
ちめいの ゆらい
なぜ 猪倉(いのくら)という名前がついたのでしょう?
- 平将門説(たいらのまさかど せつ)
平将門が藤原秀郷(ふじわらのひでさと)と会食したときのことです。飯粒(めしつぶ)を落とした将門(まさかど)がそのめしつぶをひろって食べたそうです。それを見た秀郷(ひでさと)は、将門が武士の棟梁(とうりょう:親方のこと)なのにそんなことをするとは、がかるがるしく不注意で、落ち着きがない人物だと思いました。そのため平貞盛(たいらのさだもり)と力を合わせて将門をせめほろぼしました。そうしたことから飯食粒村の村の名前にしたという話が残されています。
- 豊臣秀吉説(とよとみひでよし せつ)
豊臣秀吉がこの土地を見て回るときのことです。この土地には猪や狼(おおかみ)がたくさんいて、村人の生活のじゃまをしていました。そこで秀吉が福田氏、加藤氏,神山氏に命令して猪や狼を退治させたいう話が残されています。それほどたくさん猪がいたのでこの村の名前になったと言われています。
さて、みなさんはどっちの説が正しいと思いますか。この2説(平将門説と豊臣秀吉説)は、私がつけた名前です。両者とも歴史上の大人物で、そんな人たちがこの猪倉と関係があったかもしれないなんて聞くとちょっとゾクゾクしますね。


この説は渡辺武雄氏の著書「故里百話 今市の懐旧」に載せられているもを著者の了解をとって小学生向けにやさしく書きなおしたものです。