1月1日 2006.1.1
例年のごとく特別何もなく2006年になった。今年の目標は「クールに生きる」ことである。
詩織ちゃん、真名斗くんともに受験の年でたぶん二人とも順調に合格すると、変化の年
となるはずである。初詣、新年のご挨拶と1日のうちにすませた。当然、学業の神様・天
神さまに行った。桐生の西中の生徒も北小の子供たちもたくさんいた。
で、恒例のおみくじは・・・
おとうさん → 小吉(我慢していれば明るい道が開けてくるよ・・・というような内容だっ
た。恋愛運は「深入りするな」)
おかあさん → 吉(「病気はよくなる」だった。)
詩織ちゃん → 中吉(旅立ちは「遠方はよくない」みたいなことが書かれてた)
真名斗くん → 大吉(「学業は成就する」とあった
いい年になるといいよね。

2月 2006.2
2月になってやっと最近寒さも和らいできた。今冬は寒かったせいか、いつも2/10前には咲き始めていたスノードロップは12日を過ぎてからやっと咲き出した。
先週は詩織ちゃんの私立大試験週間で彼女は東京に4連泊していた。受験番号によって試験会場が変わるというので、最期の最後までどうしようか決まらず、結局、前の週の金曜日、旅行社にお願いして宿を取ってもらった。受験会場は、池袋、目黒、吉祥寺で、試験日は8日から1日おき。宿は品川〜池袋の山手線沿線で駅から近く4連泊できてそのうち、2日間は隣に部屋がとれる・・・という、かなりたいへんな条件でお願いしたんだけれど、さすが旅行社。まさにピッタリの条件のホテルを見つけてくれた。目黒のホテル・プリンセスガーデン。一泊したけれど、なかなかいいホテルだった。
女房も一泊してきて東京にいってきたし、バレンタインデーも近いからといってメリーのチョコを買ってきた。で、以下、二人の会話。ライブで。
「チョコ買ってきてやったよ。お返しは何がいいかなあ。」
「いらないよ。何倍ものお返ししなければいけなくなるから、いらない。」
「えっー、何言ってるん。メリーのチョコだよ。」
「メリーだろ?ゴディバだったらもらってもいいけど。」
「生意気!」

2月17日
いろいろあって、ここのところの数年間についてケリをつけるようなことがあった。自分が歩いていくべき道はどういうんだろうかと思った。つまらん、公務員(それも・・・真面目な教員としてね)の道を選んでいくしかないのかなあ?


咲いた@ 2006年3月
いよいよ、春。
植物は裏切らない。気温がある程度高くなるとちゃんと咲き出す。
クロッカス、福寿草がうちの庭で咲き出した。春なんだなあ。ということは、そろそろ、くさむ
しりかあ。
そうそう、今年の太田の中学校は「卒業式に生徒に不穏な動きがある」というので、
卒業式の前(金曜日に卒業式の準備をして土日と休みで月曜に式だった)土日と泊まり
込みだったり夜間パトロールを実施したところがほとんどだった。ウチの学校でもやはり、
夜間パトロールをやった。でも、予想通り何もなくて、安心。

咲いたA 2006年3月
カタクリが咲いた。修了式に合わせたように。
詩織ちゃんの大学受験は残念な結果だったけれど、真名斗君は祈願の桐高に
めでたく合格。さっそく手続きをしてもらってきたのは「校歌」と「ゲンゲロゲンの
ゲン」と「みな元気だよ」の入ったCD。入学式までにやっていかねばならない宿
題もたくさんあるんだけど、その一つに「校歌を覚えてきなさい」というのがあって
、いかにも桐高的ですっごくうれしかった。それまではそんなに感じなかったけれ
ど、自分の子が自分の卒業した母校に入学するというのはなかなかうれしいこと
なんだなあと、改めて感じた。「なかなか 」ではなく、とってもうれしいことである。
