正月〜TVがつまらないんだよなあ   2012.1.1

2013年の正月はすごく平和な気持ちでむかえた。
真名斗は30日夜、詩織は31日夜にそれぞれ帰桐したが、真名斗はい友人から声がかかって31日の夜から出かけて朝帰りだった。紅白を見てジャニーズカウントダウンを見ていつもの年越し、いつもの年の初めだ。
1日は実業団駅伝、相生のばあちゃんち、お雑煮におせち。
2日は箱根を見て伊勢崎に行って、真名斗と詩織はその足で帰った。
3日からはまた二人で、4日からは仕事。
スポーツ以外はTVがつまらない。嵐かAKBかってな感じ。いつから、新春かくし芸大会、ウルトラ寄席、1日ぶっ通しの時代劇等々ってなくなったんだろう?
子どものころ、冬休みになると映画館では東映マンガ祭りがあって、TVでは怪獣の特撮ものの映画を毎日やっていたなあなんて思い出した。
今年、かわったこと。
▽おせち 一 → ポルト・ボヌール
 ここ何年か一におせちをお願いしていたが、今年はポルト・ボヌール。洋風でちょうど4人前で食べきりという感じでよかった。なにしろ、半額。美味しかった。
▽初詣、おみくじ
 今年はバラバラなところで。
・真名斗(佐野厄除け大師)→ 大吉
・詩織(浅草寺) → 大吉
・裕之(小泉稲荷) → 中吉
・弥生(小泉稲荷) → 吉


     



同窓会反省会+飲み会     2012.1.7


去年11月の同窓会の反省会がルート50であった。
ルート50のマスターにもしばらくぶりであって、やはり元気だった。いつの間にか幹事の一員になっているんだけれど、今年の10月に学年規模の同窓会実施を確認した。
その流れで、飲み会に突入。気の許せる仲間たちだったので6時から12時ころまで話題が尽きなく、楽しくあっという間に時間が過ぎた。しばらくぶりに心から笑えたし、それぞれの人生についても話せたし充実した時間だった。みんなと話していて(それぞれの人生とかを垣間見て)、これでいいのかなあとかちょっと考えてしまうところもあった。それから、長年心に引っかかっていたこともあっさりとクリアできて、あっこんなつまんないことを気にかけていたのかと拍子抜けの感もあった。
文化事業団のSがいたので、そばでスカイホールも仮予約ができてしまい、あっさりと10/6同窓会実施が決定。



      

雪    2012.1.20

寒い、とにかく今年は寒い。
東京、前橋等々では雪が積もったということだったが、桐生では雨交じり。積もらない。
ウチの庭のロウバイは咲いているkれど、少し遅いかな。寒くて庭のビオラやパンジーが育たない・・・というか枯れてる感じ。


羽生のイオンにいったついでに「王様ワンタン」「彩りニラレバ炒め」を富士屋で食べて、
[甘太郎]というなの超安い大判焼きを食べた。白あんがおいしかった。


      


2月  2012.2

2月になったけれど、相変わらず寒い。
節分の日は飲み会で豆まきするのを忘れた。
7日にはちょっといいことがあった、というよりこれからの数年の自分の方向を確認した。
10日は東京出張で夜に真名斗くんと詩織ちゃんと行き会った。真名斗くんはリクルート仕様にちょっぴり変身していた。

11日、同窓会朗読会打ち合わせ
東京から俳優の宮内も来て、みんなでやろうぜと確認し合って俄然力がわいてきた。しばらくぶりでたくさん飲んだ。音楽担当の千明もとても気持ちよく飲んだ様子でしたたかに酔っていた。6時から12時まですごく楽しい時間だった。それにいろいろな話題で盛り上がったし、今だから言えるカミングアウトでも沸いた。本を書かせてくれるということで気安くやるよなんていってしまったけれど、完成までの道のりは長い。目標は4月完成。


横浜、鎌倉   2012.2.18〜19

職場で「Cats」を観に行こうという話が浮上したけれど、状況的に参加不可能になったし、女房も体調がよくなってきて18日に何も予定が入ってない・・・とか言うので急遽「Cats」を観に行くことになった。前の日にネットでチケットをとって(受付で受け取り、クレジット決済だと可能なんだな)、伊勢佐木町のビジネスHを予約した。
▽18日
熊谷から横浜は新宿湘南ラインで約1時間半。お昼は中華街。まず、肉まんを食べて海員閣(あの有名な、相変わらずたくさんの人が並んでいた)の斜め前の店でサービスコースを頼んだ。10年くらい前に比べると中華街も本当に安くなった。呼び込みのお姉ちゃんも多くて昔はなかった光景だ。生中のビールはビールじゃなかったな。でも、コース料理は値段的に言えばそこそこで、特に、塩味のレタスの入ったチャーハンは新鮮で美味しかったが、量が多くてお腹いっぱいになった。
腹ごなしを兼ねて元町のキタムラ3軒(ウチの奥様は職員旅行の時にどっちのバッグを買うか決めあぐね、50%OFFだったといこともあり結局2個とも買ったという逸話の持ち主である。)によって、そこから山下公園〜赤レンガ倉庫にいった。赤レンガ倉庫にいったのは初めてだった。とにかく人が多くて寒くて疲れた。1杯500円のコーヒーは美味しかった。
「Cats」・・・何年ぶりかでみる「Cats」。初めてみたのは27年前だったろうか。そのときの衝撃は忘れない。一応、事前にブロードウエイ版のDVDをみて予習はしておいた。横浜駅の東口を出て歩いて少しの立体交差の狭間、こんなところ何の使い道もないよというような場所に「Cats」シアターがあった。ま、それはおいといて。
しばらくぶりにみた「Cats」の感想は・・・
・スピーカーの位置というか、またはスーピーカーの数が少ないんだろうか音が立体的でない。
・音が薄い。電子処理というかシンセサイザーを多用していて、いわゆるカラオケだからだと思う。
・集団演技がほとんどで、一匹一匹の猫の演技があまりない。演出家がかわったのだろうか。
・グリザベラの登場が少なくカットしてあって、なぜ、ジェリクル・キャッツになるのかという説得力に欠ける。
・マンカストラップの「ナイフで切ってしまえそうな・・・」というあの名台詞にちょっと変なイントネーションがついていて、えっという感じ。
・全体的に歌があまり上手くない。
・シアター自体、全体的に安く効率的に作ってあるのかな。
でも、これらのことがあっても、それらを上回るいいところが一杯で思い入れもたくさんあって感動した。オールドデュトロノミーのあのテーマはほとんど完璧に覚えていて一緒に歌えてしまうし、グロールタイガーとグリドルボーンのかけあいのあの甘い曲もせつなくなるし、グリザベラが「お願い、あたしに触って、あたしを抱いて」と歌うメモリーを聞けば涙が出てきてしまうようだ。前記の感想は「Cats」が好きでたまらないからこそ言ってることなのだ。
と、とにかく、よかったけれど、初めて観たあのときは、四季の劇団自体も命運を賭けて最高のものを観客に提供しようという気構えもあってすばらしかったのかもしれない。
    
感動のあとで(感動をひきずったまま)「焼き鳥とおでんを食べたい」と言う奥さんの要求に応えて、野毛小路に実に30年ぶりくらいに足を踏み入れた。卒業以来であったが、雰囲気等変わらずサラリーマンの街のまんまだった。まずは焼き鳥。焼き鳥専門店「松山」もしかして昔きたことがあるかも。本当に焼き物しか置いていない。1
本170円で2本から焼いてくれる。ハツも手羽ももちろん生中も美味しかったが、残念ながらもう焼くものが終わっちゃたよとのれんも下げてこのお店は終わり。次は歩きながら目をつけておいた、塩もつ煮込みの「もつしげ」。当然、塩もつ煮込み、煮豆腐、だいこん煮を注文。カウンター横の大きな鍋で煮込んでくれる。これがまた美味い。特に煮豆腐は、自分としてはあんなに美味い豆腐はもう初めてと言ってもいい経験で、女房は大根がおいしいと言っておかわりをした。ただの塩を使っているんじゃないんだろうなあ。

伊勢佐木町オデオンは昔のままだったし日活会館もあったし、いいよねえ。


▽19日
新江ノ島水族館か鎌倉へと思っていて、「鎌倉って実は(修学旅行以外で)あまり行ったことがない」と言ってたので、あえてべたなコースを選んで北鎌倉〜鎌倉を歩くことにした。
まずは、しばらくぶりに根岸線に乗って大船に向かった。湾岸の工場群のそばを通っていくこの線が昔から好きだった。特に暗くなりかけて灯りがともり始めた頃が一番すてきなだ。教育実習で鎌倉の付属小に行っていたとき帰りにわざわざこの線に乗って帰ったことが何度もあった。と、感傷的な話じゃなくて。
北鎌倉の駅に降りるともうそこは異次元空間で神奈川県ではなく、鎌倉だった。まずは円覚寺。山寺という雰囲気が強く落ち着いたお寺だ。質実剛健といった雰囲気で優美さはない。前の日に比べるととても温かく、が、途中雪が落ちてきてなかなかいい雰囲気だった。円覚寺は、修学旅行の自由行動の出発点か到着点かであまりゆっくりみたこともなかったが、一番奥の黄梅院までいった。続いて建長寺へ。こここそ奥までいったことはなくて、今回初めて最も奥の半僧坊まで行って階段を登った。
そうそう、
方丈には宝冠釈迦如来坐像と仏陀の苦行断食像が安置されていたが、それを見ていたカップルの会話。
男「この貧弱なのはブッダなんだって。」
女「なんでこんなにやせてるの?」
(男が説明を読んで)「ダンショクなんだって。」
女「ふ〜ん」

         
ブッダがダンショク=男色、ゲイまたはホモだったなんて初めて聞いたゾ(でも、わからなくもない)と思っていたら
ダンショク=断食→ダンジキ だったんだね。う〜ん、かなり受けた。個人的に。
さらに、もう一つ。
我々の世代は鎌倉っていうと、グレープの「きょう、鎌倉に行って来ました」縁切り寺という歌を思い出すが、女房がその歌をなにげなく口ずさんだのがよく聞き取れなくて「きょうキャバクラに行って来ました」に聞こえて、これも受けた。
それから、鶴岡八幡宮に駐車場の脇から入って石段を下りていった。(段葛から行かないとありがたさが半減する感じ)折れた大銀杏を初めて見た。これで、本日御朱印を3つゲット。建長寺で意外に時間をくってしまい、小町通りの新しくできた露西亜亭裏(ピロシキを買うのに結構並んでいた)のうどんやさんですごく遅いお昼。大好きなお香屋さん・香司鬼頭天薫堂でお目当てのお香、匂袋を買って、前から欲しかった帽子も手に入れて
試食を食べ歩いてそれでもう16時過ぎ。江ノ電にも乗ろうと思ってたのでちょっと残念感はあったが、マックの100円コーヒーで一息ついて(昨日の赤レンガで飲んだ500円のコーヒーとは明らかに味が違う)大船から新宿湘南ラインの特別快速に乗って帰った。大船から熊谷までちゃんと座れて約1時間45分。けっこう早くて楽ちん。




