2枚の消火栓蓋

 「ヘンなもの見ながら歩いているんですねぇ」と何人かの方から声をかけられた。前回の街路灯の話を読まれての言葉です。街路灯には後日談があって、伊勢崎の日吉通りというところに、錦町の旧ロータリー付近と同じものがあって驚いた。
あれこれ見回しながら歩いていると街は楽しい。その中に一目で戦前のものと分るものがある。右書きの看板、「受聞新便郵」、「栓火消」。今回は消火栓のお話し。
 マンホールなどの蓋はいろいろな種類やデザインがあって楽しい。製作した年代や製造所などで違うようだ。桐生の消火栓は昭和7年水道創設時に設置されたが、戦前の消火栓蓋は皆同じデザイン。文字が右から読むのですぐ分るし百枚以上が現存している。全国各地のマンホール蓋を見て歩いたが、この蓋は重厚な感じとほどよく摩滅した光沢が美しく、桐生の宝だと思っている。水道は良い物を後世に残している。
 戦前のものはわかったが、戦後のもので見つかるのはスマートなデザインに変った昭和30年代以降と思われるものばかり。20年代は製造せずに戦前の貯蔵品を使っていたのだろうか、などと考えたりした。
 ところがある日、写真を整理していて驚いた。てっきり戦前のものと思っていた消火栓蓋で文字が左から書いてある写真が1枚見つかった。「おおっ!これが20年代のものに違いない」と持つ手が震えた。場所は水道山の低区配水池脇。近くには水道創設時の「辨水制」や「孔人」がある(マン・ホールの直訳は人孔)ここは桐生のマンホール蓋の名所と思っている。この蓋がここだけというのも解せない話しだが、とにかく貴重な蓋であることは間違いない。こうなると同じ蓋を求めて市内をさまようことになるが、そう簡単には見つからず諦めていた。
 何年くらい経ったろうか2枚目は偶然見つかった。桐生を紹介する写真に、いかにもわざとらしく和服姿の女性が歩いている路地が登場する。今では桐生の近代化遺産を代表する矢野の蔵群の脇の路地にそれはあった。矢野の門にある「除行」の看板に苦笑いしながら先に進み、この路地の風景を消火栓蓋を入れて写真に収めようとして驚いた。水道山の蓋と同じものがそこにあったのだ。急いでその周りを見回したがこれ1枚。あれから何年か経ったがそれ以来見つかっていない。
 なぜ2枚なのか。その答えを探して材質の問題に突き当たった。戦後の混乱期で鋼材の需要も一気に増加したが原材料が不足した時代。十分な強度を得られず当時予想もしないその後の交通量の増加により多くは破損してしまったのではないか。推測である。
戦前の蓋は元宿の資料館に保存されている。この蓋もいずれ保存してほしいと思っている。