋功) 次に、教育総務部長。 (教育総務部長 登壇) ○教育総務部長(竹川常光) 一般質問にお答えいたします。 私からは、個人情報保護法についてから学校の対応についてお答 えいたします。最初に、氏名が表示された卒業アルバム及びクラス 名簿などの作成につきましては、学校ごとに様式、内容等多少の違 いはございますが、すべての学校において、個人情報の保護を意識 した上で、各学校において作成しているところでございます。様式 や内容は、学校で異なりますので、教育委員会としては規定等は設 けておりません。なお、配布されたものが目的外使用されないよう、 十分な指導をお願いしているところでございます。 次に、成績などの個人データの取り扱いに特別な注意をしている 点につきましては、情報の漏えい、流出を防ぐことを最大の目的と しており、すべての学校においてその取り組みがなされておるとこ ろでございます。教育委員会としても全教職員を対象として、情報 の流出、漏えいの防止の徹底について啓発を行っているところでご ざいます。 なお、学校の対応についての苦情につきましては、名簿の閲覧に 関しまして、今年度市内の学校に対し1件の苦情が寄せられており ます。 以上、答弁とさせていただきます。 ○議長(高橋功) 次に、市民病院事務部長。 (市民病院事務部長 登壇) ○市民病院事務部長(中里博行) 一般質問にお答えをいたします。 私からは、市民病院の個人情報の保護につきましてお答えをいた します。まず、入院患者や症状に関する問い合わせについてはどの ようにしているのかとのご質問につきましては、まず入院患者の場 合は、入院時に、個人情報についての確認事項という書式がござい まして、患者と病院で相互に確認書を取り交わしております。これ によりまして、患者の症状を含めた情報をどなたに提供するのか、 どなたに説明をするのか、入院をしていることを教えてよいのかな ど、患者の希望を確認し合っております。病院としましては、この 確認書に基づきまして情報を提供しております。したがいまして、 通常の電話などでの症状確認や照会など、家族であると申し出ても 教えることはできません。救急であっても同様でございます。 次に、カルテやデータなど患者情報の取り扱いと担当者の教育は どのようにしているのかとのご質問についてでございますが、患者 情報に関しましては、医事課及び医療担当部署において適切に保管 をしております。パソコン処理をしておりますものは、個人パスワ ードでないと見ることはできません。また、カルテ等廃棄の際は、 職員が直接廃棄場に持参し、廃棄を確認しております。職員の情報 保護の教育につきましては、院内にあります個人情報管理委員会の 計画によりまして、職員の教育及び周知徹底を行っております。ま た、患者からの開示要求に対しましても、委員会での取り扱いとし ております。 次に、患者に虐待が疑われた場合の情報提供はどのようにするの かとのご質問につきましては、通常、外来に見えた患者に異常があ った場合は、基本的には医師の判断によります。このうち死亡の場 合につきましては、医師法により警察署に届け出が義務づけられて おりますが、虐待などと疑われる場合は届け出を行うことになりま す。小児の場合ですと児童虐待防止等に関する法律に基づきまして、 児童相談所や福祉事務所に通告をすることになります。成人の場合 ですと、介護の関係であれば介護関連の支援センター、障害者であ れば障害者関連支援センターなどへ、あるいは状況によっては警察 署に連絡をしております。過去の例ですと、二、三年前に児童に関 し該当があり、児童相談所に通告したという例がございました。 以上、答弁とさせていただきます。 ○議長(高橋功) 次に、都市建設部長。 (都市建設部長 登壇) ○都市建設部長(佐野博) 一般質問にお答えいたします。 私のほうからは、暴力団員の市営住宅への入居制限のために入居 希望者名簿を警察に照会することについて、入居希望者が書類を提 出するとき、その旨を説明し、了解を得るのでしょうかという質問 でございます。去る12月の議会におきまして、佐野市営住宅条例、 また佐野市営再開発住宅条例、それから佐野市特定公共賃貸住宅条 例の改正をご承認いただきました。市営住宅等から暴力団員を排除 するために、入居資格に暴力団員でないことを加えるとともに、そ の照会を佐野警察署にできることを規定したところでございます。 その運用といたしましては、入居募集時に配布します募集案内にお いて、入居者資格に暴力団員でないことが条件であることをお知ら せし、入居申込書に暴力団員でないことを誓約していただくととも に、警察への照会についても同意していただいております。これら を経て、入居希望者の名簿を警察に照会するものでございます。