風邪?インフルエンザ?  2012.2.21〜

学校でインフルエンザが流行して毎日学級閉鎖の通知を作っている。と、実は自分でも体調最悪。火曜日は2回も山田医院に行ってしまって結局点滴をしてもらった。しばらくぶりに熱が出てどうしようもなかったが、大事な会議があったり、前述の学級閉鎖の通知があったりで、時間休をもらっただけで、3日くらいでまあまあ普通に戻ったろうか。山田医院の婦長さんには「調べればインフルエンザだよ。そうすればリレンザが使えるのに」と言われていた。ロキソニンがよく効いた。インフルにしては軽くすんだのは予防接種のおかげだと思う。あ、そうそう、女房も調子悪くて二人で仲良く?寝てた。

    
雪  2012.2.29

しばらくぶりに本格的な雪。朝からずっと雪かきをしていた。でも、雪自体は水を多く含んでいる春の雪で、凍ってしまう感は全くなかった。子どもたちはとても楽しそうで、6年生は放課後も雪だるまを作ったり雪合戦をしたりとホントに無邪気に遊んでいた。かなり大きな雪だるまも作れた。
季節は確実に進んでいて雪が溶けた後の庭にはちゃんと
花が咲いていた。(ただし、今年は遅い。スノードロップは2月下旬にやっと咲き始めた)

ミニ同窓会   2012.3.2

 また、ミニ同窓会。
幼なじみの藤田君が母親の三回忌のために帰桐。なかなかお会いできない同窓生と会うことができて(11月の同窓会にこられない人たちが多かった。)この日も楽しい充実した時間を過ごすことができた。11名が出席。みんな元気そうだった。それなりに。
人数的にも全員と話ができお互いの顔も見られ、保育園の話やそのときの担任の先生の話題も出て時間があっという間に過ぎた。
「(お母さんが亡くなられて、実家もなくなって)桐生にもうなんにもなくなってしまった」と言ってたので、
「そんなことはないよ、みんないるじゃないか。こうやってあつまるじゃない。」
と話した。


3.11

 この日は特別な日だ。昨年、震災もあったけど自分にとっても憂鬱なできごとの始まりだったと思う。でも、時間と金がきちんと解決してくれる。人生にとって5本の指にも入るようなできごとは解決できた。震災の傷跡はまだまだ深いが。
奥さんの誕生日でもあるこの日、町田の真名斗くんのところに行った。すると、「母の誕生日と思ってレストランを予約しといた。」と、なかなかアジなことをする。20数年ぶりにレッドロブスター(町田の、ね)に行った。彼の成長を感じた日だった。


東武動物公園 2012.3.17

(ただの入場券をもらったし、使用期限も迫っていたので)東武動物公園に行った。10数年ぶりだろうか。この日、公園内でコスプレイベントが開催されていた。コスプレといってもマスク系でコスプレしている人たちの顔は見えない。セーラームーン系のコスプレも多く、まだ人気があるのかなあと改めて思った。
動物園自体はあいかわらずウキウキ楽しい感じで、動物とふれあうコーナーをだいぶ充実させた様子。ただ、動物が死んでしまったらしく空の調整中という檻もけっこうあって、もしかして老衰とかで動物が死んでしまってそのあと補充できないでいるのかもしれないねと話していた。そういえば、我々も歳を重ねた。ゆっくり遊園地の一番端まで歩いた。個人的にはカバいいよね。(カバのいる動物園はあまりない)




朗読会・国際会議室下見その他  2014.4.1

 きょうから新年度。
また、忙しい日々が始まる、に違いない。と、この忙しい中、朗読会の打ち合わせ・国際会議室の下見をした。
パフォーマーにはいろいろなこだわりや考えがあるんだなあと改めて思って、そのこだわりを皆に伝えなければいけないし、
それに答えられるような台本も仕上げなければと思った。
午後は辰之叔父のコンサートに行った。


花見@  2012.4.8

今年は二人とも異動がなかった。
比較的春休みはゆっくりできるかと思っていたが、とんでもハップン。9日が新任式・始業式・入学式なので様々なことがちょっとたいへん。4月〜5月は一番忙しい訳だが、「もう何年も同じことやってるんだからよく分かってるでしょ」なんて奥さんに言われ、やはり4月は花見の季節です。といっても桜がまだ咲かない。咲いているところはとネットで探したら、県内では高崎・慈眼寺のしだれ桜のみがヒット。早々にでかけた。その日はちょうど花祭りだった。「境内に彼岸桜系統のしだれ桜が約50本。内樹齢250年を越える少将桜は、亨保の頃に、前橋城主酒井阿波守が愛でた桜で、今も花をつけている。」その日の読売新聞県内版に満開とでただけあって、後から後から人が来て周辺道路は渋滞。温かくていい日で、本当に満開だった。
高崎に来たからにはパスタを食べて帰ろうと「グラッチェ」に寄って帰った。笠懸のカタクリもやっと満開。
(このチョー忙しい時期に朗読会の台本を書いてる。毎日寝不足。)

     

花見A  2012.4.15

.やっと・・・ほんとにやっと桜が咲いた。いつもの運動公園に行った。おにぎりと焼き蕎麦を持って。
桜は花びらがはらはらとちっていく頃がいい。昨日、同窓会幹事会があって、旧西中の写真を撮りにいこうかなんて話が出たけれど、女房に言ったら、「それこそ、克次さんが出てくるよ」なんて言われたので遠慮しとくと話しておいた。朗読会台本はなんとか第
一稿は仕上げたが、これからだ。毎日毎日寝不足。仕事もものすごく忙しいときなのに。ある意味充実いてるってことかも。
そう、運動公園は満開でちょうどよかった。少し涼しめだったけど。そのあと、吾妻公園のチューリップを見に行った。何度も書くけど、すごく忙しいのに。しばらくぶりの吾妻公園は懐かしく自然に触れたという感じがした。(西小・西中区域で写生大会とかでよく行ったんだ)
          


新潟  2012.4.21〜22

疲れた身体、寝不足解消のため、そうだ、温泉に行こうと思い、安くて貸し切り風呂のあるところで、食べ物が美味しくて太平洋側じゃないところと検索していったら、瀬波温泉にたどり着いた。じゃらんポイントも使えてホントに安いんだ。きっとGWは混み混みだから空いているときに、ということもあるしね。この2日間はPCには絶対触らないし、朗読会台本のファイルも開かないという決心をして出かけた。女房は前の日までどこに行くかも分からず、当日はお金も持たずに気軽に出かけた。いつものようにね。

▽21日
温かくて気持ちのいい晴れの日。こんな日は海・・・ということで、笹川流れに行った。
道は空き空き。トンネルを越えると雪国で燕、三条あたりまで雪が残っていた。桜は当然のごとく咲いていない。新潟は本当に田舎だ。信じられないくらい何もない。コンビニもない。昔、長岡ICで降りて月岡や五泉市によって瀬波に行ったことがあったが、そのときはものすごく時間がかかった気がする。今回はたった3時間半。お昼を笹川流れの民宿・割烹「千登利」でいただく。道の駅「夕日会館」の前。345号線沿いにはあまり店もない。ガイドブックに載っていた店だ 。定番の刺身定食、牡蠣定食はすっごい美味しい!というレベルではなかったものの、朝採れた蟹を1ぱいつけてくれて、元来かに味噌はあまり好きではないんだが、新鮮だとまったく臭くなくてホントは(蟹の身と食べると)すごく美味しいモノなのだということを実感した。群馬県ではあれだけ新鮮なモノは食べられない。
       
続いて、笹川流れへ。昔行けなかったところだ。海岸沿いの道路はあまり車も通っていなくて気持ちがいい。だけど、何にもない。コンビニなんて皆無だ。
せっかく来たから遊覧船に乗った。奇岩の説明がテープで流れるが、震災等で岩が落ちてしまったところも多い。途中の海猫ポイントではものすごい数の海猫が船をめがけて飛んできて面白かった。とにかくすごい数。それにすぐそばまでやってくる。それだけで遊覧船に乗った価値があると思った。
瀬波温泉に来たのは2度目だ。その時は詩織が一人で「踊り喰いが美味しい」と言っていてそれが印象的だった。今回は湯元に近い宿で昔からの老舗で貸し切り露天、貸し切り家族風呂が只というところに引かれてきた。(もう少し付け加えると、安い、料理が美味しい、じゃらんポイントが3000点使える点も) 最近はシティHに泊まるばかりだったので、しばらくぶりの温泉、旅館で少しゆっくりできるかと思った。2日間はメールも見ない、PCも開かないでゆっくり使用と思った。
「椿の宿・吉田や」さんは本当に昔からの宿屋さんという様子で建物等古い。風呂もあまり大きくない。仲居のお姉さんもちょっと昔のお姉さんで、いい人で話し好きな様子を醸し出しているんだけれど、申し訳ないけどしゃべりすぎ。部屋は8人くらい泊まれる大きな部屋だった。さっそく、貸し切り露天風呂。温泉と言っても群馬の温泉と違ってそんなに硫黄分が強くない優しいお湯だ。そのあと、宿のすぐ裏にある湯元と海岸に夕焼けを見に出た。瀬波の町はあまり元気がない。シャッターを下ろしている店や空き家も多い。夕日だけでは人は呼べないんだよなあ。残念ながら、夕日が沈む前に雲が出てしまい、前に伊豆に行ったときとほとんど同じで海に沈む夕日は見られなかった。海岸にいる人も少なかった。でも、映像を処理すると下の写真のようになる。日が陰ると寒いくらいだった。宿の夕飯は部屋出しでとても美味しかった。部屋だしで旅館の料理を食べるなんてしばらくぶり。もっとも、瀬波では旅館から一歩出ると行くところがない。すごい薄味でとても上品な味付けだった。特筆すべきものは、鯛の唐揚げ、塩引き鮭の醤油漬け。これは本当に美味しかった。米も美味しかった。布団を敷きにきてくれた番頭さん?はすっごいおじいさんでだいじょうぶかなとこちらが心配になるくらい。風呂に入り直してビールも飲んですぐに寝た。よく眠れた。
       
