観音山紅葉対談 関口ふさの・鈴木石花
―あさを社 社長室にてー
平成15年11月4日(火)
鈴木 俳人協会の群馬県支部が出来て11年目になり、その間何度も、ふさの先生にお目に掛かっておりますのに、何となく近寄り難く、親しくお話を交わしたことが無かったのでしたが、先月、赤城温泉ホテルでの県支部の総会で同室になった折に、3年前に同行したインド旅行の面白い思い出話をしているうちに打ち解け、お話を聞かせて戴けることになり、お伺い致しました。
関口 午前10時からの予定でしたが、連休後ですので、ミーティングの時間を30分余分にみて、10時半からということにしました。直ぐ分かりましたか。
鈴木 お電話により30分遅くなったのは承知致しましたが、桐生を早く出て国道50号線を来て、前橋で17号線に乗り、右手に急に大きく白衣観音が現れたところで烏川に架かる聖石橋を渡り、間違わずに来ました。あさを社の駐車場に車を置いて、時間までこの辺りを歩いて紅葉狩りを楽しみました。正面に赤城山があり、その間の高崎と前橋の町並みを望むというワイドな眺めに圧倒されました。私の家も山の上で桐生市内を一望出来ますが、ここに較べると箱庭のような感じです。
関口 夜景も良いですよ。
鈴木 高崎観音山の中腹と言うより上の方で、高さ41,8メートルという白衣観音のお膝元に住んでおられるのですね。
関口 後ろの道を登ると直ぐ山頂の慈眼院に出ます。高野山から来られた住職の橋爪良恒師が遷化され、12月14日が一周忌になるので追悼集を出すことになり、午後2時から発行委員会があります。
鈴木 旅行の前に夫と、こちらで「インド行への心得」を拝聴いたしましたが、お若い頃から何度もインドの聖地を巡礼、修行なされたそうで、「上州路」や「麻苧」に名文を寄せられたりして、ご立派なお方でしたね。
関口 生前は麻苧の仲間でもあり、ポッカリ穴が空いたようで淋しいです。88箇所の四国霊場巡りも何度となくなされて、行かれた先々での俳句が出てきましたので、追悼集に載せようと思います。
さきつ世もさきつ世もまたさくら道   良恒
こういう類の作品ばかり、俳句以前で批評の仕様がありません。
鈴木 俳句をやるには、先ず心を磨けと言いますよね。
関口 その通りです。上辺だけの花鳥諷詠では駄目です。深さとか高さとか、そういうものによって、良い句か悪い句か決まるのです。
鈴木 5月14日に群馬会館で群馬ペンクラブの総会があり、その後、ふさの先生が高野山へ行くと言われましたでしょう。
関口 そうです。高野山に良恒師の納骨をして来ました。
鈴木 ここで一寸お断りしておきます。これからの対談のなかに、俳句作家ほかのお名前が出てくると思います。どなたも先生ですが、ふさの先生以外はお許し願って、敬語を省略させていただきます。
関口 新聞社、雑誌社、放送局などが取材に来て話をさせられますが、いつも、テーマをしぼって、事前の打ち合わせをします。何かありますか。
鈴木 別にありません。私の場合はページ数とか、生放送のような時間制限はありませんから、何でも自由に話し合います。気ままですと、普段言えないことや聞けないことが出てきます。中には活字に出来ない部分もありますから、取捨選択して仕上げるのです。
関口 そういえば、NHKの広瀬修子アナがきて、世間話をしたあと本題に入るところで、「これまでで充分です」と言われて、その後、ラジオで放送されましたが、結構纏まっておりましたね。
鈴木 麻苧の師系は松本たかし→清水寥人→関口ふさの先生となっております。松本たかしは宝生流能楽名人の家の出で、俳壇の貴公子と評され、作風は高雅、気品に富んでいたと言われますが、昭和31年に、51歳で亡くなられました。ふさの先生も能をしておられるとか。
関口 日本茶道学会のお茶と古流のお華は教えていたこともありますが、能はかつてほんの少しです。そして、私は松本たかしとは関係ないのです。昭和28年1月に麻苧をはじめた寥人は、たかし主宰の笛の同人でしたから、麻苧の師系はそのようになるわけです。私は寥人の生存中、編集長として選句以外の殆どをしてきました。平成6年11月21日に寥人が他界してから私が主宰となり、新たに選句と選評が加わったのです。