ま た、個人情報の保護につきましては、佐野市と警察署で取り交わし た暴力団員の市営住宅等の使用制限に関する合意書におきまして、 提供された個人情報の適正な管理とその目的外使用の禁止が定めら れております。 なお、市営住宅から暴力団員を排除することで、入居者の生活の 安全と平穏が確保され、公営住宅の適切な運用が図られると考えて おります。 以上、答弁とさせていただきます。 ○議長(高橋功) 次に、市民生活部長。 (市民生活部長 登壇) ○市民生活部長(青木勇) 一般質問にお答えいたします。 私のほうからは、個人情報保護法についての中で、まず住民基本 台帳ネットワークシステムの情報の漏えい、事故の問題につきまし てですが、システムの面においては、専用回線を使い、通信データ の暗号化、ファイアウオール、これは限られた情報しか通さない障 壁装置ということですが、これらにより外部ネットワークからの不 正侵入及び情報の漏えい防止について万全を期しております。また、 操作者用ICカードやパスワードによりシステム操作者を限定し、 内部の不正利用を防止しております。さらに、毎年セキュリティー チェックリストによる自己点検を実施しており、安全性の向上に努 めております。このように技術面、運用面にわたってさまざまな措 置を講じており、住民基本台帳ネットワークシステムの稼働以来、 現在まで情報の漏えいや事故は発生しておりません。 次に、戸籍の廃棄基準につきましては、戸籍簿の保存期間として、 戸籍法施行規則の規定で、戸籍が除斥になった年度の翌年から80 年となっております。なお、本市においては、保存期間を経過した 除籍簿につきまして、謄本等証明等は発行できない処理をしており ます。 以上、答弁とさせていただきます。 ○議長(高橋功) 以上で当局の答弁は終わりました。 3番、大川圭吾議員。 (3番 大川議員登壇) ○3番(大川圭吾) ご答弁ありがとうございました。幾つか再質 問をさせていただきます。 まず、須永文庫についてですけれども、一番最初の金玉均先生に 対する文献を保存している栃木県佐野市との交渉の結果、朝鮮文化 に関する必要なものを一切譲渡する確約を得ているというふうな話 です。これ、「48年」しか載っていなかったのですけれども、これ は1948年ということで、まだ須永文庫が佐野に移譲される、日韓国 士顕彰会のときの話であり、佐野市に対して譲渡されて以降は全く このような事実はないというふうな答弁でした。非常に私は安心し ました。これで佐野市の宝である須永文庫がどこかに持っていかれ てしまうのではないかなということを非常に心配していたのですけ れども、そういうことがないということで安心しました。 それと、須永文庫の企画展に関することですけれども、4回ばか り収蔵展が開催されたというような話がありました。私、直接は知 らなかったものですから、非常によかったと思います。そして、21 年以降計画を考えたいというふうな答弁があったわけですけれども、 私のほうからもぜひよろしくお願いしますというふうにお願いした いと思います。 そこで、1つ、須永文庫に関しましては、佐野市の郷土博物館の ホームページに田中正造とともに大きくページを割いて説明してあ ります。そのように、郷土博物館としても須永文庫に関しては、か なり重みを置いているのではないかなというふうに考えるわけです。 そういう中で、1階の展示室には須永関係のものが全然ないと思う のです。ほとんど2階の倉庫に膨大な須永資料が収蔵されているの みだということで、スペースの関係もありますので、なかなか常設 の展示というのは難しいとは思われるのですけれども、私としては ほんの一部でもいいのです。例えば皆さんが知っているような、咸 臨丸でアメリカに渡った、その勝海舟から直接須永元がもらったと いうような書、「鬼手脱命」と書かれている書ですけれども、それ1 つでも、須永関係のですよというふうな、そのぐらい置く場所はあ ると思うのです。そのぐらいの展示はできないのかというふうなこ とを質問させていただきたいと思います。 続きまして、個人情報保護法についてです。先ほど説明がありま した、個人情報取扱業者の対象としましては、個人情報等データベ ースを事業の用に供する者で、国、地方公共団体、独立行政法人等、 地方独立行政法人や取り扱う個人情報が過去6カ月以内のいずれの 時点においても5,000人を超えない事業者を除く者を指す。したが って、事業者には営利法人のみならず非営利法人も該当するが、一 般の個人については原則として対象にならないというふうな話があ ります。こういう中で、佐野市としては、先ほどの答弁の中で、個 人情報保護法ではなくて、佐野市個人情報保護条例の中で適用する のだというふうな説明が一番最初にあったと思います。