▽22日
 3
のつく日に「六斎市」という市が立つが22日だったので残念と思っていたが、前倒しでこの日にたった。ラッキー。風が強い。一言でいうと田舎の「わらぐつのなかの神様」のおみつさんがいそうな超レトロな市だ。売っているものも売り手も。じいさんばあさんが家で作ったモノを売っている。野菜とかもおどろくほど安い。魚類も売っている。結局、野菜とイワシのぬか漬けを買った。(後日、家で焼いて食べたが、どうしてこれほどしょっぱくするんだ、これだけで高血圧になっちまう・・・というくらいありえないほどしょっぱかった)不思議だったのはなぜか市に来てる人がたくさんいたこと。隣の通りで骨董市をやっていたせいもあるんだろうか。
村上の町は町屋のひな祭り等町おこしが有名だったので前から来てみたかったところだった。いたるところに塩引き鮭が干してあってなかなかいい雰囲気だった。有名な「鮭」ののれんのお店でしっかり写真を写した。お昼にはどうしても「村上牛」「はらこ丼」を食べたいので、しゃべってコンシェルを使って調べたら、すき家と吉野やが最初に出てきた。ちょっとガッカリ。結局食べログ。でも、見つけて美味しく食べられた。                                              
          


朗読会第1回練習会  2012.4.29

 市文で1回目の練習をした。自分が書いた作品を目の前で読んでもらうという初体験。それもプロに。ワクワクドキドキだったが、すごくうれしい体験だった。宮内の読み方はさすがに巧い。教員も読むことが仕事の一つだが「俺が朗読するときは100回読もうと心がけている」「新幹線で時間を作って読む練習をした」というその話を聞いて見習わなければいけないところが多々あると思った。また、遊びのような気持ちでなく本気でやる気なんだというみんなの心意気も伝わってきた。音楽を入れたりして、これからまた修正や練習も必要だが楽しくなってきた。夜は飲み会。充実した日々だ。朗読するということと文章を読むというのはまったく違う作業で、行間から想像させるということをけっこう意識していたが、朗読はもっとわかりやすく単純でなければいけないんだと思った。



連休  2012.5 

 せっかくなので渋谷〜ヒカリエ、町田、新大久保にいった。もちろん、子どもたちの様子を見に行くためである。
二人ともまあまあ 元気そうだった。ヒカリエはちっと混みすぎ。いろんなものが高すぎ。町田は活気に溢れたマチダ。若い子ばっかり。安い飲み屋は満席で、若い子のみ。オジサンおばさんがいない。安い飲み屋ってこともあるけれどね。新大久保の混み方もハンパじゃなかった。人が溢れているという様子。あれだけ人が多いともういいやって感じ。お昼は新大久保。(学生の時、新大久保の進学塾にアルバイトに来たことがあった。あのころの新大久保の夜は南米系、アジア系の外国人が、いわゆる「たちんぼ」をやっていてラブホテルとアパートが林立してすごく嫌な雰囲気で、昼間の路地裏はゴミだらけでまっとうに歩けなかった。昼間に人はあまりいなかった)あ、ランチは美味しかった。ついでに、グローブ座にも行ってみた。
    


天候、変だよね    2012. 5

    

5月になってすぐに、けっこうこの季節には珍しく大雨になった。渡良瀬川がいっぱいになって、水面から水蒸気が上がって幻想的な雰囲気になっていた。中州が完全になくなっていた。(といっても土砂降りの時は家の中だったのでよく知らない)
つくば市を竜巻が襲ってから何日後、竜巻注意報の出た日、桐生で夕立・雹があった。外にあったなす苗を家の中に入れるとき、ついでに雹の写真を撮っておいた。

金環日食  5.21

 「このあと、生きてるうちに見られないかもしれない」ということで特別興味もなかったけれど、マスコミや周りの先生方にのせられて?結局、朝に、少し早めに学校に行ってたくさんの先生方と一緒に見た。天気を心配することもなく,子どもたちの指導もなく。(本校の児童は30分遅れの登校..。学校区の中学にあわせた) ピンホールをやってみたり、藤棚の下をみたり、カメラを回してみたり、みんなで楽しく自由にワイワイいいながら見た。
実際見てみるとすごいことだと思ってちょっと感動。数年前の皆既日食は曇っていたし、ちょうどその時間、体調悪くて点滴をしていた。そうそう、今回はマスコミが「目を悪くしないように」なんて騒いでいたので太陽観察用の遮光板がメッチャ売れたと言うことだ。一番高かったのはセブンのものだったらしい。1700円
      

菱小職員室でウワサの伊勢崎B級グルメ・ジンジャコロッケを食べた。お好み焼きをフライにしてドップリとソースに浸した感じ。あくまでもB級。
ジョニー・デップ×ティム・バートン「ダーク・シャドゥ」を初日に見に行った。期待大だったけど、こっちもB級だった。Yahooの映画レビューでも2.80でみんながっかりなんだね。


バラ園    2012 5

 別にバラの花が好きというわけではない。敷島のあたりは昔教育センターがあって週に1度通って楽しい思いをしていた記憶があるので、何年ぶりかでいってみるかと、ま、満開のバラ園に行ったわけだけれど、駐車場もいっぱい。繰り返しになるが、個人的にマリリンヘップバーン、グレース等々の名前のついた大柄の花はそんなに魅力的とは思えない。それにやけに人工的だし。
ただ、昔毎週お昼を食べた比座屋がなくなっていて残念。
お昼に前回食べられなかったロングサンドホテル1Fのレストランに行ったがまた臨時休業で川原町の「風の穂 麦の香」に
寄った。いかにも女性好み。

   

湯ノ丸高原・池の平湿原(長野)  2012.6.3

車がやっと治ってきたので(群銀の駐車場で自爆!なんと修理費は37万円)高速に乗ってどこかへ 、の、どこかが湯ノ丸高原・池ノ平湿原となった.
春の植物がみたい、美味しい 蕎麦が食べたい、上田城もみたいと思ったから。高速には2時間弱乗って、気持ちよく車も運転できた。
位置的には浅間山をはさんで軽井沢の反対くらいで、前に行った上山田温泉のすぐそば。チーズ工場によってから湯ノ丸高原へ。
雷電くるみの里によってから「リストランテ・フォルマッジオ」のチーズ工場によってから湯ノ丸高原へ。と、いってもシーズンオフでホテルも休止中で人が閑散としている。ま、こんなもんだよ、だけど、腹減ったと、池の平湿原へ。ここも人があまりいなくて、広くて気持ちが良い。ショウジョウバカマやスミレ等春先のの花は小さくて可憐でカワイイ。だけど、腹減った。ようやくたどり着いたのは「蕎麦の茶屋・丸山」。黒ごま蕎麦とおしぼり蕎麦を頼んだが(お腹も空いていて寒かったということもあるが)美味しい蕎麦のBEST5にはいるような絶品蕎麦で、そば湯も濃くてものすごく美味しかった。本当においしかったのである。辛みの大根の汁に味噌やたれ等をすこしづつ加えていくと味は微妙に変化していって最後は始めのモノとは全く異なる。店主のいかにもこだわりをもってそうなおじさんも「薬味をすこしづつ加えていって変化を楽しんでもらいたい」といっていた。とにかく絶品。
帰りに真田の上田城と軽井沢のアウトレットに寄ったけど、軽井沢のアウトレットは7時に閉まってしまい、ちょっと拍子抜け。
  


稽古  2012.6.10

 「稽古」というちょっと古めかしい言葉を使ったけれど、けっこうピッタリと来て新古品みたいな感じで使っている。朗読会の最終読み合わせだった。原稿の最終稿を検討してから飲み会。2時過ぎまで。結構疲れが残る。楽しいけどね。


浅草〜ソラマチ  2012 6 17

 
 詩織の部屋に寄ってから、浅草・花屋敷〜ソラマチに行った。
お目当て
@花屋敷
 
一応タダ券をもらったので。数十年前の浅草はもうどうしようもないくらいガラガラで人がいなくてすごく雰囲気が悪かったけど、人が溢れるようで浅草寺は並んでお参りするよう。六区のあたりもたくさんの人でなんか健全になっているではないか。たくさんのパーフォーマーがいてすごく楽しい雰囲気だ。花屋敷はもう何十年も行ってなかった。あんな狭いところよく作ったよなあというのが第一印象だったがそれは今も変わらない。残念だったのはジェットコスターが休止だったこと。お化け屋敷にもいってみた。ちょうど、秋田の竿燈が出張して演技をしていてそれを高いところからみられたり、スカイツリーと浅草寺の五重塔が写真の同じフレームの中に納められたりして楽しかった。
   

Aヨシカミのハヤシライス
0分ならんで食べた。1200円。特別美味しいとは思えない。でも、美味しoいと思えば美味しい。ネームバリューは大切。北千住のニューあわやとか瀬戸市で行った元祖味噌カツの店とかとあまり変わりないよな。

Bソラマチ
混んでるのは承知の上だったが、浅草〜ツリー駅は大混雑。駅からソラマチにも列ができている。ソラマチ自体はあまり大きくはなく、お土産屋さんのみが混んでいた。美味しそうなモノはあまりない。食べ物はみな高い。でも、スカイツリーを見上げるとすごい迫力。フローズンビールを初めて試した。泡がいい具合に凍っていて暑い日だったので生き返った思いがした。一杯650円
        




内定祝い 2012.6.23
 

真名斗くんの内定が決まったので、詩織も合わせて家に帰ってきて焼き肉を食べてから、詩織がもてきてくれたシャンパンを空けた。 



冷製パスタを食べたい」

桐生のどこで美味しいのが食べられるか・・・今は「バルボン」でしょう、と、何回目かのバルボン。メニューにはないので特注。
「何か苦手な物とかありますか、または入れて欲しい物とかありますか?」と聞かれ特別ないと答え待つこと約13分。ものすごくシンプルな味付け。ニンニクがすごく効いていてあとはトマトのみ、冷製ぺぺロンチーノという感じ。これだよ。バッチリ。求めていた味だった。レシートをみてビックリ。1200円。ま、特注だからしかたないけど、ちょっと高い。






・・・  2012.7

 続けて、一緒の職場で働いたことのある人の告別式があった。二人とも心筋梗塞だという。
一週間のうちに二人もだ。一人はTさんとしよう。Tさんは飲み会等でも全く酒を飲まない人なのに(体育会系で身体も大きくて飲まない感じには見えない)その人が最近飲み会等で真っ赤になっている様子をたということを聞いたりしてたので無理してたのかなあ。
 そのTさんの通夜でしばらくぶりにYさんと行き会った。Yさんとは一緒に生徒を探しに行ったり、生徒を保護するのにこの道に追い詰めれば行き止まりだからとか作戦を立てたりした。そのYさんがポンと肩を叩いてくれて「お久しぶりです」と声をかけてくれた。「元気?」と返したけれど、彼との会話はそれでもう永久にできなくなってしまった。
Yさんの通夜の次の日。やはり、Yさんと一緒に働いていたSさんが「Yさんは学校に戻って子どもを教えたかったでしょうねえ。1時間目に教室行って子どもの前に立ったら、Yさんのことを思って、そんなことを思ってしまいました。」としみじみというので思わずほろって来てしまった。子どももまだ小さいし、様々な思いがこの世に残っていて、それこそ魂はまだそこら辺をさまよっているかもしれない。    合掌