そうそう、CDをきいてみたら、校歌の出だしの(吹奏楽委員会の)アレンジが、
我々の時とは違っていた。

入学式 2006年4月
太田市立西中学校の入学式に清水太田市長が来賓としてきた。市内の学校を順
番に廻っているらしいんだけれど、ちょうど本校がその順番にあたったのである。
結構気を使った。粗相のないようにね。来賓祝辞で「思い出されるのはよく殴られ
たりしたけれど、様々なことを躰で教えてくれた先生達でその熱心な教えがあって
今の自分がある。みなさんもそういう大事な師をみつけてください。」というようなこ
とを話してくれた。なかなかいい話だった。たまには、市長のナマの声を近くで聞く
のもいいかなあと思った。
一ヶ月 2006.5
連休は特別何もなく、飲み会が何回かあったくらいで終わった。変わったことというか特筆すべきことはイオンシネマで映画を見たら、気がついたら廻りに桐生の人がたくさんいてビックリビックリだったことかな。
連休が終わったら、藪塚の田んぼでは一斉に田植えが始まった。
そうそう、詩織ちゃんの所属していた音楽部の定期演奏会が一月早まって連休中にあった。今年は「風と共に去りぬ」だった。一年経ったんだなあという感慨とともに、詩織ちゃんを市民会館に送っていって高校生を見て明らかに高校生と違う様子だったのでわずか一ヶ月ちょっとでかわってしまうものなのだなあと改めて思った。
そうそう、高校生になった真名斗くんも最近、中学生の顔から高校生の顔になった。我々はもうあまりかわりようもないけれど、若い子は日々変化してるんだなあ。真名斗君は高校総体の開会式に行って行進してきた。かつての相中の仲間に会ったといってご機嫌だった。彼はダンス部(ストリート、ブレイクダンス系)に所属して、ホントに高校生活の毎日が楽しくてしょうがないらしい。いいことだよねえ。うらやましいよねえ。彼にとって桐高は本当によかったのかも。
ストーカー 2006.5
先日、知人からストーカー被害で相談を受けた。
団地に住んでいて見ず知らずの下の階の既婚子どもが3人の23歳の旦那が、夜中に玄関のチャイムを鳴らし続けたり、ショートメールを送り続けたり、挙げ句の果てにはベランダごしに登ってきて部屋に不法侵入をしたりするんだそうな。
離婚したばかりの人なので相談するところがなくて連絡してきたのだけれど、いろいろ細かい話を聞いて成り行き上、というより話を聞いているちょうどそのときに、相談者の携帯にTELしてきたのでそのストーカーの奥さんと話さなければならなくなってしまった。
「なぜ、この携帯に電話したんですか?」と聞くと、
「主人の電話を見たらあまりに頻繁に連絡しているので不審に思って。」
ということだった。
で、その奥さんに話したのは、
@ストーカー行為が実際にあったこと。
A部屋に侵入されたこと
B夜中に玄関チャイムを一時間も鳴らしつづけたこと
C携帯に電話を何度もなんどもかけ、ショートメール
も送り続けたこと等の事実があり、
結果、迷惑しているだけでなく非常に恐がっている。精神的な苦痛をうけている。先日は夜中にBの行為があったため、警察を呼びだんなはその場で注意を受け、次に同じような行為があったら逮捕となる。携帯の履歴等も残っているし指紋の採取も可能で、こちらが告訴することもできる。旦那と話し合い行動に注意するように。裁判をして精神的代償を請求してもよいが、彼女のココロの傷の深さは計り知れない。今後も警察や弁護士等と連絡を取り断固とした処置をする予定なのでおくさんもちゃんと覚悟しておいてください。
というようなことを伝えた。
今の世の中、何か違っていて、変なやつもたくさんいて、
被害者が泣き寝入りするようではおかしいんだ。と思った。
梅雨 2006.6.
