楽曲「8月15日の空」を歌う想い

■ガーネットのオリジナル曲「8月15日の空」が、靖国神社崇敬奉賛会殿主催の戦後60年記念企画の「NIPPONのうた」というオリジナル楽曲公募イベントにおきまして、入賞7曲のうちの1曲として「審査員特別賞」に選出していただきました。7曲はつのだ☆ひろ氏のプロデュースにより録音しCD化。11/26の同神社の公開シンポジウムにおいて発表と同時にCD発売されました。

■この企画の主催者であります靖国神社についての想いやスタンスは、人により、立場により、まさに様々で複雑です。このことは私たちとしても浅学ながら理解はしているつもりでおり、その意味で、私たちとしても今回の応募については相当に熟慮して決意したものでした。

■このページでは、私たちガーネットが今回の応募にあたり主催者殿に対しお送りした拙文この歌に関する思いと、今回のCD化に当たりこの歌の歌詞を一部差替えすることにしたその経緯歌詞差替えについてを記しておきたいと思います。私たちのこの歌への想いを、GarnetWEBを訪れてくださいました皆様にもお読み取りいただければ幸甚に存じます。

2005年11月27日   ガーネット

■追記---「平和」という散文詩を追記しました(2006.2.11)











「8月15日の空」----この歌に関する思い


加藤和広 (作曲者)


8月15日の空 ---ガーネット「夕空詩集」バージョン
Word:りすにゃ Music:加藤和広
♪試聴できます
夕空詩集バージョン


往く夏は紅く モノクロの遠い記憶 静かに静かに染めあげる
遠くなる昭和 消え残る幻燈画 あなたの時間は止まったまま
ねぇ青い空の果てに祈りはとどくの?  あんなにもこの国を愛したひとたちへ
今年もまたあのときと ああ同じ夏の空

帰らない過去をそっと辿ってみれば 色褪せたあなたが微笑んだ
薄れゆく時代 振り返ることさえも いつしか出来なくなりますか?
ねぇ青い空の下で散らした命は 過ぎてきた悲しみを今も語りかける
今年もまたあのときと ああ同じ暑い夏

ねぇ青い空の果てに祈りはとどくの? あんなにもこの国を愛したひとたちへ
今年もまたあのときと ああ同じ夏の空 ああ同じ夏の空


 妻の実家に飾られている大きな写真の中にいる二十歳のままのコウゾウ伯父さんは、志願して出征したまま帰って来ることが出来なかった、若い兵隊さんでした。妻の、父親の、長兄でした。学業にしても運動にしても極めて優秀で、真面目と真剣さを絵に描いたような良い子だった・・・という話を、妻のおばあちゃんが私に、生前何回となく聞かせてくれました。真面目で真剣な子だったからなおさら、時代の波の中で、いてもたってもいられなくって、自分で志願して行ってしまったんだねと---。あまりおしゃべりな方ではなかったおばあちゃんだから、母親としての、コウゾウおじさんが出征した時や彼を亡くした時の気持ちを能弁に聞かせてくれることはほとんどなかったのだけれど、切なくやりきれない想いでいっぱいだったことは容易に想像できました。

 そのおばあちゃんが他界してから、もう10年ほどが経ちました。自慢の息子を二十歳そこそこで亡くしたおばあちゃんの心の中からは、生涯ずっと、二十歳のままの愛しい息子の姿が消えることはなかったようです。

 戦争は人の生命を奪うことに直結する行為でもあり、また、生き残った人びとにとっても、その生活や心、場合によっては身体にも深い傷跡を残す悲惨凄惨なものです。そうした認識や、それゆえに戦争という事態・行為は決して繰り返してはいけないという平和を希求する気持ちは、歴史観の違いや立場の違いを越えて現代の日本人全体に共通して持たれているものであると私は信じております。

 そして実際に戦争を実体験した世代の方は、先の祖母の例をとるまでもなく、ものの順序として順々にこの世から先にご卒業なさっておられます。それにつれ、上述の戦争と平和に関する国民の共通認識が薄まってしまうような事態がもしあるとしたら・・・それはとても無念で情けないことだと思います。先の大戦で尊い命を落とされた、コウゾウおじさんを含む靖国の御霊にしてみればなおさらなのではないでしょうか。