町田〜池袋 2012.7.14

 真名斗くんから突然「部屋の鍵をなくした」というTEL。
仕方ないから鍵を置きに行った。部屋に行って鍵を渡しただけで、帰ってきたけどそれだけではもったいないし、たまたまオリエント博物館、サンシャイン水族館の無料券があったのでいってみた。サンシャイン水族館は昔迷子になってたいへんだった覚えがある。その時以来だ。
感じたのは、餌付けの水槽が大きくなった。チンアナゴがほかの魚たちと一緒の水槽になった。ウツボが元気だった。マンボウの水槽が少し小さくなった気がした・・・ここんところ大洗や福島の大きな水族館をみてきたのでこじんまりしている感じがした。薄暗くなると周りはカップルばかりだった。(コアリクイがいて女房が喜んでいた)
   


赤城 2012.7.22


 この時期は覚満淵のニッコウキスゲ。と、桑風庵とトウモロコシつきでしばらくぶりに赤城へ。覚満淵のビジターセンターの売店は閉鎖していてちょっと寂しい気がした。覚満淵を歩き始めるとすぐにモウセンゴケが見つかったというより少し増えたんじゃないかと思うくらいたくさんあった。ニッコウキスゲはもうちょっと遅いくらいで残念だったがちらほらと咲いていた。というより、シダ類が大きくなって(ニッコウキスゲの丈よりも大きくなってしまっていた)草の中に花が埋まっているという様子だった。山側の乾き始めていた沼の端の方もシダ類が繁茂していて水があるのか乾いているのか分からなくなっていた。大沼周辺はさらに店が衰退している様子で痛々しい感じさえした。でも、キャンプ場にはテントがなん張りもあって、キャンピングカーも止まっていた。
    


那須・エノテカワイナリー  2012.7.28

「那須のワイナリーでバーベキューやるから帰り家に寄ろうかなあ。」なんて言ってたから、「じゃあ、那須に迎えに行く。」ということでとりあえず、15時くらいに終わるから待ってる間にバイキングでも・・・とサンバレー那須に向かった。桐生から約2時間。事故渋滞の表示が出ていたので覚悟はしていたけど、ほとんどなく、すぐに着いた。サンバレー那須もそんなにすごい混み方じゃないし、那須の町中もスイスイ。当然ランチバイキング会場にもスッと入れた。「すごい美味しい」という感じではない。そこそこ。ピザやパスタ、ご飯、うどんまであるが、中華バイキングの美味しさに慣れてしまっているからね。。ケーキは約10種類。一応全部食べてみたが、チョコレートケーキが苦めのチョコを使っていて美味しかった。
エノテカのワイナリーは昔レモン牛乳を買った道の駅のそばだったけれど、結構大きくて、詩織を迎えに行ったら本社の偉い人が並んで出てきてこっちが恐縮してしまうくらいだった。夜は桐生に戻って「ラピニエール・ユキ」でカクテルを飲んだ。
(オリジナルのビートルズカクテルとオリンピック)写真手前が「イマジン



      




5年ぶり   2012.8

 5年前、中学校に勤務していたときに保健室登校だったAくんとBさんからしばらくぶりにメールをもらった。
「しばらくぶりにランチしてくれませんか・・・」と。
そのころ、いろいろあって、どうしても一緒に顔を合わせてお昼を食べるのが嫌な人がいて、彼らと一緒にランチすることも多く、かえってこっちが助けられていたということもあった。前々から休みになったらご飯を一緒に食べようと言っていてようやく実現しかかったけれど、
A君に用事があって、二人じゃ・・・といってたけれど、Bさんが「どうしても報告したことがある」というのでBさんとランチした。彼氏ができたよっていう話かなと思っていたんだが・・・。5年ぶりのBさんは何か違和感があって20歳にしては落ち着きがあるし、でも、根本的に変わってないし。なにかしゃべりずらそうだったけど、
「あたし、実はママになったんだ。そのことを先生に報告したかった。」と言うと堰を切ったように話し始めた。
9ヶ月の子どもがいる。シングルマザーなんだ。働かないと。彼とは別れた。でも、子どもはかわいんだ。成人式にでなかったっていうのは子どもがいたから。お母さんはそれはビックリしてた。学校やめちゃったのは妊娠して面倒になっちゃったから。Aくんにこのまえ行き会って子どもみせたよ。母乳で育ててる。おっぱいたくさん飲んでくれる等々
彼女の今までの表情や落ち着き、断片的なメールの近況報告等が全て結びついた。彼女のいままでの(産むまでの)苦労とこれからの(一人で子どもを育てていく上での)苦労を想像して何とも言えない気持ちになった。けど、苦労のみじんも見せずに明るく「これから子どもと生きていく」と高らかに宣言してくれてすごくホッとして、そしてお母さんの顔を見せてくれた。
彼女が明るい顔をしてあっけらかんとして根拠のないすてきな未来について話してくれても不安はぬぐい去れなかった。(教員として同じ世代の子を持つ親として)でも、赤ちゃんを抱っこしたときの彼女は20歳の小娘の顔ではなく、しっかりとした母の顔だった。


 参考 もう一つの卒業式

 中学校でも小学校でも入学式を終え新年度が始まっていますが、少し時間を戻して卒業式の話です。
一般的に卒業式は午前中実施されますが、午後に2回目の卒業式を行った学校もたくさんありました。不登校傾向を持っていたり、たまたま当日怪我や病気で入院していたりして卒業式に出席できなかった児童・生徒のための卒業式でした。
校長室で、校長先生をはじめとした関係の職員と該当の生徒・保護者等が出席し実施されました。校長先生から卒業証書を受け取り、担任等から卒業にあたっての言葉をもらうというささやかな式でした。
保健室登校のA君は,集団のなかに入っていくことがなかなかできずに2年の後半から不登校傾向を示し、三年生になってやっと保健室だったら登校できるようになりました。卒業式も級友の中に入っていけず、2階のギャラリーから見守り、でも、一緒に校歌を歌い、礼をしていました。
二回目のの卒業式が終えてから担任が
「もう誰もいないから教室に行ってみるかい。」
と声を懸けると、彼は,三年になって初めて自分のクラスに行くことがでました。
「ここがA君の席だよ。」
と言われ、初めて自分の席に座って、
「これで全員揃った。全員無事卒業できる。」
と担任が思わずつぶやきました。
一年間彼を待っていた机と椅子がその主を得た瞬間でした。たった一度だったけれど。
A君もA君のお母さんもそこにいた全ての関係者が涙しました。

こうしたもう一つの卒業式があることもぜひたくさんの方々に知っていただきたいと思います


ここのところ、ちょっといろいろなことがあった。ばあちゃんの入院から始まって・・・エトセトラ・・・
久しぶりで行き会った人上記のBさんを含め何名か。たまたま同じくらいの人なんだけれど、歳の取り方というかそれぞれの人の心の持ち方によって歳をとる度合いというか違うんだなあと感じた。


食関係3題    2012.8

@太田「川畑」→先付けのトウモロコシ豆腐、絶品・・・これでもうやられたというかんじ。
Aスモークチキンをいただいたので今夜はちょっと気取って・
Bいただいたマカロンなんだけれど、ピエールエルメなんかメジャない。凄く美味しい。

      
            @                               A                            B 



こっちは40年ぶり  2012.813


朗読会の練習も佳境に入り、我々の恩師であるN先生をお迎えして指導をしていただいた。先生は相変わらずN先生で、我々が大好きだった中学生のころのままで、宮内も千明も上がりっぱなしで見ている方としてはすっごく面白かった(ごめん。本当にいつもと言葉遣いも違って言葉も上ずっていた)的確な指導で有意義な時間を持つことができた。教員としても(N先生の立場もよく分かるので)、40年前の教え子に「指導して下さい」なんて言われるのも教
師冥利に尽きることだと思って1日良い気持ちだった。


琵琶湖1周 2012.8.18〜21

「今年の夏は山陰に行く」と決めてガイドブックを買ったり旅行社のパンフを集めてどうにか良いプランはないかと探していたが、どれもしっくりこなくてそれも結構高いんでどうしようかと思っていた。突如浮上したのが「琵琶湖一周&比叡山延暦寺でプチ修行体験」案。で、早々延暦寺に1週間前に連絡して空いているか問い合わせたところOK。いつも以上に寺廻りが多くなることといつものように美味し物をみつけにいざ出発。(心配なのは植物が枯れないかということ)

▽8.18 桐生→彦根
予想は桐生から6時間弱。名古屋に少し気を持ったくらいの時間である。渋滞もまったくなく彦根着。到着と同時に豪雨。
・「近江ちゃんぽん」
豪雨の中「近江ちゃんぽん」の店を探す。約20分待ち。地元の人も待っているってことは美味しいに違いないと思っていたとおり、  
「近江ちゃんぽん」「豚そば」「唐揚げ」→一言でいうと美味しい。もし、この店が群馬にあったらお気に入りの店で何ヶ月に1回かは行きたくなるだろう。ただ、意外にお量が多く値段的には少し高め。若者同士、家族、カップル、オジサン1人・・・様々な層の人たちが来ているのはやはり、美味しいからと思う。麺自体も美味しいし、スープとうまく絡んでいて絶妙。スープを飲み干してしまいたいくらい。個人的には「豚そば」の方がすきな味。もっとも「近江ちゃんぽん」には女房が酢をいれすぎていた。
       
・天寧寺

500羅漢像が予想外にすごかった。一体一体の顔、造り、ポーズ等々まったくちがう羅漢さんが整然と安置していらっしゃるのである。
・彦根城
周辺がすごく整備されていて広いお城だ。「ひこにゃん」がいるものと思っていたがあるのは売店のぬいぐるみのみで(でも結構子ども連れは買っていて)現存する昔からの14のお城のうちの1つで、それなりのしっかりしたお城だった。お城はUpDownが大きくて広くて見るのが大変なんだよねえ。天守閣からは琵琶湖が一望できて殿様はこれを見て優越感を持ち、さらに、広くて品のある庭の池のほとりにすてきな茶室もあったが、ここでも茶をたてて満足してたのかなと思った。関東で井伊直弼はどちらかというと適役みたいなかんじがあるけれど(桜田門外の変をおこしたのは水戸藩の武士だったし)彦根ではすごく大事なお殿様の扱いで、切った方が悪いみたいだったので、地域の違いを感じた。
・彦根の街
夜は静かな街だ。全然元気がない。駅前にポツポツと飲み屋があるだけ。ホテルも施設が古くエアコンの効きが悪い。
「居酒屋・彦一」
「焼き枝豆」「鱧のからあげ」「シシトウ」「近江牛のチャンジャ」等焼き枝豆は初めての味。枝豆をさやつきのまま油で炒め醤油を少し落としただけ、でも、意外に美味しい。ビールが美味しい。
「鉄板焼き まさ味」
とんぺい焼き お好み焼き お好み焼きは関西風。野菜その他を全てジュウサーで砕キャベツ等々がはいってるかんじが全くなく厚いけれどひじょうにふんわりとしていて美味しい。焼き方も上手なんだろうなあ。