関東地方も梅雨入りをした。けっこう、涼しかったりする。まだ、麦が実っているところ
もあるが、ほとんど、田んぼにかわった。そろそろ、タニシがでてきて、ミジンコも大量
に発生し始める頃だ。
最近、1年が早くて去年の今頃は詩織は定演で真名斗も野球をやっていたなあ、なん
てしみじみと思ってしまった。
先日の土曜か日曜には朝から4人とも家にいて「何年かなかった状況だねえ」なんて
話してしまった。(なぜ、おとうさんであるボクも家にいるかというと、それはいろんな事
情があって詳しくは話せないんだけれど、単純に言えばお昼を一人で食べるのは嫌
だってことかな。)
そうそう、ここんところ、桐生タイムスに毎週、学校のことを書いているんだけれど、
桐生では桐生タイムスはかなり影響力があって、いろんな人から「読んでますよ。」み
たいに声をかけられる。この前は天小〜相中の保護者で顔は知っているんだけど誰だ
かは思い出せない人にスーパーで「太高と桐高の話はそのとおりだとおもいました。」と
わざわざ寄ってきて話しかけてきてくれた。
おとといは某高校のよく知っている教頭先生から電話がきて、
「腰パンについての話をできたら保護者に話す資料として使わせて欲しい。また、私たち
の学校の試みを好意的に紹介してくれてありがとう。」ということだった。
K一高もJ徳高も誇れる学校だし、好きな学校だよ。(中学校の生徒指導部は別扱い)
桐高吹奏楽委員会定演 2006.6.18
昔、桐高生だったときちょうど1年生の終わり頃、ある部活を抜けてフラフラしてたときに
西中出身の1年先輩に声をかけられた。
「吹奏楽に入らないか?楽器を吹いてみないか?」
同じ学年にどうしてもあわないヤツがいたり、顧問の先生がちょっとねえ・・・といろいろあ
ったけれど、その先輩のその心には報いたいと思って、結局、吹奏楽委員会に在籍した
のである。
仮装行列のパレードにも出た。定演も、市民音楽祭も、桐女の管弦楽の定演にも、山紫
祭の後夜祭にはみんなで八木節をやった。とにかく1年近く在籍した。
と、前置きはそれくらいにして、その吹奏楽委員会の定演を聞きに行った。
音の悪い下手な中学生、それもやっと20人いるかいかないかくらいの演奏に慣れている
ので、桐高吹奏楽委員会のその迫力、上手さ、それに演出の巧みさにビックリ。司会は明
大マンドリンクラブを思い出させたし、演奏だけでなく、ボーカル付きだし、知的なユーモア
というかな、そんな感じで、何年か前は観衆がほとんどいないくらいだったのが、PALが満
杯で立ち見〜階段に座っている人がいたほどだった。
定番の「テキーラ」、校歌、硬軟織り交ぜた選曲等々基本はかわってないのに!!!
桐高の吹奏楽委員会はどこで吹っ切れたんだろう?
音で感動したのは、
・パーカッションの正確さ。乱れがまったくなかった。
・ユーフォの音の柔らかさ。ユーフォとかホルンとかの中音域は音に人柄が出るよな。
なかなかユーフォのソロの曲なんかないんだけれど、すっげえキレイな音だった。
・木管系のピーという高い音がなく、とても落ち着いた音だった。
これらのことをうちの真名斗君に話したら「ドラムの人が超上手いんだよ」と言ってたから、
ちゃんと聞いてるとこは聞いてるんだと思った。
高校生はキラキラしていて元気で夢いっぱいで楽しそうでいいよねえ。僕らが高校生の時
はそんなに元気じゃなかったよなあ。
・・・ 2006.6
公務員として(というより教員として)ちょっと考えられないような、ここ何年間の休日や夜
やいろんなことにケリをつけなければいけないなと思う。
楽しいことばっかりだった気がする。
これから、生きてく意味や目標や何を楽しんでいくかを考えなくてはいけない。心は落ち着いている。
異常の中の正常 2006.6
先日、真名斗君が言ってたこと。
