身近なものにも歴史がある。近代化遺産とまではいかなくとも、日頃身近すぎて見過ごしがちなものも多い。それらは地域計画やそれぞれの事情の中で無くなって行くものが多いようだ。いつも気になっていたので調べてみた。コンクリート製の街路灯である(図1)。旧ロータリーから大和病院にかけての両側に計8基が歩道の真ん中に建っている。正面に「錦町一丁目」、裏側には「東京・新宿 冨士コンクリート株式会社TEL(34)四六四八」と銘板があり、1mの高さまではギリシャの神殿に用いられている様な溝が彫られている。柱の先は鉾先が天に向かっている。銘板は蓋を兼ねており開けるとスイッチがある。今は蛍光燈だが、当時は電球だったのだろう。
これとよく似ているが、産文前から足銀新宿支店に向かう道付近に3基。やはり年代物の街路灯(図2)がある。うち2基は外見的には先の物に似ているが、上部まで溝の彫られた円柱で、いくらか太め。柱の先の飾りは外されている。銘板には「東京新宿 冨士コンクリート株式会社 TEL(*)四三番」とあり、電話番号を見ても前のものよりも相当古いことがわかる。ところが、驚いたことに町名板は「本町二丁目」とあるのだ。おそらく本町の方で街路灯を交換した際にこちらに引き取られたのであると思うが、、、、うち1本は前後を逆にし通りからは「本町二丁目」と見えないように設置してある。本町二丁目にはこの手の街路灯は見つからなかった。
もう1本は、産文前の沢井食堂前にある(図はありません)。これはいままでのものよりスッキリし溝彫り(モールド?)のないもので、いままでのものを近代的と言えば、これはちょっと前の現代的なデザインと言えるかもしれない。設置当初から蛍光燈だったようで、カバーがまだついている。町名板は外されていたが、これは始めからここにあったのかどうか。。。面白いことに柱の先の飾りが錦町1丁目のものと同じであり、もしかしたら後になって東電が設置したものかもしれない。
沢井さんの奥さんによれば産文ができた頃のものということであった。少し前にはたくさんあったのだろうが、産文が消えて行く中でこの街路灯も道路拡幅により姿を消そうとしている。(※沢井食堂前の街路灯はすでに撤去されてしまいました。)