
いぬづか


左写真:犬塚の全体像です。
右写真:犬塚からでてきた石碑です。
高お神社の近くに地域の人たちが「犬塚」とよぶ小さな塚(つか)があります。この犬塚についてお話しします。

- どこにあるの?
高お神社の近くに小さな塚があります。私も行ったことがないのでくわしくわかりません。だれかくわしく調べて教えてください。
- いつごろできたものなの?
戦国時代と言われています。西暦になおすと1576年(天正4年)のことです。天正と言ってもわかりずらいですよね。日本には元号(平成とか昭和など)があり,それを西暦に直すと,1567年とかになります。この西暦(せいれき)と元号(げんごう)の関係については西暦と元号のページを見てください。
- なんで犬塚という名前なの?
こんな話があります。
戦国時代。この地方でも日光山 宇都宮氏 鹿沼城の壬生氏(みぶし)などいきおいのある氏族(しぞく)が自分の土地を広げようと戦いをくり返していました。
鹿沼城を自分のものにしようとした徳雪斎周長(とくせつさいかねなが)は甥(おい:兄弟のこども)の壬生城主 壬生上総介綱雄(みぶかずさのすけつなお)を鹿沼でころしました。このとき猪倉城の鹿沼右衛門は徳雪斎に味方をして,鹿沼城をのっとって,もっと自分の土地を広げようとしました。
しかし,その年(1576),綱雄のこどもの義雄は,徳雪斎をせめころしてお父さんのかたきをとりました。さらに義雄は,勝利のいきおいで猪倉城をせめました。
城のまわりをかこまれた鹿沼右衛門は田気山(たげさん)の芳賀氏(はがし)にたすけをもとめようとしました。しかし,猪倉城のまわりはてきにかこまれて,お使いのものを出すこともできませんでした。
そこで鹿沼右衛門は自分のかっている犬の首に手紙を結びつけて田気山城に行かせようとしました。ところがその犬は,とちゅうでてきに見つかり,つかまってころされてしまいました。そのため助けの軍もこなかったので,猪倉城はせめ落とされてしまったのです。
たたかいがおわり,この話を聞いた村人たちは勇かんな犬をかわいそうに思い,この場所に小さな塚をつくって手あつく,ともらったのです。
むずかしいことば
- 塚(つか)・・・土がもり上がって小高くなった所。土を小高くもり上げた所。目じるしなどとして造られたこともある。
- 氏族
- 徳雪斎(とくせつさい)
ただしくは壬生徳雪斎周長(みぶとくせつさい?)。 鹿沼の城主だった壬生綱雄の叔父にあたるとされているが,最近の研究では長男が綱雄で三男が徳雪斎だとするものもある。