おしゃべりBarの第1回目のお客様はジャズギタリストの鈴木徹大さんです。
鈴木さんとはフィガロのお客様からの紹介で、2001年2月から、
ずーとお付き合いをさせていただいてます。
フィガロのホームページの2面にも、鈴木さんのライブ風景が載っています。 

                             
 1964年2月7日生まれ、東京都出身。
中学の頃よりギターを始め、ライブ、ミュージカル、スタジオワークetcを経て
1988年に渡米。
1989年帰国後、ボブ斉藤(sax)、中山英二(b)、,近藤房之助(vo)、
古澤良治郎(ds)等のグループで活躍。
 現在は小林洋子(pf)DUO、セッション等を中心に活躍中。        
    

 夜もだいぶ更け、午前1時過ぎ、すごーく眠い私に比べ、
鈴木さんは瞳ランラン、これからが本番と言う感じ。

 
 「今から2年位前だったかしら?
友人の勧めで、東京でスピチュアルカウンセリングを受けることになったの。
高速道路に入る前に、
トイレに寄ることにしたの。
コンビニに車を止めて、降りて歩こうとしたら、足が地面にくっついて
一歩も動けなくて、すごくあせっちゃった。
屈伸運動したり、いろいろ試みて、やっと動けるようになったんだけど、
ロボット歩きしかできなくて、大変だったの。
わたしの足を見て、
カウンセリング
の先生が第一声、
”あ、ついてる、ついてる、”て、おっしゃるの。
あのコンビニから、霊がついてきちゃたらしいの。びっくり!」
 鈴木
 「コンビニって、高速に入る前の、最後のコンビニ?」
 私
 「そう。」
 鈴木
 「やっぱり、あそこのコンビニは、僕もちょっとわけありなんだ。
あそこのゴミ箱に、或るものを捨てたことがあるんだ。
今日はあそこの道は通らないことにしよう。」
 私
 「鈴木さんも霊感とかに、敏感なの?」
 鈴木
 「僕、よく金縛りにあうんだ。
ある時なんか、蒲団の上に人が載ってきて、僕の首を絞めるんだけど、
絞めている指の感覚が、すごくリアルで、気持ちがわるかった。
ごく稀にだけど、目が覚めている時にでも、金縛りにあうことがあるんだ。
それも自分の意志で、かかることがあるんだ。
金縛りにあいそうになって、かかちゃおうかなって思ってかかるんだ。
電車にのって、渋谷で降りなくちゃいけないのに、
動けなくて、通り過ぎてしまったこともあるよ。
電車に乗っていて、いろんな人が、座席に座っているんだけど、
明らかにそこに座っている人達の足とは違う足が見えたりすることもあるよ。
そんな時も動けなくなっちゃう。」
 私
 「夜も遅いですから、気をつけて帰って下さいね。」
 鈴木
 「今日は、あのコンビニの前は通らない事にします。」
と言ってお帰りになった鈴木さんですが、
やっぱりあのコンビニの前を通って帰ったそうです。
しかも下半身が、すごく冷たくなってしまったとのことです。
行ってはいけないと思いながら、何かに導かれるように行ってしまったのでしょうね。

 鈴木さんとの、夜更けのちょっと怖いお話でした。





 
  おしゃべりBarの2回目のお客様は、
ニューヨーク在住のジャズヴォーカリストの天野昇子さんです。
始めて出合ったのは、2000年の秋だったと思います。
東京の友人から、
"ニューヨークで知り合ったヴォーカリストなんだ。
近頃は日本でも活動しているんだよ。
今日本に来ているからライブ、見に来ない?"
という誘いを受けて見にいったのが、お茶の水の「ナル」でした。
唄のすみずみに、ニューヨークの香りが漂っていて、
いっぺんで気に入ってしまいました。

2001年4月に始めてのライブをやって頂いてから、
フレンドリーなお付き合いをしています。
何よりも昇子さんが、群馬を”第2の故郷”と気に入って下さって、
嬉しい限りです。



 ニューヨーク在住、東京生まれ、ジャズに魅せられ1974年に渡米、以後40年近く、ブルーノート・リンカーンセンター・カーネギーリサイタルホールなど゙、ニューヨークの第一線でライブ活動中。
有名アメリカミュージッシャンとの共演多数。
去年の11月最新作「ザ・グッド・ライフ」を発表。2001年から日本唯一のフィガロヴォーカルクリニックの専任講師を務める。