   
▽8.19  彦根〜近江八幡〜延暦寺
・近江八幡
彦根にはあまり興味はなく、キャッスルロードも作った街感アリアリだったので近江八幡へ。予想通り 近江八幡市はとてもすてきな街だった。重伝建の指定は日本で何番目かの街で街全体で街の保存にがんばっている様子だった。要するに観光用に作ったのではなく、みんなで街を守ってきたんだという感じね。
・まずは日牟禮八幡宮に車を置き、
たねや日牟禮店で「つぶら餅」一見たこ焼きだけど、中は粒あん。小粒ながらも、もっちりしていて独特な食感。美味しい!餡もほっこりしている。店頭での、焼き立て作り立てを販売で温かいつぶら餅だった。
クラブハリエ日牟禮館でおいしいと言われているバームクーヘンを買った。
近江八幡市は人口8万ちょっとだが、市民の意識がしっかりしている。旅行者に対してもやさしく迎え入れてくれる感じで、なによりも驚いたのはチャリで街を走っている部活帰りの中学生が我々旅行者にも「こんにちわ」と自然に声をかけてくれることだ。ほんとにビックリ。さらにこの街には「メンソレータム」のかつての日本代理店・近江兄弟社がある。(かつて近江兄弟社はアメリカ「メンソレータム」の販売の日本の総代理店だったが、販売権料でもめ、今は確かロート製薬が「メンソレータム」の 販売権を取得し、近江兄弟社は「メンターム」というのを独自開発して売っている)
          
・八丁堀 
映画の1シーンのような落ち着いた街。気温は高いけれど、水のそばだとあまり暑くは感じない。ふつうの日なのに結構人がいる。とにかく良い感じ。前述したように作ったのではなく、みんなで守ってきた街だ。歩いてもいい感じ、というか歩いているだけで楽しい。そんな街だ。
・近江牛
せっかくだから食べてみないと・・・大津市の老舗中の老舗「近江牛かね吉」で鉄板焼きをオーダー。ホントに昔からの店で広い格式のある建物は個室に仕切られていて(それも2人で10畳くらい)部屋からは中庭が見えるようになっている。着物を着た仲居さん。これだけでも高いというのはわかる。一人に10切れくらいだったから1切れ200円くらいか。前の日の夜、居酒屋で隣の若いカップルが近江牛の陶板焼きを注文しててソレが
4切れくらいで1800円だったなあとか思いながら外を見ると豪雨。凄い降り。ポン酢醤油のたれが出ていたがポン酢だと肉そのものの味が薄まってしまうので塩・コショウで焼いてみたがそっちの方がやさしい近江牛の味を堪能できたような気がする。といっても、仲居さんは「ウチはしゃぶしゃぶが売りなんです」と言い続けていた。
           


・比叡山延暦寺根本中堂
高校生以来35年ぶりの根本中堂である。その前に、比叡山ドライブウエイを登っていく途中(大津で雨が降っていたおかげで)虹をみることができた。きれいな半円の虹だった。日曜の午後ということもあったんだろうが、根本中堂はなんもわからないガキ等が溢れていた。ありがたさも半減。ところが、開門?は5時までで、京都行きの最終バスがでてしまうと境内は静みかえる。延暦寺会館は根本中堂のすぐそばにあって従業員一人一人の接客態度もしっかりしていてこんなに気持ちの良い宿泊施設はかつてなかったくらい。2人で12畳くらいの部屋で清潔感があって様々なところに気配りがある。夕飯の精進料理は見た目もきれいで美味しくて、なにより優しい味付けで少しもとんがったところがなく自然に食べられて満腹する感じで大満足だった。比叡山のごま豆腐も美味しかった。夕食後の初めての写経体験も(やってみたかったんだ)よかった。心地よい眠りだった。

      

▽8.20  延暦寺〜大原三千院〜長浜
・根本中堂〜朝の勤行

日の出共に起きて根本中堂での朝の勤行にも参加した。延暦寺会館に宿泊していた人が約120人で勤行に出ていた人が50人弱。人気のない延暦寺は清聴な雰囲気で気持ちが良かった。空気も凛としていたような気がする。前の日に般若心経の写経をしてこの日に
読経を聞いて心が洗われた感じだった。前述したがもう一度、従業員がみな親切に話しかけてくれて気う持ちが良かった。朝食もちょうど良い量で美味しくいただいて、自然に、ご飯がいただけて本当にありがとうございますと手を合わせてしまうようだった。
そうそう黒塗りの「滋賀・・・1」のロールスロイスが止まっていて誰が乗るんだろうと思っていたところ、延暦寺でいちばん偉い人だとか。やはり、偉いというか昔から信長に恨まれてしまうような体質なのかなあと思った。
・西塔〜横川中堂
35年前から来てみたかったところである。西塔も横川中堂もあまり人がいない。西塔の浄土院には前記の黒塗りの「滋賀・・・1」のロールスロイスが止まっていて、坊さんJr.
の得度の式?の真っ最中だった。自分の子どもたちの晴れの姿を坊さんたちが一生懸命写真をとっていた。ああいう風にして自分は坊さんになる運命にあるんだということを悟っていくのかな(あるいは洗脳されていく、かな)
 横川中堂も静かだった。個人的にはとても気に入った。建物自体が小ぶりで根本中堂よりも明るい気がしてなんかいい。四季講堂(元三大師堂)堂ではウチのお寺である「天王院」のルーツに触れることができた。角大師で有名な元三慈恵大師良源の魔除けの絵を見つけた。「天王院」のお札のほとんどにはこの角大師がのっている.
。気になったこと⇒すり足の足の不自由なおばあさんが駐車場からやっと、横川中堂の坂の下に着いたんだけど、その人一人で、そばに誰もいなくて、バスツアーのバッチをつけていた。あの方はあそこから帰るんだろうか?
ここまでで、だいたい12時過ぎ。せっかくだから、と、大原へ。
      
・大原三千院
高校の修学旅行で大原に来た覚えはあるが(雪が降っていたので鮮烈だった)寂光院か三千院のどちらかは記憶にない。で、三千院にいったが、多分初めてである。ということは高校生の時、寂光院に行ったんだと思う。こんなに広くはなかった。三千院の門の真ん前のそば屋に入ったが、まずいのなんのって駅そば以下。そばは既製品でスーパーにゆでで売ってるものをもう一度ゆでてやわらかくしたような歯ごたえで、つゆは市販のものを
わっただけ・・・という味。家で麺を買って食べてもあれだけまずくはならない。蕎麦とはいえない蕎麦だった。と、この話はおいといて。
三千院はローケーションがいんだな。細い道を登っていってその上にある。予想外に大きなお寺で、庭は落ち着いた良い庭だった。(個人的には枯山水系、水を引いていない庭園が好きである)阿弥陀三尊座像はいいんだけど、その前に座っていた坊主が暇そうにウトウトしていたのが興ざめ。
と、3時過ぎに大原を出発。せっかくだから湖のそばを走ってみようということで、「奥琵琶湖パークウエイ」をひたすら走り続けた。けっこう凄い道でリアス式海岸の海沿いの道を走っている感でアップダウンがけっこうあり時間がかかった。わざわざ観光のために作ったんだろうけれどね。残念だった。
    

▽8.21  長浜〜木之本〜黒壁スクエア〜桐生
・豊公荘
赤錆の温泉・格安なんで国民宿舎に泊まってみた。 去来荘と料金はあまり変わらない。
すごく良い場所にあって(公園の中、隣には郷土資料館がある)けっこういいお湯だった。
昔は結構盛っていたんだろうが、とにかく施設が古い。が、料理はそこそこ美味しい。支配人?の方が孤軍奮闘、八面六臂の活躍でこの施設はこの人でもっているんだろうと容易に想像できた。「この施設はこの良いお湯しかないから」といっていたけれど、「もうひとつ、あなたもいるじゃないですか」と言ってあげたかった。親切で話し好きの様子だった。
   
・木之本地蔵院
「(B級グルメの)サラダパンを食べたい」その一言で木之本へ行った。地蔵様はこの日からお祭りでたくさんの人(檀家かな?)が掃除をしたり提灯をつけたり準備に大忙しだった。けっこう、長浜市内から距離があって道にも迷って時間がかかったが(ナビは高速を使えと道案内する!!)途中、鉄砲鍛冶の町や合戦の跡等みた。
予想外に木之本の町もよい町で落ち着いていて雰囲気が良かった。木之本地蔵院も意外に大きなお寺で無料休憩所があったり、それに祭りの前の静けさという感じで良い感じだった。
そうそう「サラダパン」の話。普通のコッペパンにタクワンとマヨネーズをはさんだもの。味はどうかって、意外にタクワンとマヨネーズが少ない。いや、少なめだから良いのかも。確かにB級だし、メジャーにはなりえないと思った。コーラに結構合うのでビックリ。
     
・黒壁スクエア
長浜もしっかり整備された古きよき物と新しい物が融合して活気がある。平日なのに旅行客がたくさん。絶対行きたかったのは「海洋堂・フィギュアミュージアム」まず年代別、メーカー別、お菓子別、ジャンル別に並んでいる。一言でいうとおまけである。そう言えばおまけが欲しくて、グリコとかよく買ったなあ。気に入ったおまけはまだどこかに取ってあるかもしれない。フィギュアを作る人にもジャンルがあって美少女系、オリエント遺物系、怪獣系、動物系、海洋生物系、戦争物系、アニメ系等々いろいろあって、海洋堂に入りたくて、フィギュアがつくりたくてという人たちばっかりで情熱をもって取り組んでいるというのが伝わってきた。個人的に一番好きなのはやはり怪獣系かな。怪獣とかで育ってきた世代だからかな。

・焼き鯖そうめん
焼鯖素麺(やきさばそうめん)とは滋賀県長浜市周辺の湖北地方に伝わる郷土料理。鯖素麺(さばそうめん)とも呼ばれる。
農繁期である5月に、農家へ嫁いだ娘を持つ親が忙しい娘を気遣い、実家から嫁ぎ先に焼鯖を届ける「五月見舞い」という湖北地方独特の習慣に由来する。農繁期に気軽に作って食べられる料理として、また客をもてなす際などのハレの料理としても伝えられてきた。湖北地方は内陸に位置するが、比較的近い地域に若狭湾という鯖の産地があるため、鯖は一般的な食材であった。もともと家庭料理であるが、最近では長浜の名物料理として観光資源化する動きがあり、観光客向けに焼鯖素麺を出す料理店も増えつつある。
これは特筆しなければいけない。鯖というとどうしても給食の「鯖の味噌煮」のイメージがあって、少しためらっていたけれど、鯖のイメージを180度かえてくれた。魚臭さはみじんもないし美味しいのである。いかに群馬では生きの良くない鯖を食べていたかということになる。これは、富山で食べたホタルイカ、瓶入りでないウニにも共通することだ。
とにかく、臭くなく、だからあっさりとしたソーメンにもあう。それをおかずにご飯を食べる。はじめての味覚・食感(ふだんの鯖とは全く違う)・あり得ない組み合わせ・・・
こんなに美味しく鯖が食べられたのは(言い換えれば美味しい鯖を食べたのは)生まれて初めてだった。でも、けっこう、重くて夜になってもお腹いっぱいだった。