 私たちの世代は(註:この歌を歌っているガーネットは1960年代生まれの夫婦です)、実際に戦争を実体験した世代から、その悲惨さや、悲惨な体験があるがゆえの心からの平和希求の想いを直接語り聞くことの出来た、そんな世代です。だからこそ私たちの世代にはこの「戦争の悲惨さ」と「平和の希求」をまた次の世代へと語り継ぎ、前述の共通認識を薄らげないようにして行く責務があると考えています。

 今回の応募楽曲「8月15日の空」は、終戦記念日にあたるその日に、青い空を見上げ、遠くなってしまいつつある昭和の戦火のあの日を静かに思い、戦争で犠牲になった多くの先達や近しかった人を偲び平和への祈りを捧げる歌であり、戦争で二十歳そこそこの息子を亡くした経験のある妻の祖母の気持ちにつながる内容となっています。2 コーラス目では、褪色した古い写真を見ながら故人を偲び、年老いゆく自分も遠からずこの世から卒業する時期が来てしまう・・・そんな現実も直視し、それに重ねて、自分たちの世代がいなくなることにつられる形で、もしかしたら悲しみのあの日々を国民全体が忘れてしまいつつあるのではあるまいかという危惧を歌っています。青い空の下で犠牲になったたくさんの命は、戦争の悲惨さは決して忘れないで欲しいと、平和を希求する気持ちは絶対に忘れないで欲しいと、語りかけているに違いありません。

 自分の子や孫が戦争の犠牲になることは絶対に避けたい。自分の子が生まれると親なら誰しもがそう思うものでしょう。だからこそ子を持つ親でもある私たちガーネットは、上の世代から教えてもらった不戦への決意を、次の世代へと伝える橋渡し世代となるべく、この歌を歌い続けたいと思っております。


以上








「8月15日の空」----歌詞差替えについて


加藤和広 (作曲者)

 私たちガーネットは「日の丸の戦闘機」という歌で特攻隊員を見送る側の悲しみの気持ちを歌っています(厳密には、特攻隊員と思われる飛行士を見送る気持ちを、なのですが)。この歌では、見送られる側の気持ちについては、聞いてくださる方の捉え方にお任せしようと思って敢えて言葉としては盛り込んでいません。

 ひるがえって、「8月15日の空」です。こちらの歌では「青い空の下で散らした命は過ぎてきた悲しみを今も語りかける」と歌っていました。私たちとしては「青い空の下で散らした命=先の大戦で戦没された全ての兵隊さんたち+原爆・空襲・地上戦などで亡くなった全ての民間の方々」との認識でいました。「戦没された兵隊さん」には当然特攻隊員として亡くなった方も含めて考えています。つまり私たちは、「日の丸の戦闘機」で言葉として盛り込まなかった「見送られる側=特攻隊員」の気持ちを、この「8月15日の空」で“悲しみを語りかけている”という言葉によって表現していたわけです。その意味で「8月15日の空」は「日の丸の戦闘機」のアンサーソングでもあります。

 ───実はここがポイントでした。「青い空の下で散らした命」という主語。この主語が特攻隊員を連想させてしまう言葉になっていることは私たちとしても前述の通り想定しておりましたし、逆に、連想していただけることを期待しているようなところもありました。然るに、今回の「NIPPONのうた」は、戦没者を祀る場所である靖国神社というデリケートなところでの企画です。そういうデリケートな場所において“特攻隊員として亡くなって行った方を連想させる〔主語〕が「悲しみを語りかけている」という〔述語〕につながる”のは、果たして本当に適切なのだろうか? 色々な立場の方がこの歌を聞いてくださることになるわけです。そういう色々な立場の方々がこの歌を聞いてくださった時に、出来るだけ違和感なく聞いてもらえる歌詞になっているかどうかはやはり大切だと思うのですが、果たしてこの詞だとどうなのでしょうか?・・・・・これがプロデューサーつのださんからの問いかけでもありました。