 ヴォーカルクリニックの前の、昼下がりのコーヒータイムに。

 
 「昇子さんとは忘れられない思い出がたくさんあるんですけど、フリージャー祭をやっているからと八丈島に誘われて行った時のこと、
お祭りは1か月先だったことがありましたね。」

 天野
 「私、一番好きな花がフリージャーなの。黄色くて、素朴で、かすかな香りがいいの。島に着いても、黄色い花は見つからないし、人も閑散としていて、おかしいなあ?と思ったのよ。せっかく見せてあげようと思ったのに残念でした。」
 私
 「八丈富士には登れたし、八丈太鼓も聞けたし、お魚も名産の明日葉料理もおいしかった。それに、目の前に海が見渡せる広いホテルの部屋が、素晴らしかった。行ってよかったと思っていますよ。」

 
 
 「何といっても忘れられない出来事は、我が家の飼い犬の"ヤマト”(ダルメシアン)に噛まれた時ですよね。
ライブが゙終わり、打ち上げをしたあと、私の家に泊まる事になって、午前2時過ぎだと言うのに、犬のところに二人で行って、"ヤマト”って私が呼んだときには、もう昇子さんの
右手首がすっぽりヤマトの口の中に入っていたんですもの。
昇子さんは、手を引き抜こうと目一杯引っ張っているし、
犬は絶対に離すまいと頑張っているし、
どうしていいか分からなくて。
そのうち犬の方があきらめて口をあけたら、
昇子さんがころころころと三回転(後ろ回り)したんですよ。
そんな大変な時に不謹慎かも知れませんが、運動神経のいい人だなって関心したのを覚えています。
それから家の中に入ってからが大変でしたね。手首にタオルを巻いて"痛い!痛い!”と叫びながら床を転げ回っていましたよね。
私、昇子さんの指が全部取れっちゃたのかと思いましたよ。」
 天野
 「あの時は本当にすごく痛かったの。だって私、右の小指を骨折していて、ギブスをはめていたのをはずしたばかりだったのよ。
なぜ小指を骨折したかとゆうと、私、目の手術をしたばかりで、目にガラスが入っているから、1年間は絶対転ばないように言われていたのに、段があるのに気付かないで、転びそうになったの。
そのとき、目のことが頭に浮かんだの。転んだらいけないと思い、小指をついてしまって骨折したの。
指の中で一番痛いのが小指なんですって!
アメリカの救急病院って、命のかかっている治療には、素早い処置をするんだけど、それ以外は後回しで、すごく痛いのに何時間も待たされて、治療が終わったのは、翌日の明け方になっていたの。もう最悪だったわ。」

 私
 「主人が、昇子さんの、転げ回っているのを見て、ひとこと、
”生まれて始めてだよ。こんなに痛がる人を見るのは”ですって。
救急で病院に行ったら、お医者さんに"いつ噛まれたんですか?"と聞かれて、
今日の”午前2時頃です。”と答えたら"午前2時?”と信じられないとゆうふうでしたね。
人差し指が犬歯に引っ掛かって傷になってしまったんですよね。
正直、傷ついたのが小指でなく、人差し指一本でよかったと思いましたよ。」

 天野
 「犬が好きだからといって、寝込んでいる真夜中に行ったのがいけなかったのよね。犬の方もビックリしたんじゃないかしら。」

 
 
 「2001年9月2日から9月9日まで、昇子さんの企画で、一回目のニューヨークツアーをした時の事も忘れられない思い出となりましたね。
あの時は、群馬からは、主人とヴォーカル教室の生徒さん2人で、東京の生徒さん達が何人かで行ったんですよね。
楽しいライブハウスツアーから帰った2日後ですよ、
あの9.11が起こったのは!
リアルタイムであの衝撃映像がテレビから映し出され、現実とは思えない出来事だった。
昇子さんのことが気になって、電話したんだけど、なかなか通じなくて、心配でした。
やっと昇子さんの声を聞くことが出来て、安心しました。」
 天野
 「犬の散歩をしていたら、煙だらけになって、ヘリコプターも飛んでいるし、救急車や消防車の数もすごいし、凄く騒がしいの。
家に帰ってテレビをつけても映らないし、いったい何があったの?」
私は驚きました。日本にいる私たちのほうが、情報が早い事に。
マンハッタンではパニック状態だったんですね。