 こうして修行の旅を無事に終えた。

メキシコ料理  2012 8
 
本校ALTのナタリー先生がメキシコ料理を振る舞ってくれた。トルティーアで巻いたのは、レタス、アボガドの摺った物、挽肉の炒め物、トマト、チーズ等々、お腹に溜まるかんじ。
    
夏休み・最終日 2012.8.26

夏休みの最終日は日曜。ということは、休みが明けると、月曜からはじまりまるまる1週間勤務ということになる。きつい一週間と思いながら、高崎の「凡味 そばきり」経由で里見なしを買いに行った。ついでに榛名神社に寄った。里見なしはさすがにおいしかった。
「凡味 そばきり」はすごく風情のある昔からのそば屋さんで、蕎麦よりだし巻き卵の方が有名なくらいで、一応たべてみたけど結構高く(卵はべつにどうやって食べてもあまり味に変わりがないような気がする。)ふ〜んという感じだった。
明日から2学期。


2学期

2学期が始まって早々に運動会に向けての練習が始まった。教育実習で真名斗君が帰ってきた。真名斗君に桐生の美味しいものを食べさせてやりたいと思って、「虎心」まぜめん「タイタイ」トムヤムクン系、「千家の秘伝」トッポギ等食べ歩いた。
教育実習はたいへんそう。毎日寝るのが遅く朝が早い。

   

桐高 2012.9.15 

訳あって(たいしたことではない..教育実習の関係で)母校・桐高にしばらくぶりに行った。どの教室で勉強してたかなんていうことは遠い記憶の向こうだが、ブラバンが間近でれんしゅうしていて、なかなかじようずだった。
あと、なんだかわからない私のようなおじさんにも(不審者にもみえなくない)笑顔で元気よく挨拶
してくれる爽やかな生徒たちに拍手


 


本校掲示板

運動会に向かって。本校の掲示板。


「そば たかはし」リニューアルオープン

大ファンのおそばやさん「そば・たかはし」さんがやっとリニューアルオープン。麺が美味しい(うどんの街と言ってるけど蕎麦もおいしい)桐生でもお気に入りのお店です。(写真は蕎麦+小どんぶり・ねぎとろ丼

 

教育実習終了+内定者家族向け説明会 2012.9.22

真名斗君の教育実習が終わった。まあ、彼なりにやっていて、「こういう感じの体育の先生も有りだと思う」「担任より一生懸命やっていた」等のコメントや3年生の男の子からチョコを送られたりというのもあったらしい。飲み会でも少しはいいことがあって。最後はそれなりに終えることができたのかなあ。次の日には早々に南町田に帰った。(イケメンという評価だったらしい)
その日は真名斗の内定がきまっている会社の家族向け説明会だった。都合の良いことに説明会は多摩プラーザ。施設の案内があって社長挨拶、会社説明、先輩の話、懇談会・・・どうしてこういうことやるのかなあと???である。介護系の日本で一番入居料が高いといわれる会社だ。22名新卒をとってうち3名のみが男子。社長も先輩も心配ないというような言い方をしてたけど、余計心配になったというのが本音。

いろんな事情で日帰り。

「僕らは桐生に生まれた」プロジェクト等々   2012.9.23  

いよいよ、プロジェクトの最終練習。実は22日は公開リハーサルだった。23日は9時から。何人か同級生が公開練習にも来てくれた。
夜は同窓会幹事会。お彼岸なのでお墓へ。忙しい。  


BORN IN  KIRYU

We were born in KIRYU
When the wind blows, the sunbeams shininng through the branches of the trees shake
If you listen, you can hear the rippling sound of the river
There will be the smell of treers when it rain
It is such a town, The town
of KIRYU where we were born
1971
Junir high. 3rd graders, We were young, pure and cruel
Desagreeable things we could clearly say were disagreeable, hated perple we didn't talk to either
The dry wind "KARAKKAZE" was blowing
And a day was long
The progress of time was slow and there was plenty of it
That was maybe because therewere many new and attainable experiences...

(ALT ナタリー先生・訳)


23日五時頃、桐生できれいな虹が見えたそうです。
残念ながらその時間は桐生にいなくてみられませんでした。
「暑さ寒さも彼岸まで」といいますが、22日くらいからぐっと涼しくなりました。墓参りにも行ってきました。
植物は(異常気象にもかかわらず)なんにも言わなくて、そこにいるだけなのに季節を感じてちゃんと咲いたりします。
白い彼岸花が咲いていました。



台風&金木犀

台風がくるくると言っていたけど、雨、風はあまり影響ありませんでした。次の日は台風一過。雲一つない秋晴れ。同じアングルで、草ぼうぼうのウチの庭。
いつの間にか金木犀が咲き始め、秋の香りが漂ってきている。

   

  






忙しい日々  2012.10.

10月に入って途端に忙しくなった。今日はもう中旬だが、その忙しい日々を記録しておく。

10/4
 県教頭会の関係で1日前橋に出張

10/
 出勤したらすぐに、「5年の河川調査の付き添いをお願いします」といわれ急遽黒川の奥へ。蛇トンボの幼虫やカジカ、ヤマメの幼魚、カワムツ、沢ガニ 
・・・がいて楽しかったけど午前中いっぱい。少しだけ仕事をして、年休をもらって朗読会の練習に国際会議室へ。7時過ぎまで練習して、市文をでようとしたらたまた
ま同級生のB君に会う。
何故だかとんかつ「山車」で夕飯を食べることになった。メディカルセンターのすぐ隣で臨床検査センターの出入り口をみるとまだ明かりがついている 。もしかし
てと、そこに勤務しているMさんにTELすると案の定まだ働いていて「山車」にやってきた。「山車」のお母ち ゃんとはMさんも顔見知り。同級生というとビックリし
ていた。早々お開きにしてみんなを送ってから女房を迎えに行く。東小の先生方と会う。

10/
  目が覚めてサッと朝食をすませてすぐに菱保育園の運動会へ。8:30開会式なのでその時間に合わせて。教え子のO君兄弟、そのお母さん、S君、小学
校の保護者さん等々にもご挨拶。校庭から聞こえていた音楽をこういうように使っていたんだと納得。
つづいて東幼稚園へ。いろんな学校の関係者とも顔を合わせる。園長で同級生のSさんと話すと「忙しいんだから帰りなよ。」と、そのまま中公へ。途中で市文に
向かっているこの日の朗読会の語り手であるMと遭って「仕事を一つ片付けてリハには間に合うようにいくから」といって、桐高に車を置く。緑の少年団代表の児
童、引率の先生、緑と花のポスターで入賞した子等に声をかけて、いざ市文へ。
やっとリハの間に合い、午後朗読会の本番→同窓会一次会→二次会→三次会→四次会に行くつもりだったけれど三次会の場所に残って数人で飲み直し。
気がつくともうお昼を廻っている。
たくさんの友人と話して、何十年ぶりかで心から話せた友人もいてみんないいやつだなあと改めて思った。またこれから多分改めての付き合いも復活して楽
しい飲み会なんかもやっていくようになるんだろうなあとおぼろげに思った。
     
さて、朗読会の後何をやろう?

       

   

約半年にわたる本プロジェクトは昨日の同窓会にて無事終了した。何が楽しかったかというと、一つのものを皆と作り上げていく過程。飲みながら人生を語り過去の告白、考えを出し合っていく。それをまとめていく。新しい発見がたくさんあり、心地よい時間をすごせた。亡くなった友人たちへのレクイエムになったろうか・・・なんてあまり考えず無事終わったこと自体がレクイエムなんだとおもう。
さらに、4人の登場人物は今の自分の分身で、その4人に命を吹き込んでくれた仲間と聞いてくれた同窓生たちに心からお礼を言いたい。

      
 沼田で林檎を買ってきた。まず川場では、田んぼアート、SL、道ばたのガマの穂・・・(道の駅で山賊焼きは長蛇の列=断念)。沼田では塩ゆでの大ぶりの落花生、馬鹿旨のトマトラーメン等々結局は食べること。仕上げにコストコのホットドッグ。


Cabo公演「朔」&演劇教室

▽学校で演劇教室があった。
演目は「よだかの星」「雪渡り」いずれも宮沢賢治原作である。
群馬にはかつて児童向け劇団がたくさんあった。(児童劇の)著名な脚本家がいて精力的に活動していたことや群馬県の教職員組合が強かったこと、かつて「赤い鳥」(昔のグループだ。翼をください等歌っていた)の持ち歌である「赤い花、白い花」の作詞・作曲者である中林えみさん等もいくつかの劇団に関わっていたことも影響していたかもしれない。そのころ、競って各劇団は質の高い劇を学校に提供してくれていた。また、学校も演劇教室を毎年やっていて、学校の方も劇団を選び放題という様子だった。ところが、今は・・・授業時間数の確保、行事の厳選、児童数の減少等々で演劇教室ができない、劇団もお金にならない、劇団に若い人が入ってこない、新しい劇を開発できない、などいわゆる負の連鎖が続いている。だから、この劇も一昔前のものだったといわざるをえない。むずかしいね。子供たちが生の劇に触れることはすごくいいことで大切と思うんだけど。ちなみに観劇料は一人700円、ウチの学校は全校で200ちょいだから1ステージ14万ほど。

▽今日は芸術の日

友人のスケッチ展を鑑賞した後、夜はミュージカル集団Cabo「朔」萩原朔太郎の生涯を描いた作品。大作でなかなかおもしろかったけれど、ちょっといろいろなことを盛り込みすぎ、かな? 朔太郎の人生、家族(とくに妻とのすれ違い,、戦争が忍び寄ってくる時代背景、友情等々・・・観てるだけで疲れちゃった。青にもの(青猫)の描き方も演技も上手かった。ああいうのを創る若さやパワーに脱帽。
(詩織がもし群馬にいたらもしかしてこの中にいたかもしれないとか、余分なことを考えてしまって、そのことでもなにか親しみが沸いてしまった)
  

