プロジェクト サイン

 1947年7月24日、ケネス・アーノルドが歴史的な遭遇をしてからアメリカ陸軍航空隊(当時まだ空軍は発足していなかった)には文字通り山にような目撃情報が寄せられた。 しかしこれらを軍はまったく処理できなかった。なんといっても「UFO処理係」など無かったのであるから当然といえば当然である。 軍は内部的には、自国に正体不明の飛行物体が飛んでいるならば、安全保障は大丈夫なのかという事と、外部的には多くの目撃証言をして納得のできる説明を求めている「納税者達」に対処する必要があった。
 同年9月23日アメリカ空軍(数日前に陸軍から独立)のN・トワイニング中将は、空軍総司令官に未知の飛行物体に関する意見書を送った。 その中には専門の調査期間を作るべきという進言も含まれていた。 そして12月30日、未知のテクノロジーの入手という下心も含みながら「プロジェクト サイン」が設立された。 顧問には天文学者のアレン・ハイネック博士が迎えられたが、これは飛行物体が他の天体から来ている可能性もあると考えられたからだ。 そのおかげで(?)プロジェクトサインは真面目に活動したものの、UFOは「金星」「流星」といった説明が多くなされ結果的に民衆は肩すかしを食ったようになり「軍は何か隠しているのではないか」という憶測も生まれるようになったのは皮肉な結果である。
 プロジェクトサインは熱心に活動したが、説明不明の事件は地球外から来た物体としてしまった。 これはサイン内に「UFO肯定派」がいたからである。 「状況評価」と言われる正式報告書にもそう書いたが、ホイト・バンデンバーグ将軍に却下されてしまい、またすべて焼却処分になってしまった。 (この処分も隠蔽工作の1つという話になってしまったが)そしてプロジェクトサイン自体、1949年2月11日で終わってしまったのだ。 なお、UFO調査は機関の名前を「プロジェクトグラッジ」と変え、引き継がれる事になる。


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