 天野さんとのお話はいろいろありすぎて、どこまで続くか分かりません。この続きは、また、次の機会にします。ちょっとおっちょこちょいのところがある昇子さんですが、気さくで、とてもかわいい人です。これからも末長くお付き合いしていきたいです。
あっそうそう、天野さんのお住まいはマンハッタンの素晴らしいところにあるんです。すぐ隣にはセントラルパークがあり、愛犬のコーギー犬、"ベルタ”君の散歩道になっています。そして目の前には、あのジョン・レノンがオノ・ヨウコと住んでいたダコタハウスがあるんですよ。今でもオノ・ヨウコは住んでいます。私も一度お部屋に伺わせていただきましたが、素敵なところです。






  
 おしゃべりBar3回目のお客さまは、おなじみ、
フィガロのピアノ・ヴィブラフォン教室の先生、
”コバケイ”こと、小林啓一さんです。
1997年から、12年間もお世話になっています。
あの頃はまだ、20代で、若くて、かわいかったんですけどね。


 
 友人の影響で高校生時代に音楽を始める。東京にてジャズ理論を、
ピアニスト板橋文夫氏、ヴィブラフォン奏法を大井貴志氏からそれぞれ師事する。
第14回(1995年)浅草アマチュアJAZZコンテストにて
ベストプレーヤー賞を受ける。
 しかし、ハードスケジュールの為病に倒れ、やむなく帰郷。
復帰後、今では北関東で最も多忙なミュージシャンと言うハイレベルな存在。
 現在、演奏活動のほか
フィガロ音楽教室のピアノとヴィブラフォンのインストラクターを務める。
また、沖縄民謡歌手大工哲弘氏の「蓬菜行」。
藤村直樹氏の「逃避行」の録音にも参加。


 教室が終わった後、いつも、しばらくおしゃべりをして、
あるラーメン屋さんによってから、佐野まで帰る小林さん。今夜もそうかしら?



 
「僕の誕生日は、5月15日で、美輪明宏と美川憲一と一緒なんだよ。」
と嬉しげに話す小林さん。

今までに、一度も床屋さんに行った事がなくて、自分で髪を切る小林さん。
時々失敗して、カッパみたいになったり、バナナマンみたいになったり。
そんな、ちょっと変わった小林さんのFreeな日は何をしているのかしら?

 小林
 「大きな建物とか、ダムとか見るのが楽しみだなー。
特に高圧線とか、鉄塔とか眺めるのが、楽しいなあー。
天気のいい日だと、足利の橋の上から、煙突が見えるんだ。
どこの煙突なんだろうとずうーっと気になっていて、たどってみたら
熊谷の大きなセメント工場の煙突だったんだ。」
 私
 「1本の煙突を追いかけて足利から、熊谷まで行くなんて、信じられない!」

 小林
 「たいていドライブに行く時は、すごい高圧線とか、大きな鉄塔を目指してるんだ。
それで気がついたんだけど、群馬には、大きな高圧線がいっぱいあるっていうことが。
ネットで調べてみたら、群馬には、世界的規模のの高圧線のルートが走ってるんだ。
中でも、福島や、新潟の原発から来ているルートはすごいものらしい。」

 
 「鉄塔や高圧線を眺めて、どこが面白いの?」
 小林

 「ある時、草木ダムの北側にドライブに行ったんだけど、チョウ大きな高圧線が見えて、
すごく興奮したんだ。それが、高圧線にハマったきっかけかな?
家に帰って早速、ネットで、あの高圧線が、
どこからどこへ行っているルートか調べたんだ。
そう云うのが楽しいんだよ。
まあー、鉄道マニアにあい通じる気持ちかな?」

 
 「やっぱり、どこが楽しいのかワカンナイ。」

そうそう、これはピアノ教室の生徒さんから、耳にした話なんですけど、
小林さんが、いつものラーメン屋さんで食事した後、上武国道を車で走っていたら、
南側に、富士山のような、大きな建物が見えたので、すごく気になって、
その建物の光をたどって行ってみたら、埼玉県の深谷のマンション、
”ダイア・パレスだったとか。
小林さんて、すごく大きい物とかに、惹かれちゃうんですね。


 
今夜も小林さんと、いろんなおしゃべりをしました。
男と女の話、というより、女同士の会話かしら?
そして、やっぱり、例のラーメン屋さんで、食事して帰るそうです。
もう、あまり若くないのですから、夜中のラーメンは、ほどほどにね!
また、大きい物に惹かれて、遠出はしないでくださいよ。遅い時間ですから。