鈴木 私が寥人に初めてお目にかかったのは、俳人協会群馬県支部発足総会の時でした。貫禄があって、オーラを感じました。
関口 そうでしたか。前はスマートだったのですが、40代ぐらいから体型が変わりだしたのです。
鈴木 そのときが最初で最後、交通事故に遭われたという噂を耳にしてから間もなく、ご病気で亡くなられたと知り驚きました。
関口 特に私には、俳句だけでなく文章についても、事細かに教えてくれました。上州文学で最初はエッセイとか随筆でしたが、そのうち、寥人にすすめられて小説も書くようになり、全国同人雑誌賞のベスト5に入ったこともあります。今になってまた小説を書きたくて仕方ありません。
鈴木 大東亜戦争が青春時代でしたから、メロドラマにしてもスケールの大きい作品になるでしょうね。
 麻苧の主張として、「全てのものの生命を捉え、余韻余情を尊び、徒に奇にてらわず、高さと深さ、新鮮さを求め、文章発表にも門扉を開く」とありますね。寥人と私が師とした風土の石川桂郎には似たところがあります。二方は一流大学を出たような俳人ではなく、体をはって生き、命がけで俳句に取り組み、しかも文章で、寥人は『機関士ナポレオンの退職』が昭和38年下半期の第50回芥川賞の候補となり、松山善三の脚本により「喜劇・各駅停車」として上演され、映画化もされました。また、桂郎は『妻の温泉』が昭和29年下半期の第32回直木賞の候補となり、NHKで放送されました。風土では年に一度、石川桂郎賞の俳句と随筆を募集しております。俳句だけでなく、文章にも門扉を開くという麻苧の主張と共通しております。
関口 あさを社で『村上鬼城全集』を出したき、石川桂郎からそれを欲しいという電話がありました。電話だけでなく会ってみたいような気がするほど魅力的な話し方でした。
鈴木 チャキチャキの江戸っ子で人を惹きつける話術は天下一品、昭和46年から亡くなった50年まで、月1回の東京句会でしたが、未だに、桂郎の一言一句全て私の頭から離れません。ふさの先生から桂郎についてそのように言われて嬉しいです。
関口 「石川桂郎です」と言われたとき、ドキドキしました。すでに『妻の温泉』も読んでおりましたから。
鈴木 あさを社から月間・郷土文化誌『上州路』が出ておりますでしょう。平成11年6月30日に高崎ビューホテルで「上州路創刊三百号記念祝賀会」がありましたね。
関口 『上州路』は昭和48年創刊です。去年、あさを社創立30周年の記念祝賀会を致しました。 
鈴木 『上州路』は郷土文化誌と銘打っているだけあって高尚な内容ですね。
関口 だから、あまり売れないのです。でも、創刊号から全てバックナンバーが揃っているという愛読者もおり、特集には、群馬県の政治以外のありとあらゆる分野の、歴史、文化、自然、産業、まちづくり、文学、美術などを網羅して、百科事典のような役目を果たしております。
鈴木 政治以外というのが良いですね。
関口 100頁ほどの本ですが、『上州路』の売り物は特集ですから、特集に30頁位とっております。必要な分野の研究をする取っ掛かりにはなりますよね。
鈴木 10月12日、榛名町群馬県俳句作家協会の総会があり、そこで、小栗上野介の菩提寺である倉渕村権田の村上泰賢東善寺住職による、「小栗上野介に学ぶ」と題して講演がありました。とても良いお話でしたので、家に帰ってから改めて、『上州路』の10月号特集「小栗上野介と高井鴻山の夢」を読みました。
関口 小栗上野介の特集は前々月から3回に亘って載せました。
鈴木 司馬遼太郎が「明治の父」とその功績をたたえた上野介ですが、幕末というと、勝海舟とか坂本竜馬ばかり表に出て、上野介は逆賊扱いにされがちでしたが、近年、ようやくNHKでも採り上げるようになりましたね。
関口 そうです。昨年の11月20日に「その時歴史が動いた」で「改革に散った最後の幕臣・小栗上野介」が、そして、今年の1月1日、午後10時からデジタルハイビジョンで、大島昌宏原作の「罪なくして斬らる―小栗上野介―」が脚色され、なんと、「またも辞めたか亭主殿」として放映されたのです。
鈴木 「その時歴史が動いた」は必ず観ております。