日光  2012.10.20

恒例の日光。中禅寺湖畔が大渋滞でしかたなくを少し歩いて、女房と竜頭の滝で待ち合わせをしたんだけど、「今、湯の滝の手前」という電話がかかってきたからしかたなく、戦場ヶ原までテクテク歩いて行ったけど、おかしいと思ってもう一度TELすると、車を臨時駐車場に入れ竜頭の滝にいるという。しかたなくまた歩いて戻った。結局、竜頭の滝のところを2往復。ここで時間をくってしまったため、湯の湖に着いたのが9時50分くらいですでに塩羊羹は売り切れだった。残念。
戦場ヶ原は熊出没のため遊歩道は全面進入禁止。紅葉はまだ少し早かった。中禅寺湖畔〜竜頭の滝、日光市内が大渋滞。にも、めげずに「明治の館 チーズケーキ・ニルバーナ」を買いに行く。 疲れた。
3年の校外学習→昆虫の森等、2年の校外学習→ぐんまこどもの国等、引率。 
      


いろいろ 2012.10
    
いずこも同じ秋の夕暮れ」                こども議会傍聴           結婚式出席  
▽10/1は気温が30度あったのにいっきに冬。
▽こども議会傍聴
 
こども達の提案はなかなか核心を突いていて納得することばかり だが、
・答弁は大人の言葉が多く6年生には理解しにくい。それに長い。
・子ども達のいい意見を納得する(目に見える)形でどれか1つでも実現させてあげたい。
・特に去年の提案だったかな、「桐生駅にほほえみを」というので
子どもや赤ちゃんの写真を駅に飾ろうというのはちょっと予算つければ実現可能ではと思ったけれど・・・。



結婚   2012.11.2


もう20年も前の(菱小教諭の時の)教え子であるM君とKさんが結婚した。結婚式にも出て下さいといわれたが、都合が悪く出席できなかった。新婚のその二人と飲んだ。二人は5年の時、ウチのクラスだった。いろんなはなしをして昔のことも思い出して気持ちよく酔うことができた。

(撮影・菱小にて)


SL乗車  2012.11.3

「桐生に40数年ぶりにSLが走る」というので応募をしたら思いがけなく当たったので高崎まで行って乗車した。結構面白くて興奮した。
桐生では本当にたくさんの人が沿線に出て手を振っていた。高崎→桐生はELが引いて、桐生→高崎はSL、C6120が引っ張った。桐生から汽笛一声、機関車に引かれて客車が動き始めたときがドキドキした。一日楽しく過ごした。

   

  


関ブロ教頭会 2012.11.7〜9


教頭会の関東ブロック研修会があった。一応県の本部役員をやっていて=関ブロ役員なので3日間学校を空けることとなった。1日目は関ブロ役員会と歓迎レセプション。県の教育長や義務教育課長らと同席した。2日目はベイシア文化ホールで全体会。全体受付やら、ま、言ってみれば雑用係。開会式では立場上壇上へ。3日目は伊香保で分科会。これも雑用係。受付やお昼の席の案内等々。天坊のフロントにしばらくいて女将の仕事が垣間見られた。ま、客商売は大変だよね。 温かなとてもよい日でNHKの7時のニュースで「伊香保の紅葉は見頃、ライトアップ中」と紹介していたから、午後各旅館の分散会を見学にいったら、石段のあたりは人がいっぱい、駐車場の空きもなくて3時ころは上がってくる車で大渋滞だった。さすがに紅葉は見頃だった。
    


中山道〜奈良井宿〜 2012.11.10


▽「ゆっくりしたい」と一度も足を踏み入れてない中山道にいった。馬込・妻籠が有名だけれどあえて奈良井宿にいった。奈良井宿も重伝建の町だ。街に入るその手前に駐車場があって、(地元以外の)車は全てそこに駐めていく。周囲の山々は黄色く染まって良い感じ。そしてノスタルジックな町並み。決して「街」ではなく「町」なのだ。そぞろ歩きが似合う。生活の息吹を感じる。町の人たちが人なつこくて話し好きだ。美味しい蕎麦を食べて歩いていると、なぜかお土産の櫛屋のおばあちゃんと話し始め、なんだかわからないけど櫛を買うことになって、そこのおじいさんはパーキンソン病で身体が動かなくて、しゃべることもたいへんなのに、「おかあさんのために櫛を買うのなら、一筆かいてあげる」と筆でいろいろ書いてくれた。さらに「あなたのためにも」といって「昔いた校長が朝礼で『山を見よ』といって3分間黙っていたことがあるんだ。その校長は山をみてそこから各自でいろいろなことを考えろと言いたかったんだろうが、あなたにそういうことを言うのは釈迦に説法だったな」なんていって重伝建の話しや様々な話しを聞かせてくれて、ついでにそこのおばあちゃんは『いかりや町田民宿』に泊まるっていったら「あそこのウチはねえ・・・」とこれまたいろいろ話してくれて、コーヒーや漬け物までごちそうになって長居をしてしまった。狭い町だしほんとにこの町で生活しているということが伝わってきた。人情のある町と思った。日が傾くと途端にさむくなって人もいなくなってしまった。
家の造りが統一されていて奈良井宿が独自に発展してきたと容易に想像できる。なかなか魅力的な町だ。それに町に生活が根付いていて、一人一人みなこの町が好きで誇りを持っているんだなというのが伝わってきてそれが心地よかった。


   
▽『いかりや町田民宿』はいわゆる町屋の造りでうねうねと長くウナギの寝床みたいでそこの一番奥の部屋がその日のねぐらだった。二部屋ぶち抜きだったけど。夕飯は泊まっている3組が皆一緒で隣は大阪在住のご夫婦だった。(あと一人は中山道等を歩き続けているという孤独が好きな若者。話しを向けても乗ってこないし、壁に沿って歩いていた。)
そのご夫婦とも、民宿の親父さんおかみさんとも楽しく話しをしてご飯も美味しくお腹いっぱい食べた。その後、ライトアップ中の木曾の大橋に出かけたけれど、なんとなあく連帯感みたいのもあって一緒にいった。夜はそれで終わり。町は早くに夜のとばりに包まれて真っ暗だから。
次の朝は少し早めに起きた。外は2℃。寒いわけだ。お土産屋さんの「」によらせてもらっておばあさんとパーキンソン病のおじいさんに書を書いてもらったことを話すと、「あそこのおじいちゃんは・・・」と話し始めて「元気にしてるんじゃあよかった」と心配していてこの町の人情を垣間見た気がした。
  
▽馬込・妻籠宿

せっかく来たから有名なところもと、馬込・妻籠宿にも寄った。奈良井宿からは1時間半くらいかかったろうか。妻籠は思ったよりもずっと良い町だった。坂が良いアクセントになっている。ただ、お土産やさんばかり。1軒?軒の造りは(奈良井宿より)大きくこっちの方がお金持ちだったのかと感じた。土産屋でわからないことを聞いてみたが、ちんぷんかんぷんの答えが返ってきて愛想も悪くて、結局ここの人じゃない人がお土産を売っているんだとわかった。町はいいのにねえ。ここまでくると土産物も少し変わって栗が主流になってくる。澤田屋の栗きんとんを買った。  
馬込は完全に坂。坂の両側に町がある。だからか水の便が悪く、度々大火事が起こっているらしい。お昼に蕎麦を食べたけれど、最悪の部類。今考えてみると水が無いんだから蕎麦も美味しくなくて当たり前。雨が降り出したにもかかわらず人は多い。五平餅が地域によって少しづつ形を変え、たれも違ってきているのに興味を持った。(奈良井宿のが美味しかったけど)それで、馬込・妻籠宿と奈良井宿の決定的な違いは何だろうとかんがえ、馬込・妻籠宿には大名が泊まる本陣、脇本陣があるのに対し奈良井宿は完全に町民の町だからかなあ。偉い人がいるかいないかによって連帯意思等々生まれてくるのかな?

東京  2012. 11。15

詩織のところに行こうと思って東京に行った。まずはアメ横で買い物をしてお昼も。わずか390円の定食だけど、かなりウマい。メトロポリタン美術館展を見たが、雑多でテーマが絞りきれていない。「メトロポリタン美術館には古いものから新しいものまでこのほかにも価値のあるものがたくさんあるから観にきてね」的な美術展だった。この時点で外は大雨。にもかかわらず、隣のツタンカーメン展は長蛇の列。(時間指定にしているのにもかかわらず)
詩織のところにはよらないことになり、続いて東京駅下車。丸の内のイルミネーションは大雨のため点灯は1部だけ。劇団四季とのコラボで古いポスター掲示なんかもあって面白かった。いよいよ表参道へ。台風のような雨風。その中で突然女房が「原宿にはクリーム大盛のパンケーキの店がある」と言い出した。その時はまだなんていう名前の店だか知らなかったけどあることは知っていて気にはなっていたので雨宿りしながら調べてみるとすぐそばらしい。ということで、雨の中20分待って「Eggsn' Things」へ。我々のようなおじさんおばさんは一人もいない。意外だったのは男の子だけのグループや一人できている女の子がいるということだった。確かにクリームは軽くておいしく食べられてしまうがパンケーキの量が多く、パンケーキ自体もあまりおいしいとは感じられなかった。
いよいよ、表参道ヒルズ。雨と風のため残念ながら街路樹の点灯はなかったが、ディズニーとのコラボはとても良かった。ここでも我々くらいのカップルはいなくて若い子たちばかり。光の影もミッキーとミニーになっていてジャスミンやアリエル等プリンセスごとのツリーがかわいかった。
不良中年のおじさんとおばさんは10時過ぎの湘南新宿ラインに乗って帰ってきた。

   





プチ同窓会 2012.11.22

10人が集まった。とにかく5軒くらい行って帰りは3時。感激したのは、次の日が実母の告別式だというM君が通夜を終えたあと来てくれたこと。さすがに2次会で帰っていったけど、帰り際に「きてよかった。これで少し元気がでたよ。母親を送ってあげられる。」といってくれたことだ。彼は寂しかったんだと思う。
それにしても、中学のときいつもいつも一緒にいた連中とほんとにゆっくり話ができて、また、あのころとぜんぜん変わっていないのがうれしかった。

東京A 2012.11。23〜 24

桐生を4時少し前に出て真名斗君のバイト先の南町田・アウトバックに20時。この日3時まで飲んでたというのにタフだよなあと思いつつ。
あいかわらずアウトバックは店員さんたちがみないい子で挨拶に来てくれる。店長さんも来てくれて、若い子が「わたし、真名斗さんを尊敬してます」まで言ってくれて、彼の成長は甚だしい。そう、ロースとビーフ風のステーキにTボーンステーキ・・・これがおいしいんだよなあ。真名斗のバイトが終わるまでに少し時間があるので16号を横浜に向かった。横浜新道とか横国大がある方面である。横浜新道は車が過ぎ飛ばしていて分岐が複雑ですごく恐い道だった。運転が乱暴。ただ、大学時代に歩いた付近を通ることができ満足。
次の日は真名斗の布団を洗濯したり座間のコストコに行ったり。道がどこにいっても渋滞で移動に時間がかかった。夜は温野菜を食べて11時過ぎに町田を後にして2時過ぎに桐生に着いた。南町田を出る前に1時間くらい寝ておいたので帰りはノンストップ。全く眠くなかった。
真名斗の部屋に女の子用の歯ブラシ、化粧水等々が置いてあったりして彼の違った意味での成長をかんじずにはいられなかった。