「相中は異常だったんだなあ。今は授業中に抜け出すヤツもいないし、落ち着いてて勉強に
集中できるんだ。」
授業をきちんと受けたり抜け出しがいないというのはまったく、当たり前の話なんだけれど、
その異常を当たり前、それがフツーと思ってしまうのがすごく怖いことである。話によると 今も
相中の3年は、1/3が授業中の教室を抜け出し、1/3が教室にいても漫画の本を読んでた
りして、授業をきちんと受けているのが1/3しかいないという噂だ。特に、真名斗君は学代を
やっていて同じクラスの誰かが教室を抜け出すと、職員室にそれを伝えに行かねばならない
のでよく授業を聞いてられないなんて話していた時期もあったしね。
と、ところで、縁あって真名斗の隣のクラスの担任だったK先生のお子ちゃまを今女房が受け
持っている。
で、今だから言えるんだけど、という話になって、
「先日、真名斗君をしばらくぶり
で見たら、顔が変わっていた。中2のころ、真名斗くんの顔はよくなかった。」ということだった。
2年前はそういえば悪さをしたり、成績が最低だったりしたころだ。
とにかく、異常の中に身を置いていると、異常なことが正常になってしまうことだ。
溶連菌感染症 2006.6.23
2回目くらいと思う。しんでる。
でも、真名斗くんのダンスは見に行った。(桐高大運動会)
7月 2006.7.2
最近、女房がまたさかんに「行動がおかしい」だの「あやしい」だの言い始めた。
と、言いながら「今度の土日のどっちか、お昼を食べに行こう」とか言ったって自分はさっさと出かけて「自分は出かけるだろう」とか言うと、長女の詩織ちゃんは「ママが出かけること知っていてわざと出かけようと言ったんじゃないの。」とかいうしまつ。
で、以下、昨日の夕飯の時の会話。
「最近、何してるかわからないよね。友達に話したらみんな怪しいって。」
「何も怪しいこともないじゃん。この前、学校で、ケータイ2つ持ってるんでしょ・・・なんて話をしてたけど、そんなこともないし。某先生はしょっちゅうメールがきて隠れてメール打ってるって有名な人がいる。知らないのは本人だけ。」
「でも、メール、ロックしてるじゃない。」
「なんで、ロックしてるってわかってる?見ようとするからロックしとくんだよ。」
・・・・・・・・いろんな話が続いて中略・・・・・・・・・・
(詩織)「いろんな話もあるけど、パパはとりあえず家に帰ってくるし、お金も入れてるし、ご飯作ったり洗濯もして家のことをそれなりにやってるし。ママはママでパパが何やってても友達たくさんいるから困らないし。ま、いいんじゃない?」
(ママ)「あたしもパパには何も期待してないし。子どもを頼りに生きてく糧にしていこうかな。」
(詩織)「あたしは頼られるのパス。」
その間、真名斗くんは何も言わないで聞いている・・・。
卵 2006,7
双子の卵をみつけました。 →

中体連総体 2006.8
本校から夏の県総体に出場したのは、野球、バスケ男子、バレー女子、個人では卓球、バド、水泳、柔道、体操等々で、学校の規模からすると頑張ってる。
特に野球部は県大会で優勝した。きっと、これからも自校が県大会で優勝するということもなかなかないのではないかと思い、優勝の瞬間にも立ち会わせていただいた。ピッチャーを中心とした守りのチームで監督の阿佐見先生も「もう一つ先の塁へ 」という地道ながら確実な采配である。
ま、優勝も嬉しいんだけれど、優勝したら優勝したでその後がたいへん。関東大会へ行くのに金はどうしよう、県と市から補助金をもらうのに書類を提出しなければ、バスの手配は学校でやらなくてはいけない、横断幕を作ってくれって言われたけれどどこに頼んだらいいんだ・・・・・等々。特に、横断幕については桐生一高校の教頭先生に業者さんを紹介していただき、バスについてもどこの会社にもとれないといわれたけれどN旅行に御願いしたりして大事なのは人と人との繋がりだよなあと思った。