そのとおり だとは思うのですけれども、最初この個人情報保護法が国のほうで 制定されて、恐らくこれをもとにしてこの条例を制定したと思うの ですけれども、保護法と佐野市としての条例では、どこが同じでど こが最も違う場所かというのをお聞きしたいと思うのです。非常に 分量的に多いもので、私も具体的に違うところははっきりわからな かったものですから、教えていただければと思います。 それとあと、学校についての対応。氏名が表示された卒業アルバ ム及びクラス名簿作成の連絡網の話ですけれども、この件につきま しては各学校に任せていると。基本的なことは言っているけれども、 詳細なことまでは規定していなくて、各学校に任せているという話 がありました。そこで、実際個人情報の保護の観点からという説明 があったところから推測しますと、名簿などは載せていないのだと いうふうに私は受け取ったのですけれども、そこをはっきり答弁願 いたいと思います。載せているのか、載せていないのか。 それともう一つ、私の中学時代のときなどの思い出ですと、例え ば成績上位者などを張り出したわけです。それは、上位者ですから、 だれも文句を言う人はいないと思うのですけれども、それも1つの 個人情報のように思います。そういうことは現在、個人情報だけの 問題ではないとは思うのですけれども、成績上位者のみ学校で発表 しているようなことはあるのかどうか、それをお聞きしたいと思い ます。 それと、市民病院についてです。個人情報をどのぐらい提出する かは、入院患者との中でいろいろ聞いているというふうな話があり ました。この場合に、例えば救急車で運ばれたような場合に、本人 の承諾が得られないと思うのです。1回目の質問で言いましたよう に、JR福知山線事故で、関係者から病院に問い合わせても一切教 えてもらえなかったということがあります。そういうことを考えま すと、救急で送られてきた場合に、本人の承諾が得られない場合に どうしているのかということをお聞かせ願いたいと思います。 それと、暴力団員の市営住宅の話です。これは了解いたしました。 この質問は、オウム事件のときの話ですけれども、警視庁がサリン 関係図書の閲覧者調査と称して、国立国会図書館の約53万人分の利 用データを押収しました。だれが、いつ、どのような本を閲覧した かというプライバシーが安易に警察に渡されたということで、利用 者の読書の秘密を守るべき図書館の基本的ルールが破られたという ことにより問題になりました。佐野では、こんなことはほとんどな いと思われますが、例えば研究者などがデータの提出を図書館など に求めた場合には応じるのかどうか、ちょっとそれをお聞かせ願い たいと思います。 それと、戸籍の保存期間の話、80年というような話がありました。 決まっているから、80年というのは仕方ないとは思いますけれども、 以前私自身が先祖のことを調べようとしましたら、その80年という ことで拒否されたのです。実際そういう面から見ますと、80年とい うのは短いのかな、これは質問ではなく感想ですけれども、という ふうに思いました。100年ぐらいにすべきなのではないか。これは 個人的な感想で、質問ではありませんけれども。 以上、第2回目の質問とさせていただきます。ご答弁のほどよろ しくお願いいたします。 ○議長(高橋功) 当局の答弁を求めます。 まず、生涯学習部長。 (生涯学習部長 登壇) ○生涯学習部長(大森博) 再質問にお答え申し上げます。 展示物につきましては、現在須永文庫のものにつきましては収蔵 しているということで、常設的なことができないかというようなご 質問かと思います。これにつきましては、非常に貴重なものであり ますので、常設展示につきましては、一部展示替えを行うときに、 それらの展示も含めて考えていきたいと思いますので、よろしくお 願いをしたいと思います。 以上、答弁とさせていただきます。 ○議長(高橋功) 次に、行政経営部長。 (行政経営部長 登壇) ○行政経営部長(須藤作次) 再質問にお答えをいたします。 私のほうからは、国の保護法と市の個人情報保護条例と、どのよ うに違っているのかというようなご質問でございました。議員がご 指摘のように、個人情報保護法におきましては、国が定める内容で は、個人情報を5,000件以上取り扱う業者が対象とされており、小 規模な事業者に法令上の義務を課していないというようなことで定 められております。一方、市の個人情報保護条例につきましては、 各自治体がそれぞれ保有する個人情報を保護法に基づきまして、こ の保護条例を定め、実施をしているというような内容になっており ます。 以上、答弁とさせていただきます。 ○議長(高橋功) 次に、教育総務部長。 (教育総務部長 登壇) ○教育総務部長(竹川常光) 再質問にお答えいたします。 私からは、個人情報の学校対応についてお答えいたします。最初 に、個人情報を記載し、作成、配布している主なものといたしまし ては、卒業アルバムや電話連絡網等がございます。電話連絡網につ きましては、すべての学校で作成し、保護者への配布を行っており ます。ほとんどの学校で、氏名と電話番号のみの記載となっておる ところでございます。小規模の小学校などでは、氏名のみの記載で あったり、電話番号の4けたのみ記載したりするなど、学校により 多少異なっております。なお、配布に当たってすべての学校におい て、目的外使用をしない、第三者への提供をしない、進級時には破 棄をする等、取り扱いに関する指導を行っているところでございま す。 なお、卒業アルバムに関しましては、38校中14校で氏名一覧等 を記載し配布しておりますが、配布時には連絡網と同様に、目的外 使用を防ぐための指導を行っております。 次に、今後教育委員会といたしましては、学校に対しまして、緊 急連絡網や名簿等を作成する際には、情報の収集、提供について、 本人の同意など、あらかじめ得ていくような方法など指導していき たいと考えておるところでございます。 また、成績順位等の発表は、現在学校では実施しておりません。 成績は個人情報の1つと考えているところでございます。さらに、 発表することが一面的な解釈や分析により、学級や教科、児童生徒 の序列化が生じるおそれがあり、また発表のもたらす児童生徒への 心理的な弊害が大きいと考えており、現在実施していないところで ございます。 以上、答弁とさせていただきます。 ○議長(高橋功) 次に、市民病院事務部長。 (市民病院事務部長 登壇) ○市民病院事務部長(中里博行) 再質問にお答えをいたします。 情報提供に関しまして、本人からの承諾、確認がとれない場合の 対応というご質問でございますが、考えられるのは事故等で、ある いは大きな事故等で搬送された場合でございます。これ等につきま しては、警察署等々との情報をいただきながら、わかり次第家族等 に連絡をいたしたいというふうに考えております。 以上、答弁とさせていただきます。 ○議長(高橋功) ただいま生涯学習部長から答弁漏れの申し出が ありますので、発言を許します。 生涯学習部長。 (生涯学習部長 登壇) ○生涯学習部長(大森博) ただいま大川圭吾議員からの質問の中 で答弁漏れがありましたので、答弁をさせていただきます。 個人情報保護法の関連で、研究者からだれが借りたかとの問い合 わせにつきまして、どのような対応をしているかということでござ いますが、図書館におきましては借りた人の氏名等につきましては、 研究者からの問い合わせでも回答していないのが現状でございます。 以上、答弁とさせていただきます。 ○議長(高橋功) 以上で当局の答弁は終わりました。 3番、大川圭吾議員。 (3番 大川議員登壇) ○3番(大川圭吾) ご答弁ありがとうございました。須永文庫に 関しましては、質問ではなくて要望とさせていただきます。 先ほど機会をとらえて須永文庫の展示というふうなお話がありま した。1件目、先ほど言いましたように、大変展示スペースが狭い ので、それほど大きなものは展示できないとは思いますけれども、 やはり機会をとらえて、先ほど言いましたように、書などは1メー ター50と50センチぐらいのスペースがあればできるわけですから、 それを交換しながら展示していただければと思います。そうすれば、 先ほど言いましたように、例えばだれもが知っている勝海舟なんて、 えっ、勝海舟がなぜ佐野と関係するのとか、人によっては三島中洲 でも岡本黄石でも、かなり有名な方ですから、そういうところから、 別の面からいろいろ佐野を知る機会があるのではないかなというふ うに思っております。 この質問をするにして、例えば佐野に禹範善のお墓がありますけ れども、広島県呉市で禹範善は暗殺されますので、広島の呉市にも あるわけです。たまたま現在の竹川市会議員が呉市にいましたので、 その市会議員が「呉と韓国」という題名で禹範善のことを載せてい ました。私がすぐ本人に連絡をとってお墓のことについて聞いたの ですけれども、刺客の高永根という人に暗殺されるわけですけれど も、現在お墓は呉市の神応院というところにあります。それで、幼 稚園をつくるためにその神応院の中で移動したのですけれども、や はり現在韓国からお参りする方が来るもので、昨年の11月に、隅に あったのをもっと目立つ表のほうに2度目の移動をしたというふう な話がありました。そのようにかなり有名な人なものですから、私、 その神応院の住職さんと話をする機会がありまして、当時の日本と 朝鮮との関係、また佐野と呉との関係を強くしました。 