私たちガーネットは「日の丸の戦闘機」という歌で特攻隊員を見送る側の悲しみの気持ちを歌っています(厳密には、特攻隊員と思われる飛行士を見送る気持ちを、なのですが)。この歌では、見送られる側の気持ちについては、聞いてくださる方の捉え方にお任せしようと思って敢えて言葉としては盛り込んでいません。
ひるがえって、「8月15日の空」です。こちらの歌では「青い空の下で散らした命は過ぎてきた悲しみを今も語りかける」と歌っていました。私たちとしては「青い空の下で散らした命=先の大戦で戦没された全ての兵隊さんたち+原爆・空襲・地上戦などで亡くなった全ての民間の方々」との認識でいました。「戦没された兵隊さん」には当然特攻隊員として亡くなった方も含めて考えています。つまり私たちは、「日の丸の戦闘機」で言葉として盛り込まなかった「見送られる側=特攻隊員」の気持ちを、この「8月15日の空」で“悲しみを語りかけている”という言葉によって表現していたわけです。その意味で「8月15日の空」は「日の丸の戦闘機」のアンサーソングでもあります。
───実はここがポイントでした。「青い空の下で散らした命」という主語。この主語が特攻隊員を連想させてしまう言葉になっていることは私たちとしても前述の通り想定しておりましたし、逆に、連想していただけることを期待しているようなところもありました。然るに、今回の「NIPPONのうた」は、戦没者を祀る場所である靖国神社というデリケートなところでの企画です。そういうデリケートな場所において“特攻隊員として亡くなって行った方を連想させる〔主語〕が「悲しみを語りかけている」という〔述語〕につながる”のは、果たして本当に適切なのだろうか? 色々な立場の方がこの歌を聞いてくださることになるわけです。そういう色々な立場の方々がこの歌を聞いてくださった時に、出来るだけ違和感なく聞いてもらえる歌詞になっているかどうかはやはり大切だと思うのですが、果たしてこの詞だとどうなのでしょうか?・・・・・これがプロデューサーつのださんからの問いかけでもありました。
「青い空の下で散らした命」が「過ぎてきた悲しみ」を語りかけているという構図の歌詞。これに違和感を感じる方もいるのではなかろうかという改めての問いかけ。はっとするとともに、この問いかけに対し、私たちとしても相当にじっくり考える時間を取らざるを得ませんでした。いくつかの本を求め、新聞やネットで資料にあたり、色々な方からの話を聞きました。靖国や知覧に展示されている、特攻隊員として亡くなって行った方々の遺書。あるいは「きけわだつみのこえ」に収録されている遺稿。それらにも改めて目を通し直してみました。やはり悲しい。悲しい以外の何ものでもない。悲しみが行間からあふれんばかりに滲み出ています。ほとばしるばかりの悲しみが、行間から・・・・・・行間から!?・・・・・・そうか!と気がつきました。そう、概して全般的に、「行間から」なのです。特攻隊員として亡くなった方は敢えて直接的な表現としては「自らの悲しみ」を書かれていない場合が殆どでした。「悲しい」気持ちを表に立させてしまったら、特攻機にはきっと乗りこめなかったに違いありません。護るべき人たちを想い、気持ちを奮い立たせて、「決して悲しまないでくださいね」と遺書には記して・・・。
つのださんからの問いかけに対する答えが見えてきました。悲しみを敢えて表に出さずに亡くなっていった方の気持ちを尊重する立場に立てば、亡くなった方が「悲しみを今も語りかける」という歌詞であると、それはいささか踏み込み過ぎ───そういうことなのかもしれません。例え「青い空の下で散らした命」という主語が特攻隊員のことだけを示しているわけではないにしても、特攻隊員も包括しているのだとすれば、この「踏み込み過ぎ」かもしれないという点は私たちとしても意識しておかなければならないと思った次第です。
そんなわけで、「NIPPONのうた」でのCD化にあたり、私たちは「8月15日の空」の歌詞を次のように部分差替えすることとしました。私からの提案を作詞者のりすにゃさんにもご了解いただいての差替えです。りすにゃさんには元々の詞に対する深い思い入れがあったと思います。それを敢えて抑えてくださったご配慮に、この場を借りて深く感謝の意を表したいと思います。ちなみに、プロデューサーのつのださんからこの詞で行きましょうとの決断をいただいたのは10/19のレコーディングの直前(実は音入れの間際)のことでした。プロデューサーとしての立場上やはり相当に熟慮されたご様子でもありました。
さて、そんな経緯を経た差替え歌詞は、次の通りです。
■青い空の下で散らした命は 過ぎてきた悲しみを今も語りかける
↓
■青い空の下で散らした命は この国に幸あれと今も語りかける
たったワンフレーズのことなのですが、とてつもなく深いワンフレーズです。差替え後の詞の意図するところについては、また是非聞き手の皆様の方でお考えをめぐらしていただきたいと思っております。
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