 「青い空の下で散らした命」が「過ぎてきた悲しみ」を語りかけているという構図の歌詞。これに違和感を感じる方もいるのではなかろうかという改めての問いかけ。はっとするとともに、この問いかけに対し、私たちとしても相当にじっくり考える時間を取らざるを得ませんでした。いくつかの本を求め、新聞やネットで資料にあたり、色々な方からの話を聞きました。靖国や知覧に展示されている、特攻隊員として亡くなって行った方々の遺書。あるいは「きけわだつみのこえ」に収録されている遺稿。それらにも改めて目を通し直してみました。やはり悲しい。悲しい以外の何ものでもない。悲しみが行間からあふれんばかりに滲み出ています。ほとばしるばかりの悲しみが、行間から・・・・・・行間から!?・・・・・・そうか!と気がつきました。そう、概して全般的に、「行間から」なのです。特攻隊員として亡くなった方は敢えて直接的な表現としては「自らの悲しみ」を書かれていない場合が殆どでした。「悲しい」気持ちを表に立させてしまったら、特攻機にはきっと乗りこめなかったに違いありません。護るべき人たちを想い、気持ちを奮い立たせて、「決して悲しまないでくださいね」と遺書には記して・・・。

 つのださんからの問いかけに対する答えが見えてきました。悲しみを敢えて表に出さずに亡くなっていった方の気持ちを尊重する立場に立てば、亡くなった方が「悲しみを今も語りかける」という歌詞であると、それはいささか踏み込み過ぎ───そういうことなのかもしれません。例え「青い空の下で散らした命」という主語が特攻隊員のことだけを示しているわけではないにしても、特攻隊員も包括しているのだとすれば、この「踏み込み過ぎ」かもしれないという点は私たちとしても意識しておかなければならないと思った次第です。

 そんなわけで、「NIPPONのうた」でのCD化にあたり、私たちは「8月15日の空」の歌詞を次のように部分差替えすることとしました。私からの提案を作詞者のりすにゃさんにもご了解いただいての差替えです。りすにゃさんには元々の詞に対する深い思い入れがあったと思います。それを敢えて抑えてくださったご配慮に、この場を借りて深く感謝の意を表したいと思います。ちなみに、プロデューサーのつのださんからこの詞で行きましょうとの決断をいただいたのは10/19のレコーディングの直前(実は音入れの間際)のことでした。プロデューサーとしての立場上やはり相当に熟慮されたご様子でもありました。

 さて、そんな経緯を経た差替え歌詞は、次の通りです。

■青い空の下で散らした命は 過ぎてきた悲しみを今も語りかける

■青い空の下で散らした命は この国に幸あれと今も語りかける

 たったワンフレーズのことなのですが、とてつもなく深いワンフレーズです。差替え後の詞の意図するところについては、また是非聞き手の皆様の方でお考えをめぐらしていただきたいと思っております。


以上(2005年10月23日記)



8月15日の空 ---CD「NIPPONのうた」収録バージョン
Word:りすにゃ Music:加藤和広
♪試聴できます
NIPPONのうたバージョン


往く夏は紅く モノクロの遠い記憶 静かに静かに染めあげる
遠くなる昭和 消え残る幻燈画 あなたの時間は止まったまま
ねぇ青い空の果てに祈りはとどくの?  あんなにもこの国を愛したひとたちへ
今年もまたあのときと ああ同じ夏の空

帰らない過去をそっと辿ってみれば 色褪せたあなたが微笑んだ
薄れゆく時代 振り返ることさえも いつしか出来なくなりますか?
ねぇ青い空の下で散らした命は この国に幸あれと今も語りかける
今年もまたあのときと ああ同じ暑い夏

ねぇ青い空の果てに祈りはとどくの? あんなにもこの国を愛したひとたちへ
今年もまたあのときと ああ同じ夏の空 ああ同じ夏の空




◆◆◆



「平和」

「あの人」はああだから話はしない。したくない。そんなことを言っている限り、「あの人」の思いは理解出来ません。

「平和」を模索したいと本気で思っているのなら、色んな立場の人の話をまずはよく聞き、お互いの接点を見出そうとすること。それが大事なことなのではないかと私は思っているのです。

誰かを敵視するような発想をしている限り、「平和」は遠いと思います。
他人の価値観を認めず拒否するばかりの人が「平和」を語っても、それは心に響きづらい。

なんて。

ちょっとそんなことをここに書いてみたくなりました。
誰に向けて書いてみたくなったのって?
そうですねえ自分に対してかもしれません。
Garnet-KAZ(2006.2.11)