ま、うれしい悲鳴だからいいんだけれどねえ。
休みがとれない。
上毛新聞から転載 ↓
桐生祭り 2006.8.5
補導外でしばらくぶりに桐生祭りにいった。
鉾の引き違いを見るためにね。桐生にもこんなに若いヒトがいるんだあと思うほどの人出で、本町5丁目の交差点は身動きできないほどだった。本町の3〜4丁目あたりは祇園まつり、4〜5丁目は八木節まつり、5丁目〜6丁目は七夕まつりというように分けられているかんじで、その住み分けというか分けたことが分かりやすくすごく成功している様子だった。
特に祇園まつりについては鉾の歴史を調べたり引き違いのルールを聞いたりそれだけで総合の勉強になってしまうなあ・・・なんて考えるのは職業病の一種だよね。
いずれにしろ、桐生まつりは・・・いいなあ。
秋のような雲 または 夕暮れ 2006.8
学校帰りに見つけた夕焼け。 →
霊? 2006.8
お盆が終わった次の日の夜。
10時少しすぎていたと思う。大通りから一本入った人通りの少ない道だった。
というより、人も車も通っていなかった。左折しようとして十字路にさしかかっりカーブミラーでお爺さんの後ろ姿を確認した。注意して曲がらないと、と思い一時停止してゆっくり左側に注意しながら左折したけれど、カーブミラーで見たお爺さんの姿がどこにもいない。おかしいなと思い通り過ぎたけどどうにも合点がいかずUターンしてもう一度その道を通ってみた。
カーブミラーももう一度よくみると、どう考えてもさっきミラーに映っていたお爺さんの後ろ姿は大きすぎて不自然だったし、もっとよく見るとお爺さんの後ろ姿の向うは真っ暗でそのもっと先には墓地が見えた。そう思ったとたんに背中がゾクゾクっとした。ひょっとして霊?
霊とかあまり感じないんだけれど、霊体験は3度目かな。
(1回はエッセイの項参照)
家に即戻ってその話をすると、
「なんか出来過ぎって感じもしないではないけれど、昨日、送り盆だったけど送ってもらえなくて一人で帰ってったんじゃないの。」と女房が言ってたので、お爺さんをボクが見送ってあげたのかなあ、となんとなく納得したというか・・・だった。
幽霊とかあまり信じないし見えないし感じないけれど、霊とかそういうものはぜったいあると思う。あのお爺さんはひょっとしてなんか一人で寂しかったのかもしれないなあ、なんて思った。
97点 2006.9.1
今日から2学期が始まった。
生徒の自殺が一番多い日。ま、それはおいといて、なんと今日から飲み会。
PTAの三校合同情報懇談会だった。初日からそれはないよな・・・といってもあるものはある。
で、結局、マリエールでまずい宴会料理を食べて
(つぎにまわっていてあまり食べなかった。いつものことながら。)二次会のシダックスにも行ってしまった。
PTAのお父さん、お母さんたちはゲンゲン元気。歌を歌わざるをえなくって、たまには・・・と、「Mery Jane」を歌ってみたんだけれど、なんとなんと採点機能のついた、たぶん、DAMで、97点を出した。結構すごいよね。
で、家でそのことを話したら、
女房「そんなに97点を出すほど、カラオケとかにいつも行ってるわけね。」
(「昔からの定番曲じゃないかよ。知ってるだろ。」というと)
女房「じゃ、なければ一人カラオケとかやってんじゃないのお。」
詩織「そんなにカラオケとかに金かけるなら、おいしいものでも食べさせてよ。」
真名斗「DAMなら全国ランキングがあって名前が載せられるのに・・・」
ちょっと、自分でも情けないというか、がっかりなのは何年経っても同じような歌しか歌ってないって事。
さらに考えてみると、菱小も天沼小も(この学校は保護者だったな)桐生の西中も太田の西中も保護者が元気で教員とも仲がよい学校というのはしっかりしている学校だって事かな。(97点を写真で取っておけばよかった。)