関口 小栗上野介は後の世の人たちにもっと語られても良い人物ですが、何しろ明治政府からみれば賊軍ですからね。それに、あまりにも優秀だったので、拮抗するあたりから、抹殺されたのかも知れませんね。さらに見直されるべき人物です。東善寺住職を中心にそういう動きもありますが。群馬はああいう大河ドラマになるような材料がないのです。近年になって総理大臣が3人出たというので、群馬も少しは知られるとろとなりましたけれど。まだまだ。
鈴木 8年前、『上州路』の254号に、夫が全国日本鶏保存会の会長のとき、「ザ・コレクション」欄に来日していたドイツの愛鶏家と一緒に載せていただきました。今は名誉会長である夫とともに『上州路』は毎号、隅からすみまで読んでおり、とても良い勉強になります。後ろの2ページ、バックナンバーの特集欄を見ても如何に内容の濃い本であるか分かります。こういうのを続けるのは大変でしょう。
関口 女だから続けて来られたのかも知れません。全国のタウン誌大賞を2回受賞しております。そのパーティが帝国ホテルであり、文化庁の役人に、「貴女が編集長ですか。納得がいきました」と言われました。タウン誌というと、若い編集者が多いでしょう。活字ばかりでカラーも無い地味な本だから、どんな人が編集しているのかなと思っていたのでしょうね。
鈴木 100パーセントこのままで続けていただきたいですね。そのガラスケースに並んでいるのは?
関口 全部、麻苧です。来年の4月号が600号になります。全国的にみても600号まで続くというのは珍しいそうですよ。
鈴木 郷土文化誌『上州路』と俳誌、麻苧を毎月発行しておられますが、優秀なスタッフも揃っているのでしょうね。
関口 おりますが、少人数でやっており、責任者は私ですから全てに目を通します。また、取材に出向き、原稿を書くこともあります。かつては、お偉い先生方に原稿依頼をするのに先方まで行っておりましたが、今は、電話だけで了解を得られるようになりました。
鈴木 それだけ、あさを社が高名であるということですね。100ページもの結社の主宰ともなると、出かける支部の句会もあるでしょう。
関口 主宰としての担当だけで月に10回、最低70句は作らなければなりません。
鈴木 10月20日と21日、赤城温泉ホテルでの俳人協会群馬県支部の総会に本部から来られた棚山波朗に訊きましたが、女性で俳人協会の県支部長は全国で4名だそうです。山口県の赤松薫子、愛媛県の吉野義子、福岡県の野見山ひふみ、群馬県の関口ふさの先生です。県内初の女性公安委員長をなされたり、財団法人明るい選挙推進協会役員をしておられますね。名簿をホームページで検索したところ、全国で20名、ふさの先生が群馬県代表です。9日は衆議院議員選挙で大変でしょう。
関口 会議が東京にありますが、学識経験者が多いです。
鈴木 俳句の話に戻りますが、昭和58年5月5日の俳人協会の新聞、俳句文学館の記事に、「柩橇曳きゆく馬に鞭あてず」が、第18回関西俳句大会で、朝日新聞社賞、関西俳句大会賞を受賞したとありました。私は、人から聞いたりテレビを見たりしていて、俳句になりそうなところがあると、出掛けることにしておりましたが、この俳句だけは、その場に居合わせた人しか作ることが出来ず、最高賞を獲得するに相応しい作品だと感じました。ところが、自解に「テレビのドキュメンタリー番組で、雪国の冬の生活の中の一場面に、橇に載せて柩を運ぶところを見て、強烈な印象を受け、瞬間に出来た句です」とありました。その時私は、谷底に突き落とされたような気がしました。何故なら、テレビでは作句しないと決めておりましたから。しかし古希を過ぎて、テレビで見たからと、かつてのように、流氷の知床へ行ったり富士山に登ったり出来なくなり、改めて読むと、素直に、この俳句の良さが分かるような気がします。
関口 凄い句ですよ。本当に感動を与えればテレビでも創作でも、必ずしも実景でなくても、その人の人生観などから生まれるものなら良いと思います。テレビを見て作ろうとして、てぐすねひいて出来た俳句には感動がなく、良い俳句が出来る筈がありませんが、たまたま、テレビを見ていて、強烈な印象を受けて出来た俳句には感動があります。
鈴木 柩橇の作者は、福岡県の吉原よしをで、大正7年生まれとのことでした。ふさの先生は時々講演や原稿の依頼がありますでしょう。辞世の句について話していただけますか。死ぬ間際の俳句でないと、辞世の句と言えないのでしょうか。