それと、1回目の質問に出たのですけれども、佐野史蹟写真帖、 宝龍寺の第32代住職であった小林在龍氏が発起人となって作製し た中に、須永元が最初の漢詩を書いており、またその顧問になって おります。70年以上も前につくられた佐野史蹟写真帖なのですけれ ども、中を見ますと、佐野となっていますけれども、現在の田沼、 葛生も含めた、旧佐野市ではなく現在の合併後の佐野市のすべてが 載っていますので、70年以上も前に現在の合併も予測していたので はないかというふうに思われて、非常にうれしく思いました。そう いうこともありますので、ぜひこれからも須永元関係を大切にして いってほしいというふうに思っております。 それと、個人情報保護に関して幾つか答弁をいただきました。ど うもありがとうございました。よくわかりましたけれども、幾つか 再々質問をさせていただきたいと思います。1つは、病院関係なの ですけれども、個人とのやりとりの中で情報を出すか出さないか決 めるというふうな話がありました。その中で、例えば入院を知られ たくないという人も多いと思うのです。それで、お見舞いに行きま すと、例えば6人の部屋ですと6人の名前が入っていまして、ある 1人に行ってもほかの5人の名前を知ることができまして、あっ、 こんな人も入院しているのだなというふうなことを見舞客に知られ てしまうことがあるわけです。そういうのを嫌う人がいることも十 分考えられるわけです。そういう中で、自分の名前を外してほしい というふうなことができるのかどうか、またそういう要望があるの かどうか、それをお聞きしたいと思います。 それと、かなりこれは難しい問題だとは思うのですけれども、今 医療訴訟の問題がかなり件数がふえていまして、病院も苦慮してい るところもあるとは思うのですけれども、そういう中で患者からカ ルテをぜひ提出してほしいというふうな話があると思うのです。そ ういう場合に病院としての対応はどうしているのか、そのことにつ いてお聞きしたいと思います。 それと最後に、自治会の名簿とか、そういうことはどうしたらい いのかわからない、また個人情報に関して対応に苦慮するというこ とで市民から市のほうに問い合わせが来ると思うのです。そういう ことがあるのかどうか、それについての市としての対応は、このよ うにしてほしいというふうな答えをどのようにしているのかという のをお聞かせ願いたいと思います。 以上で私の一般質問を終了させていただきます。 ○議長(高橋功) 当局の答弁を求めます。 市民病院事務部長。 (市民病院事務部長 登壇) ○市民病院事務部長(中里博行) 再々質問にお答えをいたします。 個人情報の中で、本人が希望すれば入院の病室の名前を隠すこと もということでございますけれども、これは本人の希望を最大限に 尊重しまして、氏名を掲示しないということでの対応をさせていた だいております。 それから、議員ご指摘のように、最近訴訟等についての件数が非 常に多うございますが、当病院につきましてもカルテの開示請求と いうのはございます。これにつきましては、ほとんど開示請求に応 じております。情報は出すということで対応しております。 以上、答弁とさせていただきます。 ○議長(高橋功) 次に、行政経営部長。 (行政経営部長 登壇) ○行政経営部長(須藤作次) 再々質問にお答えをいたします。 私のほうからは、先ほど申し上げました、町会等からの個人情報 等の問い合わせ等があるのか、どんなような内容に今されているの かというようなご質問でございました。先ほどちょっとお話しさせ ていただきましたように、個人情報を実際実施をする場合において、 国等の個人情報保護法におきましては5,000件以上で取り扱う事業 者が対象になっていると。そういう中で、小規模な事業者に法令上 の義務を課すことを避けている。そういう中に町会だとかPTAな どの団体というものが含まれ、保護法の対象とはなっていないとい うような状況でございます。ですから、法の抵触に関する問題は起 こらないというような中で対応しているわけでございますが、町会 長さん等の氏名というのは、現実的に広報等で開示をしているとこ ろでございます。そういう中で、特別に個人情報的な住所だとか電 話番号に関して問い合わせがあるというようなことは、原則非公開 というような形をとらさせていただいております。公務上、必要と 判断した場合においては、利用者の会社名とか担当者名とかという ような内容を確認しながら、しかも使用目的等を確認した上で、特 別に適宜対応をさせていただいているというようなやり方をとって いるところでございます。 以上、答弁とさせていただきます。 ○議長(高橋功) 以上で当局の答弁は終わりました。 以 上 |