11月はお出かけと飲み会、訃報が多く、忙しかったが最後にどうしても書き留めておかねばならないことがある。
敬愛する山田先生が亡くなったことだ。
以下
山田先生が亡くなった。
真っ直ぐで義理人情に厚く昭和の気骨を持っていて桐生の名医、名物先生だった。私は数々の役職を持った公人としてではなく、医者として人生の先輩として恩人として山田先生に接していただいた。先生とは両親の時代からの付き合いである。特に父親は「頑固で、でも一本筋が通っていて気骨のある人で」先生と相通じるところがあって妙に馬があっていた。だから、父が亡くなってからはある意味先生が心の父だった。生まれてから今まで半世紀にわたってずっと診ていただいたということもある。
先生の鮮明な記憶ははるか昔から始まっている。個人的なことだがその記憶のいくつかを挙げる。
@とにかく腹痛で治らなくて母親が心配して盲腸かもしれないから切った方がいいと言っていたときに先生は「とにかく俺に任せろ」といってくれて次の日治って入院も手術もしなくてすんだ。ここから先生の記憶が始まっている。
A高校入試の当日、入試から戻ると38℃の熱が出ていた。入試は2日間あると思って先生はいの一番に往診してくださった。あのときのことは忘れられない。
B就職後、高熱と発疹で何か悪い病気かと心配して診ていただいて「おまえ、風疹まだやってなかったんだ」と言った時の先生のすごく嬉しそうで茶目っ気のある表情。
ウチの子どもたちもお世話になって下の子は生まれてすぐ気管支炎になって毎日先生に診ていただいた・・・後日譚として息子は堀マラソンの開会式で「最後まで走りましょう」という先生だからこそのシンプルかつ大胆なあいさつの言葉を聞いていたく感銘し、「あの先生は偉いんだあ」と驚いて帰ってきた。(先生はどの子どもたちにやさしく接して下さいました)

今も先生の様々な言葉を思い出す。先生の風邪の特効薬は「味噌汁と沢庵でちゃんと飯を食うこと」「早起きして毎朝一緒に走ること」「赤、白、黒の豆をちゃんと食べること」そして、晩年の机の中から出してくれる飴・・・。いつだったか先生は若かりし頃の奥さんとの出会いもお話ししてくれた。
ここまで個人的なことを書いてきたが、何より思い出されるのは桐生第一高校が優勝して桐生駅から学校まで先生が先導していたときのことだ。前述の堀マラソン等での開会式のあいさつ等々先生の声はまだ耳の奥に残っている。先生が亡くなって桐生の昭和がまた一つ過去になった。桐生にとって不世出の人だと思う。最後に先生にこの言葉をおくりたい。
「大好きでした。ありがとうございまし
た。」
(桐生タイムス掲載)

クリスマス会  2012.12.2

通級学級のクリスマス会でサンタさん役。友達がサンタにしては細すぎると言われた。すっげえ嬉しい。仕事の一環。
  


ディズニー・オン・クラシック 2012.12.8

かねてから祈願のディズニー・オン・クラシックにいった。実はちょうど1ヶ月前・教頭会関ブロの時、時間がたまたま空いて催し物は何があるんだろうと見ていてディズニー・オン・クラシックの公演があることを知り、空席があるか調べてもらい奇跡的にほとんど真ん中の席がちょうど2つ空いていてすぐに購入したのである。大ホール横の駐車場は2台前でいっぱいになってしまい城東駐車場に入れた。(関ブロ大会のときはホール横の駐車場が埋まるか冷や冷やしてたのに!!)客層はファミリーからおじいさん・おばあさんまで。一番多いのはやはり若いカップルか。女の子も多い。グッズ売り場も大盛況。席に着くと空きはほとんどない。ディズニーファンはどこにもいるし多いよなあ。同じ並びの5つくらい離れたところの席におじいさんがいてずっと静かにしていたけど、楽しんで他のだろうか。ま、それはいいとしてセットリストは下記

第1部
・エレクトリカルパレード
・ファンティリュージョン
・ウォルトディズニー生誕110年メドレー
・ライオンキング、ノートルダムの鐘、美女と野獣
・ディズニーワールドナイトショーより

第2部
・メリーポピンズ
・アラジン

アンコール
・ホール・ニュー・ワールド
・星に願いを

曲はもう何も言うことないし、演奏も上手い(東京フィル・・・楽に演奏してた)なにより演奏者、歌手、指揮者等も楽しんで演奏しているというのが観客席まで伝わってきてそれも心地よかったし、観客席も始めっから、というかほとんど全部がディズニーファンだから手放しに喜んでいたので雰囲気が悪くなるはずはないしステージと観客の一体感もはんぱじゃなかった。ウォルト生誕110周年ということで初期のアニメ作品のメドレーを指揮者ブラッド・ケリーの編曲での演奏は、「白雪姫」からハイホー、「ピノキオ」から口笛吹いて、「蒸気船ウィリー 」 からわらの中の七面鳥 「ダンボ」「バンビ」「ファンタジア」から花のワルツなどどれもお馴染みの曲で楽しかった。
第二部はまず「メリーポピンズ」より。
「スーパーカリフラジリスティックエクスピアリドーシャス」では観客席総立ちで手拍子。「お砂糖ひと匙で」「チム・チム・チェリー」「2ペンスを鳩に」などの演奏もあり。有名で良い曲も多いよね。
続いて「アラジン」。
ディズニー音楽の巨匠アラン・メンケンが作曲を手掛け、アカデミー賞、グラミー賞、ゴールデングローブ賞をはじめ、世界中の音楽賞を獲得した大傑作のサウンドトラック忠実に演奏。一言でいいよねえ。特にアラジンの「僕を信じろ。」の台詞からホール・ニュー・ワールドに行くシーンは映像も映し出され、もうウルっときてしまうよう。
ディズニーの曲を聴いているだけで幸せな気分になってしまうのを、「ディズニー・マジック」というのかもしれないと改めて思った。
      

イルミネーション&宇都宮餃子 12.16


日立市のイルミネーションはシャボン玉等を使って幻想的で良いらしいというんで行ってみた。ところがその日は桐生から出たら雨が降り始めた。日立に近くなるにつれ雨が強くなっていく。これはもしかして失敗だったかなという予感的中。4時過ぎからの シャボン玉を使ったイベントのかけらも見られない。イルミネーションもなるほど、公営なだけあるよなと思うほど地味。ただ、日立駅は凄く整備されていて常磐線しか通っていないのにけっこう大きい駅だった。海岸沿いを通っている国道6号線のバイパスがすごくきれいで、走ってみたいけどキョロキョロしてしまって安全運転できないかもと思った。暗くなって5時から点灯して側の小さな屋台村で肉汁無料配布があっても人はまばら。イルミネーションも超地味。
途中宇都宮で高速を降りて餃子のみんみん本店によった。みんみんは水餃子が美味しい。皮のモチモチ感が一番わかるのは水餃子だと思う。寒いのに宇都宮の街は人出が多く、若い子たちも目立った。街の真ん中の高台に大きな神社があって不思議な感じだった。
そのまま太田まで走って太田のいつものイルミネーションを見た。いくらかでもお金をとるとちっと違うんだなあと思った。

 


「レ・ミゼラブル」 12.22


「どうしても早くみたい」と思い、公開2日目に見に行った。監督は「英国王のスピーチ」のトム・フーパー。骨太なミュージカル映画。ミュージカルはちょっと・・・という人でもこの映画は感動すると思う。なんといっても曲がいい。その曲に負けていない俳優の熱演・熱唱。ヒュー・ジャックマンって歌がうまかったんだ(バルバリンの印象しかない)。ラッセル・クロウは「グラディエイター」の頃よりずっといい俳優になったなぁ。アン・ハサウェイもアマンダ・セイフライド(「Time]よかった。)もppの声が素晴らしかった。ミュージカル映画は口パクが当たり前だが、この映画は監督、演出家のこだわりでライブなんだという。ただ、不必要なアップとバストショットが多いこと(舞台と違うぞ感を出したかったのかも)、曲と曲との間、拍手をしたくなってしまうんだけれど、すぐに次に場面転換してしまい余韻を楽しむ時間がなかったのが気になった。隣のご夫婦はポップコーンを食べながら、時々鼾を交えてで、つまらなかったんだろうなあ。
個人的にはあっという間の2時間40分で、とにかく、ミュージカル映画の傑作の一つになるに違いない。と確信した。

 


鯛茶漬け 12.23

日毎日忙しいんだけれど、この日最近のお気に入りの「はやし」さんでランチ。月に3日しかもランチしかやっていない、知る人ぞ知る名店なのである。群大工学部の近くにあった昔は気ぐらいの高い気どってっている店だったが、(かつて10数名で「はやし」に予約をいれておいて行ったがその時1名がジャージだった。きっぱりと「当店はジャージのお客様はお断りしています。履き替えていただけないでしょうか。」と言われ「申し訳ありません着替えはもってないんです」と答えると「では、ご退店ください」と断られたことがあった。)料理教室の先生でママさんの林先生が趣味でやっている。気取りはやはりあるけれど、角撮れてというか一皮むけて?良い感じに歳を重ねたというようすでアル。
店の存在は聞いていたけれどひょんなことから11月の末からごちそうになっている。桐生でこれだけの店はないと言えるほどなかなかの味である。この日は2回目。
なんといっても絶品、超絶驚いたのは「鯛茶漬け」
鯛の刺身がカクテルグラスにきれいに盛りつけられていて醤油ごまだれそれも卵の黄味を
使ってのばしてある。これでご飯を食べても美味しい。さらにご飯に大葉、海苔、鯛の切り身、醤油ごまダレを少しおとして熱々のほうじ茶をかけてさらっといただくのである。
本当に美味しかった。



年末いろいろ

諸事情のため、今回の休みはどこにもでかけなかった。クリスマスは葬式だった。それにしても今年は葬式が多かった。それから今年は朗読会やほかのことに舵を切ると2月に心密かに思っていたが、まあ一応そんなかんじかなあ。しばらくぶりに文を書きたいと思った年だ。
波志江のイルミを見た。予想外にしっかりしていた。そんなことは置いておいて。真名斗は30日に帰ってきた。詩織は31日。二人とも元気そうで安心した。紅白歌合戦をゆっくり見ながらスパークリングワインを皆で2本空けて他にも(なんでもお酒はいっぱいある)いろんなのを飲んだ。
一応、平和な年越しだった。
広い感じがわかるかな?