関口 36歳で没した子規の場合は死の直前に「痰一斗糸瓜の水も間にあはず」ほか2句を遺しましたが、多くの大家の『辞世の句』という本が出ていて、必ずしも死ぬ間際の俳句でもないのです。例えば、平成9年9月2日、63歳の上田五千石が急死したと聞いたとき、私はすぐに次の俳句が口をついて出ました。
 万緑や死は一弾を以って足る       五千石
昭和43年、第48回俳人協会賞を受賞した第1句集『田園』に登載されており、五千石が38歳頃の作品ですが、25年後の突然の死を暗示しているようにも思えます。これが辞世の句となりましたが、
 凍滝の膝折るごとく崩れけり       五千石
 梟や出てはもどれぬ夢の村         〃
 山開きたる雲中にこころざす        〃
30代から40代の作品ですが、どれも辞世の句といえば言えますよね。
  久保田万太郎の場合は、昭和38年5月6日、73歳の急逝でしたが、「春燈」の昭和38年7・8月合併号に遺作として載った、
 春の灯の水にしづめり一つづつ      万太郎
 牡丹はや散りてあとかたなかりけり     〃
ほか2句が辞世句ということになるのでしょうが、私の心のなかでは、その半年前に一緒に暮らしていた愛人と死別したころの作品、
 湯豆腐やいのちのはてのうすあかり    万太郎
を辞世の句として納めていようと思います。
鈴木 つぎに、選句についてお願いします。
関口 選句は直感ですね。高く、深く、発想が新鮮で、素材の良いものに惹かれます。私自身、選句は早くて上手いと信じております。たまには、他の人の選句について、何故あのような俳句を選ぶのだろうと感じることもありますが、人それぞれ、考えが違いますからね。その人その人の信念で選句をしており、それがまた、俳句の面白いところでもあるわけでしょうから。
鈴木 結社によって決まりは様ざまですが、麻苧は有季、定型ですね。
関口 そうです。
鈴木 風土でも有季、定型で、俳句は歴史的仮名、文章は現代仮名遣いと決まっております。
関口 矢張り、俳句をやる以上、そのくらいの見識をもたなくては。何でもいいというのでは。
鈴木 あまりうるさく言うと若い人達が育たないともいわれますが、どうでしょうか。
関口 迎合する必要はありません。裾を広げるために、五・七・五が俳句と言っていると、俳句の世界は堕落してしまいます。
鈴木 桂郎が「自分の顔を持った俳句を作る」と言いました。また、桂郎の次の風土主宰、平本くららは、「見たものではなく、見えたものを詠む」と言い、現主宰の神蔵器は「万物一体で命二つ、相手の命を輝かせる」と言っております。そして、ふさの先生も、「俳句は、五・七・五の形を借り、己を表現するものであり、たとえ、自然を詠んだり、ひとさまのことを題材にしても、自分というフィルターを通して生まれたものである」と書いておられます。
関口 見ただけは駄目ですね。何か光るものがないと。でも貴女は幸せですよ。生涯を捧げる師と結社に出会えて。大変な財産ですね。師の選び方が一生を左右しますから。
鈴木 やむなく結社を去ったり替えたりする人達が居られる中で、私は40年近く風土一筋、桂郎→くらら→器と師に恵まれ有難いです。いま、毎月東京まで3回通っております。いつ寝たきりになるか分かりませんから、通える限り、器主宰選の句会に出ております。
 生きることは一筋がよし寒椿    五所平之助
関口 寥人は私にとって、俳句、文学の師であると同時に、共同経営者、パートナーであり同志でもありました。師に対するご恩返しにと思って、すでに県内に句碑を8基造ってきました。私一人で建てたというのではありませんが。
鈴木 平成12年4月13日、碓氷峠の入り口、横川鉄道文化村に建立した清水寥人文学碑は石材がインド産ニュウインペリアルレッド、直径90センチ、横幅120センチ、重量2,5トンで、両脇に汽車の車輪を模ってあり、『機関士ナポレオンの退職』から、ふさの先生が撰文された「列車は、やがて終着駅に着こうとしていた」からはじまる一節が彫られ、あまりにも立派でびっくりしました。ふさの先生の句碑は?
関口 去年、菩提寺である高崎市上佐野町の西光寺に建ちました。改築された寺の落慶を機に、私の句碑を、という話をいただいたのです。
 寒椿赤し一揆の血を享けて      ふさの
高崎五万石騒動があって、高崎藩に対し農民が立ち上がったとき、曽祖父がその旗頭だったのでした。その詳しい話も載る私のエッセイ集『華鬘草』が、もう直ぐ出来ますからあげますね。
鈴木 楽しみにしております。最後に代表句を教えていただけますか。
関口 代表句? これからです。
鈴木 みなさん、そう言われるのです。お庭の桜紅葉が綺麗ですね。
関口 この桜は30年以上経ちました。桜が好きで桜の俳句が沢山あります。夏は滝、秋は霧が好きです。
鈴木 それでは、桜の作品の中から4句記します。
 今生を賭け老桜のはなやげる      ふさの
 千年のいのちを張りて花しだる      〃
 花枝垂れ一糸の先まで乱れざる      〃
 眼裏に夜もやまざる花吹雪        〃
関口 美味しいお寿司が届きました。食べてから慈眼院まで一緒に行きましょう。私は追悼集の編集会議、貴女は折角だから白衣観音にお参りすると良いでしょう。
鈴木 特上のお寿司はしばらくぶりです。別に病気ではありませんが、夫とともに、一日1600キロカロリーですから。
関口 これは何キロカロリーなどと考えながら食べたことはありません。何でも美味しいと思いながら食べます。
鈴木 このお寿司、特別美味しいですね。
関口 そうでしょう。それで良いのです。
鈴木 今日は本当にいろいろ教えて戴き、有難うございました。 


● 関口ふさの先生の略歴   ◎は現職
大正14年8月15日、高崎市に生まれる。
 昭和15年、安田銀行(富士の前身)に入行。
 昭和29年、俳句結社 麻苧に入会。
◎ 昭和37年、「上州文学」創刊に参画、現在編集同人。
◎ 昭和44年、群馬県俳句作家協会副会長。
 昭和47年、富士銀行退社。
昭和48年、有限会社あさを社を設立、代表取締役。
 昭和49年、郷土文化誌「鼎」創刊、翌年、「上州路」と改題、現在編集長、発行人。
昭和49年、風雷文学賞 受賞。
 昭和57年、高崎市婦人観光プランナー。
 昭和58年〜61年、高崎市観光協会理事。
○ 昭和59年、群馬県文学賞 受賞。
 昭和62年〜平成10年、高崎市観光協会理事。
◎ 昭和63年、村上鬼城顕彰会設立に奔走、常任理事、総務委員長、村上鬼城賞選考委員並びに全国俳句大会選者。
◎ 平成 4年、社団法人俳人協会群馬県支部結成に参加、現在支部長。
◎ 平成 6年、社団法人群馬ペンクラブ理事に就任。
平成 6年、上毛俳壇選者となり、同時に上毛文学賞選考委員。
◎ 平成 7年、麻苧主宰となる。

平成12年、群馬県選挙管理委員、委員長職務代行。
平成12年、群馬県明るい選挙推進協議会会長。
平成15年、財団法人山田文庫評議員。
平成15年、群馬県文学賞選考委員。
平成15年、高崎市文化賞受賞。
◎ その他  JA群馬信連・群馬県長寿づくり財団群馬県視聴覚障害者福祉協議会ほか各地俳句会などの俳句指導及び選者。
○ 著   書   句集『遠い音』『碌々』『晩晴』
平成15年11月        石花記